「暗いな……」
「暗いですわ」
「もーっ暗くて何が何だか訳分かんないですよぅ!」


親善大使一行(親善大使不在)は、誰にも知られること無くバチカルを抜け出すために廃工場を進んでいた。しかし今は使われていない奥深くの工場はもちろん真っ暗で、下手をすれば足場を見失ってしまうぐらい視界が悪かった。あまりの暗さにとうとうアニスが癇癪を起こす。それに苦笑しながらガイがそっと辺りを見回した。


「そこら辺に炎の元になる油はあるんだが、肝心の火種がなくっちゃなあ」


その言葉に、びくりと反応したのはシロだった。その顔にはちょっぴり汗が伝っていたりする。それに気付いたのはクロだけで、怪訝そうに声をかけた。


「どうした」
「え、いや、そういやここって、ミュウのファイアで火をつけたなあと思って……」


シロが小声で答えた。クロはなるほどと頷いて、難しい顔になる。ミュウがついてくる事になるはずだったチーグルの森の出来事がシロとクロの生きた「世界」とは変わってしまい、ミュウがいたはずだったここにミュウはいない。つまり、火がつけられないのだ。何か火の代わりになるものを探してみるも、持ち物に適当なものは見つからず。


「いやー、旅に出る者が灯りの1つも持ち合わせていないとは、不運な事ですねえ」


そうやってジェイドが嫌味を言うぐらいだった。お前も持ってないんじゃないかという一言をその時シロはぐっと飲み込んだ。つっこめばその10倍以上のしっぺ返しがくると体が覚えていたようだ。


「でもこう暗いと先に進めないよなあ」
「そうね……困ったわ」


シロの声に頷きながらも、ティアはそっと後ろを振り返った。目の先には、バチカルの最上階に建っているファブレ公爵の屋敷があるのだろう。ルークは置いていく、と知らせたとき、真っ先に何故だと尋ねてきたのはこの少女だった。ああもうこの時点でティアはルークを気にかけていてくれたのだと知ってシロは人知れず嬉しく思っていた。


「あれに火をつければいいんだろう」
「?そうだけど……」


唐突にクロが油のたっぷり入ったドラム缶を指差したので、シロが頷く。あれにミュウの吐く小さな炎を当てれば、ちょうどいい具合に燃え上がるのだ。クロはよし、と言うと、なにやら口の中で唱え始めた。それを見たシロがさっと顔色を変える。待て、今こいつ何を唱えてる?


「わーっクロお前何しようとして……!」
「エクスプロード!」
「馬鹿ーっ!」


ドカーン!!


頭上から落ちてきた巨大な炎の固まりは狙い通りにドラム缶に命中し、もちろんぶち当たったドラム缶は大爆発を起こした。そこら辺に放置されていた他のドラム缶にも当然のように引火して、あちこちで爆発が起こる。それが静まったとき、かつての廃工場は最早消え去っていた。


「……クロ……」


辛うじて無事だった一行の中から地を這うような声でシロが詰め寄れば、クロは平然とした顔で言ってのけた。


「これで暗くねえだろ」


頭上にはお日様の光を遮る天井の姿は無くて、雲が出てきている空でも外は当たり前に明るい。光に満ちる辺りを見回してから、フルフルと震えたシロは耐え切れなくなったように大声を上げた。


「そういう問題じゃねーっ!!」


この天然馬鹿!何だと屑!こうして廃墟の中で始まった赤毛の口喧嘩は、しばらくした後待ちくたびれた大佐殿のサンダーブレードが炸裂するまで続いたのだった。その後シロが「俺は基本的に悪くぬぇーのに」と涙を呑んだことは言うまでも無い。





