湿原を抜けた辺りでアルビオールとノエルに拾ってもらった一行が辿り着いた音機関で溢れかえる街ベルケンドは現在、重々しい雰囲気に包まれていた。ちょう どその辺にいた人々に話を聞いてみると、どうやら神託の盾騎士団が研究所に頻繁に出入りしているらしい。しかも今現在、その中でも偉い人が来ているのだと か。十中八九総長であるヴァンだろう。


「鬼畜の方はバチカルにいたから、こっちにいるのはヘタレの方か。乗り込むぞ」
「えっ乗り込むの?!」


あっ さりと宣言したクロにルークが驚く。ちなみにさっきまで喧嘩していた相手はアッシュの後ろに隠れてジト目で睨みつけてきている。ベヒモスを気付かぬうちに ぶち倒していたクロとシロの二人はそれからしばらく剣での喧嘩を続けたのだが、堪忍袋の尾がブチッと切れたジェイドの譜術によって途中で止められてしまっ たのだった。直撃したら命が無かったかもしれないミスティックケージを惜しげもなくぶちかまされれば、さすがに止めざるを得なかった。
その後は、こうやって避けられている状況なのだった。問い詰めるのはまとまった時間が取れてからにしようと決意を固めたクロは、とりあえず目の前の障害を片付ける事とする。そう、髭であった。


「っつーかシロ何でアッシュにくっついてんだよずりーぞ!俺も俺も!」
「あっ待てルーク!今だけ!今だけアッシュ貸して!」
「てめえら……俺を何だと思ってんだ!離れろーっ!」
「………」


何 故だか無性に腹立つ背後のやり取りを気にしないように、クロはずんずんと前へ進む。その身に纏うどこかおどろおどろしいオーラに、ああこりゃ後で修羅場が 待ち構えているな、と他の者たちは思った。思いながら誰一人口にはしなかった。もちろん、巻き込まれたくなかったからだった。




「屑髭滅殺!」
「いっいきな人の部屋に入っておいてその突撃はぐはあっ!」


ノックもせずに研究所のある部屋に飛び込んだクロは、そのまま中にいたヴァンに飛び蹴りを食らわせた。ヴァンはいきなりの襲撃に受身も取れずに部屋の隅のほうまで吹っ飛んでいった。ティアがほんのちょっとだけ気の毒そうに兄を見つめる。


「ふん、起きていても余計な事を喋るだけだろうから、そこで寝ておけ」
「……クロ」


「前」にこの部屋で言われたことを思い出していたシロがクロを見る。正確にはルークを思っての配慮だったのかもしれないが、あの時の事をフォローしてくれているような気持ちになった。肝心のクロは目が合った瞬間にさっと視線を外してしまったが。


「おい、その辺にいたスピノザとかいうおっさんが逃げ出そうとしていたからとりあえず捕まえておいたぞ」
「よくやった」
「ひいいっ!たっ助けてくれ!べべ別に逃げようと思っていた訳ではないんだ!」


ス ピノザの首根っこを掴んでずるずると引きずってきたアッシュを珍しくクロが褒める。ここにヴァンがいたとなると、おそらくスピノザを仲間に引き入れようと しただろう。前もって念押しはしていたが、この挙動不審っぷりを見ると少しでも向こうにつこうと思っていたに違いない。
ポイッと地面に放り出されたスピノザに、ジェイドがにっこりと微笑みかけた。


「おやおや、私の奴隷もとい助手ではないですか。良い子に言いつけを守っていましたか?」
「ひっひいいいい!で出たああああわわわしを食べても美味くはないぞおおお!」
「ふむ、どうやらかなり失礼な方向に怖がられているようですねえ」
「まだ初めて引き合わせた時しか面識が無いはずなのに、その短時間でどうしてここまで怯えさせる事が出来るんだよジェイド……」


実際に引き合わせたシロでさえもちょいと引くぐらいの怯えようだった。とりあえずこのままではまともな話が出来ない。スピノザの尋常じゃない様子を見て、クロが舌打ちをした。


「とりあえず落ち着くのを待つしかねえな。……この間に導師を迎えにいくか」
「イオン様を迎えにいくの?!それなら早く早く!一応フローリアンがついてくれてるけど、このままじゃモースの奴や総長に何されるか分からないもん!」


クロの言葉を聞いたアニスがすかさず飛び跳ねた。無理矢理引き離されてここまで来てしまったので、導師守護役としては心配でたまらないのだろう。それならば、とジェイドがまだガタガタ震えるスピノザの肩に手を置きながら口を開いた。


「私はここで例の研究結果を聞いておきますから、あなたたちで行って来て下さい」
「例の……?」
「あ、あー!そっそれならジェイドにこの禁書の解読も一緒にお願いしたいんだけど!」


目ざとく聞きつけたアッシュの思考を遮るように大声を上げて、シロがジェイドに一冊の本を手渡した。ダアトでイオンがフローリアンに頼んで持ち出してきた禁書であった。素直に受け取ったジェイドを、しかしどこか妬ましく見つめるひとつの視線。


「大地降下に役立つことが書いてあるみたいなんだ。俺たちからの簡単な説明より、実際にその目で読んで貰った方が詳しく分かるだろ?」
「なるほど、分かりました。あなたたちが以前言っていた地殻振動を抑える音機関とやらもここに書いてあるでしょうしね」
「音機関!そうか音機関を作るんだったな!創世暦時代の!それなら技術者も必要だろう俺が手配をしようか!」


