世界は時を経て変わっていく。しかし、ここは約2000年の時が過ぎ去っても変わることは無い。遥か昔の事など想像するしかないのだが、きっとそうなのだろう。儚い光が天へと昇っていく無音の空気の中、ヴァンはそれを眺めていた。昔人々を縛り付ける預言を呼んだ彼女が考案した、空中の大地を支えるパッセージリングだ。見ていると忌々しい思いと共に、これを「再び」壊せる事への喜び、高揚感が出てくる。


「……う……」


その時、静かなこの空間に呻き声が響いた。ヴァンが手元を見下ろすと、そこには鮮やかな長い赤い髪が見える。これから役に立ってもらう、重要な「駒」……レプリカルークだ。そう思うと自然と口元がつりあがる。やがて気を失っていたルークが目を開ける。しかしいつもは輝くその翡翠の瞳も、今はにごって何もうつしていないようだった。深い暗示に掛かっている証拠だ。意識もほとんどないだろう。ヴァンがルークを地面に降ろすと、力の無い足取りでそれでも立ち上がった。目の前には、光を放つパッセージリングがある。


「さあ、愚かなレプリカルーク……お前が唯一役に立つ時が来たぞ」


吹き込むように残酷な事をヴァンが言えば、ルークはふらりと一歩前へと踏み出した。その時、


「ルークっ!」


鋭い声にヴァンが振り仰いだ。入口付近に、新たな緋色が3つ確認できた。「あいつ」は少しも役に立たなかったか、と内心舌打ちする。声を放ったアッシュがルークの姿を確認して一瞬ほっと息をついたが、すぐに傍に立つヴァンを見て驚愕に目を見開いた。


「な……!?何故ここにヴァンがいるんだ!あいつは今もシンクに踏み潰されているはずだ!」
「……やはり、か」


その隣で、クロが心の底から気に入らないといった様な苦い顔で呟いた。アッシュが驚いてクロを見上げる。


「お前……ヴァンが2人に分裂した事を予想していたのか?!」
「ああ、分裂も考えたが、それは違う」
「考えたのかよ!」


キムラスカ王族は分裂が好きなのか!とシロがつっこんだ。そう、バチカルに帰った時増えていた赤毛にシュザンヌもナタリアも分裂分裂言ったものだ。実際は分裂でも何でもなく(アッシュはある意味分裂みたいなものだが)シロとクロはちょっくら未来からやってきただけ(?)だった。
そこでシロはハッとヴァンを見た。目が合った瞬間ヴァンは笑う。見慣れたくも無いがどこか見慣れた、こちらを心底蔑むような目で。シロは頭から冷水を被ったような心地で、震える声を上げた。


「……まさか」


心当たりの無いアッシュが怪訝そうに見守る中、シロが声を絞り出した。


「"師匠"……なのか……?!」


当たり前だろう、あの髭も眉毛もどこからどう見てもヴァンだとアッシュは言おうとしたが、ただならぬ様子に口を閉ざした。シロだけでなくクロも余裕の無い表情でヴァンを睨みつけている。見つめられたヴァンは鼻で笑い飛ばした。


「決着を果たした今もなお私を師と呼ぶのか。だからお前はできそこないだと言うのだ」
「それ以上言うとてめえのその口を引き裂くぞ」
「アッシュ、お前も随分と腑抜けたものだ。揃いも揃って感化されよって」


アッシュと呼ばれたが流れからして自分では無いことを悟ったアッシュは、思い当たった目の前のヴァンの正体に驚愕した。ここにいるクロを今あえて「アッシュ」と呼ぶ理由。それは……1つしかない。


「まさか……馬鹿な!この、ここにいるヴァンは、「この世界」のヴァンでなく……」
「そう……「俺たちの世界」の、ヴァン師匠だ……!」
「タイムスリップヴァンだと?!」


アッシュがまだ信じられずにヴァンを見ると、ただ嫌な笑いを浮かべているだけだった。否定をしない、という事は、肯定しているのと同じだ。つまりヴァンは、「2人」いたのだ!ルークとアッシュと同じく!


「うっ……髭が2人も存在しているなんてそんな馬鹿な!」
「だから考えまいとしていたのに、まさか本当に2人いたとは……」


アッシュがダメージを受け、クロが頭を押さえて呻く。シロは衝撃のあまり言葉も出ないようだった。……いや、違う。言葉も発する間もなく走り出していたのだ。


「シロ?!」
「師匠が何人いようが関係ない!アクゼリュスを落とさせるわけにはいかないんだ!」


ハッと気がついた時にはすでに、ヴァンがルークの肩を掴んでパッセージリングの方へ押しやっている所だった。そうだ、それを止めるためにここに来たのだ。一瞬遅れてアッシュもクロも後を追った。必死にヴァンへと肉薄するが、ヴァンはちらと一瞥して言葉を一言発した。それだけだった。


「力を解放しろ。……『愚かなレプリカルーク』」

「!!」


反応したのは、ルークだけではなかった。駆けていたシロもいきなりガクンと動きを止めて、その場に跪いてしまったのだ。慌ててクロが近寄ってきた。


「おいしっかりしろ!……くそ、例の暗示か!」
「お、俺はいいから、ルークを……!」
「っちくしょう!」


アッシュが走った。ヴァンに肩を掴まれたルークは、両手を前へと掲げて、その先から光を放っている。その力は紛れも無く超振動だった。ヴァンの呪いの言葉によって、ルークの力が無理矢理解放させられる。解放先は……もちろん目の前の、パッセージリングしかない。


