その日は夕方でも蒸し暑かった。しかしそれは己の気分でそう感じるのかもしれない、とアッシュは思った。顔には出さないが、おそらく今の自分は、普段より気分が高揚しているはずだ。何故なら先程から自らの足が落ち着き無くあっち行ったりこっち行ったり、歩き回っているからだ。


「ルークったら、遅いわね」


その横で同じくどこか落ち着きなさそうに呟いたのは、ティアだった。手にはバッチリ彼女愛用のカメラが握られている。


「あなただけでも生唾も……じゃなくてとても似合ってて絵になるけど、やっぱり二人揃った姿を写真に収めたいもの」


ティアの目がどこか恍惚とした光を放っているのを見て、アッシュはちょっと距離をとった。連絡したら本当にあっという間に駆けつけてきたし、到着した途端アッシュを激写しまくってその後に改めて普通に挨拶してきたし、やっぱりどこか危ないお姉さんだとアッシュは思う。
そう、アッシュは今、ティア手作りの浴衣を着ていた。もちろん、祭りに行くためだ。今日は祭りの日であった。ルークは自分の分の浴衣を持って帰って、母親に着せてもらうのだと言った。別にアッシュの母も着付けが出来たが、祭りに行く前に一度帰ってきなさいと親に言われたらしい。なのでそれぞれ家で浴衣に着替えてから、改めて待ち合わせとなったのだった。


「あいつは呆れるほど早く来たり、かと思えば遅れてきたり、落ち着きの無いやつなんだ」
「そうなの。ふふ、でも何だかイメージ通りという感じがするわ。あなたが時間に厳格そうな所も」
「……俺は人を待たせるのが嫌なだけだ」


ぷいと顔を背ければまた笑われる。それに何かしら抗議の声を上げようとしたアッシュは、目の端に眩しい赤色が見えて口を閉じた。アッシュの様子に気付いたティアも顔を上げる。視線の先には、息を切らせながらこちらへと駆けて来る白い浴衣が見えた。その姿にアッシュが何か言う前に、瞬時に前へと飛び出した人影があった。もちろんティアだ。


「あっアッシューそれにティアー、遅れてごめ……」
「駄目よルーク!そんなに走ったら浴衣が肌蹴てしまうわ!色んな人の心臓に無駄に負担をかけてしまうからその格好は駄目よ!」
「ふぇ?!」


素早くルークへと手を伸ばしたティアは、パッパとルークの浴衣を整えてくれた。さすが浴衣を手作りするだけあって着付けもちゃんと出来るようだ。ありがとう、とお礼を言うルークをしばらくじっと見つめた後、カメラを取り出してさっそくまずは1ショットを撮り始めながら、言い訳のように口を開く。


「というのは建前で、まだ写真を撮っていないのに浴衣を肌蹴させるのは駄目よ、って事よ」
「嘘付けさっきのが思いっきり本音だろうが」
「あっアッシュ!それすっごく似合ってるな!いいなーかっこいいなあ」
「っ?!」


近寄ってきたルークに不意打ちを食らい、アッシュは思わず言葉に詰まっていた。ティアが今度は2ショットを撮り始めた事にも気に留められないぐらい動揺する。さらに立ち止まったルークの姿をようやくじっくり見ることが出来るようになって、二度動揺した。小さな金魚が描かれた真っ白な浴衣を見事に着こなすルークが口を開け固まるアッシュに小首を傾げる。親にもらったのだろう、少し歩きにくそうに履く下駄がコロンと涼しい音を立てた。


「おーい、アッシュ?」
「……はっ、ななな何を馬鹿な事言ってるんだくずがっ」
「馬鹿な事じゃねーよ、実際アッシュかっこいいじゃん」
「おまっだから……!」


わたわた慌てふためくアッシュと不思議そうなルークを隣で幸せそうに眺めていたティアが、満足いくまで眺め回した後ようやく二人に声をかけた。


「二人とも、これから縁日に行くんでしょう?」
「そ、そうだ、こんなくだらねえ事で言い争っている場合じゃねえ」
「祭りだ!アッシュ、早く行こうぜ!」


ティアの言葉にようやく目的を思い出す事が出来た。さっそくルークが袖を掴んでひっぱるのを伸びるからやめろと諌める。その間にティアがカメラを握り締めて手を振ってきた。


「それじゃあ二人とも、楽しんできてね」
「え?ティアは行かないのか?」


てっきり一緒に行くものだと思っていたのだろう、ルークがキョトンとする。アッシュもティアをどこでどうやって撒こうか考えていたぐらいなので、少し驚いたように目を見開く。そういえばティアが今持参しているのはカメラだけである。祭りにいって縁日を楽しむのなら最小限財布ぐらいは必要だろう。


「ええ、私はいいの。私にはこの写真をすぐに現像してアルバムに保存するという使命があるから」
「納得した……」
「使命かーそれじゃあ仕方ないな」
「今は便利よね……家で手軽にプリントアウト出来るのだから。今度お話でも聞かせてちょうだいね」


じゃあ、と手を振るルークとアッシュに振り返して、ティアは猛スピードで帰っていった。よほど大事な使命なのだろうと良く分かっていないルークが感心して、アッシュはその速さに呆れている。


「……こんな所で時間食ってしまったな。行くぞ」
「いくぞー縁日へー!」


元気良く拳を振り上げたルークが、ごく自然にアッシュの手を握ってきた。しかしアッシュも慣れたもので、少しどきりとしながらも握り返す。少しずつ暗くなっていく空の下、反比例に高揚していく気持ちを感じながら、二人は手を繋いで夕暮れの道を歩く。下駄がカランコロンと軽やかな音を奏でながら、二人の楽しそうな会話を彩った。
縁日は、もう目の前だ。




   縁日へ

08/08/14