クロとシロからの回線が切れ、頭痛が止んだルークはほっと息をついた。回線を繋ぐ際に襲ってくるあの頭痛にはいつまで経っても慣れる気がしない。アッシュの心配そうな視線を感じて、大丈夫だという証拠に笑ってみせる。


「何か、向こうは向こうで大変そうだなー」
「ああ。でも忘れるな、ルーク。俺たちは俺たちで今とても大変だという事を」
「そうだよな。うん大丈夫、忘れてないよ」


視線を交わし、頷きあう。あちらに心配させまいと元気な声を上げてみせたが、実は結構困った状態にあるのだった。しかし今の状況を伝えても向こうからではどうする事も出来ない、それなら無駄に心配させる必要など、ないのだ。


「俺たちは俺たちで、この状況から抜け出すしかないんだ」
「ああ……!頑張ろうな、アッシュ!」
「ルーク……!」
「何だ何だ二人だけで秘密の会話か?俺も混ぜろよー」


手と手を握り合い固く誓う二人の間に、妙なものが割り込んできた。ルークもアッシュもその人物を視界に納めないように無理矢理顔を背ける。視界には、室内であるにもかかわらずそこらへんに転がるブウサギたちの姿があった。


「アッシューさっそく俺もうくじけそう」
「お前ならまだやれる、諦めてんじゃねえよ」
「そう言いながら揃って俺の事を無視決め込んでいるのはどこの赤毛たちかな」


無視されながらも二人の目の前でブウサギを回りにはべらせながら楽しそうににやにや笑っているのは、先ほど話をつけろと言われたマルクト帝国皇帝その人だった。思わず頼もしい返事をしてしまったが自信はあまり無い。何せイオンを先頭に謁見をひとまず済ませた後「そこの赤毛二人とお茶がしたい」といきなり駄々を捏ね始めたピオニー陛下に半ば強制的に拉致され彼の自室に無理矢理拘束されている状態なのだから。


「その言い草はひどいな。まるで俺が極悪非道な誘拐犯のようじゃないか」
「皇帝なんて肩書きが無きゃ文字通りじゃねーか」
「ルーク、仮にも奴は皇帝陛下だ、一応敬う態度を取っておけ」


悪態をつくルークを一応アッシュが嗜める。そんな舐め切った態度の赤毛たちに、しかしピオニーは怒る事も無く逆に非常に楽しそうに笑うのみだ。短期間のうちにこの人はこういう人間なのだと悟っているからこそ、二人もこんな態度が取れるのである。


「つれないな、少しぐらい相手をしてくれてもいいだろう」
「皇帝陛下のお相手なんて恐れ多い事今までしたこともねえから無理でーす」
「大体何故俺たちなんですか。あの場にはもっと偉い人物がいたというのに」


導師とか導師とか導師とか。不満顔のアッシュに、ピオニーは事も無げにこう言った。


「お前たちが一番、面白そうだったからだ」
「「………」」
「ははは、そんな顔をするな。いや何、お前たちが噂の二人だと分かったら、興味が沸いただけだ」
「噂?」


ルークが首をかしげる。アッシュも怪訝そうな表情だ。ルークだけでもアッシュだけでもなく、二人揃っての噂という事か。そんな一国の皇帝の耳に入るほどの噂になった覚えなんてまったく無い。何か悪い噂でも立っているのだろうかと不安に思っていると、その様子に気づいたピオニーが安心させるように違う違うと手を振ってみせる。


「俺の腐れ縁の眼鏡からの報告書で、ちょっとな。気にするな」
「えーっ気になるっつーの!」
「気にするなって。それよりお前たちは、他の用事があるだろう?」


まるでごまかすような言葉だったが、確かに今重要なのは他の用事の方だ。というか、そっちが本題だ。謁見の間で満足に伝えられなかった(何故なら目の前の皇帝陛下がわがままを言い始めたからだ)用件を、アッシュが簡潔に伝える。


「ふむ、キムラスカと戦争をするな、セントビナーの住民をすぐに避難させろ、と。要約するとこう言う訳だな」
「アクゼリュスみたいに、セントビナーも崩れようとしてるんだ!だから……」


アクゼリュスという単語にルークが顔を歪める。いくら意識が無く無理矢理の事であっても、いくら励ましや助けを貰っても、自らの手で町一つを滅ぼしてしまった事実は己の中から消える事は無い。思わず震える手をぎゅっと握りしめれば、横から力強い温かさが拳を包み込んできた。びっくりして隣を見れば、正面を見据えたままルークを温かく包んでくれるアッシュがいた。一人じゃない、当たり前のその事実に、ほっと小さな安心のため息が漏れる。


