バチカルの町は今や大混乱だった。一行を、ナタリアを逃がそうとしてくれる市民たちとそれを阻もうとする神託の盾騎士団、そして迷いながらも結局市民を守ることに決めたキムラスカ兵たちがあちこちで交戦しているのだ。その中を、止まりそうになる足を叱咤しながら突き進む。
やがて町から脱出するために長い橋を渡りきり、一向はそのままイニスタ湿原へと入った。
「うわあ足元すっげえぐちゃぐちゃするなー。このまま沈んだりしないよな……?」
「しねえから安心しろ、転ぶなよ」
「……この辺りなら追っ手も来ないだろう、少し休むぞ」
湿原という珍しい土地に沸き立つ一同を見渡してクロが声を上げた。その隣には腕を引かれながら何とかついてきた様子のシロがいる。まだ譜術を食らった時のダメージが抜けていないのだ。その様子を見て、反対するものはいなかった。
「ファーストエイドをかけておくわ、本当は譜術より身体を休めたほうが良いのでしょうけど……とりあえず応急処置として」
「あ、別に俺は」
「ああ頼む」
「………」
ティアの申し出をシロが断る、前にクロが押しのける。シロは納得のいかない表情をするが、今の自分の状況が決して好ましいものではないと理解しているので、それ以上拒むことは無かった。
今まで怒涛の展開の連続だったので、ようやく一息つける時間が出来て皆は思い思いに休憩を取った。辺りに魔物の姿は無く、安定しない地面の上に岩などがあって腰を落ち着けることも出来た。二手に別れていた際の情報交換もぼちぼち行う。その横でシロはティアにファーストエイドをかけてもらった。
「……終わったわ、これで少しは楽になれば良いのだけど」
「いや、ぜんぜん違うよ、ありがとうティア」
シロがお礼を言えば、微笑み返してくれたティアが迷うような表情を作る。何かを言いかけて、しかし躊躇っているような顔だった。しばらく無言だったティアは、思い切って口を開く。
「ねえシロ、あなた、セフィロトを起動させる時のあれは……」
「ティア」
しかしすべてを言い切る前に、シロに止められてしまう。口元に指を当てて笑って見せたシロの瞳には頑なな決意に満ち満ちていて、何を言ってもそれは曲がらないのだとティアは理解した。そして本当にこのままでいいのだろうかと思いながらも、ティアはそれ以上何も言うことが出来なくなってしまった。
一方、面々息をつく中一人だけ俯き口を閉ざしている者がいた。ナタリアだった。そこに足元の不思議な感触を楽しみながらルークが傍に近寄る。
「ナタリア……大丈夫か?」
「ああルーク、ええ、わたくしは大丈夫ですわ」
「大丈夫かと聞かれて大丈夫じゃないと答える奴がいるわけないだろう」
「え、あっそうか」
ルークの後ろからアッシュもやってきた。二人並んでどこか心配そうに見つめてくるので、ナタリアは慌てた。
「別にわたくしは攻撃を受けていませんし、怪我もしていませんわ、本当に大丈夫です!」
「ナタリア、あんまり無理しちゃ駄目だぞ。……あんな風に言われて、ショック受けてない訳がないんだから」
「!!」
あんな風、とは、バチカルのお城でモースに言われた事だ。あの時は勢い良く払いのけた言葉だが、逃げ延びじっくり考える時間が出来た今、確かにナタリアの心を蝕んでいた。偽者の王女だという事、インゴベルトと本当の親子ではない事。それを心配して、ルークもアッシュも傍に来てくれたらしい。
「あの時陛下は確かにナタリアの言葉で揺らいでいた。モースの野郎の言う事や鬼畜髭の変な術にも負けないぐらいお前の声が、言葉が、陛下は大事だったんだろう」
「そうだよナタリア、本物か偽者かなんて関係ない、ナタリアはナタリアなんだから。モースたちがいなくなれば叔父上もきっと正気に戻るから、あんまり思い詰めんなよ」
「アッシュ……ルーク……」
いつもより柔らかい視線のアッシュと、一生懸命こちらを気遣おうとするルークに、ナタリアは思わず言葉に詰まっていた。胸の中に溢れる嬉しい思いが喉につっかえて、うまく出てきてくれない。次々と頭の中に生まれる感謝の言葉の数々の変わりに、ナタリアはひとつ、涙をこぼした。
「二人とも……ありがとう」
その様子を、離れた場所からそっと眺めていたクロの元へ、ティアと別れたシロが歩いてきた。その足取りはファーストエイドが効いたのか、しっかりとしたものだった。
「あの様子なら、ナタリア大丈夫そうだな」
「ああ」
「何気に気にしてたんだろ、「前」はナタリア、すごく落ち込んでたからな」
「……いつの間に、あんなに強くなったんだ」
その原因が少なからず自分たちにある事に気づかぬまま、クロはシロを見た。
「それで、何があった」
「えっ何が?」
「しらばっくれるな、ただ譜術食らっただけであそこまで衰弱する訳がねえだろうが。最近調子が悪かったのもそのせいだろう、言え」
クロの目は本気だった。本気でシロから聞き出そうとしている。しかし自分の中に抱えているものを誰かに、特にクロに知られるわけにはいかないシロは、やや強引に視線をそらして逃げようとした。
「あれは俺が油断してただけだ、ちょっと最近……そう、夜更かしして寝不足だったからいつもより弱ってただけ、それだけだ!」
「ほーう……気がつけば大口開けて寝ていたてめえが夜更かしか」
「う……」
じっと睨まれて、そういえば体力温存のために最近は早めに寝るように心がけていたことを思い出す。じっとりとした湿原の中で同じようにじっとりと嫌な汗をかきながら、シロは一歩後ろへ下がった。
