我ながら最高傑作ね、とティアは己を心の中で褒めた。目の前には歩くたびにひよひよと揺れるヒヨコの尻尾がある。実際にはヒヨコの尻尾ではなくて、ルークの後姿であるのだが。
アクゼリュスが自然崩落した後、戦う時とかに邪魔だから切ってくれないかとルークに言われて長い髪を非常に惜しみながら切ってやったのはティアだった。他の誰にもさせる気はなかった。色々な事をやり直したいと思った過去、唯一これだけは変えないと心に決めていたのは、ルークの愛らしいあの後ろ髪だ。思い出せば後悔ばかりの過去の自分をこの髪型にした事だけは褒めてやりたいとティアは思っている。綺麗でいじりがいのある長い髪も大好きだったが、ルークが望んだ事だから仕方が無い。
考えながら、ティアは歩きながらも少しふらついてしまった。周りを歩いているパーティメンバーの誰も気がついていないようなので、ほっと息をつく。今皆はセフィロトにあるパッセージリングを操作して外殻大地を降下させている所だった。そのパッセージリングを操作する際、(皆は気付いていないが)ティアの体に瘴気が流れ込んでおり、それによってティアの体調は近頃良くない状態なのだ。もちろん一回体験しているティア自身は操作する前からそれを知っており、覚悟していた事だった。外殻大地は放っておいても耐久年数の限度がきて落ちてしまうのだから、これは行わなければならない必要な事だった。だからこそティアはあえて己の中の瘴気と戦っている。
(まったく、世界を救うって楽な事ではないわ)
ティアは人知れず額に浮かんでいた汗を拭った。別にティアは世界を救いたいわけではない。ティアが救いたいのはただ1人、ルークだけだ。ルークさえ救えれば世界などどうなったっていいのが本音だが、世界がなければルークも自分も生きる事が出来ないので、仕方ないのだ。
考え事をしていたら自然と足が遅くなっていたらしい。それに気付いたティアが慌てて少し離れた皆に追いつこうとした時、目の前にそれは現れた。ティアは油断していた自分を罵った。そうだ、自分は分かっていたはずだ。ここで瘴気を嫌う魔物、ユニセロスが現れることを。
「っ!」(しまった!)
とっさに杖を構えようとするが、いつもより動きの鈍い体ではとっさに動く事が出来なかった。頭だけが自分に突進してくる蹄と角を認識する。一瞬の事がスローモーションのように見えた。受ける事も避ける事も諦めたティアは、せめて死んでくれるなと思った。死ななければ、回復なり何なりすればいい。仲間達もすぐに気付いてくれるだろう。まだまだ死ぬ訳にはいかないのだ、こんな所で死ぬ事なんて出来ないのだ。何のために時間を遡ってまでここにいるのか。
ルークが本当に幸せになるまで、死ぬ訳には!
「ティア!」
「え……?!」
唐突にティアは鋭い、しかし心地のいい声が聞こえたと同時に自分の体が何か温かいものに包まれたのを感じた。目の前の景色がいきなり一転し、青い空が見えたと思ったら体に走った衝撃に思わず目を瞑る。その衝撃もユニセロスの攻撃と比べたら微々たるものであった。地面に倒れながらティアの体はまだ温かいものに包まれたままだ。離れた所からユニセロスの嘶きや仲間達の戦う声が聞こえてくる。ティアがそっと目を開けてみれば、そこに飛び込んできたのは色鮮やかな柔らかい緋色の髪だった。そこでティアは自分が今どういう状況にあるのかようやく悟ったのだ。
「……?!る、るるるルーク……?!」
予想外の出来事に動揺してどもるティアを抱きしめていたルークはその声にぱっと顔を上げた。ティアの目の前に見開かれる翡翠の瞳が現れて、それはすぐに喜びに細められた。
「ティア、無事か!?よかった……!」
どうやらルークはユニセロスの目の前に飛び込んで自分ごとティアを地面に引き摺り倒して攻撃をかわしてくれたらしい。ティアが無事な様を見て安堵したルークが喜びに腕の力を強めたので、慌ててティアは体を起き上がらせた。