「キムラスカの動向もあって議会は軍をセントビナーへ差し向ける事に難色を示すと思います、それならば俺たちが行く。どうか手遅れになる前に、許可を下さい。お願いします」
「お願いします!」


真っ直ぐな二つの視線を真正面から受け取ったピオニーは、まるで見極めるように一瞬瞳から鋭い光を零した。それは確かに、マルクト帝国を取り仕切る皇帝陛下その人の目であった。飄々とした態度の内に、常にこの光を宿しているのだ。


「……お願いをするのはこちらの方だな」
「え?」
「俺の大事な国民だ。救出に力を貸して欲しい、頼む」


ピオニーは頭を下げた。一国の皇帝が頭を下げた事実とその言葉にルークとアッシュは慌てふためくが、何とか気を持ち直して、身を乗り出した。


「それじゃあ!」
「議会に働きかけてみよう。一部の軍をセントビナーの民を避難させるために回し、残りをキムラスカ牽制のために動かすと言えばあちらも何とか納得してくれるだろう。後は貴公らが直接セントビナーに入り現地に常駐する軍へ働きかけてくれれば」
「やります!任せてください!」


拳を握り頷くルークに微笑んだピオニーは、さっそく立ち上がった。皇帝との優雅な?お茶会は終了だ。


「もう少しお前達とお茶をしていたかったが、仕方がない。また今度だな」
「また今度ですか……」
「こらこらそんな露骨に嫌そうな顔をするもんじゃないぞ、俺が傷つく」


大げさに傷ついた真似をしてから、ピオニーは白い目で見る二人に笑いかけて踵を返した。これから議会を召集して先程の話を持ちかけてくれるのだろう。その背中にもう一度頭を下げながらアッシュも歩き出した。


「それじゃあすぐにセントビナーへ出発だな。導師達は宿で待っている筈だ」
「あっ待てよアッシュ!その前に!」


慌てたルークに腕をつかまれ、アッシュは首をかしげた。今とても急ぐ事態なのはルークも分かっているだろうに、その前に一体何をする事があるというのか。ルークの視線は、ひたすらアッシュの腕に降り注いでいる。それで思い出した。


「イオンが、落ち着いたらカースロットをといてやるって言ってただろ?それしてもらってから、行こう」
「今は平気なんだが」
「駄目だ!絶対駄目っ!」
「……まあ確かに、動きが鈍るからな。時間は惜しいが、解呪してもらうか」
「!そうだよそれがいい!さっ早く宿に行こうぜ!」


ようやく頷いたアッシュにホッと息をついたルークが、今度は元気良く歩き出す。そんなルークの後姿を、アッシュは複雑な思いで眺めてから、後についた。
ルークは恐れている。自分に恨まれる事、疎まれる事を。アッシュの中には本当にルークを恨む心も何も無いのに、むしろ愛ばかりが芽生えているのに、ルークには微妙に伝わらない。それがもどかしかった。


(オリジナルとレプリカというのは、思ったより難しいな)


今更ながら、アッシュは舌を打ちたい気分になった。フォミクリーとはとてもややこしい技術で、しかしそのフォミクリーが無ければここにルークは存在しないのだ。何を恨んで何に悪態をついていいのか分からない。とりあえずアッシュは、全ての元凶であるヴァンを恨む事にした。今度会ったら、ちょんまげを引っこ抜いてやろう。


「アッシュー?どうしたんだ?」
「いや、未来のとある計画を、ちょっとな」


ルークに呼ばれて慌てて駆け出す。足を速めながら、ふとアッシュは思った。
アッシュがルークを恨まずに素直に存在を認める事が出来たのは、シロのおかげだ。シロがずっと傍で支え続けてくれたから、自らのレプリカを恨むような考えは起きなかった。それならば、シロがいなかったらどうなっていただろう。一人我が家から連れ出され、ダアトで今までとまったく違う生活を過ごさなければならなくなった時、自分は何と思うだろう。
頭の中にシロの笑顔と、クロの仏頂面が思い浮かぶ。まさに二人は、そんな経験をしてきたのだ。


(あの二人の過去、か)


今まで何となく聞いた事は無い。聞いてもおそらく教えてはくれないだろう。それでも、アッシュは今初めてクロとシロの過去を、シロとクロがいなかった自分達の姿を知りたいと強く思ったのだ。





   もうひとつの結末 29

08/11/23