お昼寝包囲網





マキアスは大変困っていた。手に持っていたチェスの雑誌にほとんど目が通らないほど困っていた。今日の自由行動日はたまたまチェス部が休みで、ならば屋上でのんびりと過ごそうかなどと思っていたらこのざまだ。自分の運の悪さを呪うしかない。
別に天気が悪い訳ではない。逆に強すぎず弱すぎない日の光が心地よく、今の屋上はまさに楽園のような気候だった。多分それがいけなかったのだろうとマキアスは分析する。こんなに過ごしやすい天気なのに、この屋上に自分たちしかいない事がせめてもの救いだった。
自分たち。そう、今屋上にいるのはマキアスだけではない。この自分以外の存在こそがマキアスを悩ませている事柄そのものだった。ベンチに腰かけたまま、途方に暮れたように空を仰ぐ。何と気持ち良く晴れた空だろう、一人座り込んだまま悶々と考え込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。このまま全てを放棄したら、この空のような爽やかな気持ちになれるだろうか……。

「………」
「……はっ?!」

そこでようやく、自分たちをじっと見つめる視線に気づいた。ぼうっと空を眺めて現実逃避している間に、いつの間にか何者かが屋上に現れていたらしい。慌てて正面を向き直したマキアスは、一気に現実世界に戻ってきたことを後悔した。いっそ見なければ良かったと思った。
分厚い本を片手に少し離れた場所に立ってこちらを見ていたのは、マキアスの天敵ともいうべき男、ユーシスだった。

「………」
「……な、何だ、何か言いたい事でもあるのか?!」
「いや、」

何か言いたそうな視線に動かないまま噛み付けば、もう一度じろじろと一通り眺めた後、明らかにバカにしたような笑みでユーシスは言った。

「よく懐かれたものだ、と思ってな」
「ぐっ……!」

一気に頭の中を怒りが駆け巡ったが、結局それは言葉に出る事が無く飲み込むしかなかった。自分が今、ユーシスに馬鹿にされても仕方がない状況だという事を自覚していたからだ。マキアスは苦虫を噛み潰したような顔で、改めて現在の己の状態を確認した。
左右の肩にそれぞれ、一人ずつの重みがこちらに圧し掛かってきている。いや片方はすでにずり落ちて頭が膝の上だ。寝やすい体勢を模索して意図的にこうなった可能性もある。何せお相手はお昼寝常習犯のフィーだ、安らかな眠りのためならどんな手段もいとわない、気がする。ただのイメージだが、実際フィーはマキアスの膝を枕代わりにすよすよと眠っていた。これがマキアスを今悩ませている原因その1。
マキアスを今悩ませている原因その2は反対側の肩の上だ。こちらもマキアスに凭れかかったまま、お日様の温かな光に負けて健やかに眠っている。肩に乗った頭から生えた犬耳の先がたまに気持ちよさそうに動いて、それが頬に当たってこそばゆい。ベンチの後ろから垂れている黒い尻尾も無意識なのかたまにゆっくり左右に揺れて、それが心地よく安眠している事を自己主張しているようだ。どちらかと言えばこっちの存在の方がマキアスを盛大に悩ませている。学院のあちこちで昼寝している姿を見られるフィーとは違い、こんな風にリィンが無防備な姿で眠っているのは大変珍しい事だからだ。
……いや、最近はそうでもないか。

「くっ、何故よりによって僕の所で寝始めたんだ、二人とも……!」

マキアスが思わず悪態をついてしまうのも無理はない。一番最初にこのベンチに座っていたのはマキアスだった。そこに、犬耳と犬尻尾が生えてしまうという前代未聞の珍事に襲われたにもかかわらず数日後には普段と同じように生徒会の手助けに学院中を駆け回っていたどうしようもないお人よしのリィンが偶然訪れて、少しの休憩のためにマキアスの隣に腰を下ろした。しばらくチェスの事で話をしていたが、このうららかな陽気のためにリィンがうとうとし始めると、どこからともなく現れたフィーが無言で隣に座りこんできて、そしていつの間にか今の状態が出来上がったという訳である。
いくら思い返しても、何故こんな事になってしまったのか理解不能だった。二人分の寝息に囲まれて途方に暮れるマキアスに、ユーシスは余裕の表情で腕を組んでみせた。

