俺の兄貴がカリスマレジェンド可愛い







今までのあらすじ:おそ松が可愛い。


カラ松が唯一の兄であるおそ松の可愛さに目覚めた運命のあの日から、早くも数週間の時が経っていた。かといって、ニートであるカラ松の生活習慣が大幅に変わることは無い。今まで通りに好きな時間に起きて、顔を合わせた兄弟と朝の挨拶を交わして、朝食を食べて今日も特に何もない一日を始めるだけだ。それでもカラ松の毎日は、幸せに満たされていた。
今日は幸運にも、寝癖をぴんぴん跳ねさせながら大欠伸をする兄と洗面所の前でばったりと顔を合わせる事が出来た。顔を洗って出てきたカラ松に気付いて、おそ松が欠伸を噛み締めて声を掛けてくる。

「おー、カラ松おはよ」
「グッモーニンおそ松。今日は素晴らしく良い朝だな」
「もうすぐ昼だけどな」

へらっと笑うおそ松に、カラ松はぐっと拳を握った。可愛い。自分と挨拶をするためにわざわざ欠伸を途中で収めてくれたのも、起き抜けにぽわぽわしながらそれでも笑いかけてくれたのも、なぜかいつも一人だけ起きた直後は一松より寝癖がひどいその頭も、何もかもが可愛い。パジャマの中に手を入れて腹をぼりぼり掻くおっさんみたいな仕草まで余す事無く可愛い。今日のおそ松の可愛さも絶好調だな、と絶好調にぶっ飛んでいる頭でカラ松は思った。
一気にテンションが上がったそのままに、おそ松の頭へ手を伸ばす。寝癖を押さえる様に指先に力を入れてかき混ぜながら、カラ松は思った事をそのまま口に出していた。

「今日も朝からおそ松は可愛いな」
「あーはいはい、ありがとよ」

ぺしっと軽く撫でていた手が払われる。そのままそっけない態度で横をすり抜けて洗面所へ向かってしまったおそ松に、しかしカラ松の気分は下がるどころか上がる一方だ。通り過ぎ様に見た光景が、しっかりと脳裏に焼き付いていたからだ。起きたばかりでぼやっとしていた瞳が細められ、頬を僅かに紅潮させて、耳の先までちょっと赤く染めながら足早に行ってしまった、照れた様子のおそ松の姿を。

「くっ……!毎日のようにやっているのに未だに慣れないおそ松、ほんとに可愛いっ……!」
「キモッ」
「ウザッ」

たまたま通りすがった一松やトド松にドン引きされた目で見られようとも、カラ松は胸の内に駆け巡る衝動のまま打ち震える事を止める事は出来なかった。
だって、おそ松が今日も、こんなに可愛いのだから!





「カラ松、お前ほんっと、毎日よくやるよね」

求人誌を眺めていたチョロ松に心底呆れ果てたような声を掛けられて、カラ松は床に落ちていた身体を何とか起き上がらせた。六つ子に宛がわれた二階の自室で、カラ松はつい先ほどまでおそ松とトランプで暇をつぶしていた。しかし、どのカードを引くか悩む姿も可愛い、慎重に伸ばしてくる指先も可愛い、僅かな緊張をほぐすように足を揺らしているのも可愛い、といちいち伝えていたら、とうとう羞恥心が爆発したおそ松に殴られ蹴られ伸されてしまったのである。手も足も容赦のない力だったため意識が遠くなりかけたが、声を掛けられたことによって無事に戻って来る事が出来た。そもそも、カラ松にとってこれぐらいの報復はもはや慣れたものだった。
頭を撫でるだけでなく、言葉で可愛い事を伝えても照れさせる事が出来ると学んだその日から、カラ松は胸の内に沸き上がる感情をそのままおそ松に吐き出し続けていた。反応は様々だ。率直に赤面して照れたり、何でもない事のようにさらりと流してやり過ごそうとしたり、呆れたり、言いすぎたらさっきみたいに怒ったり。最終的には照れながらも喜んでもらいたい、つまりは笑って受け入れてもらいたいのだが、今の所目標に近づく兆しはない。それでも逐一反応が可愛いので、カラ松は今までもこれからもおそ松を撫でて可愛がることを止める気はない。
そんな、傍から見れば気でも狂ったのかと呆れずにはいられない姿を、六つ子の弟たちは冷やかに見守ってくれていたのだが。普段から小言が多めのチョロ松が、本日とうとう耐え切れずに口を挟んできたのだった。

「おそ松兄さんを撫でまくって可愛い可愛いってそればっかり言い始めて、もう何週間経ったっけ。いい加減飽きないの?」

怒ったおそ松が飛び出していった部屋の出口を眺めながらのチョロ松の言葉。カラ松は床に座り込んで、一つ下の弟の顔をきょとんと見つめた。

「え……あ、きる……?」
「うわ、何その目!初めて聞いた言葉みたいに聞き返すな!何なの、お前の頭とうとうイカれて「飽きる」って概念を失ったの?!」

信じがたいものを見る目で見つめられてチョロ松が気味悪そうに叫ぶ。カラ松としては甚だ理解しがたい発言だった。あきる、という言葉も、数秒懸命に考えてからようやく「飽きる」の事だったのだと気づいたぐらいだった。
我が弟は一体何を言っているのだろうと、カラ松はため息をつかざるを得なかった。

「チョロ松……あれだけの可愛い兄さんに飽きる日がくると思うか?全て同じ照れ顔に見えるのならもっとちゃんとよく見るべきだ。毎日、毎回、おそ松の反応はその時々によって大小様々な変化がある。二十数年共に暮らしてきたブラザーであるお前に分からないはずがないだろう」
「あのな、カラ松。常識的な事のようにサイコパスな事を語らないで。あとさりげなく僕まで仲間に引き入れんな。その理屈が通用すんの世界中どこを探してもお前だけだから」
「な……なん、だと……あれほど毎日、いや毎秒振り撒かれているおそ松の可愛さを感じ取ることが出来るのが俺だけ……?!っく、世界はこんなにも鈍感だったと言うのか……!」
「あーダメだこれ。会話にすらならねえ」

さっさとカラ松と会話のキャッチボールをする事を諦めたチョロ松はすぐに求人誌へ視線を戻す。代わりに一人勝手に打ちひしがれるカラ松へからかいの言葉をかけたのは、ソファの上で今までずっとスマホを眺めていたトド松だった。ちなみに今この部屋には、六つ子のうちこの三人が残った状態だ。

「でもさあ、飽きるまではいかなくても、もっとおそ松兄さんの他の顔とか見たくならないの?」
「え……他の顔、というと……?」
「だってカラ松兄さん、最近はおそ松兄さんの事照れさせたり怒らせたりするばっかりじゃん。そんなに全部が可愛いって言うなら、もっと色んな可愛い顔見たくならないの?」

あ、この末っ子面白がってやがる、とチョロ松は苦い顔になったが、止めはしなかった。一方思いもかけない言葉を貰ったカラ松は、呆然とトド松を見つめる。現状にとことん満足していた頭では、考えもしなかった事だった。

「確かに……視線を彷徨わせながら頬を染める姿も激しい感情をむき出しにする姿もこの上なく可愛いが、もっと沢山の可愛いおそ松も見たいっ……!」
「でしょ?」
「いやしかし、普段の顔はいつも通り一日ずっと傍について観察していればいくらでも拝めるし、それ以外の顔と言ったら……」
「うーん、実の兄が実の兄のストーカーしているような言動を実際に聞くのはさすがにキッツいものがあるよねー」
「今更だろ、そんなの」

