ポニーテールに結んだ自分の赤い髪が視界に映る。揺れる車の中で、ルークは後部座席に仰向けで転がっていた。詰め込まれた荷物の上に体や足を遠慮なく乗せ て、手には大事な大事な花束を持って。ピンク色の可愛いこの花束はとても大事なものだが、同時にとても悲しいものだった。どうせなら、嬉しさいっぱいのときに花束を貰いたかった。初めての花束がお別れの花束だなんて、悲しすぎる。
引越しなんて、したくなかったのに。


「ルーク、いつまでふてくされているのです。いい加減しゃきっとして下さいな」


助手席から呆れたような顔で母親のナタリアが振り返ってきた。ルークは何も答えずにそっぽを向いてみせる。聞こえてきたため息も無視をした。窓から新しい学校とやらも見えたが、ルークはあっかんべーで挨拶をしてみせた。前の学校のほうが、何倍もよかったのだ。あそこには仲の良かった友達もたくさんいたのに、新しい学校にはルークの知っている友達は1人もいない。初めからすべてやり直しだ。それが嫌で嫌で堪らなかった。
やがて、車が止まったのを感じてルークは起き上がった。そこはこれからルークが住む新しい家、ではなくて、どこか小さな道の真ん中であった。


「ああ?道間違えたか?」


運転席で父親のピオニーがぼやく。ナタリアがあれではありませんこと?ともう1つ上の道を指してみせる。そこには確かに、聞いた事のある色の屋根が見えた(実際に見たのはこれが初めてだ)。それを見たピオニーはしかし怯む事無く胸を張ってみせる。


「いいさ、この道を真っ直ぐ行けば多分つくだろう!」
「まあ、あなたいつもそうやって迷うじゃありませんか。戻った方がよろしいのではなくて?」
「いいや行く!」
「大丈夫なのかよぉ……」
「ルーク、父さんを信じろ!」


心配顔のルークとナタリアをものともせずピオニーは車を発進させた。いつも無駄に自信に満ちている父親に今更何を言っても無駄である。周りを木に囲まれた荒い道をガクガク揺れながらそれでも進む。身を乗り出すルークにナタリアが危ないから座りなさい、と言う前に、ひときわ大きな揺れでルークの小さな体は後部座席に押し付けられた。口から思わず悲鳴が漏れる。


「ひえええーっ!」
「あなた、いい加減にしてくださいっ!」


ナタリアが怒鳴った瞬間、茂みに覆われていた目の前が唐突に開けた。目の前に何かをかたどった像が立ちふさがる。ピオニーが慌ててブレーキを踏んだおかげで、車は像にぶつかる事無く目の前で止まることができた。
車を止めたピオニーはおお、と声を上げて外に出た。くらくらする頭を押さえながらルークも車から降りる。そして目の前に佇む大きな赤い建物を見て、あっけにとられた。今まで見たことの無い建物だった。あえて言うなら、それはどこか駅に近い形をしている。建物には大きなトンネルがあいていて、ルークの目の前に広がっているのだった。
ルークは何故だか恐怖した。このトンネルをくぐってはいけない気がしたのだ。
後から思えば、それは胸騒ぎによく似た、嫌な予感だったのだろう。


「すごいなこれ!どこまで続いてるんだ?」


ピオニーは子どものように目を輝かせながら、興味津々の様子で建物を眺めている。そしておもむろにトンネルの中へと入っていくので、ルークは慌てた。


「ど、どこ行くんだよお父さん!」
「この先に行ってみるんだよ」
「や、やめようよ、早く帰ろうぜ」
「何だ、ルークは怖がりだな。大丈夫だって、父さんがついてるからな!」
「まったく……ルーク、あなたは車の中で待っているのです」


うきうきと先へと進むピオニーと、呆れながらも後に続くナタリア。二人が行ってしまう。しばらくルークは服の端っこを掴んでじだんだを踏んでいたが、1人でここに残ることの方が恐ろしかったので慌てて2人の後を追ってトンネルをくぐった。
母の腕にしがみつき、前を行く父の背を見つめながらルークはゆっくりとトンネルの中を進む。やがて向こう側に光が漏れて、出口が見えてきた。そこに広がっていたのは、どこまでも続くのどかな野原だった。


「まあ何て気持ちのいい所なんでしょう。お昼のサンドイッチを持ってくればよかったですわ」


ナタリアが気持ち良さそうに目を細めて風を受ける。ルークが一番最後にトンネルをくぐり終えたとき、背後から風を受けてとっさに振り返った。ビュウビュウと音が鳴る。まるで、建物がルークたちをもう帰さないとでも言うかのように、ルークの背中を追い立てているようだった。ルークは恐ろしさに駆け出した。もう戻れないのではないか、そんな思いにせきたてられるかのように。


「お、お母さん、建物が怒ってる」
「あれは風の音ですわ」


ルークが駆け寄ってそう言ってもナタリアは特に気にしなかった。それは確かに風の音だったのだろう。それは分かっているのだが、ルークの不安はまったく消える事はなかった。

