朝日の眩しい中、子どもたちが集まる馴染みの広場の一番後ろに足を運べば、いつものように元気な笑顔がそこにあった。


「アッシュ!おはよう!」
「おはよう、ルーク」


こうしていつもの夏休みの一日が始まる。ラジオ体操を時々リズムが合わないなりに一生懸命に手をぶんぶん振り回して頑張るルークを横目に眺めながら適当にこなし、首から提げるスタンプカードにひまわりのよく頑張りましたスタンプを押してもらう。スタンプの赤に染まった自分のスタンプカードを見て、ルークが歓声を上げていた。アッシュもまんざらではない。やはり毎日頑張って起きているので、達成感は一塩だ。


「じゃあ今日も、いつもの場所で!」
「ああ、いつもの場所で」


ここでいったんルークと別れる。家で朝御飯を食べるためだ。駆け足で家に戻り、母親が準備してくれていた朝御飯をよく噛みしかしなるべく急いで食べる。少し時計を気にしながらもよく味わって朝御飯を完食し、すぐに家を飛び出した。
いつもの待ち合わせ場所にどちらが早く着いているか、互いにはっきりと勝負を申し込んだ事はないが、何故かいつの間にか競い合うようになっていた。全速力で駆けながら正面に待ち受ける待ち合わせ場所を見るために顔を上げれば、そこには人影が無い。息を切らせながらも何とかアッシュは傍にあった電柱にタッチする事が出来た。この電柱にタッチした者が勝者なのだ。
アッシュがタッチした瞬間、傍の角を曲がってルークが走ってくるのが見えた。その表情はアッシュを見た瞬間、驚愕に彩られる。


「き、今日はいつもより早めに家を出たのに!」
「ふっ、これで俺の勝ち越しだな」
「ちくしょーっ!今日こそはと思ってたのにー!」


ルークが悔しそうに地団太を踏む。どちらかと言えばアッシュが勝つ事が多かったので、負けん気の強いルークはよほど悔しい思いをしていたのだろう。しかしそれはアッシュも同じなので、譲る事は出来なかった。仁王立ちで得意げに腕を組んでみせる。


「俺に勝とうなんざ、10年早いな」
「何だと!俺が本気出せば、明日にでもアッシュなんて追い越せらあ!」


ルークが拳を突き上げてきて、一瞬にらみ合う。が、それもすぐに笑顔に変わった。一日はまだ始まったばかりなのだ、こんな事で喧嘩なんてしていては、もったいなさ過ぎる。


「それじゃあアッシュ、今日は何をして遊ぼうか!」
「そうだな、何をしようか」


一日の計画を考えるだけでも、とても楽しい。顔を突き合わせ考えながら二人は歩き出した。頭上ではギラギラと光を惜しみなく降り注がせる太陽が浮かび、真っ白な入道雲が抜けるような青空を彩る。辺りでは早くもセミが鳴き始め、虫も動物もあらゆる生き物がイキイキと動き始めていた。
いつもと変わらぬ、何の変哲も無い、夏の日だった。




「色んなところ行きたい!」


というルークの要望に応じて、今日はこの町の中を歩き回る事にした。歩きなれた馴染みの道も、あまり足を運ばない見慣れぬ道も、平等に歩く。じりじりと焼け付くような太陽の光を浴びながら何気ない事を喋りつつ歩いていると、ひょいと隣の塀からガイが顔を覗かせてきた。いつの間にかガイの家の前に来ていたらしい。


「どこかで聞いた事ある声が聞こえると思ったら、やっぱりアッシュとルークだったか」
「あっガイ!今日はもう起きてるのか?」
「ははは、そんなに毎日寝坊したりはしないよ。ところで二人でどこにいくんだ?」


ホースを持ったガイ(庭に水でも撒いていたのかもしれない)の言葉に、二人は顔を見合わせた。特に目的地が決まっているわけでもない。どこ、と言われても答える事が出来ないのだ。


「別に、どこに行こうと決めているわけではない」
「そうなのか?」
「ああ、アッシュと一緒に色んな所歩いてるんだ!」
「そうか、気をつけてな」


にこやかに手を振るガイにルークが勢い良く手を振り返し、アッシュもひらりと一回だけ手を揺らし再び歩き出す。その仲良く隣り合う背中を見つめながら、ガイは気付いた。


「……そうか、今日まで、なのか……」


その声は我が事ではないものの、どこか寂しさが滲んでいた。




虫を取りまくった森の中。冷たい中を共に遊んだ小川。風鈴を貰ったティアの家の前。アイスを一緒に食べた公園。浴衣を着て行った縁日のあった神社。夜空を見上げて歩いた帰り道。偶然見つけたひまわり畑。どこを見ても、どこへ行っても、思い出せる記憶があった。それらを次々と回り歩き、その時の思い出についてたくさん語りながら町の中を駆け回っていれば、真上に昇った太陽は無常にもすぐにその色を真っ赤に染めて、地平線の彼方へ沈み込もうとしていた。
眩しいほどの美しい夕焼けを、ルークとアッシュは木の上から眺めていた。ここはいつか並んで花火を見た大きな木の上だった。夕焼け色に染まる町並みを、涼やかなヒグラシの声に包まれながらじっと眺める。


「すごく、綺麗だな」
「ああ」
「俺、この町にきてそんなに経ってないのに、夏休み中歩き回ってたからすごく詳しくなっちゃったよ」
「そうか」
「うん、これならもう絶対、迷子にはならねえな」


最初アッシュに案内してもらった頃が遠い昔の事のようだ、とルークが笑うので、アッシュも思わず微笑んでいた。そうだ、確かにルークに頼まれて、この町を案内した。それが始まりだった。まさかそれから夏休み中共に遊ぶ事になるとは、その時は思ってもいなかった。二人で笑いあいながら、再び夕日を眺める。
綺麗だった。しかしその美しさが何故だか目を刺した。空気は穏やかなのに、心には冷たい風が吹いている。その理由を、二人とも知っていた。知っていても、何も口にはしなかった。言葉に出してしまえば、それがすぐにこの暖かな空気を壊してしまうような気がしたからだ。

二人が見つめる中沈んでいく太陽が、とうとうもうすぐ山の向こうに消えてしまいそうになった頃、ルークがぽつりと呟いた。


「アッシュ」


その響きはどこか震えていた。先程まで笑っていたルークの声とは思えないほど寂しい響きを纏っていた。その声に、アッシュは返事を返すことが出来なかった。振り返ることも出来なかった。ただひたすら、目の前の焼け付くような夕焼けを眺める。ルークもこちらを見る事は無かった。何かから目を逸らすように二人で並んで前を見つめたまま、ルークが言った。


「俺……明日帰るんだ」


脇に置いてあったルークの拳が握り締められる。それが横目に見えて、たまらなくなりアッシュはその手を握り締めた。何かを堪えるように、ぎゅっと目を瞑る。握り締めた手は、震えていた。


夏休み最後の日が、終わる。




   最後の一日

08/08/31