土の下に埋めたもの







ほんの少し昔、何かを埋めた気がする。
それが何だったのかはもう思い出せない。
でも確か、それなりに大事なものだったはずだ。
そう、例えば、今まで生きてきた自分というもの全てを捨てるような。
全てを捨てて、誰にも見つからないように隠すように。
空っぽの体で泣きじゃくりながら、埋めたような気がする。

それが何だったのかは、もう。







ルークは目を覚ました途端、昨日の事は全て夢だったのではないかと錯覚した。そう思いたくなるほど、その日の朝はいつも通り訪れた。見上げる天井も、差し込む朝日も、起こしに来るガイも、全てが今まで通りルークを取り囲む。しかしそんな願望にも似た考えはすぐ打ち崩された。まずはガイからの一言だった。


「そういやルーク、部屋の前で丸まってたあの猫はお前、知っているか?」
「……えっ?!」


昨日、クローゼットから飛び出して部屋の外へと逃げていった赤色の猫は、その後ルークが中庭を見渡しても見つける事が出来なかった。隅々まで念入りに探せばもしかしたら見つかったのかもしれないが、突然の出来事に驚いていたルークにはそこまでの気力が沸かなかった。結局探しきれないまま、今日はもう休もうと諦めたのだった。そうして眠った後の今朝だったので、もしかしたら、と思ったのだが。


「……猫、いんの?」
「ああ。珍しい赤色の猫が、お前の部屋の前で丸くなってたんだよ。毛先が金色でさ、随分と綺麗な色をしてるもんだから触ってみたかったんだが、すぐに逃げられた」
「そ、そっか……」


本当に残念そうなガイにぎこちなく頷いて、ルークは恐る恐る部屋のドアを開けて外を覗き込んでみた。少し離れた場所、中庭の花壇の横に、こちらを警戒するようにじっと見つめてくる緑のネコ目とかち合う。一瞬アッシュを思い出した。赤色の種類は違うが、身体も瞳も同じ色を持つ猫だと思った。


「あいつ、何だかアッシュに似てるな、色とか」
「え、いや?確かにそうだが、どちらかというと、」
「ん?」
「……いや、何でもない。しかし警戒心の強い猫だな、あんなに怖がらなくたっていいのになあ」


ガイはよほどあの猫が気に入ったらしく、未練たらしく猫を見つめている。ルークもつられて再び猫を見た。ガイの言う通り、確かに耳や長い尻尾の先なんかが特に、赤色が抜け落ちたような色をしている。そのグラデーションがまあ、確かに綺麗と言えなくもないが。
ルークは猫と見つめ合ううちに、無意識に眉をしかめていたらしい。隣からガイが驚いた声で話しかけてきた。


「ルーク、どうした?そんなに嫌そうな顔をして」
「え、あ?今俺、そんな顔してたか?」
「ああ、思いっきりな。アッシュの真似か?」


指摘されて戸惑うルークだが、確かに今愉快な気分ではない。何故だろうと考えてみても無意識だったので良くは分からない。
それでも心当たりがあったので、ぼそりと呟く。


「多分……」
「多分?」
「……俺、あの猫が苦手なんだと思う」


ルークの呟きが聞こえたか聞こえなかったか。ふんと顔を逸らした猫は、とっとと中庭の陰へ隠れ込んでしまった。




今まで通り何事もなくただ過ぎていくだけだったはずのルークの日常に、いきなりぽんと現れた小さな焔色の存在。それだけでも目が覚めたような心地がするルークだったが、今日はそれだけでは終わらなかった。
静かに時を刻む屋敷に、訪問者が現れたのだ。


「みゅうーっご主人様ーお久しぶりですのー!」
「うわウッザ!ブタザル……じゃなかった、ミュウ!お前まで何で来るんだよっ!」
「あら、いいじゃない。ミュウもずっとあなたに会いたがっていたし、あなたも嬉しそうだわ」


飛びついてきた青色の生き物に慌てるルークの様子を、くすくすと楽しげに笑いながら見つめる、優しい瞳。少しそよいだ風に浮かぶ栗色の髪を、ルークも照れたように笑って見つめた。
ティアが屋敷を訪れる時、たまにこうしてミュウも連れてくる。その度にうっとおしく飛びつかれるが、ルークとてティアの言う通りそれが別に心から嫌な訳では無い。ただ全力で向けられる好意が照れくさいだけだ。それがティアも分かっているので、微笑ましそうに眺めるだけだ。ここから振り回したり踏んづけたりするとたちまち怒られる事となる。


