「別に、何でもねえよ。いちいちそんな心配そうな顔するんじゃねえ、屑が」
「だってさあ、もし風邪とかだったら大変だろ?こんな渓谷の中だし……本当に大丈夫か?」
「大丈夫だと言っている!ふん……どこかの誰かが変な噂話でもしていたのかもしれんな」
「噂話?……ああ、そういう話あったな!どこかで自分の噂されてるとくしゃみが出るってやつ。何だ、それなら平気だな」
ずっと心配そうにアッシュを見ていたルークの表情は、途端にぱっと明るくなった。単純な奴だ、そう思いながらアッシュの心境には、呑気な己のレプリカに対するイライラなんて無く、どこかほっこりとした和やかな気持ちしかなかった。自分がルークの笑顔に和まされている。改めて思うと何とも不思議な心地だった。
ご機嫌なルークは安心したように前を向き、再び歩き始める。アッシュはこの場所が一体渓谷のどのあたりなのか皆目見当もつかなかったが、ルークの話によるとおそらくずっと奥の方になるらしい。ルークとてタタル渓谷の全てを知り尽くしている訳ではないので、今の歩みはほぼ勘に頼った適当なものだ。それ故に足の進みは早くなく、むしろ遅い。考える時間が欲しいアッシュにとってはそれが逆に有難かった。
「くうーっ!ほんと、今日はいい天気だな。魔物も出てこないし、すっごく平和を感じるよなあ」
前方でぐいっと伸びをしながらルークが呑気な声を上げている。確かに非常に平和な時間だった。強すぎない日の光は徐々に傾きながらも二人の頭上へ平等に降り注ぎ、そよぐ風も大変心地よい。目の前に立ちふさがる魔物の気配も辺りにはなく、ルークがいなければアッシュも同じように腕を空へ伸ばしていたかもしれない。考え事ばかりに没頭していたら、うっかり眠くなりそうな天気だった。
そう思っていた傍から、前方でルークが大きな欠伸をかましている。気持ちは分からんでもないが気が緩みすぎだと思った。いくら魔物の気配がないからと、いつ危険が迫るか分からない。アッシュは少しだけ歩みを速めて、ルークに近づいた。
「おいレプリカ」
「んー?なに?」
「大層な余裕っぷりだな、そのまま魔物にでも襲われるかできそこない」
「危ないじゃないか、あまり油断はするなよ。可愛いお前が傷つく姿は見たくない」
「大口開けて間抜け面晒して油断するな屑が、隙を突かれて襲われでもしたらどうする」