トド松がぼやいてチョロ松が溜息をついている横で、カラ松は一生懸命に考えた。思い浮かべるのは脳裏に焼き付けたおそ松の色んな表情。あの身を焼かれるような可愛さに気付く前からずっと一緒に暮らしていたのだから、今更見た事の無い表情なんてほぼ無いに等しい。大体へらへらしているあの兄が浮かべる珍しい照れる表情なんかは、すでにカラ松の手で最近何度も引き出す事が出来ている。これ以上、どんな姿を望めばいいというのか。頭の中のおそ松ベストコレクションアルバムを捲りながら、カラ松は満足げに頷いた。
……いや。違う。ぱらぱらと記憶のページをめくっていくごとに、カラ松の顔から笑顔が消える。昔のものから最近のものまで、必死こいて思い出してようやく気付く。気付いてしまう。突然表情を消して固まってしまったカラ松に、チョロ松もトド松も首を傾げた。

「カラ松?」
「どうしたの、イタ松兄さん」
「チョロ松、トド松、大変だ……俺は大変な思い違いをしていた……おそ松兄さんの全てを知った気になっていた、何ておこがましいんだっ……!俺はまだ、あの人の真の姿を知らないっ!」

ぎゅっと拳を握りしめたカラ松は、驚愕の表情を浮かべたまま、不思議そうな二人を見て衝撃の事実を伝える。

「俺はまだ……!おそ松兄さんの泣いた顔というものを、ほとんど見た事が無い!」

ピシャーン。カラ松の背後に雷が轟き落ちる。そんな幻覚を見たのはカラ松本人だけで、対する二人はしばし沈黙した後、ああーと納得の声を上げるだけだった。

「言われてみれば確かに、おそ松兄さんってあんまり泣かないよね」
「まあ、あれでいて意地っ張りな所あるから。感動系の場面では先に涙ぐんだこっちをからかって泣こうとしないし、ホラー系もトド松みたいに驚いて泣きわめいたりしないし、むしろ大笑いするタイプだし」
「う、うるさいなあ、仕方ないじゃん怖いものは怖いんだから!」
「……そうか、皆見た事がないのか」

自分だけかもしれない、と思っていたカラ松はほっと息をつく。しかしすぐにムクムクと欲望が膨らんでいった。誰もがあまり見た事の無いおそ松の涙。心の中のアルバムに足りないその表情を意識すればするほど、見てみたい欲求が沸き上がってくる。一体あの兄は、どんな顔で泣くのだろう。あの瞳からどんな風に雫が零れ落ちるのだろう。
普段あれだけ元気な人が、はらはらと泣く姿なんてそんな、想像するだけできゅっと心臓が縮み上がる思いがした。カラ松は苦しくなった胸元を手で押さえ、自分で泣きそうになりながら身悶える。

「ううっ……!おそ松が可哀想!でも可愛いっ!」
「え、もしかして想像だけでそこまで感極まってるの?イッタイねえ本気で!」

トド松がソファの上で体を引かせる。チョロ松はこれ以上関わらないようにしたのか顔も上げない。カラ松は頭の中で涙を流すおそ松に脳内でのた打ち回った。
ああ、おそ松の泣き顔なんてきっと可愛い。絶対可愛い。そして何が原因でも可哀想だ。人が涙を流す瞬間というのは、生理的なものを除けば良くも悪くも心が激しく揺さぶられた時だ。兄弟たちが涙する場面でもケロッとした顔でからかったり慰めたりするあの長男が、それでも泣かずにはいられない場面というものは、一体どれほど衝撃的なものとなるだろう。それほどの事を起こさなければ見られないのだ、おそ松の泣き顔は。そんな場面にわざわざ引き合わせるなんて、可哀想だとカラ松は思うのだ。
しかし同時に、抗いがたい衝動も忘れる事は出来ない。おそ松を泣かせるだなんて可哀想だと叫ぶ己の隣で、それでも見たいと暴れる己も確かに存在するのである。だって、立っているだけであんなにも可愛いおそ松のそんなレアすぎる場面、可愛くないはずがないのだ。想像するだけで胸を熱くさせるぐらい、超絶可愛いに違いないのだ。

「俺は……俺は一体、どうしたらいいんだ……!」

頭を抱えて床に伏せる。おそ松の可愛い姿全てをこの目で見たい。しかし泣かせてしまうのが可哀想で仕方がない。八方ふさがりだった。前にも同じようなエイトシャットアウト状態に陥った事はあるが、あの時はおそ松が優しい笑顔で救い上げてくれた。今はそれがない。絶望と共にふさぎ込むその肩を、とんとんと軽く叩く手の平があった。そっと顔をあげれば、にっこりと微笑む末弟の顔がそこにあった。

「カラ松兄さん。偉い人が昔、こう言っていたらしいよ」
「トド松……?」
「……一発だけなら、誤射かもしれない」
「?」

首を傾げるカラ松の目の前で、トド松が後押しするようにぐっと親指を立てた。全てを許すような輝かしいその笑顔は、最近ずっとウザい痛いと連呼して距離を取っていた末っ子の久しぶりに見た笑顔だった。

「つまり、一回ぐらいなら思い切っておそ松兄さん泣かせに行ったっていいんじゃない?って事だよ。あの人のガチ泣きとか僕も見てみたいし!」
「!そ、そんな、でも……いいんだろうか」
「おそ松兄さんはどうか知らないけど、僕とチョロ松兄さんは許すよ!」
「おい、勝手に巻き込むなって」

チョロ松が抗議の声を上げるが、二人は聞いていなかった。特に怖がりのトド松は過去何度もクソ長男に驚かされては泣かされてきた経験があるので恨みの根が深い。どんなきっかけでも一回ぐらい情けなく泣いちゃえばいいんだという恨みつらみと、単純に可愛らしい泣き顔が見たいという純粋な?想い、正反対のベクトルを持つ二人の利害が一致した瞬間だったのである。

「僕応援するから、頑張っておそ松兄さん泣かせてよ!カラ松兄さん!」
「と、トド松……!ありがとう、俺、頑張ってみる……!」
「……どうなっても知らないからな……」

ガシッと熱い握手を交わす次男と六男の姿を、成り行きで見守ってしまった三男の呆れた呟きは、残念ながら誰にも届くことは無かった。





「おそ松、俺と共に巨大なスクリーンで夢と感動のワンダーランドへと旅立たないか?」
「ん、映画行くの?お前のおごりだったらいいよ」

あくる日。居間でごろごろしていたおそ松にカラ松から声を掛ければ、ほぼ予想通りの返事を貰った。ちなみにたまたま居合わせてしまった一松が、部屋の隅っこで「なんで今のクソ松語を一瞬のうちに理解したんだこの人は」といった畏怖の目でおそ松を見ていた。

「もちろん、俺が全て払おう」
「へ?マジで?どういう風の吹き回しだよ」

躊躇うことなく頷けば、さすがに驚いたおそ松が身を起こして見上げてくる。ああ、びっくりした上目遣いも可愛い。すでに満たされながら、しかし作戦を決行するためにカラ松は必死に己の右手を抑え込む。典型的厨二病症状「くっ闇の力を纏いし俺の右手よ治まれ……!」的なものではなく、疑問符を浮かべるその頭を撫でたいという衝動を抑えるためだ。ここで撫でまくって機嫌を損ねてしまえば全てがパアになってしまう。