「ルーク。あなた、何かあった?」
「……えっ?」


中庭のベンチに並んで腰を下ろした途端ティアにそう言われ、ルークは一瞬反応が遅れた。頭の上にミュウを乗せたまま、目を丸くしてティアを見る。


「何で?」
「何だかいつもと違う気がしたの。あなたの雰囲気とか」
「そう、かな。自分ではまったくいつも通りなんだけど」


頬をかきながら、ルークは目を泳がせる。心当たりといったら一つしか思い当たらなかった。自分の雰囲気が変わった自覚は一切ないが、己の周辺で最近あった変わった事と言えば一つしかない。


「実はさ、昨日から変な奴がこの辺をうろついてるんだ」
「変な奴?でもここは屋敷の中よ、そんな変な人間がいればまず警備の人が捕まえるんじゃ……」
「あーいや、人じゃないんだそいつ」


そう言えばあんなに目立つ色した猫が屋敷内を駆けているというのに、警備している白光騎士団も頻繁に屋敷内を行き来しているメイドや使用人たちも噂さえしていない。ルークの知らない所で話をしている可能性もあるが、それにしたって屋敷の中は静かだった。
あの猫が巧妙に隠れているのか、それともルークにしか見えないような摩訶不思議な猫なのだろうかとすら考えた。今朝ガイが猫の話をしていなければ割と本気でそう考えたかもしれない。現実はルークだけが幻覚を見ている訳でもなく、小さなチーグルにさえ見えるような存在であった。


「……みゅっ?!ご主人様、今向こうに赤い体をした誰かがいたですの!」
「ああ、多分そいつ。何でか知らないけど、赤い猫が昨日から紛れ込んでてさ……」
「猫?」


ルークの言葉を聞いた途端、ティアの目が輝いた。この一見クールな彼女が実は可愛いものに目が無い事など、仲間内では最早常識であった。ティアは落ち着かない様子で中庭を見渡し始める。


「そ、その猫は一体どんな子なの?ミュウ、どこにいたのかしら」
「さっき、あっちの方に走っていったですの。……あっあそこですのー!」


ルークの頭からひょいと飛び降りたミュウは、意外と素早い動きで中庭を駆けていった。ティアはその後ろ姿にもキュンキュンしている。あの赤い猫も相当素早かったので、どうせ捕まらないだろうなとルークは思っていた。しかし、


「みゅみゅーっ!猫さん捕まえたですのー!」
「ミギャーッ!」
「よくやったわ、ミュウ!」
「え、マジかよ?!」


ミュウの歓声と共に猫の悲鳴のような鳴き声が聞こえて、ルークは思わず腰を浮かした。ティアなんかはガッツポーズをとって、すぐさまミュウの元へ歩き出している。慌てて後を追うと、奥の花壇の横あたりで赤い毛並みに必死にしがみつくミュウと、じたばたもがいて逃げ出そうとしている猫がすぐに見えた。まさかこうもあっさり捕まるとは。チーグルは温厚な草食動物だったはずだが、ミュウも色々あって鍛えられたという事か。
隣からほうと息を吐く音が聞こえて振り返れば、頬に手を当てたティアが恍惚とした表情で猫とミュウを見下ろしていた。


「可愛い子が、可愛い子にしがみつかれて、何て可愛いのかしら……」
「おーい、ティアー?」
「……はっ!え、えっと、こっこの猫がルークの言っていた子なのね。綺麗な赤い猫だわ……」


我に返ったティアがしゃがみ込み、そっと猫へと手を伸ばす。もがいていた猫は自分へ近づく指に気が付いて牙をむいている。ルークは慌ててティアの手を押しとどめた。


「や、やめとけよティア。こいつ絶対噛みつくかひっかくぞ」
「そうね。きっとパニックを起こしているんだわ。大丈夫よ、何もしないから……、っ!」
「ティア!」


一瞬の隙をついた猫が振り下ろした爪が、ティアの指先を引き裂く。驚いたミュウを振り落とし、しかし囲まれている為それ以上逃げる事は出来ず、猫は全身で警戒しながらその場でこちらを睨む。引っ掻かれた右手を抑えるティアに、ルークが猫を睨み返した。優しい声を掛けて手を伸ばしてくれたティアをそれでも引っ掻いて怪我を負わせた猫の事が、どうしても許せなかった。


