今日は一足早く待ち合わせ場所につくことが出来たルークは、懐中電灯を手にニヤリと笑う。周りに誰もいない事を確認してから、そっと傍の物陰に潜んだ。もうすぐここへやってくるアッシュを、驚かせてやろうと思ったのだ。辺りはもうすでに薄暗い、これならば滅多な事ではばれないだろう。頭の中でシミュレートしている間に、聞きなれた足音がこちらへ近づいてくる。心の中でカウントして、足音がすぐ傍に来たときに一気に飛び出した。
顔の下から懐中電灯の明かりを照らし、何となく恐ろしく見える表情でアッシュの目の前に立ちふさがる。


「ばあーっ!」
「………」


最高のタイミングだった、はずなのにそこにいたのは呆れた目でこちらを見つめるアッシュだった。あれ、と首をかしげてルークは懐中電灯を消す。


「何でアッシュ驚かないんだ?今俺すっごく良いタイミングで出たと思ったのに」
「物陰にこそこそ隠れている姿が見えていたからな」
「ええっ嘘だ!もうこんなに暗くなってるのに、俺が見えたのか?!」
「……お前は自分の頭の色を自覚しろ」


コツンとアッシュの持っていた懐中電灯で頭を小突かれる。薄暗い中でもこの目立つ赤色の髪が見えてしまったのだろう。ルークは悔しそうに頭を掻いた。


「ちぇっ、アッシュの驚く顔が見れると思ったのに」
「馬鹿な事言ってないで、行くぞ」
「あっ待てよアッシュー!結局どこに行くんだよ!」


さっさと歩き出したアッシュに慌ててついていく。ルークがいくら尋ねても、アッシュは行き先をどうしても答えてくれなかった。そのまま、ルークの知らない小道へと入っていく。前に見つけたひまわり畑への道と違ってこちらは若干広く、人が少しずつ踏み固めたような脇道だった。その道を懐中電灯で照らしながら歩く。
進むにつれて辺りも暗くなってきた。いくら懐中電灯の明かりがあっても、足元は暗くたまにつまずきそうになる。2人は自然と、互いを支え合うように手を繋いでいた。


「アッシュ、その場所ってまだまだ先なのか?」
「もう少し歩く。そんなに遠くは無いから、黙ってついて来い」
「はいはいー」
「返事は一回だ」
「はーい」


とりとめの無い会話をしながら歩む2人も行く先を、丸い明かりが二つ分照らし出す。空にはもう星が浮かび上がり始めていた。勉強したおかげでどれがどの星か、どんな星座が夏の空に浮かんでいるのか分かるのが楽しかった。
夜空を時折指差しながら歩むルークの耳に、その時風の音でも虫の声でもない別の音が聞こえてきた。一瞬聞き間違いかと思ったほどか細いその音は、しかし前へ前へ進むほど大きくなっていく。ルークは思わずアッシュを見た。


「アッシュ、川だ。川の流れる音がする」
「ああ。この先に小川がある」
「そこが目的地なのか?」


尋ねるルークをアッシュは何も言わずに先へと促した。やっぱり何も答えてくれないアッシュに少しむくれながらも再びルークはついていく。腹いせに、握り締めた左手にぎゅうと力を込めた。すると同じようにアッシュの右手にぎゅっと力が入って、しばらく歩きながらも無言の力比べが続いた。
そうしてしばらくして辺りの草の丈が伸びてきたと感じた頃、目の前の暗がりにとうとう小川を発見した。やはり流れる水の音はこの川から聞こえていたらしい。やっとアッシュがそこで足を止めた。


「ついたぞ」
「ここが?」


ルークは懐中電灯で辺りを照らしながら首を巡らせた。しかし目の前に横たわる小川は普通の小川に見えたし、他にも特に目立つものや気になるものは存在しない。一体どうしてアッシュは自分をここへ連れてきたのだろうと、ルークは首をかしげた。
その時、一歩前へ踏み出したアッシュが、ルークの手を引っ張った。


「いた、見てみろ」
「え?いたって、何を……」


アッシュの指差した方向を見たルークは、何がいたのかと一瞬迷って、すぐに見つけた。まさにアッシュの指先に、ほのかな光を放つ生き物がゆらゆらと空中を漂っていたのだ。息を呑んだルークは、懐中電灯の明かりを消してじっと小さな光を見つめる。ふらりとアッシュの指に止まったそれを見て、ルークがそっと呟く。