しばらく歩くと、大きな川の跡が目の前に横たわっていた。水は一滴も流れてはいなかったが、大きな岩がごろごろと転がっている。それを何とか越えると(体の小さいルークにとっては大仕事だった)、そこには町のようなものが広がっていたのだ。少なくともルークには一見町として見えたのだが、見渡したナタリアが眉を寄せながらこう言った。


「呆れましたわ。これ全部食べ物屋さんのようですわね」


全部がお店なのか、ルークは物珍しげにどこかいびつな店たちを眺めた。どうやら今は全部閉まっているようだった。すると前を歩いていたピオニーが何かに反応する。


「……お、この匂いは……。どこかやっているようだな!」


ピオニーは舌なめずりをして歩き出した。匂いをたどっているのだろう。ルークとしては一秒でもここから離れたい気分だったのだが、1人で帰るわけにもいかない。仕方なくピオニーの後をナタリアと共に追った。


「おーい、こっちだ!」


小走りでどこかへ駆けていったピオニーはやがて一軒の店の前でこちらに手を振ってみせた。とうとう開いている店を見つけたらしい。声をいくら張り上げても店主は出てこなかったが、美味しそうな食べ物がお皿に山盛りに目の前で湯気を立てている。ちょうどお腹の空く時間帯でもあって、ピオニーは意気揚々と勝手に席に着いた。ナタリアでさえも夫を咎めず椅子に座った。


「これは美味しそうですわね」
「だっ駄目だよ、勝手に食べたらお店の人に怒られちゃうだろ!」


ルークは信じられない思いでそう叫んだ。どこかも分からぬこの場所でどうして食欲がわくのだろう。ピオニーが小皿に食べ物をより分けながら、やはり無駄な自信溢れる顔でルークに言う。


「大丈夫だルーク、父さんがついてるだろ!お金は後で払えばいい」
「でも……」
「まあ美味しい!ルーク、あなたもこっちに座りなさいな」


手前のお皿の上にあった、何か小型の鳥の丸焼きのような形をした肉にかぶりついたナタリアがルークを振り返る。しかしルークは頑なにいらないと首を振った。どうしても食べる気はしなかった。これはもしかしたら、意地のようなものなのかもしれないが。父と母はカウンターに腰掛け、ルークに背を向けてむしゃむしゃと食べ始めた。よほど美味しいのか、無言で平らげていく。ルークはつまらなくなって、歩き始めた。近くを見るだけだ、少しだけならいいだろう。

閑散とした大きな通りに出てから、ルークは辺りを見回した。他には人っ子一人いないような、静かな空気が辺りを包む。だが立ち並ぶお店がどれも人目を引くかのように派手な色合いをしているし、あちこちにちょうちんがぶら下がっているせいでどこか賑やかにも思える。とても大きな祭りが行われる前か後のような雰囲気だった。ルークはふと、通りの向こうにひときわ大きなお店がある事に気がついた。あちこちから湯気が立ち上るお城みたいな店だ。正面に「油屋」と書かれてあり、ルークには何の事だか分からなかったが、直感的にこのお店が何屋さんなのかは分かった。つまり、銭湯みたいなところなのだろう。
ルークは油屋のほうへと歩いた。油屋には大きな橋が架かっている。ルークはふと橋から下を覗きこんでみた。思ったより高い。底にはどうやら線路がのびているらしかった。と、すぐにトンネルから電車が飛び出してくる。


「電車だ!」


ルークは橋の下を通り過ぎる電車を追いかけて反対側を覗き込んだ。近くに駅があるとは聞いていなかった。いったいどこに続いているのだろうか。反対側の手すりにしがみついたルークは、右手に誰かが立っている事に気がついて、はっと顔を向けた。油屋の方向だ。
そこには、こちらをひどく驚いた様子で見つめている男の子がいた。ルークは、男の子の見事な紅色の長い髪に見とれた。自分も赤い色であるが、こんなに鮮やかな色はしていない。男の子はどこか古臭い白と水色の服を着ていたが(袴、かな?)その格好はこのどこかおかしい町並みとよく合っていて、半そで短パンのルークの方が部外者のような気がしてくる。いや、本当に部外者なのだが。
男の子はルークと目が合うと、すぐさま怒鳴りつけていた。


「ここで何をしている!」
「えっ?!」


ルークが驚いていると、男の子はツカツカと詰め寄ってきた。その瞳は怒っている、というより、どこか必死そうな光を放っている。


「ここは貴様が来ていい場所じゃない、すぐに戻れ!」


一方的に怒鳴りつけられて、ルークは目をパチパチさせた。そうしている間に、ルークの目の端に灯りが見える。いつの間にか薄暗くなり始めた空の下、町のあちこちに灯りが灯り始めているのだ。それを見た男の子は、余計に焦ったようにルークを反転させてその背中を突き飛ばすように押し出した。


「俺が時間を稼ぐから、その隙に早くここを出ろ、いいな!」


ルークは怒声に押される様に慌てて駆け出した。それを見送る事無く男の子は油屋へと振り返り、指先に何かを吹きかける。しかし、背を向けたルークには男の子が何をしているのか見えなかった。辺りが暗くなり始めている事に改めて驚き、そっと振り返る。男の子の姿は見えなかった。


「何だよ、あいつ」


憎まれ口を叩きながらも、ルークは急いで父と母の元へ駆けたのだった。

06/10/16