「ちょっと見たい映画があってな。一人じゃ何だし、暇そうなお前なら一緒に来てくれるかと思ったんだが」
「あーうん、いいよ別に、マジで暇だったし。でも暇そうってんなら、そこにいる一松も暇そうだけど」
「お、一松も来るか?」
「死ね」

カラ松としてはおそ松を映画に誘う事が出来ればそれで良かったので、一松にも快く声を掛けてみたのだがすげなく断られてしまった。恥ずかしがり屋のシャイボーイめ、と微笑めば、ジャキンとバズーカ的な何かが準備される音が聞こえたので慌てて玄関へと飛び出す。その後ろを、おそ松が大欠伸しながらついてきた。外はカラ松の前途を応援するかのような快晴だった。

「んで、何の映画見んの?」
「フッ、それは行ってからのお楽しみだ」

普段映画を見ない訳では無いが、映画館となるとどうしてもお金が掛かるためにめったに訪れることは無い。えー何だろーと明らかにワクワクしたようなおそ松の姿に、カラ松はぐっと右手を左手で押さえて耐えた。映画を楽しみにそわそわしている俺の兄貴くっそ可愛い。撫でたい。撫でまくって可愛いと囁きまくりたい。でも今日は我慢だ。
カラ松が隣をご機嫌に歩くおそ松を見る度に何度も訪れる衝動と戦っている内に、昔からある馴染みの映画館にはすぐに辿り着いた。おそ松をその場で待たせて、反対されないようにさっさと券を購入すればこっちのものだ。前日にトド松と話し合って、今上映されている映画の中から選りすぐったそれは、「名犬ポチ」。可愛らしい犬のポチと飼い主の感動の交流を描くノンフィクション映画だった。愛らしい動物の感動物語であれば、もしかしたらあのおそ松も思わず涙するかもしれないという、「鬼の目にも涙」作戦である。ちなみにカラ松はあらすじを読んだだけで涙ぐんだ。
普段はレンタルビデオショップで半額でも借りてこないようなジャンルの映画に、券を受け取ったおそ松はやっぱりぶーぶー文句を言った。

「えーっ犬ー?!俺もっとアクション激しいやつとかエロいやつがよかった!」
「アクションはともかくおそ松が求めるエロいやつは映画館でやらないと思うぞ……」

唇をとがらせてぶつくさ文句を言うおそ松を可愛い可愛いと思いながら笑顔で抑え、何とか席につく事に成功した。ちなみに上映中に飽きたおそ松が途中で眠ってしまう事が危惧されたが、

「おそ松、あーん」
「むぐっ」

定期的にその口にポップコーンを詰め込む事で居眠りを阻止した。平日だったので比較的空いていた座席のおかげもあり、二人は何者にも邪魔される事無く最初から最後まで無事に「名犬ポチ」を見終わる事が出来たのだった。
さて、結果はと言えば。

「う゛う……っポチ……ポヂィ……人間のためにあそこまでっ頑張るなんて……うっう゛っ……!」

ぼろぼろと際限なく涙をこぼしながらの大号泣であった。
カラ松が。

「あーもーいつまで泣いてんだよ、ひでえ顔になってんぞお前」

肝心のおそ松はと言えば、泣き続けるカラ松を眺めながら面白おかしそうに笑っている。最後まで起きたまま見終わり、それなりに感動もした様子だったが、それ以上にカラ松が感極まってわあわあ泣き出してしまったので自分が泣く暇も無かったようだ。映画館を出てからもポチの雄姿を思い出しては新たに涙をこぼす弟の姿に、けらけらと歯を見せて笑っている。

「だって……だっで!ポチが飼い主のタケシ君を助けるために、悪の秘密基地に潜入する所なんてっ、涙無しには見れなくでっ……!」
「はいはいそうだなポチかっこよかったなー。カラ松くん、こっち向いてー」
「っな゛に゛……ぶふっ」

呼ばれて顔を上げれば、顔面に柔らかい布が押し付けられる。ハンカチのようだ。ズボラな兄がまさかこんな気が利くものを持ち歩いているだなんてと少なからず驚いたが、よくよく見ればそれは自分のものだった。いつの間にかポケットから盗み出されていたらしい。涙でびしょびしょの顔を手加減無く拭われて、最後に鼻を摘ままれる。

「はい、ちーん」

柔らかい声に思わず言われた通り鼻をかんだ。流れるような手際だったが、我に返ればとても成人男性に対する扱いでは無い。どっちかと言えば幼児を相手にするような態度であったし、声色であった。涙も落ち着いて我に返った途端、それらを自覚して一気に赤面する。おそ松がさらに楽しそうに笑った。

「お、恥ずかしいか?恥ずかしいか?!お前にも一応羞恥心とかあったんだねぇカラ松ー」
「っあ、当たり前だろう!こんな、同じ歳なのに子供扱い……!」
「それで少しはこのお兄様が普段味わってる恥ずかしさを思い知れってことだよバーカ」

べ、と舌を出したおそ松は、汚れたハンカチを適当に畳んでカラ松のポケットにしまい直すと、頭の後ろに手を当ててぶらぶらと歩き始めてしまった。どうやらカラ松が普段散々撫でたり可愛いと言ったりする事への復讐も兼ねていたらしい。そんな負けず嫌いな所も、さっきの舌出した顔もめちゃくちゃ可愛かったなあと、懲りない頭で考えながらカラ松は慌てて兄の後を追った。汚れたハンカチをそのままつっこまれたポケットの事はなるべく考えない事にした。

とにかく映画で泣かせる作戦は失敗に終わった。レンタルDVDとは違う迫力と臨場感のある映画館だったらあるいは、という希望はいともたやすく崩される。今回の敗因の半分は先にカラ松の方がぐずぐずに泣き始めてしまった事もあるような気はするが、そこは考えない事にする。気を取り直して、計画その2に移る事にした。

「ちょうど昼時だな。この近くに偶然トド松がおすすめしてくれた喫茶店があるんだが、そこでランチでもどうだ?」
「へー、おごり?」
「オフコース」
「マジで?今日はどしたのお前」

目を丸くして見つめてくるおそ松に、カラ松はニヒルに微笑む事で誤魔化した。お前の涙が見たいからだよ、と口にする事はさすがにしなかった。
昨日トド松に教えてもらった近くの喫茶店に入り、童貞ニートにはちょっとおしゃれすぎる店内に緊張しながら予定していたメニューを二人分注文する。自分で選びたがったおそ松には、「トド松にこのメニューをどうしてもおすすめされたから」と何とか説き伏せて納得してもらった。今回の作戦は、このメニューがポイントなのだ。

「ここのナポリタンスパゲティは鉄板で出てくるらしくてな、上に卵も乗っているらしい。俺も食べるのは初めてだが」
「へー、美味そうじゃん。たまにはそーいうのもいいな!」

ナポリタンとか久しぶりに食うわー、と鼻を擦って笑ってみせる無邪気な表情が可愛い。カラ松は向かいの席から微笑ましくおそ松の笑顔を眺めながら、同時にじわじわと罪悪感に苛まれていた。きっとこれから、この笑顔は少なくともくすんでしまうだろう事が分かっているからだ。泣かせるためにわざわざ自腹でここまで連れてきておいて今更だとは自分でも思うが、おそ松にはやっぱり笑顔が一番似合うし、何より一等可愛いのである。カラ松的目の保養のためにも心の安寧のためにも、この笑顔をいつまでも見ていたいと思ってしまう。
しかしそんな幸せな時間にも終わりがやってくる。快活なウエイトレスが、お待たせしましたとじゅうじゅう音を立てるナポリタンを二人の目の前にとうとう運んできたのだった。

