ティアが悩んでいる。そりゃもうこれでもかっというほどに悩んでいる。といっても、ティアが悩むのはそれほど珍しい事ではない。今日のルークの夕食は何にしようかしらとか、今のルークに一番合う装備は何かしらとか、今後ルークを(今でもストライクど真ん中だが)自分の好みに近づけるべく育てるにはどうしましょうとか、主にルークの事について悩むのは最早日常茶飯事なのである。大抵そういう時に声をかけたりちょっかい出したりで邪魔をしてしまえば死が待っているので、ティアが困ってるんだか嬉しいんだか分からないような表情でルークを思い浮かべながら悩んでいる時は皆そっとしておくのが常だった。
しかし今ガイは目の前に悩むティアがいながら、声をかけるべきか悩んでいた。消灯時間だぞとか夕飯だぞとかそういう緊急を要する伝言がある訳ではない。触れずにおくのが一番安全な道だろう。それでもガイは、ティアに声をかけた方がいいのではないかと苦悩していた。
ルークの事を考えているいつものティアは、笑っている時も怒っている時も悲しんでいる時も至福な表情がどこかあったものだ。しかし今のティアは、幸せなどどこにも見当たらないぐらい心底悩んでいる。むしろ悲壮感漂いまくっている。考えている事は十中八九ルークの事なのだろうが、それにしても何故こんなに悲しげなのか。何かあったのではないかと、いつも虐げられているくせにガイは心配で仕方が無かったのだった。そんな性格が自分で自分の首を絞めている事を自覚しているのかいないのか、女性恐怖症もあってガイは差し伸ばした手をウロウロと彷徨わせていた。

その時、こちらに背を向けたままのティアが大きなため息をついた。それを拍子にガイはとうとう決意した。


「な、なあティア、さっきから何か悩んでいるみたいだけど、一体どうしたんだい?」


伸ばした手はもちろん触れることも出来ずに宙に浮かべながら、ガイはティアに声をかけることに成功した。ティアはゆっくりと振り返ってきて、ガイの顔を見て再びため息をつく。さり気に失礼だがつっこまなかった。


「ちょっと、ね……。ルークの事よ……」
「だとは思ったんだけど、いつもより深刻そうな顔をしているからさ、気になって」


しばらく躊躇うように俯いていたティアは、次の瞬間ガイに詰め寄ってきた。ガイは悲鳴を上げて後ずさるが、そんな様子にも気がつかないほど切羽詰ったような顔をして、ティアが口を開いた。


「どうしましょうガイ、私、ルークに嫌われてしまったのかもしれないわ!」
「……は?」


悲痛な表情のティアの言葉に、ガイは目が点になった。まず、有り得ないと思ったのだ。だって日頃からあれだけティアを慕っていたルークが、何も無しにいきなりティアを嫌いになる訳がない。いや、何かあったとしてもあのルークが簡単にティアの事を嫌いになるだろうか。ティアだって厳しく叱る事もあるけど(怒る、ではない。叱る、だ)常に愛情いっぱいで接しているのは他から見ても明らかだ。嫌われるような要素が見当たらない。


「ティア……それは気のせいじゃないのかい?」
「でもルークったら最近一人でこそこそして、私が近づいたら逃げてしまうのよ。何をしていたのか問い質そうとしても絶対に喋らないし」


確かに最近、ルークはこっそり一人で何かやっているようだ。それはガイも気付いていた。てっきりティア公認のものだと思っていたのだが、違ったらしい。


「しかもアニスと一緒にいる事が多いみたいだし……」
「アニスと?」


意外な人物が出てきた。パーティメンバーに加入した途端、状況をいち早く悟った彼女はすぐさま中立宣言を出したはずだ。つまり、「私はルークを狙いません争いに参加しません」宣言だ。その賢明な判断によって、天然によって生存権を無自覚に勝ち取ったナタリアと並んで平和な地帯となっていたはず。生命を脅かされない安全な立ち位置を、アニスがわざわざぶっ壊すような事をするとは思えなかった。


「うーん、何か理由があるんじゃないか?」
「そう思うのだけれど……アニスも口を割ってくれないのよ」


問い質した後らしい。よく降参しなかったな、とティアの本気を知っているガイはアニスに半ば本気で感心した。ティアの脅しにも屈しないほどの秘密を抱えているのか、吐くべき秘密が無かったのか。ガイが首をかしげる中、ティアは視線を斜め下に向けながらポツリと呟く。


「ただ……心当たりが一つだけ、あるの」
「えっ本当かい?」
「この間の、あの日からルークはこそこそしだした気がするのよ」


あの日。最近何かあっただろうか。ピンとこないガイに、ティアはおよそ一ヶ月前の事だと話した。そこで、ガイの頭の中で蓋をしていた嫌な記憶がよみがえってくる。
いまからおよそ一ヵ月後と言えば。


「あの恐怖の日か!」
「そう、バレンタインよ」


バレンタイン。チョコレートを持った女の子に追いかけられるというガイにとっては悪魔の日と言っても過言ではない、あのイベントである。どうやらガイの頭が勝手に思い出さないようにしていたようだ。
確かバレンタインにはティアがものすごく張り切って、ルークに手作りのチョコをプレゼントしていたはずだ。ルークも嬉しそうに受け取っていたのをガイも見ていたのに、その日から様子が変わったというのか。ティアは沈痛な面持ちで肩を落としている。


「もしかして……入念に味見はしたのだけど、ルークの口に合わなかったのかしら」
「うーん、それならルークも直接言ってきそうだけどな」
「いいえ、言い出せないほど壮絶に不味かったのかもしれないわ」
「ティア……いつにもましてネガティブだなあ」