「蛍だ……」


一匹見つければ、他にも小さな光が小川の上をひらひら飛んでいる事に気付けた。アッシュが少し指を動かせば、止まっていた蛍が小さな群れの中に帰っていく。その光景を、ルークはぽかんと口を開けて見送った。


「昔はもっといたらしいんだが、最近はもうこの辺りにしか出ないんだ」


アッシュも懐中電灯を消してじっと蛍たちを見守る。2人の目の前で、ぽつぽつ瞬きながら飛ぶ蛍が無数に舞い踊っている。声を出せばその幻想的な光景を壊してしまうような気がして、ルークはただじっとそこに立っていることしか出来なかった。アッシュも何も言わずにルークの隣に立っていた。
やがて、腰が抜けたようにルークがその場に座り込んだ。


「アッシュ」
「何だ」


声をかければ、アッシュが優しい声で返事をしてくれる。ルークはそんなアッシュに何かを伝えようとするのだが、上手く言葉が出てこなかった。何と言えばいいだろう、何と言えば、この神秘的な場所へルークを連れてきてくれたアッシュへ、感謝の気持ちが伝わるのだろう。
結局上手い言葉が浮かんでこなくて、ルークは溜まっていた空気の塊を吐き出した。仕方がないので、思った事をそのまま伝えてみる。


「俺、この夏休み、初めて見る事が出来たものが、多すぎるよ」
「そうか」
「こんなに綺麗なものを見る事が出来て、俺すっげえ嬉しいんだ」


こんなに沢山の美しい蛍の群れを、初めて見たのだ。その感動は蛍たちを見つめる今、後から後から押し寄せてくる。蛍の光をその瞳に映しながら話すルークに、同じように座り込みながらアッシュが満足そうに微笑んだ。


「よかった」
「え?」
「もうすぐ、夏休みが終わる事に気付いて、ずっと考えていた」


夏休みの終わりを忘れさせてくれるほど、ルークはたくさんの楽しい時間をくれた。そんなルークのために、何かしてやりたいとアッシュは思ったのだ。そんな時にここを思い出した。地元のものでもあまり知らない、儚き蛍たちの集まるとっておきの場所を。


「お前にもっと沢山のものを見せてやりたいと思ったんだ。ずっと忘れられないような、夏休みの光景を」
「アッシュ……」


蛍色に照らされながら夜の闇の中笑うアッシュに、ルークは何か大きなものが胸の中で膨らんで、圧迫してくるような感覚を覚えた。それは喉のところでつかえて、上手く言葉を生み出してくれない。そんな中、ただこれだけを思った。
見るだけでこんなに幸せな心地になれる綺麗なアッシュの笑顔を、もう後少ししか見る事が出来ないのだ。


「俺、忘れないよ」
「そうか」
「ずっとずっと忘れない。アッシュと見たこの蛍も、他の事も。この夏休みの事、絶対忘れない」
「俺も、忘れない。ずっと、ずっと」


顔を見合わせ、目と目を合わせていれば何か変なものが溢れてくるような気がして、ルークは慌てて目を逸らした。移り込んでくる蛍の光が、妙に目に染みる心地がする。アッシュも似たような事を考えていたのか、ちゃかすような言葉を口にしてきた。


「こんなにうるせえ夏休みは初めてだったからな、嫌でも忘れられないだろ」
「な、何だよそれ、ひっでえなあ!俺がせっかくアッシュの夏休みを盛り上げてやったのに」
「まあ確かに、今までに無いほど賑やかな夏休みだったがな」


再び顔を見合わせた、今度は上手く笑えた。それでもやっぱり、目の端に移る儚い蛍の光は小さな明かりのくせに胸の中を突き刺して、何かを破裂させようとするのだ。ルークはそれに必死で耐えた。そのせいで変な顔になっているかもしれない。でもアッシュだってよく見れば似たような表情をしているので、おあいこだ。

色んな感情を押し殺した不器用な笑顔を、蛍は優しく照らしていた。





   蛍


08/08/25