「お、きたきた!すげー音鳴ってる!めちゃくちゃ美味そ、……う」

喜色満面なおそ松の言葉が最後、配膳された鉄板の上をまじまじと見つめて不自然に途切れる。だろうなあ、とカラ松も思った。
二人の目の前に現れたのは、一見何の変哲もないナポリタンスパゲティだ。まだ熱い鉄板の上に乗せられた太めの麺はトマトソースと良く絡んでいい音と匂いを奏でているし、山盛りの麺の上に乗ったつるんとした黄身をかき混ぜればさらに食欲をそそる音と香りを届けてくれるだろう。ボリュームのある麺に負けず劣らず具も沢山入っていて、そこがまあ強いて言うなら他の店より嬉しい違いかもしれない。瑞々しい玉ねぎ、歯ごたえのある薄切りウインナー、そして鮮やかな色を添えるピーマンが、麺の隙間からこれでもかと覗いている。見ているだけで涎の垂れそうな光景だった。
……しかしカラ松は、この中におそ松の地雷がある事を知っていた。ちらと様子を窺えば、フォークを持ったまま難しい顔で固まっている姿が見える。ぎゅっと眉間に寄せた皺も可愛い。

「ああ、美味そうだ。せっかくの俺のおごりなんだから、残すだなんて野暮な事はしないでくれよ?おそ松」
「お、おう」

こくりと頷くその視線が何に向いているのか、カラ松は知っていた。トマトの赤い色にも負けずにナポリタンにバランスよく緑を添える、ピーマンだ。ズバリ今回は、「苦手なピーマンを食べさせて涙目にしてやるぜ」作戦だった。ちなみにカラ松の「グリーンの小悪魔が囁くキューティプリンスの涙」という作戦名は言い切る前にトド松に「無理」とバッサリ切られてしまった。
おそ松は昔からピーマンが大の苦手だった。食卓で出てきてもほとんど手を付けようとしないで、弟たちに無理矢理押し付けたりさりげなく残したりでひたすら逃げ続けてきた。そこまで苦手なものを食べさせられればおそ松もべそべそ泣くのではないかという、少々幼稚な作戦である。小学生の頃から中身が変わらない奇跡の馬鹿とも呼ばれる人にはちょうどいいのかもしれない。先に残すなと牽制もしておいたし、おごられたものを残すなんてもったいない事が出来ないがめつい根性なのも知っている。何よりフォークで巻き取って食べるナポリタンで、ピーマンだけを器用に避けるのは至難の業だ。作戦を主に思いついたトド松を、昨日カラ松は褒め称えたばかりだ。これなら無理にでもピーマンを食べる事しか出来ないだろう。
いただきます、と手を合わせてまずはカラ松が食べ始める。アツアツのナポリタンはどこか懐かしいトマト味が非常に美味しかった。そっとおそ松を見ればまだ躊躇うようにふらふらとフォークの先を宙に漂わせている。たっぷり入ったピーマンはどこを巻き取ってもくっついてくるだろう。
さあ、早くピーマンを嫌々口に入れて苦い苦いと涙を流すんだ。一粒でもいいから、さあ!

「カラ松ぅ」
「どうした?美味いだろう?」

あえて必要以上に見つめないように食べる事に集中すると、どこか甘えたような声が掛けられる。この語尾を伸ばした兄の声が心地よいし可愛いんだよなあと和みながら、一方で油断しないように気を引き締める。この作戦を考えるにあたり、トド松から口を酸っぱくして何度も言い含められた言葉があった。

『いい?カラ松兄さん。おそ松兄さんがどんなにお願いしてきても、代わりにピーマンを食べてあげたりしたらダメだからね!そんな事したら意味なくなっちゃうこと、いくらカラ松兄さんでも分かるでしょ?』

と、何だか失礼な言い草も添えて。基本的にはいと差し出されれば何でも食べるカラ松は、十四松と並んでおそ松のピーマン処理係として普段は活躍していた。トド松はそれを危惧していた。特に最近おそ松にでろでろになっているカラ松であれば、お願いされれば目的を忘れてピーマンを食べてやってしまうのではないか、と。しかしさすがのカラ松もそこまで甘くは無い。何よりも自分がおそ松の涙を見たがっているのだから。
だからこそ、何を言われようと鉄の意志で要望を跳ねのける気でいたカラ松は、厳しい顔を作ってキリッとおそ松へと顔を向けた。どんなお願いが来ても切り捨てようという強い決意を表した顔だった。対面したおそ松の表情は、ニコォと甘めの笑顔。くっ可愛い。しかし負けるものか。無言で先を促すカラ松の目の前に、何かが突きつけられた。
フォークだ。ナポリタンスパゲティを巻きつけたフォークが、口元まで真っ直ぐ伸ばされていたのだ。

「ほい、あーん」
「……へっ?」

何で?カラ松は混乱した。何故おそ松は突然こんな、自分のフォークを差し出してあーんとこちらの口に入れようとしているのだろう。食べているものは同じなのに。すると追い打ちをかけるようにおそ松がにししと笑う。

「いやあ、今日なんかデートっぽくね?俺と、お前の」
「……で、でーと?」
「そう。だからさ、おごってもらってばっかで悪いから、お兄ちゃんがもっとデートっぽく演出してやんよ。ほれ、あーん」

いや、だからって何で?カラ松は混乱から抜け出せない。デートと言われ、確かにまあおごりであるし客観的に見れば映画館デート?と言えなくもない状況だと納得はできる。そしてデート相手からの「あーん」も経験してみたい男のロマンだと思う。でも、何故そこで実兄からのあーんが来るんだ。べつにさっき自分が同じようにあーんとか言いながら問答無用で隣の口にポップコーンを詰め込んだことを棚上げしている訳では無いが、でもあの時と今では纏う空気が違いすぎるだろう。おそ松が意図しているようにこれでは、まるで、本当にデート中みたいじゃないか。そうやって必要以上に大混乱に陥ったカラ松には、そうなった理由があった。
可愛いのだ。
少しだけ身を乗り出して、こちらに向けて腕を伸ばして、あーん、と口を開けるよう促すその笑顔が。きらきらと期待するその瞳が。決してデートなどでは無いはずなのにデートのように振舞うこのシチュエーションが。いつもの何割増しも可愛くその目に映ってしまうのだ。カラ松は思わず胸の上を片手でぎゅっと握りしめた。そうしなければ強烈すぎる可愛さに心臓が飛び出してしまうような気がした。
ああ、この兄はどうしてこんなに楽しそうにあーんとかやってくるんだ。可愛い。可愛い!この衝動を必死に押さえ込んでいるせいで、物理的にハートがブレイクしそう!