「訳が分からない、といった顔をしているが、むしろこうなる事は必然だっただろう。大方リィンがここで転寝でもし始めたのだろうが、そうなればフィーが来てこうなる事はいくら貴様でも理解できたはずだ」
「そ、それは……」

じとりと見つめられ、思わず視線を彷徨わせる。確かに、そうかもしれない。何せリィンはここ最近、というか耳と尻尾が生えてから、犬の習性なのか何なのかよく日向ぼっこしたくなるらしい。本人が困り顔で言っていたから間違いない。暖かくて気持ちよさそうな場所にいると、今まではまったくそんな事は無かったのについ日向ぼっこして、お昼寝し始めてしまうのだと。事実リィンがうつらうつらしている場面をここ数日たまに目にするようになっていて、そしてそういう場面には何故か必ずと言って良いほどフィーがくっついて便乗昼寝をしているのである。
リィンはその犬の能力で昼寝に最適な場所を見つける事に長けていて、その能力に気付いたフィーが快適なお昼寝ライフのために後をついていっているのではないか、と現在Z組内では分析されている。以前フィー本人に尋ねた所「ん、兼ボディーガード」と誇らしげに語っていた。ガードすべき対象と一緒に眠っていては本末転倒だと思う。
まあつまり、昼寝するリィンの傍には必ずフィーあり、という事で、リィンがうとうとし始めた所でマキアスは彼を起こすか、立ち去るかすべきだったという事だ。ユーシスの言いたい事を正確に把握してしまったマキアスは、思わず声を上げていた。

「だが君は!友人が転寝している所を無理矢理起こせるのか!見ろこの気持ち良さげな尻尾と耳、これを無視して起こせと言うのかっ!君はそういう非道な事が出来るのかもしれないが、僕にはとてもっ……!」
「……大声を上げると二人共起きるぞ」
「はっ?!」

指摘されて慌てて口を紡ぐが、そもそも今は起こすべきなのではないかとマキアスは考え直す。恐る恐る左右を見るが、リィンもフィーもぐっすり眠っているようで、そんな安らかな寝顔を叩き起こすなんて事、やっぱり出来そうにない。トドメを差されたように呻くマキアスに呆れたような溜息を吐いたユーシスは、無情にもくるりと踵を返した。

「まあ、貴様がそうしていたければ止めはしないがな」
「おっおい待て、どこに行く!」
「邪魔者は退散するだけだ。せいぜいその日向ぼっこに付き合ってやるといい」

すたすたと立ち去っていく背中に、しかしまさかよりによってこの男に「助けてくれ」などとは口が裂けても言えず、結局マキアスは中途半端に手を伸ばしたまま、ユーシスを見送るしかなかった。
かくして取り残されたぽかぽか陽気の屋上。太陽はまだまだ眩いほどの光を降り注がせていて、日が陰って冷え込んできたから風邪を引いてはいけないから仕方なく起こした、という大義名分をマキアスが得るにはまだしばらくかかりそうで。

「……お昼寝日和とはこの事か……」

最早思考も何もかも全てを放り捨てて、取り囲まれる日向ぼっこに便乗させて貰う道しか、マキアスには残されていなかったのである。





その日は不覚にもユーシスに見捨てられ、お昼寝天国に強制連行されてしまったマキアスだったが。彼が溜飲を下げる機会は後日、割とすぐに訪れた。

「………」
「……何だ」

マキアスが無言で見つめる中、うららかな日差しに照らされたグラウンド脇の心地よい木陰の下で、どうやら馬術部の備品の手入れをしていたらしいユーシスは。
右を、ぱたぱたと尻尾を揺らしながらこの間と同じように呑気に寝こけるリィンに。左を、ボディーガードと自称しながらやっぱりすやすやお昼寝しているフィーに。さらに膝の上を、大の字でぐーすか眠るミリアムに占領された状態で。
たいそう不機嫌そうな顔で、それでも誰も起こすことなくじっと三人の枕代わりとなっていたので。

「……いや。よく、懐かれたものだ、と思ってね」

眼鏡を押し上げながら、誰が見ても嫌味と取れるような表情を頑張って浮かべながら、マキアスはのたまってやった。

例え誰が相手でも、このお昼寝包囲網には敵わないようである。

14/02/12


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