足りないものは、度胸





わきわきと指を動かす己の手の平をしばらく見つめてから、アリサはハッと我に返った。知らない内に物思いに沈んでいたらしい。考え込みながら何故自分がこんな手の動きを無意識に繰り返していたのか、思い出さなくてもよく分かる。赤らんだ頬を誰にも見られませんようにと祈りながら、アリサは顔を上げた。
現在、グラウンドにて武術訓練の真っ只中。二組に分かれて戦術殻を相手に戦う授業で、サラの厳しい指導の中ちょうど辛くも打倒したところであった。後衛のアリサはホッと安堵の息を吐いてからすぐに、冒頭の上の空となった訳である。理由は、おそらく今から目の前で繰り広げられるだろう光景のためだ。

「……よし、うまく合わせられたな、リィン」
「ああ。ガイウスが俺に上手く合わせてくれて助かったよ」
「いや、リィンがリードしてくれたお蔭だ。俺の方こそ助かった」

戦術リンクを繋げて前衛として戦っていたリィンとガイウスが、互いを労うように声を掛け合っている。アリサが注目するのはここからだ。いつもの柔らかい微笑みを浮かべながらガイウスは、本当にごく自然な流れで、長い腕を伸ばしてリィンの頭を一度くしゃりと撫でたのだ。これ。これである。リィンに犬の耳と尻尾が生えてからというもの、一部のクラスメイトの中ではふとした時にそうやってリィンを撫でてやるのが最早当たり前の日常と化しているのだった。ガイウスもその一人である。最初は恥ずかしいからとか何とか言って抵抗していたリィンも、最近はさすがに慣れてきたのか諦めたのか、甘んじて受け入れている。そもそも口や顔がどれだけ困っていたとしても、耳や尻尾の動きに嬉しさが表れていたので撫でられる手が止まる訳がなかった。
ほら、今も。尻尾をぱたりと大きく動かしてはにかむリィンを、後ろからアリサはじっと見つめる。そうして結局声を掛ける事も手を伸ばすことも出来ぬまま、大きな溜息を吐き出す事しか出来なかった。
そこに、唐突に横から声を掛けられる。

「アリサ?どうしたの、溜息なんかついて」
「きゃっ?!あ……ああ、エリオット、あなただったの」
「僕は最初からここにいたけど……」

かなり大げさに驚いてしまったアリサにエリオットが困惑している。そう、さっきまで一緒に後衛として皆のサポートをしていたのだから、近くにいるのは当たり前だった。アリサがそんな事をすっかり忘れて一人考え事に没頭していただけである。ごめんなさい、と謝る前に、アリサの視線の先を確認したエリオットは少しだけ考えて、すぐににっこりと笑った。

「ははあ、そっか、リィンを見ていたんだね」
「え、ええっ?!そっそそそんな事ないわよ!ただそう、ちょっと考え事をしていただけで……!」
「あはは、大丈夫だって。僕も多分、似たような事を考えていたから」
「……えっ?」

アリサが我に返ると、エリオットはどこか羨望の眼差しで前方を見つめていた。

「ガイウスはいいなあ、背も高いしあんなに流れるように自然な動作で撫でられて。僕はあの最初の一回しか撫でた事が無いんだよね。リィンより背が低いから手を伸ばしたらどうしても不自然になっちゃうし」
「……!」

バレてた、完全にバレてた。リィンを撫でたいという欲求が完璧に当てられて、アリサの赤面が加速する。
だってアリサだってエリオットと同様、一番最初に巻き起こったリィン撫で合戦での一回きりしかあの頭を撫でた事が無いのだ。あの時味わった手の感触が忘れられずに(予想以上に柔らかかったとか暖かかったとか)、もう一回、もう一回だけとどれだけ思ってもそんな機会も無く。ただ他の人が撫でている姿をこうして見ている事しか出来ない日々が続いていたのだった。
バレていたのなら、しかも似たような事を考えていたのなら仕方がない、とアリサは観念して、エリオットに胸の内を吐き出した。

「まだ男子はいいじゃない、女子が男子の頭を撫でる機会なんてそうそう無いわよ?それこそかなり……し、親密にでもならなきゃ」
「うーん、言われてみればそうかも。でもリィンならどうしてもって頼めば撫でさせてくれるんじゃないかな」
「た、頼める訳ないじゃない!」

面と向かって「あなたを撫でさせてちょうだい」だなんて、死んでも言えない。悲鳴じみた声で勢いよく首を横に振るアリサに、まあ僕もだけどねと頬を掻くエリオットもどこか寂しげだった。二人の間に、妙な仲間意識が芽生える。ここに今、リィンを撫でたいけど撫でられない同盟が結成されようとしていた。

「あーあ……僕の背がもうちょっと高かったらなあ」
「あなたはまだ望みがあるじゃない……ああ、私が男だったらもうちょっと何とかなったのかしら……」
「そ、それは考えすぎじゃないかな……」

顔を見合わせて溜息を吐くアリサとエリオット。とりあえず今はこの願望を横に置いておいて、前衛に労いの言葉を掛けようとした、その時だった。
横から颯爽と現れた声と行動に、二人は度肝を抜いた。

「うむ、今日のリィンの動きは確かに格別良かった。ふふ、良くやったな」
「うわっ?!ら、ラウラ……!」

今回共に戦った最後の一人ラウラがリィンに歩み寄ったかと思うと、背後から腕を上げてその黒髪をぐしゃぐしゃっと豪快に撫でてみせたのだ。それは非常に堂々とした動きで、何も恥じる事も躊躇う事もないのだと語りかけてくるような気さえする撫で方だった。さすがに女子に撫でられてリィンも戸惑った様子だったが、耳と尻尾の動きが以下略。そもそもラウラの佇まいが、些細な戸惑いなど弾き飛ばしてしまうような自信に溢れた姿であった。

「何か問題でもあったか?」
「いやその、問題とかそういう事じゃなくて……というかそもそも、何で皆俺をそんなに撫でたがるんだ?!」
「今のそなたの頭を見ていると皆非常に撫でたくなるようだ、仕方ないな。私も別に他意はない、単にそなたを労っているだけだ」
「俺もラウラと同じだ。今のリィンの頭がとても撫でやすそうに見える事と、そんなリィンに癒されている俺たちと同じぐらいの癒しを返したい。だから自然と撫でているのかもしれないな」
「ガイウスまで……!正直、余計に疲れるんだが……」

優しく微笑むガイウスと笑いながらさらに頭を撫でてくるラウラに、がっくりと肩を落とすリィン。しかし困った顔はすぐに恥ずかしそうな笑みに変わったので、耳と尻尾を見なくても本心がどうであるのかは分かる。
そんな光景を、アリサとエリオットは呆然と眺めていた。

「……アリサ、僕たちの障害となっているものは身長や性別では無いみたいだよ」
「ええ……どうやら、そのようね……」


14/02/12


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