意識がゆっくりと浮上してくるのを感じて、ルークはそっと目を開けた。どこか見慣れた室内のベッドの上にルークは転がっているようだった。ゆっくりと身を起こすと、何故だか体が全力疾走した後のようにだるくてキシキシしたが、それでも立ち上がる。随分と長い事眠っていたような心地がして、ルークは首をかしげた。はて、何で自分は今まで眠っていたのだろうか。
疑問に思いながら部屋から出ると、そこでようやく今いるこの場所がタルタロス艦内だという事に気がついた。運命の出会いを果たした場所だ、忘れるはずが無い。その時、甲板から複数の声が聞こえてきたので、自然とルークはそちらへ歩いていった。おそるおそる外へと続く扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。

見たことも無い禍々しい空に、恐ろしいほどドロドロした海。

ここは、どこだ?


「一体ここはどこなんだ?」


ルークが疑問に思ったことを仲間の誰かが直接口にしていた。誰もまだルークには気がついていないようだった。それほど余裕がないのだろう。答えたのはティアだった。


「ここはクリフォト……。今まで私たちがいた大地、の下に広がっている捨てられた地よ」
「ここからアクゼリュスの瘴気は吹き上がっていたんだ」


続けたクロの言葉に、ジェイドがやはり知っていましたかと言いたげに眼鏡を押し上げてみせる。嫌味な視線を完全に無視してクロはひたすらまっすぐ外を見ていた。自分達を囲む瘴気の海を。


「セフィロトに設置されていた、大地を空中に押し上げていたパッセージリングがさっき破壊された。だからアクゼリュスが崩壊した」
「お前達はそれを知っていたのか?それで、住民全員を避難させろと言っていたのか?」
「……知ってたよ。本当は崩壊を止めようと思っていたんだけど、失敗しちゃった」


ガイの質問に俯きながらシロが答える。ルークは目を見開いた。アクゼリュスが、崩壊した?一体何故!すると再びルークの疑問を仲間が口にした。今度は誰だか分かった、アニスだった。


「で、でも誰がやったの?!まさか、総長がそのパッセージリングを壊したの!?」


嫌だ。疑問に思っていたはずなのにルークは答えを聞くのが嫌だと思った。かすむ記憶の中に、恐ろしいものが潜んでいる。意識を失う前の嫌な笑い顔、ぼんやりとした意識の暗闇の中に響いた呪いの言葉、制御のきかないひどく恐ろしい力。やめろ、と言おうとして、喉がカラカラになっていることに気がついた。声が出ない。そうしている間に、クロが躊躇いながらも口を開いた。


「……いや、奴は……ルークの超振動を利用して……」


「………じゃあ、俺がやったのか?」


ルークの声に全員がいっせいに振り返ってきた。一様に驚きに目を丸くしている。しかしルークはその表情を見ることが出来なかった。ただ呆然と、その場に立ち尽くす。


「ルー、ク」
「これを、俺、が……?」


ルークはゆっくりと外を見渡す。よく見れば紫色の海に大陸の残骸が見えた。あれはアクゼリュスの欠片だ。ルークは覚えている、得体の知れない力を己が放ち、それによって大きくて大切な何かを壊してしまった事。その欠片が、目の前に横たわっている。


「俺、俺が……」


思わずルークは後ずさった。大声を上げてどこかへ逃げたくなった。すぐにどこにも逃げ場など無い事に気付いた。仲間達が皆ルークを見ている。喉がカラカラだ。目も乾いている。体は震えるばかりで何も出てこない。だけど何かが溢れてくる。その衝動のまま、ルークは自分の頭を抱え込んでいた。


「嫌だ……」


ぽつりと1つ転がり落ちてくれば、それはもう止まらない。


「嫌だ、嫌だ嫌だ!俺じゃない!俺がやったんじゃない!でも俺の力が、俺の手が、俺が、この手で、お、俺のせいで、ぜんぶ消えて、俺が……!」
「お前のせいじゃない!」


突然大声で怒鳴られてルークはびくりと震えた。とっさに顔を上げると、そこにはものすごく怒ったような顔でアッシュが立っていた。そのままアッシュはルークを怒るように怒鳴りつける。


