髪を切ったことを後悔はしていないが、少しだけ惜しかったなあと今アッシュは考えていた。何せ幼い頃からずっと長かった髪だ、ほとんど初体験の短髪にまだ慣れていないし、今の状態だ。非常にスースーする首元をアッシュは落ち着かない様子で撫で付ける。風が冷たい。それはそうだ、ここは雪国ケテルブルクなのだから。


「アッシュ寒そうだなー、大丈夫か?」


そこにルークが顔を覗き込んでくる。その緋色の長い髪が視覚的にも温かそうで、アッシュは羨ましくなった。昔髪の長かったアッシュを冬の間羨ましそうな目で見ていたシロの気持ちが今ならよく分かる。アッシュは鳥肌を立たせながら、そっとルークの髪に触れた。


「お前は温かそうだな……」
「いやこれでも十分寒いけど」


ルークは自分を抱きしめるように両手を交差させて震えていた。ああそうか、いくら髪が長くても腹が出ていては寒いか、とアッシュはようやく気付く。そう言えば寒いのは首元だけだ、教団の服は随分と厚手なのだから(その代わり砂漠は地獄だが)。そうなると余裕の出てきたアッシュは逆に震えるルークが可哀想になったので、何か打開策を考えた。腹が冷える、腹が冷える……。
そうだ!


「こうすれば寒くねえだろ」
「へ?……うわああああアッシュー?!」


ルークがいきなり素っ頓狂な声を上げたのにはきちんと訳がある。頭の中で1人問題を自己解決させたアッシュが突然ガバッと正面からルークを抱きしめてきたのだ。自分の服が温かいのならそれでルークも包み込んでしまえばいい、というのがアッシュの出した答え。そんなアッシュの中の公式なんて知らないルークはいきなりのぬくもりに混乱しきっていた。


「いいいいきなり何なんだよー!」
「寒いんだろ。こうすればお前の出してる腹も隠れて温かいだろうが」
「そういう問題じゃぬぇー!」
「背中は髪で隠れてるからいいだろ」
「そういう問題でもぬぇー!」


ひとしきりもがいたルークは、しかし次第に力を失っていった。別に疲れたとかそういう事ではなく、確かに今の状態は随分と温かいし何だか安心する。素直なルークは別にいいかーと考えを改めたのだった。


「アッシュ……あったかい」
「温まるようにやっているんだ、当然だろ」
「でもやっぱり首元寒そうだな。俺の髪マフラー代わりに巻きつけてみる?」
「いや……名案だがそれはさすがに」
「っだー!!いい加減にしろそこの公然傍迷惑ミニバカップルー!」


部分的に温度差のあった空間に勇敢にも割って入ってきたのはアニスだった。巨大化したトクナガでべりっと音がたつほどの勢いで赤毛2人を引き離す。ルークは手足をバタつかせながらしりもちをつき、アッシュは顔から地面につっこんだ。幸い足元は真っ白な雪がこれでもかと積もっていたので、顔に傷もつく事無く雪塗れになっただけで無事であった。


「貴様っ……いきなり何しやがる!」
「そーれはこっちの台詞よっ!いきなり何いちゃつき始めてんじゃこのデコ!」
「俺はもうデコじゃねえ!」
「普段やられても困るけどいちゃつくときゃー時と場所と場合を考えやがれ!」


ビシッと指を突きつけ捲くし立てるアニス。すっかり素の部分が出ている。時と場所と場合、と聞いて改めてアッシュは辺りを見回した。一面の雪景色、に今まで乗ってきたタルタロス、微笑ましい目と呆れた目で見てくるイオンとティア、その周りに陣取っていらっしゃるマルクト兵士の方々。
無事にケテルブルク港に辿り着いたタルタロスは、当たり前のように駆けつけたマルクト兵に包囲されているのだった。


「……俺とした事が、うっかり現実逃避に走ってしまった……」
「俺素で寒いんだけどー」
「ルークは黙ってなさいっ!」


アニスに釘をさされぱっと口元を押さえるルーク。そんな子どもっぽい仕草にティアとかアッシュとかが無表情のまま可愛いなあとか素で思っている間に、アニスがマルクト兵の前に立ちはだかった。


「控えおろーう!この方を誰と心得る、ローレライ教団最高指導者の導師イオン様であらせられるぞっ!」


トクナガによってさっと前に出されたイオンを見てマルクト兵はどよめいた。いきなり現れた怪しすぎる自軍の戦艦からマルクト兵じゃないものばかりが出てきたと思ったらその中の1人は導師様だというのだ。動揺しない方がおかしい。じゃあ残りのものは一体誰なのだという戸惑いを正確に読み取ったアニスは次に自分を指し、