「おーいカラちゅーん、お兄様からの飯は食えないってかー?」

あまりにもカラ松が固まったままなので、放置されていたおそ松が不満そうにむくれてみせる。やめてくれ、可愛いんだからやめてくれ。これ以上機嫌を損ねないために、慌てて口を開けて一口大のナポリタンを迎え入れた。程よい熱さのもちもち麺と甘めのトマトソースを、ピーマンの苦みが引き立てていてやっぱり美味しい。何よりおそ松の手ずから食べさせてもらった分何倍もうまみを感じる気がした。カラ松は自然と笑顔になっていた。

「どお?美味い?」
「ああ、やっぱり美味いな」
「だよねー!なんてったってこの俺が!食わせてやってんだからな!もっと食う?」

にこにこと再びフォークを動かしてナポリタンを差し出してくるおそ松。その好意が嬉しくてぱくりと二度目も頂いたカラ松は、やっぱり美味しいそれに存分に舌鼓を打った。何度食べても、トマトソースとピーマンのハーモニーがたまらない。少々ピーマンの苦みが強い気がするが、許容範囲内だ。
……待てよ。もう一回、と三度笑顔で差し出されるおそ松のフォークを目の前にして、幸福で空っぽだった頭にようやく疑問が浮かび上がる。ナポリタンは確かに美味い。美味いけど、心なしか、ピーマン多くないか?

(……し、しまった!これがこいつの作戦かっ!)

カラ松はようやく気が付いた。おそ松が差し出してくるそれに、異常にピーマンが多く巻き込まれている事に。そうやって、ごく自然に?ピーマンをこちらに食べさせていたのだ、このピーマン嫌いの長男は。緑色を狙ってより多く巻き取るその器用さは一体どこで培ったものなのか。心なしか麺もさっきよりずっと少ないし、むしろピーマンがメインになっている。こいつ、最早隠す気が無い。
条件反射で三口目も食らいついてしまったので、次からこそは断ろうと決意した。確かに、決意した。しかしそれもふと目線を上げて視界に入った光景に、急速に萎んでいってしまう。思わずびくりと、肩が跳ねたほどだった。
カラ松の脳裏に、いつか見た夜中の光景が蘇る。いや、嘘だ。いつか、だなんて曖昧な記憶では無い。いつ、どの時間に、何を見たのか、カラ松ははっきりと覚えていて、そしていつでも思い出せた。だってその記憶は、それまでのカラ松の価値観を大きく塗り替えた瞬間だったからだ。あの、訳が分からぬまま父と母に心中で懺悔した、家族で宅飲みした夜。気まぐれに撫でた頭の下に見た、兄のあの蕩けるような、何よりも柔らかな笑顔を。実の兄を初めて、可愛いな、と心から思った瞬間だったのだから。
あの時の、完全に無防備なものではなかったが。カラ松がフォークを口に含み、顔を離す瞬間に見た、ほんの一瞬だけの笑顔が、あの時の表情に似ていた気がしたのだ。つまりは、幸せそうな笑顔である。
カラ松に食べさせてやりながら、そうやって淡く笑うおそ松。すぐにいつもの子供のような笑顔に変わってしまうが、それでも楽しげに笑う雰囲気は崩れない。そんな可愛い兄の姿に、はい、と四口目を差し出されたカラ松は。

(……トド松、ごめん)

あれほど言い聞かせてくれた末っ子に心の中で謝りながら、最早ピーマンしか刺さっていないフォークを、可愛い可愛い目の前の笑顔と共にぱくりと飲み込む事しかできなかった。





結論から言えば、カラ松がトド松と立てたおそ松を何とかして泣かせるための作戦は、その悉くを失敗に終わらせることとなった。
昼飯時の作戦に惨敗した後、「ゲームセンターで対戦ゲームしてめちゃくちゃに負かして泣かせんぞ作戦」は、逆にカラ松がぼっこぼこに負かされてしまい。
「目の前でアイスクリーム食べて羨ましがらせて泣かせちゃう作戦」は羨ましがらせる隙もないほど一瞬のうちに奪い取られ。
「きゃーっ砂埃が目に入っちゃったよーえーん><作戦」はわざと砂場に誘い込んだはいいものの、案の定自分の目に砂が入って痛みにボロボロ泣いて逆に慰められてしまい。
「悪口言いまくって泣かせてやるバーカバーカ作戦」は己の日頃から鍛えているギルティな語彙力を存分に発揮して罵詈雑言を浴びせてみたものの「お前大丈夫?(頭が)」と何故か心配されてしまった。
ちなみに、玉ねぎを刻ませて無理矢理涙を流させる作戦も一度だけ考えられたが、あの前衛的すぎる料理の腕を持つ長男に台所へ立たせ包丁を握らせるリスクが高すぎる事が考慮され、あえなく没となった。おそ松の涙は見たいが、己の命を天秤にかけるほどカラ松は向こう見ずでは無かったのである。

かくして、いくつも立てた作戦は全て破られ、意気消沈となったままカラ松は前を歩く楽しそうなおそ松の後をついて歩いているのだった。橙色の空はタイムリミットを無情にもつき付けていて、二人が歩く帰路の向こうには我が家がすぐそこに待ち受けている。午前中にあの家を出たのに、何時間もかけておそ松の目の端に僅かな水分でさえ溢れさせることが出来なかった。己の無力さをこれでもかと思い知らされてしまう。

「いやー、今日は何か楽しかったなあ。何でかしこたまおごってもらったし。ありがとなーカラ松」
「フッ……礼には及ばないさ。今日はこの俺の秘密のストラテジーに協力してもらったからな。結果はともかく」
「はあ?何だそれ」

おそ松は跳ねるような足取りで機嫌よく歩いている。ああ可愛い。本来の目的は果たせなかったが、これだけ嬉しそうな可愛いおそ松の姿を一日見る事が出来たので、カラ松は自分で思っていたより落ち込んではいなかった。むしろもう「これだけ可愛いんだから無理矢理泣き顔見なくてもいいかなあ」という気分だった。トド松には悪いが、カラ松は限界だったのだ。何にって、今日一日満足に撫でる事も可愛いと褒めそやす事も出来なかった事に、だ。

「そういや、二人だけでこんな風に遊び歩く事、あんまり無かったかもな?だから余計新鮮で楽しかったのかもー」
「……そうだな。おかげで今日は、おそ松の可愛い姿が沢山見られた」
「え」

ギクリ、とおそ松の足が止まる。ちょうど家の目の前だった。日が暮れかかった時間帯、もうすでに他の兄弟は帰宅しているのか、ここからでも賑やかな話し声が聞こえる。ひきつらせた顔を振り向かせたその頭に、距離を詰めたカラ松は至福の手の平を伸ばしていた。

「おま、今日はそういやあんまり撫でてこないし平和だなって思ってた端から……!」
「訳あって今日は己を封じ込めていたからな……こんな時間までお前に触れる事が出来なくて、ギルティな俺を許してほしい……!」
「許してやるから今すぐ手を離せよ!」

夕陽に照らされた顔が、それだけではない赤い色へ瞬時に変わる。可愛い。約一日ぶりに触れた頭は、心地良い髪の質感を手の平に届けてくれる。おそ松は苦虫を噛み潰したような顔で睨み付けてくる。さっきまで上機嫌に笑っていたというのに、やっぱりこの長兄は頭を撫でられる事にまだこんなにも慣れてくれない。でもそんな真っ赤な顔が、これほどまでに可愛らしい。

「っく、駄目だ、今日一日可愛いおそ松に触れてこなかったせいで、まだ足りない……!」
「何それ怖い。今日一日の俺のどこが可愛かったっつーんだよ……」

途方に暮れたように呟いたおそ松は、頭を撫でられながらもうろうろと羞恥に潤んだ視線を彷徨わせる。照れている。可愛い。幸福ににやにやと微笑んだカラ松は、もっとよく見たいとその顔を覗き込んで、はたと気が付いた。
あれ。そういえば、こうやって恥ずかしがっているおそ松って、いつも瞳を潤ませていやしないか。少なくとも今日一番水分を湛えた目をしている。なるほど確かに、あのいつも呑気に笑っている表情を崩してしまうほど、心を揺り動かされているのだろう。カラ松がこうやって頭を撫でて、可愛い可愛いと伝えまくる時はいつもだ。恥ずかしがり屋の兄は、これが一番効くらしい。
……つまり、今が最大のチャンスなのではないか?