「お前のせいじゃない、お前は意識が無かった、それを操ったのはヴァンだ!お前がやったんじゃない!」
「で、でも、俺の力が……」
「元はといえばお前の傍から離れた俺のせいだ、お前は悪くない!」
「違う、違うよアッシュ!だって、俺の力だったんだろ?だから俺のせいだ!」
「いいや俺のせいだ!」
「違う!俺だっ俺がやったんだ!」


いつの間にか俺だ俺だの応酬になっていた。アッシュがどうして分からないんだと言う様に睨みつければ、怯えたルークがほとんど恐慌状態で俺が俺がと叫び返す。このままでは逆効果だと何とかクロが間に入ろうとしたとき、それよりも早く2人に駆け寄った者がいた。駆け寄って、震えるルークの肩をがっと掴んでみせたのは、シロだった。


「ルーク!」
「っ!」


至近距離で名を呼ばれたルークがひくりと反応する。同じ色の瞳をじっと覗き込みながら、ゆっくりとシロが口を開いた。


「……アクゼリュスを落とした力は、確かにお前のものだ。お前の力がアクゼリュスを落とした」
「おいシロ!」
「アッシュは黙っとけ!」


あまりにもはっきりとシロが言うので思わずアッシュが声を上げたが、すぐにシロにギッと睨みつけられてしまった。今まで見たことも無い迫力に思わず口を閉じる。


「……そう、でもアッシュも簡単にルークの傍を離れたりしたし、アッシュのせいでもある」
「な?!」
「もちろん今から起こる事全部知っていてそれを誰にも話す事無く1人突っ走って挙句の果てに止められなかった俺のせいでもあるんだ」


シロの言葉をルークは困惑した顔でじっと聞いていた。何かを耐えるように一瞬俯いたシロは、しかしすぐに光の灯った瞳でルークを見た。その視線は、ひたすらに真っ直ぐだった。


「だから、お前1人のせいじゃない。1人で抱え込むようなものじゃないんだ。俺が一緒に背負う」
「い、っしょ、に?」
「そう。一緒に背負おう。罪の分一生懸命に生きて、たくさんの人を幸せにして、償おう。一緒に、な?」


シロは笑った。それだけで、ほとんど強引にルークの中の罪を一部持っていってしまった。さっきまでカラカラだった喉が引きつり、乾いて何も出てこなかった瞳に自然と何かあふれ出してくる。それをまるで零そうとするかのようにシロがごしごし頭を撫でてきたので、ルークは思わずぎゅっと目を瞑ってしまった。押し出された雫が静かに床へと落ちる。一度こぼれてしまえば遮るものは何も無く、ルークはどうしようも出来ないままぼろぼろと涙を零し続けた。
そこでルークはようやく、自分は怖かったのだと悟った。どこにも逃げられない真っ暗闇の中に自分1人だけ立たされているような恐怖に身を震わせていたのだ。

一緒に背負おう。

その言葉にルークは今流れる涙の意味を知った。きりきりに固まった心が安心して流す涙だった。
それは喜びの涙だった。







タルタロスがたどり着いたのは、クリフォトで唯一存在する都市ユリアシティだった。遥か昔に作られた建物が瘴気から守ってくれる、監視者の町だ。あの後泣き続けるルークに何故かシロまで泣き出して、さらにナタリアやアニスまでもらい泣きし始めて一時タルタロス内は騒然となった。住民はほとんど移動させたから心配しないでいい事、仲間達はそれを確認してからセフィロトに向かっていて途中で崩落にあった事、ティアの譜歌で助かった事を話し、何とかルークとその他を落ち着け今は皆休んでいるところだった。皆口には出さずとも心底疲れていたのだろう、宛がわれた部屋に大人しく収まった。
クロは1人歩いていた。無断で入ってもいいかと一瞬迷ったが、すぐに足を踏み入れた。ティアの部屋だった。主はいない。別にこの部屋に用があったわけではなく、クロはその先に行くところだった。そこにはクリフォト唯一の花セレニアが咲き誇る庭があるはずだ。以前シロに話を聞いたことがある。シロが「ルーク」だった頃、今までの傲慢な「ルーク」とさよならをした場所、だという。

