あーだこーだと二人で話し合った結果、色んな研究案が飛び出したが結局自由研究は「昆虫採集」にする事にした。中でじっくり課題に取り組むより外を元気良く走り回りたいルークの性格を考慮した結果だった。アッシュとて別にインドア派ではなく普通に運動神経も良いので、文句は無かった。


「さっそく何か虫取りにいこうぜ!」


虫取り網も虫かごも持たないままルークは今にも外へと飛び出しそうだった。家に戻って道具を取ってくる時間も惜しいと言わんばかりのその様子に、アッシュは仕方なく自分の分の網と籠だけを持ってルークの後に続いた。自由研究とは一日で成し遂げるようなものでもないし、今日は様子見程度にしておこう。
外に出た途端駆け出しそうになるルークの襟首を何とか捕まえることに成功したアッシュは、文句を言いそうなその表情に指を突きつけてやった。


「おい、ところで昆虫がどこにいるのか、知っているのか」
「馬鹿にすんなよ、虫だから山にたっくさんいるに決まってるだろ!」
「その山に通じる道は知っているのか」
「……あっ」


目を丸くしてようやく動きを止めたルークに、これ見よがしにため息を見せ付けてやる。ごまかすように笑ってみせたルークはそっとアッシュの後ろに回りこんだ。


「案内、ヨロシクお願いシマース」
「まったく……かわりに網ぐらい持て」
「リョーカイですアッシュ隊長!」


ニッと笑って見せたルークが受け取った網を担ぎながら敬礼をしてみせる。昆虫探索隊の隊員にでもなったつもりなのだろう。子どもだなと子どもなアッシュは思ったりもしたが、悪い気はしなかったので止めないでおいた。少し面白いとも思ったので、(アッシュにしてはかなり珍しく)ちょっとだけのってみる。


「目指すはあの山だ。準備はいいか、出発するぞ!」
「ラジャーッ!」


アッシュが右腕を上げれば、隣でルークが元気良く左腕を振り上げる。こうしてアッシュ隊長率いる昆虫探索隊は、ひとつの網とひとつの虫かごをぶら下げて近所の山へと出発した。





生まれた頃からこの町に住んでいるアッシュにとって、森と言うより林のようなこの小さな山は庭みたいなものであった。あんまり入り込むと、林が森になってうっかり迷子になりかけるほどなので潜り込めば親にしこたま怒られる事になる。特にルークはそんな失敗をいかにも犯しそうなので、勝手に奥に入り込むなとアッシュは口をすっぱくして言い含めた。
しかしルークはどこか不満そうに口を尖らせてみせる。


「奥に行くなって言われても、どこからがその奥なのか分かんねーよ」
「てめえ隊長に口答えすんのか」
「だって、隊長ぉー」


おそらく思いっきり探検でもしたかったのだろう。どこか縋るように見つめてくるルークに、肩を落としたアッシュは制限を変える事にした。


「それじゃあ、俺の傍からあまり離れるな。分かったな」


これならば自分が気をつけていればルークも森の奥に迷い込むことはない。それならば、とルークも頷いてくれた。気を取り直して昆虫探しに入ろうとしたアッシュだったが、振り返った所で強制的に首だけが引っ張られるように静止した。おかげでグキリとか嫌な音が鳴ったような気がする。


「……っ!てめえ、何してるんだ!」
「いや、離れないようにと思って」


悪びれた様子も無くケロリとルークは答える。ルークの手は、アッシュの長い髪を思いっきり掴んでいる。これのせいで頭が引っ張られたのだ。瞳の奥のほうからじわりと溢れてきそうな何かを堪えながら、アッシュはルークの手から強引に己の髪を引き剥がす。


「あまり離れるなと言ったんだ、ぴったりくっついてろって意味じゃない!」
「なーんだ、早く言ってくれよー!アッシュが先に行くから離れないようにって慌てたじゃんか」
「……。もう、いい」