音機関の話題になったとたんにイキイキとするガイだったが、ありがたい申し出だったので断る理由は無かった。おそらくこのベルケンドで活動するい組に話をつけてくれるだろう。


「それじゃあ頼むよ。あ、ついでにジェイド、そこのディストも解読の仲間に入れてやってくれよ。すごく読みたがってたから」
「なっ!だっ誰が陰険ジェイドと一緒に解読なんかしますか!ただまあ、この天才的頭脳がどうしても必要だと言うのであれば、仕方なく協力してやっても良いのですが」
「死んでもごめんですね」
「ムキーッ少しも悩まず即答するんじゃありません!大体あなたは昔から……こら、どこに行くんです、まだ話は終わっていませんよ!」


一 人で喚き出すディストから逃げるようにすたすたとスピノザを引きずって歩き出すジェイド、懲りずについていくディスト。何だかんだ言って無事に解読してく れるだろう。そして「例」の事、大爆発についても。元々ディストにはここで大爆発についてスピノザと共に調べて貰おうとつれてきたようなものだ、ちょうど よかった。
騒がしい後姿を苦笑いで見送りながら、ガイが他の者を振り返った。


「それじゃあ俺も行ってくるよ。他の皆は揃ってダアト行きかい?」
「ああ、それでい」
「いや、こいつは留守番だ」
「はあ?!」


受け答えをしていたシロの前に立ってクロが宣言した。抗議の声を上げようとしたシロだったが、じろりと睨まれて言葉をつまらせる。


「あれだけふらふらしていたのに休みもせずどこへ出かけようとしていやがったんだ、ああ?」
「う……ううーっ」


それを言われては反論が出来ない。結局押し負けたシロはがっくりと肩を落として諦めるしかなかった。


「ちくしょー分かったよ、待っとく。……その代わり前に言ってた事、きちんと頼むな」
「分かっている。後さっき問い詰めた事、諦めた訳じゃねえからな。後日じっくりと問いただしてやるから覚悟しておけ」
「うっうわーんクロのむっつり鬼畜ーっ!」


クロの威圧感にシロは頭を抱えて泣き言を言うしかなかった。その様子をじっと見つめていたルークが、とことことシロの元へやってくる。そうして慰めるようにその頭をぽんぽんと撫でてやってから、クロに言った。


「それじゃ、俺もシロと一緒に残る」
「「えっ?!」」


まさかルークが名乗り出てくるとは思わなかったので、全員が驚きの声を上げた。シロも目を丸くしている。驚く一同を代表して、アッシュがルークに尋ねた。


「何でいきなり残るなんて言い出したんだ。まさかルーク、お前もどこか体調が」
「ちげーよ!俺はこの通り元気ぴんぴんだって!けど、元気が無いシロを一人で置いていくのは可哀想だろ」
「ルーク……」
「シロが行かないんならクロが行かなきゃ駄目っぽいし2人とも何か喧嘩中だし、行き先がダアトなら慣れてない俺よりアッシュが一緒に行った方がいいだろ?だから俺がシロの看病と監視しとく!」


監視の言葉にシロの口元が引きつった。つまり変なことを考えて無茶しないように見ておくと言うのだ。しばらくルークの言葉を噛み締めるように立ち尽くしていたクロだったが、張り切るルークに近づいてその頭を優しく撫でた。


「悪いなルーク、頼めるか」
「任せとけって!」
「えー何か俺が一番手のかかる年下みたいな扱いなんですけどー何でだよアッシュ」
「俺に聞くな。体調が悪いってのだけは間違いないんだから、とりあえず休んでおけよ」


アッシュに労うように肩を叩かれて、シロはしぶしぶと頷いた。こうしてシロとルークがベルケンドに残り、後の者がダアトへ向かうことが決定した。珍しい組み合わせに、後ろのほうで女性陣がひそひそと言葉を交わす。


「クロとアッシュが一緒に行動なんて、上手く動けるか少し心配ですわ」
「でもさーこれでうっとおしいイチャイチャっぷりが見られなくなるからラッキーじゃない?アニスちゃんもう胸焼けしまくり!」
「そうね……(私は出来ればルークの看病を見ていたかったな……可愛いでしょうね……)」


そ んな事を話されているとは微塵にも思っていないアッシュは、宿に向かうシロとルークの後姿を眺めて、少々複雑な思いを抱いていた。シロがここに残るなら付 き添いは自分が、と少し思っていたのだ。普段ならクロが真っ先に残りたがる所だったのだろうが、さっき傍迷惑な喧嘩をしていた最中だったのでそれは少し気 まずいだろう。それなら自然と傍にいるのはアッシュの役目だろうと思っていた。だからルークが名乗り出たとき、驚いたのだ。
少し残念だと思う複雑な思いの理由はそれだけではない。さっき言っていた「大爆発」とやらが何なのか、隙があれば聞いてみたいと思っていたのだ。シロの態度からどうもこちらに聞かせたくない話題だったようだが。


「おい、何を突っ立っている。早く来い」
「あ、ああ」


その時クロに声をかけられて、慌ててアッシュは意識を戻した。行動は早いに越したことは無い、役割が決まった以上早めにアルビオールでダアトに行かなければ。
クロの一方後ろを歩くアッシュは、そしてその時初めて己の今の状況について考える。


「……俺、大丈夫か?」


シロもルークもいない、癒しの無い状態でしばらくクロと一緒。ますます複雑な感情がアッシュの胸に流れ込んでくるが、きっと前を行くクロも同じような事を思っているに違いない。何せ根本的な部分は、まさに同一人物だからである。





   もうひとつの結末 41

10/01/27