「ルーク!どうしてあんな危ないマネをしたのよ!怪我でもしたらどうするの!」
ティアに怒られるとルークはしゅんとふさぎ込んだが、それでも目だけは強い光を湛えたままティアを見ていた。
「でも、あのままじゃティアが怪我してただろ」
「私はいいの。それよりあなたが……」
「ティアはいつもそうだ!」
いきなり怒鳴ったルークにティアは思わずびくりと反応した。「ルーク」とは何度も喧嘩したし怒鳴りあった事も数え切れないほどある。しかし、今目の前にいるルークに怒鳴られた事は初めてだった。ルークは怒りに燃える瞳でティアを睨みつける。
「ティアは自分を大切にしなさすぎだ!いつも俺ばっかり見て自分を見てない!」
「そ、れは……」
「俺はティアが怪我をするのは嫌だ、だから助けたんだ。助けられるばっかりなのは嫌だ!」
それに、とルークは顔を歪めてしまった。ティアは内心うろたえる。ああ、ルーク、あなたにそんな顔をしてほしくはないのに。
「ティアこの頃辛そうだろ?俺、ティアが苦しそうなのも嫌だ」
「ルーク……」
ティアは言葉に詰まった。胸の中が温かい何かでいっぱいになって、喉につかえて言葉を出す事が出来なかったのだ。何故ルークは気がついたのだろう。ティアは自分の体の不調を誰にも気付かれないように実に巧妙に隠したのだ。仲間達の誰も、ジェイドでさえ気がつかなかったというのに。
「あなたがルークを見ていたから、ルークもあなたを見ていたのですよ」
「!導師イオン……!」
「そうですよね、ルーク」
「ああ!ティア、時々苦しそうだったから」
いつの間にか傍にいたイオンがにっこりと笑いかけてくる。ティアが呆然とルークを見ると、ルークも満面の笑みで頷いた。
「ルークはとても優しい人です。好意を示せば、それ以上の好意で返してくれます。それが出来る人なんですよ」
俺そんなんじゃねーよとルークが頬を赤らめて抗議するが、ティアはやっぱり言葉が出てこない。与えたものをそのまま返してくれる事の何と素晴らしい事か。ティアが見ると、ルークは笑う。その顔は安心しきっていて、ティアを信頼してくれている証だ。ティアは自分の全てをささげてこれまでルークと接してきた。だからこそ、ルークもルークの全てをティアに見せてくれる。昔からルークはそういう人だったのだ。「前」は色々な事が重なって互いに全てを明け渡す事はできなかったが。
ティアは堪らなくなって、目の前の赤い頭を抱きしめた。ひゃあっとか何とか悲鳴が聞こえたけど、ティアは聞いていなかった。
「ルーク、大好き!」
ティアがそういえば、予想に違わずルークも笑顔で返してくれる。
「俺も、ティアが大好き!」
ああ。ティアはため息をついた。ああどうしよう。私はこんなに幸せでいいのだろうか。ティアが感じているルークがいるからこその幸せが、同じようにルークの幸せになっていればいいと思う。2人で一緒に幸せになれれば、他に望むものなどないのに。
傍から見ればもう十分に幸せそうに笑う栗色と焔色に、敵に塩を送ってしまいましたねと思いながらイオンはそれでも邪魔をせずにそっと笑った。その幸せはきっと、他の誰にも邪魔の出来ないものだからだ。
「ところでティア、この頃苦しそうなのはどうしてだ?大丈夫なのか?」
「大丈夫よルーク、心配しないで。ちゃんと考えてあるから」
ルークは知らない。ティアがアブソーブゲートでヴァンにきちんと最期までトドメを刺しその足で地核へ自ら赴き直接ローレライに会って体内の瘴気とこれから溢れるだろう世界の瘴気の除去とルークの大爆発をどうにかするように命令するために毎晩大譜歌を自分のアレンジを入れながら練習している事を。
ティアが愛のために、意識集合体を従える日もそう遠くはない。
焔色の守護神
06/12/04
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