クロは静かにさっきの光景を思い出していた。あの時シロは笑った。笑ってくれたのは、直前の自分との会話のためなのだと自惚れてもいいだろうか。しかしクロはあの言葉はひどく遅すぎたと思っている。あれは、あの言葉は、さっきのルークのようにシロがあの甲板で立ち尽くしていたあの時に言うべき言葉だったのだろう。ユリアシティ入口で会った時、あの時に言うべき言葉だったのだろう。今いくら悔やんでも、今ここが過去の世界でも、あの時のシロにはもう手は届かない。もたもたしている間に、シロは自分を救い上げてみせたのに。
庭へと足を踏み入れたクロはそこに先客がいる事に気がついた。思わずしかめっ面になりそうな自分を慌てて諌める。そうしている間にあいてもこちらに気がついたようだった。花を見下ろしていた瞳をクロへと向けてきた人物はアッシュだった。しばらく、沈黙が落ちる。


「……俺は、どうしようもない馬鹿だ」


やがてアッシュが自嘲気味にそうやって言った。クロは思わず眉を寄せる。条件反射だ、仕方が無い。


「確かに守ってやろうと思った。だけど俺はあいつを何一つ守ってやる事なんて出来てない。目の前でみすみす攫われて、力を止めてやることもできずに、追い詰めるだけで慰める事もできない」


アッシュの言葉にクロは何も言えない。今のアッシュより自分がアッシュだった頃の方がひどかったと思っているのだ。守るどころか自分から傷つけていたのだから。押し黙るクロの前で無力感に苛まれているらしいアッシュは力なく俯くままだ。


「ルークはあんたやシロが支えてやれる。……俺は、何も出来ないままだ……」
「……本当にそう思うのか?」
「何?」


クロは反射的に声を上げていた。顔を上げてきたアッシュを、真っ向から睨みつけてやる。


「ルークを俺やあいつや他の奴に押し付けて、自分は何もしないつもりか?だとしたら今すぐ消えろ」
「な、何っ?!」
「お前は何も出来ないんじゃねえ何もしてねえんだよ。そんな無責任な野郎にルークは任せられん」
「……お前は親父か……」


弱々しくつっこんでくるアッシュからクロは目を逸らした。太陽の光も無いのにかすかに光ってみえる美しいセレニアの花たちが、まるで慰めるようにゆっくりと揺れている。


「俺たちは所詮この世界の人間じゃない。そんな不安定な存在が、本当に支えになれると思うか」
「……!」
「俺たちは俺たちの世界で正しいのか間違っているのかも分からずぶつかり合った。今思えば間違っていたのかもしれないが……あの時の俺たちにとってはその時の一瞬一瞬が勝負だった。お前はその勝負から負ける前に逃げてるんだよ」


アッシュはそっとクロを盗み見た。いつもは嫌味なほど大人らしく振舞って冷静でムカつく顔が、今はどこか変にゆがんで見えた。アッシュはそれが、押し寄せる後悔を押し込めている表情だと気付いた。俺はいつも正しいと言わんばかりのいつもの表情の下に、こんな感情を隠していたのだ。不安に揺れるシロも同じような顔をしていた。眩しくて、手が届かないような高いところにいるように感じていた「未来」が、実はほとんどすぐ隣に並んでいるような妙な安心感を覚えた。アッシュは、今まで曲がっていた背筋がぴんと伸びるような心地がした。


「あんたも逃げた事があるのか」
「……まあな」


クロは頷く。アッシュにはまだ逃げたのかと問われてすぐに頷く事は出来そうに無かった。しかし、逃げずに踏みとどまる事ぐらいは、出来そうだった。


「でもルークは今はまだあんたや、シロに支えられる方が楽だろう」
「何が言いたい」
「俺がすぐにあんたより大きくなって、奪い返してみせるって事だ!」


アッシュに指を突きつけられて一瞬ぽかんとしたクロだったが(珍しい顔だった)、やがて口元を歪めてみせた。それは多分、笑ったのだ。


「やってみろよ。早くしねえと俺がさっさと後継者見つけるぞ」
「俺は別にお前の後継者になりたいわけじゃねえ!あいつの隣に胸張って立ちたいだけだ!」


叫んだアッシュがすらりと剣を抜いたので、クロはとっさに身構えそうになった。しかしすぐに唖然と剣から手を離す。アッシュの剣は前へと向かずに後ろへ流れた。そのまま鋭い刃は真っ直ぐで長い赤い髪へと滑り落ちて。

ザクリ、と。宙に赤い糸を散らせた。


「これが、俺の誓いだ」


聖なる焔の光である証を切り落としてみせたアッシュは、1つ笑ってみせた。それは自身でさえ見たことの無い晴れた笑顔だった。





   もうひとつの結末 18

06/11/07