いつもの姿からは想像もつかないほど落ち込んだティアの様子にガイは苦笑した。普段は常に毅然とした態度をとっているティアだって、普通の女の子なのだ。何かフォローの声をかけようとしたガイだったが、ティアの背後を見てそれを止めた。どうやら自分の役目は、なさそうだ。


「ティア!」
「!……ルーク」


いきなり後ろから声をかけられ、驚いて振り返ったティアはもっと驚いた。今までどんなに自分から近づこうとしても不自然な態度で避けていたルークが、こちらへ駆けてくるのだ。突然のことにあたふたしているティアの目の前で立ち止まったルークは、真っ直ぐ見つめてくる。と思ったら、何かをためらうように少しずつ視線をずらしてしまう。


「あ、あのさ、えーっと……」
「ルーク?」
「もーっ何のために今日まで頑張ったのさ!男ならドーンといきなよ!」


煮えきれないルークの後ろから、後を追いかけてきたアニスが駆けてきた。その言葉に背中を押されたルークはとうとう覚悟を決めたのか、再びキッとティアを見つめてくる。ティアはといえば、久しぶりの至近距離とかもじもじしてるルークは可愛いとか覚悟を決めたルークの表情は可愛いくせにかっこいいとか、とりあえずパラダイスだった。


「ティア!」
「な、何?」
「これ!……やる!」


差し出されたのはひとつの箱。綺麗にラッピングもされているが、これはおそらくアニスがやったものだろう。そっと受け取ったティアがこの場で開けてもいいか尋ねると、期待と不安が篭った目で頷かれる。一体何が入っているのか、どきどきしながら破かないように包装紙を取り去り、ゆっくりと蓋を開けたティアの目の前に現れたのは。


「これは……ケーキ?」


どこからどう見てもケーキだった。ちょっと形がいびつだったりするけれど、頭にちょんと真っ赤なイチゴがのっている紛う事無きケーキである。ティアがケーキを見つめている間に、ルークは慌てたように一気に捲くし立てた。


「いや!ティアがケーキ好きかーなんてのは知らなかったんだけどさ、チョコの三倍っていえば、ケーキしか思いつかなくって!」
「三倍?」
「あのねティア、私がルークに教えたんだー」


困惑するティアをちょいちょい突いて、アニスが耳打ちした。


「ティアってばすっごい気合入れたチョコプレゼントしたでしょ?ルークがそれで貰ってばっかりじゃ悪いって悩んでたから、三倍返しの事教えてあげたんだ。ついでにケーキの作り方もね」
「え……?」
「だって、今日はホワイトデーじゃん!」


バレンタインデーに貰ったチョコのお返しをする日なのだと、アニスはルークに教えてあげたらしいのだ。その間ルークにお返しのことはティアには言うなと口止めされてしまったので、問い詰められた時はそれはもう大変だったのだと泣き(真似)ながらアニスは語ったのだが、最早ティアには聞こえていなかった。
ケーキと照れくさそうなルークを交互に見つめて、ティアはとても幸せそうな笑みを浮かべた。


「ルーク……それじゃあこれは、私のために作ってくれたのね」
「だ、だって!あのチョコすっげー美味かったし嬉しかったし、ありがとうだけじゃ何か、足りなくって」
「馬鹿ね、お礼の言葉だけでも十分なのに。……ありがとう、ルーク」


ティアが笑えば、ルークも嬉しそうに笑った。ティアのありがとうでルークが笑うように、ルークのありがとうでティアも笑ったのに、分からなかったのかしらとティアは思ったのだけれど。自分のためだけに作られた、世界にひとつしかないルーク手作りのケーキを見れば、そんなくだらない事などすべてどこかに飛んでいってしまった。


「それじゃあルーク、一緒に食べましょう」
「え、それティアに作ったんだぜ?」
「私がルークと食べたいの。ね、いいでしょう?」
「……し、しょうがねーなー」


頭をかきつつも笑顔のティアにとことこついていく満更でもなさそうなルーク。その後姿を、呆れた顔のアニスと、ちょっと離れた所に立つガイが見送った。


「あーこうなるだろうとは思ってたけど、この甘い空気うっざーい」
「はは……。それにしてもアニス、ティアを敵に回しかねない状況でよくルークにケーキ作りを教えられたなあ」


ガイならばルークに頼まれればティアに撃墜されながらも嬉々として教えていたに違いないが、中立の立場であったアニスだからこその疑問だった。アニスはわざとらしくでっかいため息をついてみせる。


「そりゃー私だって躊躇ったわよ。だけど、目の前であんなにしょぼくれられちゃあ、ねー」


つまりアニスもルークに絆されたという訳か。どうやら思っていたよりルークはずいぶんと罪作りな奴らしい。
さすがは俺のルーク!と調子に乗ったガイが心の中で叫んだ瞬間、遠くの方でそれを察した栗色の彼女からのジャッジメントを食らったのは言うまでもない。



「ティア、ティア、美味いか?俺たくさん失敗したけど、それは唯一成功したんだ」
「ええ、すごく美味しいわルーク。それはもう嬉しさと愛しさで脳みそがとろけてしまうぐらい濃厚な愛が篭っていて口に入れた瞬間弾けて消えてしまうぐらい素敵よルークルークうふふふふ」
「て、ティアー?!」


それからしばらくの間、長いことルークと離れていた反動がきたのか、ティアは何があってもルークの傍から離れようとはしなかったらしい。




   栗色のチョコをありがとう

08/03/15