この町にはあまりいい思い出は無かった。初めて来たのは意識をのっとられて不本意に、その後は来るたび師匠にめっためたに罵られるわ親友の真実を知ってしまうわ事実上の死刑宣告を告げられるわで、まったくいいことが無かったのだ。しかし「この世界」の「この町」にくるのは初めてである。シロは感慨深げにベルケンドの町を見渡した。後ろで音機関好きのガイがなにやら涎をたらしているが無視だ。
「ここで一体何をなさいますの?」
「スピノザって人を拉致……じゃなくて会いに来たんだ」
「奴が髭に匿われる前に捕獲……じゃなく説得に来た」
シロとクロがそれぞれナタリアに説明してやる。ナタリアがこれから会う人物に同情してそっと顔を背けたのはきっと気のせいだ。後ろから黙ってついてきていたジェイドが何か考えながら眼鏡を押し上げる。
「それで?そのスピノザを拉致捕獲して一体何をするんですか?」
「ち、違うって!会って説得するんだよ!」
「それは後で説明する。……眼鏡、お前にも存分に関係ある事だ」
クロが視線を寄越せば、ジェイドはほうと目を細めた。おそらく見当はついているだろう。それ以降黙ってしまったジェイドを気にしながらも、ナタリアは口を出せずにいた。まだ何も分からない以上、2人の赤毛たちに今の所は任せるしかないのだ。
ちなみにまだガイは音機関に夢中になっていた。
「お前さんはルーク?!……ではなくアッシュ?!……でもない一体何者げほぉっ!」
「スピノザ捕獲ー!」
「よくやった。そのまま連れて来い」
ベルケンドの音機関研究所の1番奥の部屋。そこにいたスピノザを宣言違わず2人は捕獲する事に成功した。ようやく音機関から我に返ったガイが何か言いかけるが、スピノザを羽交い絞めしたシロも命令を下すクロもどことなくイキイキとしていたので止められない。お年よりは大切に、と呟くので精一杯だった。
「この方がスピノザですの?」
「そうそう。さあもう逃がさないぞこいつ」
「下手な事しでかしてもらう前に存分に役に立って貰うからな」
「な、何なんだお前さんたちは?!」
「実はさあ……」
ものすごく混乱しているスピノザに羽交い絞めにしたままシロが簡潔に事情を説明している間に、クロがジェイドに向き直った。相変わらず人の食えない笑みを浮かべるその顔を見つめながら、真剣な表情で口を開く。
「……ここでお前に頼みたい事がある」
「おやあ、あなたから頼み事をされる日が来るとは思いませんでしたね」
「てめえにしか出来ない事だから仕方なく頼んでるんだ」
苦虫を噛み潰したような顔のクロに、ジェイドは静かに、確信を込めて言った。
「―――大爆発、の事ですね」
聞きなれない単語にガイもナタリアも首をかしげた。しかしクロは黙ったまま頷く。全てを分かった瞳で。ジェイドは深く深くため息をついてみせた。
「そうだろうとは思っていましたよ。あなた方が同位体だと知った時から」
「これがある限り俺たちは……あいつらも、2人で生きる事が出来ない。回線も開かれてしまった、大爆発はもう始まっているだろう」
「ええ、そうでしょうね」
「俺とあいつにも起こっているのかは分からないが、ルークと……アッシュの2人だけは救ってやりたい。何の柵も無く共に生きているあいつらを……」
そこでクロが少しだけどこか遠くを見た。かつての自分達を思い出しているのかもしれない。その「昔」を2人は誰にも語ることは無かったが、楽な道のりではなかったのだろう。時々垣間見せる表情がそう語っていた。とりあえず離してくれ!嫌だ逃げるだろ!とスピノザと押し問答しているシロを一瞬見つめた後、クロは顔を戻してきた。
「だから、頼む。同位体同士に起こる現象、大爆発を回避する方法を見つけるのを、フォミクリー発案者のあんたに協力して貰いたい」
クロは静かに頭を下げた。それを見てガイとナタリアが、特にガイが驚きに目を丸くする。普段のクロを見ていればどう考えたって他人に、しかもいけ好かない眼鏡に(失礼)頭を下げる人間だとは思えないのだ。それがあんなに素直に頭を下げている。それだけ切実な頼み事なのだ。
気がつけばシロもクロの隣に並んでジェイドを見つめていた。スピノザは床に伸びていた。とりあえず逃げる心配はない。2人を眺めて、ジェイドは笑ってみせた。それはいつもの嫌味ったらしい笑みでも、だからといって心底楽しそうな笑みでもなかった。己を自嘲するようなどこか悲しい笑みだった。
「……頭を下げるべきなのは、私の方でしょうに」
「でもジェイドがいなきゃ、俺は生まれてなかったよ」
すかさずシロが笑いかける。心の底から感謝するような朗らかな笑顔だった。何て残酷な笑顔なんだろうと心の中で苦笑しながら、ジェイドは頷く。
「分かりました。大爆発はまだまだ未知の現象ですが、出来る限りやってみましょう」
「ジェイド!ありがとう!」
「……頼む」
