焔の名を持つ者たち
聖なる焔の光。それがある一つの命の定められた名というならば。
その命はきっと、焔の中から生まれたのだろう。
世界一尊く、美しく、何よりも強く輝く光なのだろう。
紛い物がその光に勝る事など、あるはずがないのだ。
その日の夜は、何故だか目が冴えていた。しばらくベッドに横になってごろごろと転がっていたルークだったが、やがてそのまま寝付くのを諦めて上半身を起こす。こんなに眠れない夜は久しぶりだった。最近は何も考えず、寝床に入った途端ぐっすりと眠れていたのに。おそらく寝る直前までつらつらと考え事をしていたりするせいだろう。
そういえば、かつてもまたなかなか眠れない事があったような気がする。寝つきが悪いというレベルではなく、眠れば必ず悪夢にうなされ飛び起きるほどの事が、昔あったはずだった。その悪夢が何だったのか、どうしてそこまで頻繁にうなされる様になったのか、それらはさっぱり思い出すことが出来ない。
「……また、だ」
暗闇に包まれる自室で、ルークはぽつりと呟く。また、思い出せない。これこそがルークの寝つきを悪くしている最大の原因だった。
最近頻繁に陥るようになったこの感覚。現在の状況と、持っている記憶が矛盾して、どうしてそうなったかを思い出そうとするたびにこんな気持ちになる。頭の中には確かに存在しているはずの記憶を思い出そうとすればするほど、たちまち霞の中に消えてしまうのだった。ルークはベッドの上に座り込んだまま、悔しそうに拳を握りしめる。それは、まるで自分の頭が思い出すことを拒否しているような感覚だった。思い出したいのに、思い出したくない。己が身体の中で二つに分かれてバラバラに動いているかのようだ。
一度、今ある昔の記憶はまったくの偽物で、実は何も持っていないのではないかと考えたりもした。しかしすぐにそれは違うと思い直す事となる。「実は記憶なんて最初から無かった」事は、すでに体験していたからだ。あの時と今の感覚はまったく違うものであると直感で分かっていた。
では、それを体験したのはいつだったかというと……それも、思い出せないのだった。
「あーくそっ!何なんだよ、一体!」
自分以外誰もいない部屋で思わず愚痴をこぼすのも仕方がない事だった。むしろこんな奇妙な感覚、誰に話しても理解してもらえないだろう。長く重い溜息を吐いたルークは、気分を変えるためにベッドから降り、窓から中庭を覗き込んだ。月明かりか星の光か、外は室内よりも明るくぼんやりと全体が見通せた。
今にも蕾を開かせそうな花々が並ぶ花壇を眺めていると、ふと視界に引っかかる色を見つけた。すべての色が闇に溶ける真夜中に一体何が、と視線を彷徨わせたルークはやがて、ある一点を見つめる。
「猫……」
思わずルークが呟いた通り、その色は猫の形をしていた。闇夜でもはっきりと分かる焔色。中庭の片隅で座り込み、じっと花壇を見つめているようだった。目つきが悪いので睨んでいるように見えるが、どちらかと言えばその様子は何かを待っているように思えた。一丁前に花が咲くのを待っているのだろうか。猫のくせに。
「……あいつ、一晩中あそこにいるのかな……」
赤い猫の寝床は知らない。しかしあの猫を見つけるのは大抵、中庭の隅っこだった。部屋の中で姿を見つける事があっても、まるで隠れるように端の方で丸まっている事が多い。勝手に屋敷内に入り込んだくせに、遠慮でもしているというのか。いやあの目つきの悪さも相まって、許されていない場所に仕方なく隅の方で居座っているようにも見える。
『認められないんだ』
ふいに頭の中でこだましたのは、この間の自分の声。ジェイドに猫の事をどう思うか聞かれ、出来る限り素直に発したのがその言葉だった。音にすればしっくりきたその感情は、変わることなくルークの中でくすぶっている。猫を見かける度に付きまとう、亡霊のような感情だった。