「あーえーと……そうだ!腹減ってたからかな!腹空いてたら力出ないってよく言うし!」
「………」
「だから……その……」
クロの強い視線は変わらない。それどころかシロが下がった一歩分だけ踏み出してくる。また逃げるように一歩下がれば、間をつめる様にまた一歩前へ。そうしてしばらく睨み合いながらの追いかけっこが続き、とうとうシロが腕を振り上げた。そのまま嘘や隠し事を突き通せるような性格ではないのだ。
「あーもー何なんだよ!何がそんなに不満なんだよ!しつこい!うぜえ!」
「明らかに怪しい様子見せやがって何だその言い草は、ああ?」
「知らねえよ!そっちが言いがかりつけてんだよ!あんまりしつこい男は嫌われるってどっかの誰かが言ってたんだからな!」
「大体想像はつくが一体誰に教わった!余計な言葉や態度ばかり覚えやがって……一度俺が直々に再教育してやろうかこの屑が!」
「なっ何するつもりだよむっつりツンデレ!変態デコ助!」
「今何を想像したか言ってみろ世紀末屑!果てしなく屑!」
とうとう激しい言い争い(他から見ればただの痴話喧嘩)が始まった両者を、周りの者はびっくりして眺めている。ただ喧嘩自体はそんなに珍しいものでもないので、どこか「ああまた始まった」というような若干達観したような視線である。この後は大体口喧嘩で決着がつくか(大体シロが負ける)剣での勝負に発展するかになる。しかし今回は違った。いつもなら誰も係わり合いになろうとしないので間に入るものは誰もいないのだが今回は邪魔者が入り込んだのだ。
それはまず、大きな鳴き声で横入りをしていた。
「な、何だ今の声!」
「あれは魔物の声……しかも、かなり大きかったわ」
「ずいぶんと近そうだったな、この辺りにいるのか?……待てよ」
腰を浮かしたガイが、何かを思い出したのか眉を寄せながら辺りを見回した。同じく立ち上がったジェイドの表情もあまり明るいものではない。
「昔、この辺りで旅人を襲う巨大で凶暴な魔物がいたと聞いたことがあるが……」
「討伐隊が何度も組まれたようですが退治する事は出来ず、結局その魔物が苦手だという花を植えてこの湿原に閉じ込めた、という話でしたね。さっき湿原の入り口に群生していたラフレスの花がそれです」
「え、ええっ?!その魔物がまさか……」
不吉な話にシロとクロを除く全員が顔を見合わせる。ちなみに二人はさきほどの鳴き声もものともせずにまだ言い争いをしている。
「……何にせよ早くこの湿原を抜け出した方がいいな。ナタリア、大丈夫かい?」
「ええ、わたくしはもう大丈夫ですわ。ですが……」
「もうあれは無視してってもいいんじゃないかなー……どーせいつもいつの間にか仲直りしてるし」
気の済むまでやらせていればすぐ終わらせて追いかけ来るだろうと見越して、すぐに旅立ちの準備をする。そしてぬかるんだ足元に気をつけながら出発しようとした時、再び大きな鳴き声が轟いた。しかもさっきよりも大きな鳴き声だ。
「まただ!もしかして、近づいて……」
「ルーク!」
肩をすくめていたルークを焦った様子のアッシュが引き寄せた。嫌な予感におそるおそるルークが振り返れば、そこには真っ黒で巨大な魔物がこちらを睨みつけていたのだった。おそらく鳴き声の主で、そして先ほどの不吉な噂話の張本人だろう。
「で、で、で、出たーっ!」
「ちっ、皆早く逃げろ!」
アッシュがルークの手を引いて走り出せば、その後に全員が続、かなかった。約二名ほど、互いに口喧嘩に夢中でその場から動かなかったのだ。
「大体お前いっつもそうじゃねーか、自分のことは何も言わないくせに人のことはあれこれ口出ししてきやがっておせっかいデコっぱち!」
「それはこっちの台詞だ、それよりさっきからデコデコうるせえんだよ屑が!」
「あー悪い悪いさすがに気になるお年頃だもんなー気にしてること言っちゃってスミマセンデシターっと」
「この野郎……泣かす、本気で泣かす……!」
「く、クロシローっ!そんな事やってる場合じゃねーって!後ろ後ろー!」
変わらず続く言い争いを、どうしても放って置けないルークが逃げながら声をかける。しかし巨大な魔物、ベヒモスはすでに二人の目の前に迫っていた。無防備な格好の獲物が目の前にいるのだ、ここで襲わないわけが無い。ベヒモスは雄たけびを上げながら腕を振り上げ、二人の頭上に勢い良く振り下ろした。
「危ない!」
叫んだのは誰だっただろうか。その一瞬、皆は二人が攻撃を受けることを覚悟した。自業自得だとか後でちゃんと回復してやるからなとか思っていたのだが。
「邪魔すんな!レイディアントハウル!」
「邪魔するな!絞牙鳴衝斬!」
「グギャアアアア!」
二人の同時秘奥義にあっけなくぶっ飛ばされた。昔討伐隊が何組も成し得なかったべひもす退治が一瞬のうちに終わった瞬間であった。思わずぽかんと立ち尽くす一同そっちのけで、剣を握るシロとクロは勝手に喧嘩を始める。
「今日という今日は負けねえ!絶対負けねえ!覚悟しろ!」
「はっ、負け犬ほど良く吠えるってな。来い!」
「……あれ、どれぐらいで終わるかなあ」
「さあな……」
ベヒモスがお星様になるのを見送った一行は、迷惑極まりない剣と剣による痴話喧嘩が終わるのを湿原のど真ん中で待つしかなかったのだった。
もうひとつの結末 40
09/12/09
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