「おそ松!」
「っは?!なに!」
「お前は、自分が思っているより、何十倍も可愛いぞ!」
「?!」

がしっと両肩を掴んで、目を見開くおそ松に向かって、決して誇張などしていない己の本心を伝えるべくカラ松は口を開いた。即興ではあるが、本日最後の作戦だった。題して、「おそ松の可愛さを存分に伝えて嬉し恥ずかし涙を流させてやろう!作戦」だ。

「今日だってそうだ!おごりで映画館に誘った時に浮かべた笑顔が可愛い!名犬ポチかっこよかったって感想を話す楽しそうな顔が可愛い!俺にピーマンをさりげなくかつしっかりと押し付けてくるお茶目な所も可愛い!ゲームセンターで俺を完膚なきまでに叩きのめした時の得意そうに鼻の下擦る仕草が可愛い!アイスクリームを子供のように一生懸命に舐める姿が可愛い!目の中に砂が入って痛がる俺を心配する柔らかい表情が可愛い!俺がイケてる悪口を言ってしまった時の戸惑いながらも笑ってくれた優しさが可愛い!何回撫でられても怒ったように照れるのが可愛い!俺が可愛いって真実を伝えるごとにどんどん赤みを増すその頬が可愛い!ゆでだこみたいになったおそ松が可愛い!照れ屋なおそ松が可愛い!可愛い!おそ松が可愛い!ほら、な!お前は可愛いんだ、おそ松!もっと自信を持って、俺に可愛がられてくれ!」

途中で逃げられないように、一息で言い切った。これはおそ松の涙を見るための作戦でもあったが、言葉はカラ松の本音だけで構成されていた。今日溜め込んでいた分を一気にぶちまけたようなものだ。本気で思っている事しか話していない事を、この弟の事に関しては妙に聡い長男はしっかりと理解してくれるだろう。その証拠に、おそ松は零れんばかりに目を見開いたまま、カラ松を見つめて固まっている。顔色はもちろん、今まさに沈みかけている夕陽に負けないぐらいの真紅だ。大丈夫かなと見ている方が心配になるほど真っ赤に染まっている。ぜえぜえ、と軽く肩で息をしたカラ松は、そのままおそ松が行動を起こすのを待った。目の前の瞳は、まるで今にも零れ落ちてしまいそうなほど潤んでいる。
さあ、泣いてくれ。恥ずかしがって泣いてくれ。本当は恥ずかしがる必要がないほどお前は可愛いんだけれども、今だけはその羞恥心に泣いてくれ。
カラ松は祈るような気持ちでじっとおそ松を見つめた。このまま涙を流してくれることが第一希望ではあるが、もしかしたら恥ずかしさが限界突破していつも通り拳や足が飛んでくるかもしれない、と身を固くしてそれも待った。とにかくおそ松が行動を起こしてくれなければ、カラ松も延々と動けないままだ。硬直する兄から飛び出すのは罵声か、暴力か、涙か。必死にその肩を掴んだまま、カラ松は待った。
その時ふと、おそ松の瞳が揺れ動いた。一瞬の事だった。すぐに顔を俯かせてしまったので確認は出来なかったが、確かにびっくりして固まったままの表情が僅かに動いた。残念ながらカラ松の望んだ泣き顔ではなかったが、しかし、それに近い顔をしたような気がしたのだ。

「おそ松……?」

カラ松は戸惑いながらも名を呼んだ。だって今、本当に、泣きそうな顔をしていたような気がしたのだ。……まるで、痛みを耐えるような、悲痛な表情で。

「カラ松ぅ、お前さあ……」

ぽつり、と零れ落ちたおそ松の声は。先ほど見た幻のような儚い顔とはまったく結びつかない、柔らかい兄の声だった。

「どこでどう間違ったか知らないけど、それ、勘違いだから」
「……へっ?」

予想もしていなかった言葉に、カラ松がぱちぱちと瞬く。ぱっと顔を上げて見つめてきたおそ松は、そんなカラ松の様子に笑ってみせた。にっと歯を見せて、仕方ない奴だなあとカラ松を笑っていた。

「よく考えてみ?普通ないでしょ、おんなじ顔がおんなじ顔に、可愛いって!お前昔っから思い込んだら一直線のカラカラ空っぽだからなあ、お兄ちゃんへの尊敬とか親愛をどこでどう捻じ曲げちゃったんだか、この愚弟君は!」
「え、あ、お、おそ松っ?」

がしがしと強い力で頭を撫でられて、カラ松は目を白黒させた。最近は自分がおそ松を撫でまくっていたので、こうして撫でられるのは久しぶりの事のような気がする。兄の手は、やはり撫で上手だった。抑え込むような力を込められていても、温かさと優しさでその身を包んでくれる。戸惑いながらも見上げたその顔は、くしゃりと微笑んでいた。
ああ、おそ松の顔だ。昔から、この頭を撫でてくれる時はこうやって愛おしそうに笑って、幸せそうに撫でてくれた。今はその顔が、どこか辛そうにも見えてしまう。

「……まあ、今日は俺もはしゃぎすぎた。それがお前の目には変な風に映っちまってたって事だな、ごめんな。はー、このカリスマレジェンドの笑顔は実の弟まで魅了しちまったかー。俺の方がお前よりずっとギルドガイってやつじゃね?なーんちゃって」

ぱっと撫でていた手を離したおそ松は、でへへと笑いながら鼻を擦る。大好きで可愛いおそ松の笑顔が目の前にあって、しかしカラ松は不安になった。どうしてこんなにも胸の内がザワザワするのか自分でも良くわかないままに、焦りのようなものが喉を塞いで言葉が出てこない。とにかく伝えたかった言葉は、「違う」だ。この溢れ出る可愛いという焦げ付くような想いが、勘違いなはずがない。しかしそうして弁解する暇もないまま、おそ松はさっさと足を進めて玄関を開けてしまった。

「たっだいまー!ほら、カラ松も早く入ろうぜ。今日はいっぱい動いて疲れたなー」
「……あ、ああ」

結局何も言う事が出来ないまま、カラ松はおそ松の後に続いて我が家へと帰りついた。居間に集まっていた弟たちのおかえりに出迎えられながら、結局おそ松の涙を見る事が出来なかった現実に、重い重い溜息を吐いた。





そんな事の顛末を、翌日二人きりの六つ子部屋でトド松に報告したカラ松は、ソファの上から盛大なジト目を受ける事となった。

「はあ、やっぱりヘタレ松兄さんじゃ駄目だったかあ。ま、あんな適当な作戦でおそ松兄さんを簡単に泣かせられるとは僕も思ってなかったけどさ」
「へ、へた……?」
「でもその話の通りだとすると、一番最後のが惜しかった気がするよね。逆に褒めすぎて、恥ずかしさが吹っ飛んじゃったんじゃない?」
「そうだろうか……」

カラ松は床に座り込んでしゅんと項垂れる。トド松には簡単な成り行きだけを説明していたので、最後のおそ松の何とも言い難い言葉は省略してあった。勘違い、というあの時のおそ松の声が、未だカラ松の脳内でぐるぐると渦巻いている。そんなはずはないと声を大にして言える。しかし言葉を紡いだあの時のおそ松の表情が引っ掛かる。あの時、兄は一体どんな気持ちでカラ松を諭そうとしていたのだろう。
思い悩む頭に、トド松の言葉は突然するりと入り込んできた。

「でもさ、カラ松兄さんの趣味ってほんと分かんないよね。あんなクズ長男の一体どこに惚れたっていうのさ」
「………。ん?」

思考の海から、カラ松は数秒の時を掛けて戻ってきた。今のトド松の言葉が一発では理解出来なくて、瞬きを繰り返して何度も自分の中で反芻させる。
でもさ、カラ松兄さんの趣味ってほんと分かんないよね。あんなクズ長男の一体どこに惚れたっていうのさ。
あんなクズ長男の一体どこに惚れたっていうのさ。
長男の一体どこに惚れた。
惚れた。
惚れた?