「うあああああっ!」
「ルーク!」


そこへアッシュがたどり着いて、ルークへと必死にしがみついた。あげられた両手に自分の手を重ねて、自分の力を流し込む。アッシュとて超振動の制御に慣れているわけではない。しかしレプリカであるルークよりは制御できるだろうと思うし、このままみすみすアクゼリュスを落とさせる事も出来る訳がなかった。それに何より、意識のないルークにアクゼリュスを落とさせるなんてそんな酷い事を許す事が出来なかったのだ。

やがて光が弾けた。
目の前には半壊したパッセージリング。その前には、力尽きて倒れるルークと、肩で息をするアッシュがいた。その背後からどこか満足そうな声が届く。


「ふん、消し飛ばす事は出来なかったが、これでは機能を果たせまい。アクゼリュスは崩壊するだろう」
「……ヴァン……!」


にやりと笑ったヴァンは、振り向き様剣を構えた。途端にガキィンと金属と金属がぶち当たる音が響く。ヴァンに剣を振り下ろしたのは、クロだった。


「腕が鈍ったな、アッシュ。そんなに軟弱に育てた覚えはないぞ」
「育てられた覚えはねえ!死ね!」
「ふっ、そうもいかぬ。私はここで去らせて貰おう」


唐突にヴァンの姿が消えた。たたらを踏んだクロがとっさに上を見上げれば、大きな鳥にヴァンがぶら下がっているのが見えた。アリエッタのお友達を1匹ぶんどったのかもしれない。そのままヴァンは空中へ消えた。クロが腹立たしそうに地面を蹴っている間に、何とか自分を押さえ込んだシロがふらふらと近づいてきた。


「おい、大丈夫か……」
「……なあ、アクゼリュスは落ちるのか?俺……止められなかったのか?!」
「っ!落ち着け!」


取り乱してしがみついてきたシロの肩をクロが強く掴む。しかしシロは落ち着きを取り戻さず必死な瞳のままクロを揺さぶった。


「俺、結局何も出来なかった……!また、お、俺が、アクゼリュスを……」
「違うだろうが!アクゼリュスを落としたのはヴァンだ、お前じゃない!」
「でも俺が、ルークが……!」
「これはルークのせいでもお前のせいでもない!しっかりしろ!」
「嫌だ、嫌だよ……殺したくない……殺したく……」
「ルーク!」


クロの大声に、シロがびくりと反応した。正気を失っていたシロの瞳に光が戻る。途端に思い出したようにぼろりと涙がこぼれるので、内心びっくりしながらクロはそれでも視線を逸らさなかった。


「……いいか。お前のせいじゃない。お前のせいじゃないんだ」
「あ……しゅ……」
「"あの時"も、今も……お前だけのせいじゃない。……それをいい加減認めろ。いつまで1人で抱え込むつもりだ」


気付けばシロは自分が暖かい何かに包まれていることに気がついた。その暖かい何かは、目の前にいるクロ以外にいない訳で、そのクロもさっきよりかなり近い位置にいる。体に回る腕に力が篭って、さらに暖かさが増した。


「俺はあの時お前を責めてしまったが……もう、そんな事はしない。お前の重荷の全てを共に背負ってやる」
「そ、んな!」
「させてくれ。……そうでないと俺は……何に償えばいいんだ……」


クロの声はいつもより格段に弱いものだった。シロは悟る。自分が過去の罪に苛まれている間、隣でクロも同じように悔いていたのだ。"あの時"の自分の行いを。シロはあの時の悲劇を繰り返さないよう頑張った。クロも同じだったのだ。シロが今ここで前と同じようにふさぎ込めば、クロだって救われないというのか。
ああ、どこまで同位体なんだろう。シロの心情が信じられないぐらい穏やかになる。


「……いいのか?一緒に、背負ってもらって……」
「いいに決まってるだろう。お前は誰のレプリカだ」
「………うん」


シロは一度だけ頷いた。一粒だけ、その目から雫を流して。今まで心の中で凝り固まって今にも壊れそうだったものが、軽くほどけていくのを感じる。背負うものは変わらない。重さも変わらない。ただ隣に寄り添うぬくもりが、救ってくれる。これで、変に固まる事無く、自らの罪を背負っていけるだろう。
目を合わせた2人は、共に優しく微笑んだ。


「いつまでやってやがるこの万年熟年夫婦がぁ!」
「ぐっ?!」
「ぎゃークロー!」


いきなりクロの後頭部にどでかい石の塊が投げつけられた。隅に追いやられていたアッシュの堪忍袋の緒がとうとう切れたらしい。ルークを守るように抱えながらアッシュが怒り心頭の表情で、思わず地面に蹲るクロとオロオロするシロを指差した。


「いちゃつく時と場所を考えやがれ!アクゼリュスと心中する気か!」
「!そうだった!ここ崩壊するんだ……!どっどうしようティアもいないのに!」


シロが辺りを見回す。"前"はティアの大譜歌で何とか生き延びることが出来たが、今ここにいるのは赤毛4人のみ。そうこうしているうちに地面が揺れ始め、だんだんと立ち続けることも難しくなってきた。崩壊が近いのだ。


「いっそ超振動で全部消し飛ばすか……」
「冗談でも怒るぞクロ!うわーどうしようどうしよう!」
「あんたたちって本当にどうしようもない人たちだね」


その時、頭上からある種聞きなれた声が降ってきた。途端に目の前に怪鳥達がバッサバッサと降りて来る。空中には、すでにぶら下がるアリエッタとシンクの姿があった。


「皆、早くアリエッタのお友達に捕まるです!」
「た、助かった……ありがとうアリエッタ!」
「早くしろ!崩れるぞ!」


それぞれが鳥たちに捕まって空中に浮かび上がると同時に、地面が崩れる。天井も崩れ始める中、全員急いで外へと脱出した。足元で、地面が次々と崩れていく。そうして、奈落の底へと沈んでいった。

アクゼリュスの崩壊だった。





   もうひとつの結末 17

06/11/04