「お前はここに残ってくれ」


シロから告げられたその言葉を聞いて、ルークは呆然と立ち尽くした。バチカルの屋敷に帰ってきたその翌日の事だった。朝から城へと呼び出され、何故か親善大使に任命され、城の地下ではうっとおしい師匠に何事かを懸命に吹き込まれたりしたが(まったく興味の無かったルークは聞き流していたけど)アクゼリュスという町にはルーク自身行く気満々だったのだ。今まで外に出れなかったのに、あっさりと外出の許可が国王公認で出されたのだから、思う存分旅がしたかった。それなのに、シロが至極真面目な表情で駄目だと言う。


「何でだよ、俺が親善大使に任命されたのに」
「だからそれは預言とか師匠とかで色々あってな……とにかくお前はアクゼリュスに行かない方がいいんだよ」


アクゼリュス、と発音する時シロの顔が若干ゆがんだりするが、ショックを受けているルークは気付かなかった。それどころか、理不尽な事を言ってくるシロに怒りさえ浮かんでくる。自分の未来だと言うのなら、ルークがこの屋敷の中でどれだけ退屈で、窮屈に暮らしていたか知っているだろうに。ずるい、と反射的にルークは思っていた。


「じゃあその大使はどうすんだ?」
「それは……俺がやる!」


どこから取り出したのか、ルークと同じ色と長さのウィッグを取り出したシロが誇らしげに胸を張ってみせる。


「………」
「な、何だよその『身長がほとんど変わらないからきっとばれないだろうね』って冷ややかな目は!」


ルークの心情を的確に言い当てたシロがむっとして言った。まさに思っていた事だった。というかその本当にそっくりなカツラはどこから調達してきたのか。ルークは色々頭の中でつっこみながら、それでもじっと俯く。まったく納得する様子のないルークにシロもどうしたらいいか分からない困った顔でちらと後ろを振り返った。そこには、仕方が無いとため息をつくクロがいる。


「ルーク」


クロが呼べば、ルークの肩がピクリと動いた。ルークがそろそろ顔を上げると、そこには少し申し訳無さそうな顔をしたクロの顔があった。


「すまない。今は辛抱してくれ」


その言葉と共に、とても馴染みのある手のひらがルークの頭を撫でる。ルークはその手が好きだった。褒めてくれる時、泣いている時、怒られた後に励ますように、その手はいつも優しく撫でてくれた。そんな大好きな手で頭を撫でられて、ルークはぎゅっと拳を握り締めた。クロに言われてしまっては、ルークが断れる訳がないのだ。ルークはむくれたまま、こっくりと1つ頷いた。それを見たシロが深く息をつく。


「……ごめんな」


物凄く文句を言いたい気分なのに、そのごめんの言葉が心の底から思っているような深い声だったので、ルークは結局何も言えず終いだった。シロはルークの元気を引き出そうとするかのように明るくこう言った。


「クロも連れていっちゃうけどさ、大丈夫!アッシュ置いてくから!」
「ふざけるなーっ!俺は聞いてねえぞ!」


タイミングを見計らったように後ろからアッシュが現れた。ルーク以上に文句が言いたそうな顔をしている。


「お前六神将のくせにここまできてるんだから、迂闊に外出れないだろ?」
「一緒に抜け出しておいてよく抜け抜けとそんな事が言えるな?!」
「なあ頼むよ。俺はどうしてもいかなきゃいけないんだ」
「ぐっ……」


ずっと一緒にいた相手に弱いのはルークだけではない。アッシュは懇願するように手を合わせるシロにぐっと詰まった。たっぷりと間をとってから、ぎりぎりと歯を噛み締めつつも何とか頷く。


「ちっ……ここにいればいいんだろ」
「うわーっアッシュいい子!偉い子!」
「こっ子ども扱いするなっていうか抱きつくなー!」


体当たりで抱きつきながら頭を撫でてくるシロにアッシュは赤くなりつつも怒鳴る。時々昔の名残でシロはアッシュをやたらと可愛がってくるのだが、思春期の17歳には恥ずかしくて耐えられないのだ。