何とも言えない気持ちで猫を見つめていたルークは、しばらくしてもう一つの色を見つけた。いつからこの中庭に存在していたのか、猫に近づいてきたおかげで今ようやく気が付いた。猫よりも何故先に気付かなかったのだろうと、ルークは目を疑う。
「アッシュ?」
見間違えようもない。夜風に真っ直ぐ伸びる長い赤髪をなびかせ、中庭を歩くのはアッシュだった。手元に剣ではなく何か道具を持っているようだが、ここからでは判別がつかない。中庭をちょうど去る所だったようで、赤い猫の前を横切る所でルークはその赤に気付く事が出来た。一回視界に入れてしまえば、アッシュの色は他の何よりもルークの瞳に鮮烈に映り込んでくる。
「アッシュはまるで、本物の炎みたいだな」
距離はあるが、こうしてじっくりその姿を見るのは初めてではないだろうか。ほのかな光に照らされる中庭では、アッシュもまるで自ら光り輝いているかのように見えた。足元にいる赤い猫の色も見事なものだが、ルークにはアッシュの混じりっ気のない純粋な赤い髪の色が、この世で一番美しい色だと思った。
「聖なる焔の光、か……」
預言に読まれた名。まさにアッシュはこの名のために生まれてきたのだ。預言などもう関係のない世界ではあるが、例え最初から読まれていなくともアッシュ以外にこの名が似合う人間など存在しなかっただろうと、ルークは割と本気で思っている。それなのにルークに「ルーク」を渡したまま、自分は「灰」と名乗ったままなんてもったいない、とも。
そこでルークは、何か大事な事を思い出しかけた。しかしいつもの思い出せそうで思い出せないもどかしい感情が訪れるより前に、それら全てを忘れさせるような光景が目の前につき付けられる事となる。
「……えっ?」
呆然とした声を上げたルークの視線の先には、アッシュと猫がいた。このまま猫の前を通り過ぎるかと思われたアッシュが、ふと足を止めたのだった。猫は警戒するようにアッシュを見上げるが、その場から逃げ出すことは無い。こちらに背を向けているアッシュが今どんな表情をしているのか、それは分からなかったが。
何やら荷物を持つ片手はそのまま、開いていた右手をアッシュが下に伸ばす。それは一瞬の出来事だった。わずかに身をかがめたアッシュは、その指先を朱色と金が混じるふさふさの頭にそっと、触れさせた。少し離れるルークの位置からはよく見えない。だが確かに今、猫の頭に触れたアッシュは、その頭を撫でたようだった。
そう、理解した瞬間。胸の内を穿った強烈すぎるこの感情は。
「……っ!」
息を飲んだルークは窓から一歩後ずさる。アッシュの行為は本当に一瞬で、ルークが瞬きをしている間にさっさと歩き出し、中庭から姿を消してしまった。後に残されたのは目を細めた猫と、室内から全てを見ていたルークだけ。猫は慣れたように耳をぴくりと動かしただけで、最後まで動き出すことは無かった。ああもしかして、今のは初めての事ではないのかもしれないと、真っ白になる頭でうっすらと考える。
自分でも驚くほどの衝撃を受けたルークは、そのままふらふらと後ずさり、ベッドに背中から倒れこんでいた。見上げた天井は真っ暗闇の中、いつもの姿を崩さない。それでもルークの動揺は、しばらく収まりそうになかった。
「……どう、して」
空気が漏れるように呟かれた独り言は、あまりにも細く小さかった。
「どうして……アッシュまで」
ルークは訳が分からなかった。アッシュまでもがあの見知らぬ猫を可愛がる仕草を見せた事。その事に未だ信じられないような気持ちで、過剰なまでのショックを受けている自分。嫉妬にも似た嫌悪の感情。そして。
今、初めて自覚した、新たな気持ち。ずっと気が付いていなくて、でも最初から抱いていたのであろうその感情が、ルークを余計に混乱させる。
「どうして、どうして俺は……!」
あの猫が撫でられた瞬間、息が詰まるほどの喜びを感じたのだろう。
訪れた朝は快晴だった。まるでルークの気持ちと反比例しているような心地だった。