安堵する様子を見せる赤毛2人に、これは責任重大だと内心気を引き締めたジェイドは、いつもの笑みを取り戻しにっこりと床へと指を差した。そこには伸びたスピノザがいる。
「ところで、これを奴隷もとい助手として私が使っても?」
対するシロが、とてもいい笑顔で親指を立ててみせた。
「そのためにここに来たんだし!」
その瞬間、スピノザの運命は半ば強引に決定した。人一人の運命が大きく変わる瞬間を目撃した不運な2人はそっと目を伏せる。ガイは同情や憐れみをこめた目で頑張れと内心エールを送り、ナタリアは静かに合掌した。一体どんな人物でどういう事をした奴なのかまるっきり分からないが、次会う時に生きていますように。
一方、年少組は真っ白な雪の中を歩き、雪の町ケテルブルクにたどり着いた所だった。
「うわーすげー!綺麗な町だなー!」
「ここってお金持ちの別荘がどっさりある観光地なんだよねー☆高級ホテルあり高級カジノありのうっはうはな夢の町っ!」
「アニスはどうかと思うけど、確かに綺麗な町ね」
ルークはキラキラと、アニスはギラギラと瞳を輝かせて先に駆けてしまった。その後ろを見守るようについていくのはティアにイオンにアッシュだ。あのはしゃぎようはどこのガキンチョだとアッシュはため息をつくが、正真正銘に2人ともガキンチョだったので何も言えない。
「ケテルブルクの知事は、タルタロスの無断停泊を許して下さるでしょうか」
僅かに息を乱しながら、イオンが不安そうな表情で呟く。何せここにいる誰もが知事とは初対面なのだ。ダアトの導師が一緒なのだから大抵は許されると思うが、それでも確かに不安だ。幸いなのはタルタロスがマルクト帝国の戦艦で、ケテルブルクもマルクト領な事ぐらいか。
「仕方がねえ。まるでこの事を予期していたみたいにシロが「知事に会え」と言っていたんだからな」
「予期していた、というより知っていた……のかもしれないわね」
ティアの言葉にアッシュは黙った。まったくその通りだと思ったからだ。
「おーい何してんだよ、早く来いよ!」
「イオン様もティアもアッシュも、置いてっちゃうわよー!」
先に行ったお子様の声が急かすように届いてきたので、慌てて3人は足を動かした。とりあえず考える前に会うしかないのだ。もう町は目の前なのだから。
カジノに突撃しようとするアニスを引っ張り知事宅を尋ねた一行を出迎えたのは、何かどこかで見たことあるような気がする知的美人だった。
「これは導師イオン様!報告は受けていましたが、本当に……」
「突然押しかけてすみませんでした。しかしこれには少々込み入った事情があるのです」
慌てて座っていたデスクから立ち上がる知事にイオンが柔らかく応対する。羽目を外さないように後ろの方で待機しているルークは知事の顔をじっと見つめる。見れば見るほど、誰かに似ているような雰囲気を出している人だ。一体誰だろう。
「私はケテルブルク知事ネフリー・オズボーンと申します。しかし、ダアトの導師が何故マルクトの戦艦に乗っていらしたのですか?」
当然の質問にしかし全員が冷や汗をかいた。この中にマルクトの人間がいなかったのだ。1人でもいれば何とか言い逃れが出来そうなのだが過半数がダアトの人間ではしょうがない。
「あれはマルクト軍ジェイド・カーティス大佐から訳あって一時的に借りているものだ。決して盗んだわけではない」
慌ててアッシュが前に出る。仕方が無いので、ジェイドの名前を借りる事にした。あながち間違ってもいないのだから。
するとネフリーは驚きに目を丸くしてみせた。死霊使いの名前が出てきたので驚いているのだろうか、と皆は思ったのだが、ネフリーは少々別な事に驚いたようだった。
「あの兄さんが自分のものを人に貸すだなんて!」
驚きだわ!と思わず素で叫ぶネフリーに、全員が首をかしげた。今この人は何と言っただろうか。兄さん?
「っえええー!?この知的美人が大佐の妹ー?!うっそー信じらんなーい!」
「あ、アニス駄目よ、いくら本当に思っててもそんな知事にも大佐にも失礼な事!」
「あのいじわるで腹黒くて鬼畜で眼鏡なおっさんに見えないおっさんジェイドの妹なのか?!」
「ルーク!本音と建前は使い分けろ!それが長生きの秘訣だ!」
「皆さん、混乱で本音が出てきてますよ」
騒ぐ面々にイオンが慌てる。ここで知事を怒らせてしまったらまず確実に牢獄行きなのだ。1人落ち着いた(落ち着くしかなかった)イオンがおそるおそるネフリーのほうを見るが、そこには別に怒った顔はなかった。逆に何故か安心したような表情のネフリーがいる。
「ああ、その言われようは……あなた方は確かに兄と知り合いの方々なのですね」
実の妹にもこの言われよう。この場の全員がジェイドという人となりを少しでも知ることが出来た瞬間だった。
もうひとつの結末 22
07/04/02
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