何も言うまい。アッシュは何かを諦めてさっそく先に立って歩き始めたルークの背中を追った。おそらくルークは邪魔にならなさそうなひよこ頭だから、髪を思いっきり引っ張られた時の痛みが分からないのだ。だからアッシュがじわりとこっそり涙を浮かべるくらい痛がったのを知らないのだ。
しかしそれではアッシュの腹の虫は納まらなかった。不可抗力だとは言え、ムカつくものはムカつく。何とか怪我をさせない程度に思い知らせてやれないだろうかと考えていれば、前を行くルークから歓声が上がった。


「アッシュ!見ろよ、川だっ綺麗な川!」


目の前には緩く流れる浅い川があった。確かに町中を流れる大きな川よりずいぶんと綺麗に見える。今日がとても暑かった事もあって、ルークは真っ先に川へと駆け出していた。


「うわあ冷てえ!でも気持ちいいー!」
「おい、危ないぞ!そうやって後先考えずに突っ込むな!」
「危なくねえもーん」


踝ぐらいまでの川に足をつけて身震いをするルークを慌ててアッシュは追った。少し覚悟して入ったにもかかわらず、水が冷たくて一瞬鳥肌が立つ。しかしそれはすぐに引いて、後は流れる水の心地良さしか感じなかった。確かに気持ちが良い。


「少なくとも、川の中で走るなよ。絶対にこける」
「絶対って何だよ、大丈夫だって!」


注意するアッシュに軽く笑うルークだったが、転びそうなのは理解しているのかゆっくりと歩く。もっと深ければ泳げたりもしただろうが、この水の量では浸かることさえ出来ない。ルークもそんな事を思っているのか、少し残念そうに屈んで両手を水に漬けたりしている。


「ひゃあ冷てーっ、これぐらい綺麗だったら飲めるかな」
「どうだろうな」


チャプチャプと水の中で手を動かすルークを眺めていたアッシュは、その時唐突に閃いた。基本的に生真面目なアッシュでも、意外とイラズラっ子な面があったりする。しかも、結構根に持つのだ。


「ルーク」
「ん?」


名前を呼ばれて顔を上げたルークの顔面に、水しぶきが掛けられた。完全に油断した状態のその攻撃に、ルークは慌てて頭を振った。


「うわっぷ!なっなななっ?!」


勢い良く立ち上がったせいでふらついたルークの手を取って支えてやる。とっさにお礼を言おうとしたルークがアッシュの顔を見てハッと動きを止めた。少しだけ間を置いてから、眉を吊り上げる。今のアッシュの表情は、鏡を見ずとも己で分かっていた。
多分……笑っている。しかもちょっと得意げな感じで。


「あ、アッシュうううう!」
「何だ。元はといえばお前が俺の髪を無遠慮に引っ張ったのが悪いんだからな」
「そんなのもう終わった事だろー!あー服まで濡れちゃった」


関係ないなと踏ん反り返れば、悔しそうにルークが地団太を踏む。そしてふと何かを思いついた表情になったかと思えば、身を翻して両手を川の中へと漬けた。
アッシュがルークの企みに気付いたときは遅かった。


「そおれ!」
「ぶっ!ってめえ……!」


バシャンと音を立てて水が叩きつけられた。ルークのお返しによってアッシュも頭から水を被る事となる。耳に入りそうになった水を頭を振って避けたアッシュが目を開ければ、にやついたルークの顔と視線がぶつかる。
もしこの場にアッシュとルーク以外の第三者がいれば、一瞬両者の視線の間に火花が散るのが見えた事だろう。


「やりやがったな!くらえ!」
「先にやったのはそっちだ……ひーっ冷たーっ!」
「ってめ、足をばたつかせるなこっちに水しぶきが飛ぶんだよ!」
「飛ばしてるんだよー!」
「上等だー!」


こうして仁慈無き水の掛け合いっこがどちらからともなく始まった。この戦いは決着がつかぬまま日が暮れる手前に両者が力尽きたことによって終結する。
もちろん、昆虫なんて今日はひとつも採取出来なかったのだった。




   水遊び

08/07/16