時は、バチカル廃工場が原因不明の大爆発を起こす少し前まで遡る。
公爵家のルークの部屋には、鬱々とした空気が立ち込めていた。置いていかれたと思っているルークはベッドに、同じく置いていかれたと思っているアッシュは椅子にそれぞれ腰掛け、それぞれ黙り込んでいた。空は2人の様子を表すかのように雲が立ち込め始めている。ルークはそんな空をちらと眺め、今頃皆はどこまで行っただろうかと考えた。
見送りさえ出来なかった。「親善大使」がここにいる事を絶対に知られてはいけなかったからだ。城の者にも、公爵にさえ知られてはならない。理由は教えてもらえなかったが、絶対に外に出るな、知られるなとシロとクロに念押しされていた。それもまた面白くない。ルークはふてくされる。アッシュは特に出るなとも言われていなかったが、ここに残れと言われているしルークへの付き合いみたいなものだ。来るなと言われているのだからどこにも行く事も出来ないし。アッシュは心の中で舌打ちした。

そうやって2人が押し黙りながら過ごしていると、突然外から轟音が響き渡ってきた。ルークはベッドの上でビクリと飛び上がり、アッシュは反射的に椅子から立ち上がる。まるで今のは爆発音のようだった。しかも下から響いてきた。どこが爆発したのか正確には分からなかったが、誰がしたのかは、2人とも自然と頭の中に浮かんできた。というか、あいつらしかいない。


「ちっ、何してやがんだあいつら!」


アッシュがイライラと舌を打つ。いてもたってもいられなかった。シロから残れと言われたとき、暗に足手まといだと言われたような気がした。クロは一緒に連れて行くくせに。それが余計にアッシュを苛立たせる。今までずっと一緒にいたのに、そいつがいたら俺は用済みという事なのか。これは、ここはクロの世界じゃない、俺の世界なのに!
アッシュは部屋のドアを開けた。後ろから驚いたようなルークの声が聞こえる。


「アッシュ、どこ行くんだ?!」
「……少し様子を見てくる。すぐ、戻るから、お前はここで待ってろ」


アッシュは少しだけ振り返って、すぐに駆け出した。ルークが慌てて手を伸ばしても、その手は空を掻いただけであった。濃い赤い髪が視界から消える。思わず後について外に飛び出した。


「アッシュ!」


声を張り上げても、最早返事は返ってこなかった。一瞬にしていなくなってしまったアッシュにルークはその場で立ち尽くす。中庭には誰もいなかった。そうだ、誰にも見られてはいけない、すぐに部屋に戻らなくては。ルークは頭の中でそう繰り返すが、体は憂鬱な部屋の中へと戻ろうとはしなかった。ルークだってアッシュの後を追って飛び出したかった。部外者に外されるのは嫌だった。しかしクロの声が頭の中を駆け巡って、思考を圧し留める。ルークは悔しそうにぎゅっと唇を噛み締めた。その頬に、ぴちょんと水滴が跳ねる。曇り切った空は、今にも泣き出そうとしていた。


「ルーク」


その時聞き覚えある声を横から掛けられて、ルークははっと顔を向けた。そして、驚きに目を見開く。戦慄いた口から、声が絞り出された。


「せ、んせい?」


そこに立っていたのは、確かにヴァンだった。その髪型も眉毛も髭もヴァンしか有り得ない。しかしヴァンはすでにバチカルから船で立ち去っているはずである。それが何故ここに立っているのか。


「どうしてここに……」
「ルーク、可哀想に。置いていかれたのだな」


ヴァンは優しくルークに語り掛けてきた。ルークは何故かその声に鳥肌が立った。心の底から嫌悪感と共に何かが湧き上がってくる。得体の知れない何かに、ルークは恐怖を覚えた。違う、いつものヴァンではない。


「でも大丈夫だ。私が連れて行ってやろう」


ヴァンが一歩一歩近づきながら手を差し伸べてくる。ルークはとっさに逃げなくては!と思うが足が動かなかった。そうして全身が動かなくなっている事に気付いた。これは恐怖からなのか、それとも別な何かのせいなのか。呆然とルークが見つめてくる中、ヴァンはとうとう目の前に立ち、ゆっくりと、ルークの目の前へと手をかざし。


「さあ、おいで。……愚かなレプリカルーク」


そこで、ルークの視界と意識はぷっつりと、闇の中へ消えてしまった





   もうひとつの結末 13

06/10/08