昨日の夜はあのままほとんど眠れなかったルークは、欠伸を噛み殺しながらある一つの決意を胸に灯していた。寝不足の頭で考えた、ほぼやけくそな決意である。今はその決意をさっそく実行するために、とある生き物を探している所だった。
中庭に立ち、ちょっと物騒な目つきで端から端まで歩いて探せば、その姿はすぐに見つかる。思った通り、日の光から隠れるように丸まっていたのは昨夜も見たあの赤い猫であった。ルークが近づけば、じろりと睨み付けてくる。少し距離を取って立ち止まり、ルークもまるで挑むように猫を睨んだ。一人と一匹の間に、見えない火花が散る。今までは猫からなるべく目を逸らしてきたルークの、確かな決意の表れでもあった。
皆があの猫を可愛がるのならば。自分も、ちょっと撫でてみようかな、と。
「い、いいか!お試しでただほんの少し撫でてやるだけなんだからな!俺は他の奴みたいに猫かわいがりなんてしてやんねえんだから、その辺よーく覚えておけよ!」
まるで今から勝負を挑むかのような勇ましい事を言いながら、しかしその体勢はどこか怯えるようにへっぴり腰になっている。どうして猫一匹を撫でるのにここまでビビらなければならないのだと自分に情けなくなるが、多大な勇気を必要とするのだけは間違いない。何故だかルークは、この赤い猫に触れる事が怖かった。
確かにこの猫があまり愛想が良くない事も逃げて暴れる事も知っているが、この恐ろしさはそれだけではない。この猫の何が恐ろしいのか、ルークにも分からなかった。触ってみれば、何か分かるかもしれない。自然と手に汗を握る。腕を振って軽く準備運動をしてから、とうとうルークは左手を伸ばした。
少し屈んで、猫と睨み合いながら、その頭へ手の平を近づけていく。ごくりと喉が鳴る。指先が細かに震える。花が咲き誇る寸前の中庭は今、緊張に満ち満ちていた。ルークも猫も目を逸らさない。同じ色の瞳が互いを映しあう中、ゆっくりと空中を移動したルークの手が、赤色と金色に輝く猫の頭に触れる、その寸前。
「シャーッ!」
「っ?!」
突然、猫が牙を剥いた。座り込んでいた体勢から一瞬のうちに立ち上がり、毛を逆立ててルークを威嚇する。とっさに腕をひっこめたルークは呆然と猫を見つめた。何故今、猫はこんなにも怒った様子なのだろう。まだ触れてもいないのに。……触れるな、という事か。
「……何だよ」
呆けた後にふつふつと沸きあがってきたのは、怒りだった。
理不尽だと思った。猫は普段から嫌がるそぶりは見せるが、何だかんだ言って結局は寄ってくる皆に撫でる事を許してきた。特に、昨晩見た光景がルークの頭の中によぎる。今と同じような状況でこいつは、アッシュには逃げも嫌がりもせずに撫でさせたくせに。
「どうして、俺だとそんなに嫌がるんだよ!」
怒ったルークはそう怒鳴るが、猫の怒りも負けてはいないようだった。全身でルークを威嚇しながら、拒絶の意を表している。何がそんなに不満なのか。あれだけ勇気を振り絞ってここまで来たのにと、ルークはさらに憤る。猫相手に滑稽だと頭のどこかで思いながらも、止まらなかった。
「んだよ!俺がそんなに嫌いってか!俺だってな、お前の事なんて!」
嫌いだ。
そう、勢いのまま口にしようと思ったのに。ルークの言葉はそこでぴたりと止まってしまった。あちらがあれだけ嫌っているのだ、こちらだって同じ感情を返すのは簡単な事だと、思ったのに。一度口を閉じて改めて嫌いだと言おうとしても、どうしても言葉が止まってしまう。ルークはひどく困惑していた。
……本当は何となく、その訳を察していた。以前ジェイドに言った通りだ。嫌いという訳では無い、ただ「認められない」のだと。嫌いだなんて言ったら嘘になってしまう。だから体が言いたがらないのかもしれない、と。そう思った。
猫はまだルークを睨み、牙を剥いて威嚇している。混乱しながらもルークは、肩を落として呟いた。
「……どうして、俺には撫でさせてくれないんだよ……」
今のルークの不調は全てこの猫が現れてから起こっている気がする。だからこそ一度でも触れれば、何かが分かるかもしれないと思ったのに。ルークはうなだれた。