「えっ?」
「えっ?」

カラ松が疑問に思って聞き返せば、トド松も首を傾げて聞き返す。え?あれ?

「惚れた?」
「うん」
「俺が?」
「そう」
「誰に?」
「え、おそ松兄さん」
「何故?」
「えっ?」

カラ松は驚いていたが、トド松はもっと驚いた顔をしていた。しばらく二人で驚愕の表情を見合わせる。固まっていたトド松は、いやいやと手と首を横に振ってみせた。

「だって、カラ松兄さん、あれだけおそ松兄さんに可愛い可愛い言いまくってたじゃない」
「ああ、だって可愛いからな」
「え、それって、おそ松兄さんにどういう訳か惚れちゃったからじゃないの?」
「えっ?」
「いや、えっ?って言いたいのは僕の方だから。えっ?じゃあ何であれだけおそ松兄さんにだけ、可愛い可愛い言いまくって頭撫でてたの?」

混乱しているらしいトド松に、こちらも混乱しながらカラ松が説明した。

「それは、だって、今までおそ松兄さんが可愛いだなんて思ったことがなかったから、あの人実はあんなに可愛かったんだと思って、今まで言えなかった分撫でてこなかった分を取り戻そうかと思ってな。単純にもっと可愛い姿が見たいと思ったし。それに、何も可愛いのはおそ松兄さんだけじゃない。俺の弟たちはトド松も含めて、皆可愛いだろう?」
「え、ええー……」

何故かトド松が引いている。パチンとウインクしてみせたカラ松は、どうして弟が顔と体をひきつらせているのかが分からなかった。全部正直な気持ちなのに。

「ま、まあ僕が可愛いのは全世界共通の認識だからいいよ。でもさ、じゃあ何でおそ松兄さんにばっかり行動起こしてんの?例えば僕とか四六時中可愛いけど、カラ松兄さんにあんなにデレデレと可愛いって言われた事も無いししつこく頭を撫でられた事も無いよ?何でおそ松兄さんだけ特別なの?その辺考えた事ある?」

恐る恐る、どうしてか心配する様子さえ滲ませて、トド松は尋ねた。さりげなく自分を上げまくっているのがこの末っ子らしい。対するカラ松は首を傾げたまま、事も無げに答えた。

「別に兄さんだけ特別扱いしていたつもりはないが」
「嘘だろカラ松」

かなり久しぶりに呼び捨てされた。ちょっぴり嬉しいカラ松だったが、トド松はそれどころじゃないほどの切羽詰まった顔をしていたので、言葉に出すことはしなかった。あれで特別扱いしているつもりがなかった、だと……?と呆然と呟くその顔に頷く。カラ松としては本当に、そんなつもりはなかった。

「そうだな、今まで可愛い弟ばかり贔屓していた自覚はあるから、最近その可愛さに目覚めたばかりの兄貴に対しては、意識して伝えるようにはしていたかな。そもそも俺は嘘のつけないホーネスト・ガイ……可愛いと思った瞬間に、その真実を伝えなければ気のすまない正直者なのさ……」
「いやだから……つまりそれだけ毎日おそ松兄さんの事可愛いって本気で思ってたって事でしょ……その可愛い弟そっちのけでさ……つまりそれってどういう意味か分かって……ないんだろうなあ……ちょっとほんと信じられないこの鈍感松……」

ソファの背もたれに脱力した体を預けて、トド松が天井を仰ぐ。どうして末弟がブツブツ呟きながらここまで疲れた顔をしているのか分からなくて、カラ松は慌てて傍に寄って、その頭を労わるように撫でた。最近連日撫で続けていたおそ松の頭とは似ているようで違う撫で心地。やはり六つ子と言えど全てが同じとは限らないのだと、周知の事実を改めて感じて自然と笑みが浮かんでくる。トド松もどこか照れくさそうにカラ松を見てきた。

「もー、いきなり何?」
「お前が何故だか疲れた顔をしていたみたいだから。フッ、どうだ、おそ松兄さんで鍛えたこの俺のクレバーな撫で心地は」
「まあ確かに、悪くは無いかな……おそ松兄さんには敵わないけど」
「それは、同感だ」

俺もまだまだだな、と更なる精進を決意していると、突然部屋のふすまが音を立てて開いた。びっくりして二人でそちらを見ると、大きな口が笑っている顔と出会った。外から早々と帰ってきたらしい十四松だった。

「ただいマッスル!あれ!カラ松兄さん、今日はトド松と撫で撫でイチャイチャっすか!」
「おかえり十四松兄さん。イチャイチャとかやめて、反吐が出るから」
「十四松おかえ……えっ」
「兄さん兄さん!おれも撫で撫でおなしゃーっす!」

しゃっと素早い動きで足元にやってきた十四松が、期待した瞳でカラ松を見上げてくる。素直に甘えてくる弟は可愛いものだ。もちろん、と頷いたカラ松は、トド松から手を離して今度は十四松の頭を撫でてやる。途端に十四松は嬉しそうに笑い声をあげた。

「わはー!きもちいー!ありがとうございマッスル兄さん!」
「ん、そうか。愛する弟に喜んでもらえて、俺も嬉しいよ」

にこにこと微笑み合う。基本的に十四松に甘いトド松も微笑ましそうにその光景を見つめている。温かな空間だった。撫でられて満足げな十四松は、そんな中、じっとカラ松の事を見つめてきた。ん?と首を傾げて尋ねれば、にぱっと満面の笑みを返される。

「やっぱりカラ松兄さんは、おそ松兄さんの事が大好きなんだね!」
「……へっ?」

カラ松の撫でていた腕が思わず止まる。何故、どうして今ここでおそ松の名前が出てくるのか。十四松は真っ直ぐカラ松を見据えたまま、笑顔で答えてくれた。

「だって、カラ松兄さん、おそ松兄さんを撫でてる時が一番幸せそう!」

そんな事は無い、と答えたかった。だってカラ松としては、本当に兄弟を平等に、愛しているつもりだったから。確かに最近はおそ松の可愛さに一番やられていたかもしれないが、それでも優位を付けたつもりは……あれ?