「こいつ……!」
「ルーク」


首根っこを引っ掴んでどこかへ放り出してやると憤慨するルークを、静かな声が押し留める。ルークは思わず縋るような目でティアを見ていた。ティアの声は完全に許している声だった。いや、最初から恨んでもいない様子だったのだ。


「どうしてだよ……!こいつがいくら猫だからって、勝手に引っ掻いて良い事にはならないだろ!」
「ええ、そうね、あなたの言う通りだわ。でも大丈夫、私の傷は大したことないから、この子の傷を見てあげないと」
「傷って……こいつは傷ついてないだろ、怪我をしたのはティアだ」


どうしてティアがこうも猫を庇うのか、分からなくてルークは途方に暮れる。ティアはそんなルークに一度安心させるように微笑みかけて、再び猫へと静かに、柔らかく手を伸ばした。びくりと毛を逆立て、近づいてくる手をまじまじと見つめていた猫は……今度は、引っ掻いたり牙を剥いたりしなかった。ティアの少し傷ついた指がその頭に触れるのと、その挙動をじっと見つめていた猫の翡翠色の瞳が警戒を僅かに解くようにすっと細められたのは、ほぼ同時であった。
猫はじっと動くことなくティアの手を受け入れる。ティアは何度もお日様色の頭を撫でながら、あっけにとられるルークを見上げた。


「ほら、きっとこの子も悪いと思ったのよ。だからお詫びのつもりで撫でさせてくれてるのね」
「……ほんとかよ」
「ルーク。人を傷つける時、傷つけた方もまた傷を負うものなのよ。その人が優しければ、優しいほど」


見えない傷を労わるように、癒すようにゆっくりと撫でる手に、猫の目はどんどんと細まる。気持ちが良いのだろう。まだ完全に気を許しているわけではなさそうだが、それでも大分警戒心を解いているようだ。現金な奴、とルークは内心ふてくされた。ティアの行動も言葉もよく分からなくて、首を振る。


「……俺にはよく分かんねえよ」
「それでいいのよ、ゆっくりと分かっていけば。あなたはまだ七歳なんだもの」
「な、七歳とか言うなっ!」


子ども扱いされている事を理解し、手をばたつかせるルークにティアはくすくす笑う。様子をうかがっていたミュウも一瞬で和んだ空気にみゅうと嬉しそうに鳴き声を上げた。猫はふんと子憎たらしく鼻を鳴らしているが、動かない所を見ると居心地良く思っているようだ。何もなかったはずの中庭に今、温度のある空間が作り出されている。その光景を、ルークはどこか不思議に思いながら眺めていた。
今までティアが来てくれたことは何度かある。けれどこういう空気になったのはこれが初めてかもしれない。どうしてだろうと考えても、思い当たる節は無かった。以前と今とで変わった事と言えば、この可愛くない猫がいるという事と、後は。
その時、猫にぴったりとくっつくミュウの姿をほぼにまにまと微笑みながら眺めていたティアが、脇にふと目をやって何かに気付いた。


「……あら、これ……」
「ん?」


ティアの向ける視線をルークも辿ってみる。ティアはすぐそばにある、花壇を見ていたようだ。といっても、中は相変わらず土が残るのみで、花や緑は一つも生えていない。殺風景な見た目は相変わらずだった。
しかしティアは、明らかに驚いた様子で花壇を覗き込んでいる。何事かを尋ねる前に、驚愕の声がそれを知らせた。


「花壇が、整えられているわ」
「……へっ?」


慌ててルークも花壇に寄って覗き込んだ。よく覚えている、今までの花壇の中は色あせた土が無造作に敷き詰められるのみで、あちこちに枯れた雑草や石ころが見える明らかに退廃した姿をしていた。しかし今目の前に見えているものは、それと明らかに違う。植物の成長を妨げるものはすべて取り除かれ、綺麗な茶色の土がこんもりと詰められていたのだ。今すぐにでも何かを植えられそうな、瑞々しい姿だった。
よじ登って花壇を見下ろしたミュウが、嬉しそうに歓声を上げる。


「みゅみゅっふかふかの土ですの!チーグルの森の土みたいに綺麗ですの!これならきっとお花さんもすくすく育つですの!」
「本当ね。ルーク、これはあなたがやったの?」
「え?!いや、そんなまさか!」