「……そっちが先に、捨てたんだろ」
それは、ルークの声だった。しかしルークが発した声ではなかった。地面に落としていた視線を跳ね上げる。合った目は猫のものではなかった。同じ色の、人間のものであった。
ルークは一瞬鏡を連想する。目の前にいきなりルークがすっぽり入るほどの大きな鏡が現れたのだ。そう考えた方が自然に思えるほど、唐突に表れた人物はルークそのものだった。ルークの目の前に「ルーク」が立っている。ルークと違う点を挙げるとするならば、昔のルークと同じように長く髪を伸ばしている事と、驚いているルークとは対象的にまるで憎むようにきつくこちらを睨み付けている事、それぐらいだ。
「そっちが先に、俺の事を嫌ったくせに」
目の前の「ルーク」の唇が動き、言葉を発したのを確認して、ようやくルークは今自分の前にあるのが鏡ではない事を理解した。ルークが言葉を失う間に、「ルーク」はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺の事を捨てて、無かったことにしたくせに……今更、触ろうとすんじゃねえよ!」
それは、悲鳴のような叫びだった。思わず一歩後ずさったルークの目の前から、「ルーク」が駆けていく。制止する事も、声すら掛けられず、ルークはただその姿を見送る事しかできなかった。「ルーク」が立ち去った後には、猫の影も形も見当たらなかった。
「ルーク」が立っていた場所、「ルーク」が立ち去った方向、それらを視線だけで追いながら、ルークはしばらくその場から動くことが出来ずに呆然と立ち尽くす。何も考えられない。何も思い浮かばない。己の身に起こった出来事に理解が及ばない。やがて崩れ落ちるように座り込んだルークは、膝を抱えて瞼をギュッと瞑った。
「何なんだよ……今のは一体……」
考えられないくせに、脳内は先ほどの光景を繰り返しルークに見せてくる。頭の中は混乱でぐるぐる回っていて、つられて目まで回してしまいそうだ。喉の奥からこみあげてくる衝動を飲み込んで、ルークは自分の膝の中に顔をうずめる。
「あの猫は一体、「誰」だったんだよ……!」
答える声は、無かった。
どれだけの間、そうしてうずくまっていただろうか。ふと顔を上げると、辺りはすっかり暗くなっていた。明かりはひとつも無く、空からの星の光のみがこの中庭を照らしている。いつの間に夜になっていたのだろうか。時間が移り変わる間ずっとここにうずくまっていた事になる。その間、誰もここを通らなかったのだろうか。
ルークは座り込んだまま、ぼんやりと辺りを見回す。頼りになるのは星明りだけだというのに、やけに隅々まで見渡す事が出来た。今にも咲きそうに綻んでいる花たちは、結局今日は咲かずじまいだったらしく変わらずつぼみのままだ。他には誰の何の姿も無い。ルークはたった一人でこの中庭に存在していた。
静かだった。自分のゆっくりとした呼吸の音が耳につく。聞こえる音と言えばそれだけだった。まるでこの世界に、自分ひとりだけしか存在していないような錯覚に陥る。
(……いや、もしかしたら……)
ずっと麻痺していた頭がとある一つの可能性について考えた時、ルークの耳が異質な音を拾い上げる。足音だった。中庭に足を踏み入れ、こちらへ歩み寄ってくる足音があたりに響く。ルークはゆっくりと視線を巡らせた。そうして足音の主を視界に入れて、目を見開く。
「アッシュ……」
闇夜の中、ルークの目の前に立つのはアッシュ以外の何者でもない。無愛想ないつもの表情で、何か道具を小脇に抱えてルークの目の前までやってきた。アッシュが歩みを進める度に星に照らされた空気に踊る赤い髪が、綺麗だと思った。
「アッシュ、どうしてこんな時間に、ここに……」
自分の事は棚に上げて、ルークは思わず尋ねていた。思い出すのは、昨夜の事。今と同じようにアッシュは、何かを手に持って中庭へやってきていた。他に気になる事がありすぎて考える暇も無かった今更な疑問が浮かび上がってくる。アッシュは一体、ここで何をしていたのか。