「おーいそこの4兄弟さん、ジェイドの旦那がそろそろ出発するってよ」


そこにひょっこり顔を出してきたのはガイだった。出発と言いながらもその手に持っている掃除用具は何なのだろうか。そこら辺のメイドに押し付けられたなこの万年使用人、とクロとアッシュが思っている間にシロが分かったと返す。歩き出す前に、もう一度ルークへと向き直った。


「じゃあ行って来るけど、ちゃんとここで待っててくれよ?でも何かあったらすぐ逃げるんだぞ」


やたらと念押ししてくるシロにルークは頷きながらも心の中で首をかしげていた。何がそこまで不安なのだろうか。まるで、得体の知れない何かを恐れているようだ。にこりと笑ったシロはルークの頭をぽんと叩いてから踵を返した。そこにはクロのような力強い優しさはなかったが、なにやら暖かいもので全身を包まれたような、そんな安心感があった。


「……おい」


去り際、クロがアッシュを呼び止めた。アッシュは眉を寄せながらクロへと向き直る。クロは声を落として、しかしアッシュの目を見ながらはっきりと言った。


「ルークを、頼む」


クロの真剣なその言葉に、イライラしていたアッシュは大きな舌打ちで答えたのだった。





「俺的にはイオンも置いていきたかったんだけど……」
「それはいけません。僕はマルクトキムラスカ両国の間を取り持つためにここにいるのです。アクゼリュスには絶対に同行します」


シロがぽつりと呟けば、体は弱いはずなのにその瞳に誰よりも強い光を宿しながらイオンがはっきりと言う。前日、某漆黒の翼がイオンを見ながら意味ありげに何事かを話していたりしたのだが、それをとっくの昔に知っていたクロとシロがイオンから片時も目を離さなかったのだ。そのおかげで、イオンは何ものかに攫われる事なくここにいる事が出来る。用は済んだんだから早く帰りましょうよとアニスが言ってもイオンは聞かなかった。


「海の方は神託の盾の船が監視しているようです。予定通り海から行くのは少々危険ですね」
「なるほど。ではこうしよう……」
「そういう訳なのでヴァン謡将には囮になってもらい、私たちは陸路でケセドニアへ向かいましょう。いいですね」
「……うむ」


自分が言おうと思った台詞をジェイドに取られてヴァンは少し肩を落としていた。そのヴァンをちらちらと気にかけるのはシロだけで、あとの皆は丸ごと無視している。


「街を出てすぐの所に六神将のシンクがいて、邪魔してるみたいですよぉ?」
「まずいわね……六神将がいたら、私たちが陸路で行く事も知られてしまうわ」
「それならいい方法がある。旧市街にある工場跡へ行こう」
「なるほど、工場跡なら……。決まりですね。出発しましょう」
「お待ちなさい!」


さっさか話を進める仲間達がさりげなく去っていったヴァンに気づく事も無く出発しようとしていたとき、城のほうから堂々とした声が響き渡った。それに皆が驚いて振り返る。1番驚いたのは、予想だにしていなかったシロだった。嘘、なんでここでナタリアが出てくるの?!


「ナタリア様?!どうしてここに!」
「ガイ、今のわたくしはただのナタリアですわ。敬語はおやめなさい」


驚きに声を上げるガイをさらりとあしらい、ナタリアは優雅に近づいてきた。仲間達の目の前に立つと、にこりと笑ってみせる。


「この旅、私も同行させていただきます」
「え、でも、王女なのに……国王様が反対しなかったのか?」
「心配ありません。お父様にはきちんとお許しをもぎとっ……貰ってきましたわ」


シロが尋ねれば、ナタリアは胸を張って答える。そんなナタリアの様子に、クロはくらりと眩暈がするようだった。本当に一体、いつの間にどうしてそんなにたくましく育ってしまったのか。クロが(この世界で)初めて出会った時でさえすでに片鱗をうかがわせていたのだから……お前か、とクロが目で睨めば、睨まれたシロは慌てて首を振った。まったく、身に覚えがありません。

とにかく、親善大使一行は人数を減らしたり増やしたりしながらバチカルを出発したのだった。






   もうひとつの結末 12

06/10/04