花壇の手入れなんてしたことが無いのに、こんなに綺麗に整えられるわけがない。使用人の誰かか、ガイ辺りがやったとしか考えられないが、それならルークに一言断りや報告があってもよさそうなものだが。何せ今この屋敷の中で中庭に一番滞在しているのは、ルークだろうから。
不思議そうに首をかしげていたティアは、やがて納得したように頷いた。


「誰かがあなたのために、こうして綺麗に整えてくれたのね」
「俺のために?って言っても、俺だけの中庭じゃあ無いんだけど……」
「いいえ、あなたのものよ」


その声は凛と強くルークの胸に響いた。思わずティアを見ると、優しくたわんだ瞳と出会う。


「ルーク、種を植えましょう」
「……種?!」


突然の提案に目を見開く。心なしか猫もどこか驚いたように顔を上げて、ミュウは賛成だと全身で表すかのように飛び上がった。


「とても良い案ですの!きっと綺麗なお花がたくさん咲くですの!ボクも植えるですのー!」
「い、いやいや、まず種を持ってねえし」
「種ならここにあるわ」


立ち上がったティアがおもむろに両手を差し出してくる。開かれた手の平の上には確かに、何通りかの種が複数転がっていた。いつの間に用意したのだろうか。さすがに知識が無いので、この種たちだけでは一体どんな花を咲かせるのかは分からない。かといって花が咲いたとしても、名前を言い当てられる自信は無い。
急に目の前に突き付けられた出来事に頭をくらくらさせながら、ルークは力なく首を横に振る。


「俺には無理だよ、やった事なんてないし、育てられる自信もない」
「やった事がないなら、始めてみればいいのよ。最初から上手くできる人なんてほとんどいないわ。それに……あなたなら、きっと綺麗な花をたくさん咲かせられると思うの」
「……そう、かな」


ルークはたっぷりと悩んでから、おずおずと手を差し出した。開き切らないその手に、ティアから種を半分移される。すると今度は脇から、ミュウがどこからともなく持ち出したスコップを差し出してくる。


「ご主人様、はいですの!これで種を植えるですの!」
「やけに準備良いなお前ら……」


こうして、じっと監視するように猫が見つめる中、ルークとティアとミュウで花壇に種を植える事となった。難しい作業ではない、スコップで地面を掘って、出来た穴に種を一粒落として、穴を埋める。その繰り返しだ。きっとあの萎びれた花壇をここまで仕立て上げる事の方が何倍も大変だっただろう。一体そんな面倒な作業を誰がこっそりやったのだろうかと、ぼんやり考えながらルークはひたすら種を植えた。
ティアの持っていた種は、中庭を四分の一ほど埋めた時点で無くなった。広い中庭だから、これだけでも結構な量だ。ところどころぽこぽこと種が埋まっている目印の様に盛り上がっている地面を見つめながら、ルークは額の汗をぬぐう。こうして汗をかいたのは、いつ以来だろう。


「これ、本当に何か生えてくるかな」
「生えるわ、きっと」


不安そうなルークとは対照的に、ティアは種が芽吹くことを何も疑っていないかのような態度だった。ミュウも種のこれからを楽しみにするように猫の周りをぐるぐると回っている。猫は実に迷惑そうだった。今猫がミュウに猫パンチを繰り出しても、ルークは怒れそうにない。
ふと、己の左手に持ったままのスコップを見下ろす。何だかんだ言って夢中で作業に没頭していたせいか、そのスコップも左手も土で汚れていた。今更こんな泥臭い姿が嫌だなどと思う事は無い。
では、そうやって思った事があっただろうか。ルークは思い出せない。この泥にまみれた手を見つめていると、わずかな既視感が沸き起こってくる気がする。しかしそれを掴み取ろうとすると、たちまち逃げるように消えてなくなってしまう。ルークはスコップをギリリと握りしめた。

かつて、今と似たようなことを。


「……昔、」


気付けばルークは、とりとめのない言葉を零していた。


「今日と同じように、何か埋めた気がするんだ。……大事だった、何かを」


その言葉を拾い上げたティアが、静かに見つめてくる。その瞳を見つめ返しながら、ルークは極めてぼんやりとした思い出を辿る。


「あれは何だったかな……多分もう、いらなくなったものだったはずなんだけど」
「……そう」


頷いたティアはふわりと、慈しむように微笑んだ。


「早くその大事なものを、見つけられるといいわね」


ルークは、頷けなかった。



14/05/21



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