尋ねられたアッシュはふんと息を吐いて、ルークから視線を逸らした。口で答える気はないらしい、が、この場から立ち去る気配もなかった。やはりこの中庭に用事があるのだろうか。じっとアッシュの様子を観察していたルークが、持っていた道具に目をつける。昨日遠目からでははっきりと何であるか確認は出来なかったが、今ならば。
箱にまとめて入れられたそれらはルークにあまり馴染みのないものたちだったが、何に使う道具であるかはすぐに分かる。それに気づいたルークは目を丸くして、アッシュの横顔を見つめた。
「あ、アッシュ、それ」
「………」
「スコップとか、はさみとか、じょうろとか……もしかしてそれって、園芸道具って奴か?」
この道具類、おそらく間違いはないだろう。その証拠にアッシュは否定もせずに、じろりと一度横目でこちらを見つめただけだった。道具についての謎が解かれた所で、再びルークは首をかしげる。
「でもどうしてアッシュがそんな道具を?もしかして、趣味なのか?」
「……屑が、んな訳ねえだろうが。こんな面倒な事、誰が好き好んでやるものか」
「だよなー。それじゃあ、どうして……」
ふとルークはアッシュの視線を追う。中庭へ向けられる目は当然のように花壇を見ていた。ここまですくすくと成長した花たちはまだ花びらを咲かせていなくても、最初の状態からすれば奇跡の様に美しく思える。ルークはほとんど育てていないが、見事なものだと感心した。
そこで、ようやく気が付く。すぐには信じられず、ギギギとぎこちない動きで視線を戻せば、アッシュもちらりと横目で見てきた。視線で尋ねるルークに、アッシュはやはり何も答えない。しかし回線が繋がっているわけでもないのにルークの訴えを正確に把握したらしいアッシュは、一回だけふっと、息をついた。まるで肯定の意を示しているような態度に、ルークの口が開く。
「……え?ま、まさか、そんな……う、嘘だろ?これ……この花壇、まさか……アッシュが、世話してくれていたのか?!」
わなわなと震える指で差せば、人に指を差すなと叩き落される。その後腰に手をやり尊大な態度で、アッシュはケッと悪態をついた。
「どこかの屑野郎が一切世話をしやがらねえから、この俺が仕方なく世話してやってんだよ!俺とて不本意だ、こんな土いじり!」
「え、ええっ?!」
「必要だというから、仕方なくだ!ここまでようやくこぎつけられたが……肝心のお前がこの体たらくとはどういう事だ、屑が!」
「や、やっぱり俺の事?!」
わしっと胸ぐらを掴まれても、訳の分からないルークは慌てふためくだけだ。どこかイライラしたようにそんなルークを睨み付けるアッシュはしかし、ふっと表情を変える。ルークにとっては見慣れない、落ち着いた静かな表情だった。まるでこちらを見守るような冷静さに満ちた瞳からは、温かささえ感じ取れるような気がする。ルークは信じられない思いでアッシュを見返した。
「アッシュ?」
「……。いつまでお前は気が付かないつもりだ」
「えっ?」
「早く受け入れてやれ。あいつは待っているぞ。ずっと前から、ここでな」
一瞬、無言で見つめ合ってから、アッシュはルークから手を放した。そうしてそのまま踵を返して、すたすたと中庭から歩き去ってしまう。どうやらここで行おうとしていた作業を今日は諦めたようだ。取り残されたルークは再び一人で、中庭に立ち尽くす。
頭の中では今度は、アッシュに掛けられた言葉たちがぐるぐる回っている。あのアッシュが、人知れず花壇の世話をしていた張本人だったという事実と一緒に、ルークを混乱の渦に陥れる。
同時にその胸の内には、とある予感がじわじわと大きくなっていた。
「……この、世界は……」
そのどこか絶望したような呟きを聞くものは、頭上に輝く星々以外に誰もいなかった。
14/07/24
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