「一番幸せそうだし、明らかに顔も雰囲気も違うよねえ。ね、十四松兄さん」
「うん!そう!さっきトド松を撫でてた時も、おれを撫でてくれた時も、全然違う顔してた!おれたちを撫でてくれてる時も、兄さんやさしー顔してるけど、おそ松兄さん撫でてる時は、めちゃくちゃ好きーって顔してるもん!」

トド松が怪しい笑い顔で便乗してくる。十四松の言葉は真っ直ぐで裏表がない。え、え、とカラ松は混乱してろくな言葉が紡げなかった。その目の前に、トド松のスマホがずいっと突きつけられる。

「信じられないって言うならこれ見てよ。僕さ、照れるおそ松兄さんが面白くて前に写真撮ってたんだ。ほら、これ」

そこに写っていたのは、撫でられるおそ松と撫でるカラ松だった。いつの間に撮られていたのか、どうやら家の中であるらしい。カラ松に撫でられるおそ松は、カラ松がいつも見る紅潮した可愛い照れ顔。そしておそ松を撫でるカラ松のその顔は……。

「……えっ」

初めて客観的に見た己の顔は、傍から見ていて恥ずかしくなるぐらい……確かに、幸せそうだった。瞳を細めて、自分の中の愛しさをこれでもかと詰め込んだような蕩けた顔で、にこにことおそ松を見つめながら、目の前の頭に手を置いている。動画では無かったが、その手がどれほど柔らかくその頭に触れているか、画面越しに伝わってくるような気がした。もちろん今しがた、弟たちを撫でていた自分が浮かべていた表情とはまったく違うものであると、鏡を見なくてもよく分かった。

「……これ、俺か……?」
「いや、どう見てもカラ松兄さん以外ないでしょ」
「おーっいつものカラ松兄さんの顔!やっぱり幸せそうっすなー」

一緒に覗き込んできた十四松も太鼓判を押す。カラ松は呆然としたまま、改めてスマホの中に写り込む自分の姿を見つめる。
いくら見ても、おそ松を撫でている自分は幸せそうだ。愛しそうに顔を赤く染めるおそ松を見つめて、だらしなく笑っている。こんな顔の自分を見たのは初めてだった。いくら鏡を覗いても、いくら写真を撮られても、今までこんな顔をしている姿を見た事は無い。己の人生初めての事だった。そう言えば、おそ松の事をこうやって毎日のように撫でているのも、そもそも可愛いと思い始めた事も、つい最近の出来事だ。カラ松のこの顔はつまり、おそ松を撫でる事によって引き出されたものなのだ。
……こんな、幸福そうな笑顔が?

「……お、俺は……」

自然と体が震える。頭に思い浮かぶのは、今まで見てきたおそ松の可愛い姿たち。走馬灯のように次々と蘇るその顔を一つ一つ思い出すたびに、心の中に生まれるのは炎のような熱い「可愛い」という想いだけだ。可愛い。おそ松が可愛い。ついでに他の兄弟たちの顔も思い出してみるが、目の前でにこにこにやにや笑っている弟たちを見てみるが、焼け付くような情熱的な想いは沸き上がってこない。確かに可愛いけれども、違う「可愛い」だ。胸の内にぽっと穏やかに灯るような、温かな家族愛だけだ。しかしおそ松を思い出した時だけ、その炎はカラ松を内側から焼き尽くそうとしてくる。こんな、こんな熱は、家族に向けるものではない。混乱の極みに叩き落された頭でも、それだけは分かった。
他の家族に向ける「可愛い」と、おそ松にだけ向ける「可愛い」の違いを今、カラ松ははっきりと認識した。
それでは一体、これは何だ。
おそ松だけに向けられるこの熱は。この「可愛い」は。一体何だ。
これは。

「俺は……おそ松が……?」

家族へ向けるものではないこの熱に、想いに付ける名前を、必死に考える。おそらくカラ松は、少し間違えてしまっている。おそ松に向ける新しい「可愛い」と、その他の愛しいものに向ける今まで使ってきた「可愛い」が別物であるのならば、新しい「可愛い」はきっと、本当は別の名前を持つべきなのだ。カラ松は多分今まで持った事のないその「可愛い」が、本来の「可愛い」にとても良く似ていたため、仮にずっと「可愛い」を使ってきた。間違いに気付いた今、それは正されるべきだ。
それではこれは。「可愛い」の本当の姿とは。先ほどのトド松の言葉と、十四松の言葉がぽつぽつと浮かび上がる。頭の中のおそ松に重なる。初めてこの熱を覚えたあの夜。初めて触れた兄の頭に、蕩けるような初めての笑顔。初めて生まれた、「可愛い」という想い。この「可愛い」が、この熱が、もし、弟たちの言う通りのものであったのだとしたら。
あの瞬間。

「おそ松の事が………、「好き」?」

カラ松は、実の兄であるおそ松に「惚れた」のだ。間違いなく。




ボン、と音を立てて、一気に赤く染まる次男の顔。言葉も出てこないほどの大混乱に陥ったらしいその顔は、まるで今にもキャパオーバーで泣きだしそうだ。あわあわと定まらない視線でじたばた暴れ出したと思ったら、そのまま床に倒れてぷしゅーと湯気を立ち上らせながら、うつ伏せに沈み込んでしまう。情けないその姿に、五男と末弟は顔を見合わせて、呆れたように肩を竦めてみせる。

「うわあ、ほんっとに自分で気付いてなかったんだ。引くわー、そのあまりのニブさに引くわー」
「カラ松兄さん、どー見たっておそ松兄さんの事、大好きすぎたのにねー」
「ねー」

頭上から聞こえる弟たちの声に、いっぱいいっぱいのカラ松はウウッと身を震わせることしか出来ない。自覚して、頭が沸騰したように熱くなって、何も考えられないぐらい空っぽになってしまった脳裏に、唯一思い浮かぶのが件の愛しい長男の顔だけなのだから、最早自分でも呆れ果てるしかない。これだけ魂に刻まれるほど惹かれていたというのに、どうして今まで気付かなかったのだろうか。気付いてしまった今は、浮かび上がるあの照れた顔に気が狂うほどの愛しさしか込み上がってこない。

「ただいまー。よお、お前ら集まって一体何し……うわ、何、カラ松どしたの?打ち上げられた死にかけの魚みたいにピクピクしてるよ?」
「あ、おそ松にーさん!」
「おそ松兄さんおかえりー。何でも無いよ、ただニブ松兄さんがようやく周回遅れのスタートラインに立った所なだけだから」
「はあ?」

がらりとふすまが開く音、耳の中にころりと入り込んできた愛しい声。それらに反応して顔を上げれば、トド松と十四松と会話する輝かんばかりの笑顔があった。いや、多分、輝いて見えるのは自分の瞳だけなのだと、ようやくカラ松は理解した。
弟たちと楽しそうに話すその顔も、視線に気づいてこちらに目を合わせてきた瞳も、おーい大丈夫かーとひらひら手の平を振ってみせるその仕草も。全てが眩しく輝いて仕方がない。
ああ。カラ松は顔を覆って、彼にとっての目の毒から逃げた。完敗して認めるしかなかった。
この期に及んで、カラ松の心が、魂が叫んでいるのだから、仕方がないだろう。

おそ松がどうしようもなく、可愛いのだ。






「あーあ……何でか知らねえけど、自覚しちまったのかあ、あいつ」

大騒ぎする弟たちを眺めながら、誰にも聞こえない小さな声が、ぽつりと零れ落ちる。
可哀想に、と。

「ごめんなあ、カラ松」

もっと早く、俺が突き放してやるべきだったのに、と。

誰にも拾われなかったその声は、寂しく床を転がって、部屋の隅に固まって、そして消えた。






16/02/21



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