「そして私は導師守護役アニス・タトリン奏長!」
「!……私は神託の盾騎士団情報部第一小隊ティア・グランツ響長です」
「俺は神託の盾騎士団特務師団長アッシュ、そしてこいつが……」


順番に自己紹介をしていって最後に皆の視線がルークに集まった。ルークは焦った。そういえば神託の盾騎士団所属じゃないのはこの中で自分1人じゃないか!内心慌てていると、アッシュが兵士へ顔を戻して言った。


「俺の部下だ」
「部下っ?!」
「訳あって導師は少人数での隠密行動中だ、とりあえずこの町の知事に合わせて欲しい」
「は、はっ!少々お待ちを……」


思わず声を上げたルークがトクナガに押しつぶされている間にアッシュが何とかその場を誤魔化す事に成功した。ユリアシティから出発する前、もしケテルブルクに寄る事があったら知事の元を訪ねればいいとシロが言っていたのはこの事態を予期していたからだろうか。いや予期ではない、実際に「体験」していたのだろう。皆で肩を撫で下ろしていると、色々話し合っていたらしい兵士が戻ってきた。


「兵士がここから町まで案内いたします、その代わりこの戦艦を少し調べさせてもらっても……」
「好きにしろ」
「それでは、行きましょうか」


イオンの言葉で皆が動き出した。導師様様である。歩き出そうとして、ふとアッシュはルークが俯いたまま動かない事に気づく。もしかして部下なんて呼んだ事を怒っているのだろうかとアッシュはおそるおそる傍へと近づいてみた。


「お、おい、ルーク、どうし……」
「アッシュ」


アッシュの声に気付いたルークはぱっと顔を上げた。その表情は怒っているものでも悲しんでいるものでもなくて……喜色満面であった。


「何か、いいな!」
「な、何がだ」
「アッシュの部下って!」
「?!」


ぶほっとアッシュは何かを吹き出しそうになった。どうやらルークは「アッシュの部下」の肩書きが気に入ったようだった。1人だけ仲間はずれだったから、神託の盾騎士団の仲間入りができて単純に嬉しかったのかもしれない。とにかく嬉しそうなルークにアッシュは動揺を隠し切れなかった。とっさに飛び出した嘘をこんなに喜ばれてしまってどうすればいいのだ。素直さを持たないアッシュは照れ隠しにぶっきらぼうになる事しか出来ない。


「そっそんなくだらねえこと言ってないでさっさと行くぞ!」
「はいアッシュ隊長!」
「グブフォッ!」
「隊長ー?!」
「うわーアッシュってばあまりの衝撃に色んなところから吐血しちゃってるよ……」
「アニス、あれはほっといていきましょう」


振り返るアニスをティアが促した。背後ではアッシュが血まみれで地面に倒れ付し、何故アッシュが血を吐くのか理解できないルークがオロオロしているのだろうと見なくても想像できる。1人大物イオンだけが「2人は本当に仲がよろしいのですね」とか何とか言っていた。
色々気難しい思春期アッシュの受難はまだまだ続きそうである。





一方、ツンデレ思春期を通り越した元アッシュのクロは、


「おいこら船の上でんな格好してたら冷えるだろうが、こっちへこい」
「へ?何……おわーっ?!いいいいきなり後ろから羽交い絞めにしてくんなー!」


シロを相手に船上で遠慮なくイチャコラしていた。やってる事は昔の自分とそう変わらない所がミソだ。それがただ確信犯になっただけだ。じたばた暴れるシロを力で押さえつけると、やがて観念したかのように大人しくなった。


「いきなり何だよもー」
「出航してからずっとここにボーっと突っ立って……また余計な事を考えていたんだろう」
「………」


シロは黙り込んだ。クロの言葉が図星をついていたからだ。船に乗り込む前から、アラミス湧水洞を抜ける前から、ユリアシティでクロと話してから、ずっと、考え込んでいた。これから何をすればいいのか。


「だって……このままじゃ、あいつらを救う事は絶対に出来ないじゃんか」
「その方法を見つけにいくんだろうが、今あれこれ考えたってしょうがねえだろ」
「それは分かってるけど」


理屈じゃなかった。分かっているけど考えずにはいられない。憂鬱なため息をつきながらシロは海原を見つめた。目的地はまだ見えてこない。もうそろそろ、ベルケンド港へと辿り着くはずだった。完全同位体であるオリジナルとレプリカに待ち受ける避けることのできない現象、『大爆発』から逃れる術を探すために。そのために別れたもう1つのチームにいたほうが何かと有利なはずのジェイドも引き連れてきたのだ。

全ては、過去の自分達のために。


「絶対に、見つけるぞ」
「……うん」


決意を灯した二対の翡翠の瞳が水平線に目的地を捉えた。彼らの戦いは、まだ始まったばかりだ。





   もうひとつの結末 21

07/01/20