今日はあまりいかない道を歩こう、とルークが誘ってきたので、特に何の目的も無くあまり通らない道を歩いていた。太陽の熱に焼かれたアスファルトがジリジリと音を立てているようでその上を歩く気力を見ているだけで削いでいくが、わずかな日陰も見落とさずに上手に渡り歩いていく。今年の夏は痩せるな、と心の中でアッシュは思った。


「うーっ暑いなあ!このままだと俺良い感じに美味しく焼けちゃうよー」


眩しそうに空を見上げながらルークがアホな事を言う。良い感じに美味しく焼けちゃったルークをちょっと想像してアッシュは撃沈しかけた。具体的な光景はアッシュの脳内だけが知る。いきなり口元を押さえ何かに耐えるように俯いてしまったアッシュに首をかしげるルークだったが、幸いにもすぐに別なものに気を取られた。
音が、聞こえてきたのだ。


「アッシュ、今何か聞こえなかったか?」
「……あ?何かって、何がだ」
「えーと聞いた事あるかもしれないんだけど、思い出せないんだ。何だったかなあ」


首を捻っている間に、再び例の音が聞こえてくる。今度は立ち直ったアッシュにも聞こえたようで、並んで音が聞こえた方向へ顔を向ける。そこには一軒の家があった。低い垣根の向こうには縁側が見える。そしてその縁側から、どうやらこの音は聞こえてくるようだった。


「何だっけ……この音分かるか?アッシュ」
「風鈴だな」
「あっ!それだ!フーリンだ!」


チリンチリンと澄んだ音を響かせる風鈴の音色が聞こえてきたのだ。思い出した拍子にビシッとアッシュを指差して、人を指差すなと怒られる。その間にも、一定の間隔で風鈴は綺麗な音を鳴らしていた。


「綺麗だな、フーリンの音!」
「そうだな。最近はあまり聞かないからな」


思わず立ち止まり、垣根を覗き込むように涼しげな風鈴の音を聞く。ヒグラシとはまた違った、夏のわずかな涼しさを感じさせる音色だった。まるで涼やかな鈴の音色を乗せた一陣の風に吹かれたような心地がした。とそこで、アッシュは不思議に思った。先程からこの風鈴の音は途切れる事無く耳の中へと入ってくるが。


「風は吹いていないが……何で音が鳴っているんだ?」
「え?あ、そうか。フーリンって風が吹いてから鳴るもんな」


実に不思議だった。今感じるのは太陽の熱と風鈴の音だけで、風なんかひとつも吹いていないのだ。それなのに何故風鈴は鳴り続けているのだろうか。この不思議な現象に顔を見合わせていると、垣根の向こうから風鈴の音とは違うものが聞こえてきた。それは、人の声だった。


「……あら?あなたたち、そこで何をしているの?」
「「!!」」


びっくりして顔を上げれば、垣根の向こう側に栗色の長い髪の女の人が立っていた。どう考えても、この風鈴の音が鳴り響く家の主だ。自分の家の前で子どもが二人並んで覗き込むように立っていれば、誰だって不審に思うだろう。アッシュは慌ててルークの手を取ってその場を立ち去ろうとした。


「いや、何でもない、です。覗き込んだりしてすみませんでした」
「俺たち怪しい者じゃないぞ、ただフーリンの音を聞いてただけなんだ!」
「馬鹿、余計な事言うな、行くぞ」
「ちょっと待って」


歩き出そうとした所で声を掛けられた。やはり怒られるのだろうかと恐る恐る振り返れば、そこには柔らかく微笑んだ女の人がいた。怒りなど微塵も見当たらない。


「風鈴の音を聞きたいんでしょう?遠慮しないで、もうちょっと聞いていったらどう?」
「でも……」
「いいのよ、私もちょうど風鈴の音を聞きにきた時、あなたたちを見つけたから」


一緒に聞きましょう、と女の人が手招きをする。少し躊躇った後、誘惑に負けたルークが先に一歩踏み出した。慌ててアッシュも後を追う。女の人は柵を開けて、二人を庭へと招きいれてくれた。そこでようやく、音が鳴り止まない風鈴の正体を知る。


「何だ、扇風機で音鳴らしてたのか!」
「ふふっ、せっかく吊るしたのに肝心の風が吹かないから、扇風機を使っちゃったの」


ゆっくりと首を振る扇風機が、定期的に風鈴を揺らして音を鳴らしていたのだ。扇風機に吹かれてかすかに揺れる風鈴は、可愛い金魚が描かれたものだった。欲しい、と目を輝かせるルークを、何とかアッシュは押し留める。


「あまりにも図々しいだろうが、それは」
「だって俺んちフーリン無いんだもん……」
「あら、あげましょうか?まだ出していない風鈴がうちにはあるから、これをあげるわ」


断る前に女の人は軒下に吊るされていた風鈴を手に取り、ルークへと手渡してきた。欲しいとは言ったがまさか本当に貰えるとは思わなくて、ルークは驚いた表情で女の人を見上げる。女の人は、にっこりと微笑んだ。


「はい、どうぞ」
「あ、ありがと……」


躊躇いながらも受け取った後、自分の手の中にある風鈴を眺めて、パッと顔を上げた。その表情は、喜びに満ち満ちている。


「俺、このフーリンすっげー大事にする!本当にありがとな!」
「ええ」
「アッシュと一緒に大事にする!今日は俺んちに下げて、明日はアッシュんちな!」
「待てルーク、勝手に決めるな」


勝手な事を言いながらにっこり笑うルークにつっこむアッシュだったが、否定はしなかった。これはつまりアッシュ的に肯定の意味だ。じゃあアッシュが先でも良いよ、とかそういう問題じゃねえ、とか言い合いになった二人を眺めていた女の人が、クスクスと笑う。


「ルークに、アッシュね。その風鈴、大事にしてあげてね」
「おうっ!おねーさんは何て名前?」


この可愛い風鈴をくれた人の名前は覚えなければ、と意気込むルークに、微笑みながら女の人が言った。


「ティアよ」
「ティアか!よろしくな、ティア!」
「こら、呼び捨てにするなんて失礼だろうが」
「でもガイはガイじゃんか」
「ガイはガイだからいいんだよ」
「いいのよ、アッシュもティアって呼んでちょうだい」


再び言い合いを始める二人にティアが笑いかけた。風鈴の音色のような涼やかな笑顔に、一瞬二人して気が逸れる。そんな二人にティアがクスクス笑えば、すぐにハッとなった。


「じゃ、じゃあティア!フーリン貰ってくからな!」
「あっルーク待て!勝手に一人で走り出すんじゃねえ!」


フーリンを手にドタバタと外へ飛び出していく赤い二つの頭に、ティアはしばらく笑いが収まりそうも無かった。


「ああ、何て可愛いのかしら……!風鈴もいいけど、可愛い子どもの声を聞いている方がずっと良いわ」


何だか若干危ない言葉を呟いている可愛いもの好きのティアは、すっかりルークとアッシュが気に入ったようだった。可愛い子のためならば、可愛い風鈴を手放す事も、惜しくはないのだ。




   風鈴の音

08/08/06