初めて出会った夏休みから、何年が経っただろう。





互いに遠い場所に住んでいるために、顔を合わせることが出来るのは毎年の夏のみだった。その間に二人で長くて短い夏休みを精一杯楽しんだものだ。夏休みが終わりまた離れ離れになっても、筆不精ながら細々と手紙のやり取りもした。年を重ね、文明の利器を手に入れた後は定期的にメールの交換も行っていた。会うたびに背を比べ合い、どんぐりのようだと回りに比喩されながらも数ミリの勝負で一喜一憂していた。

過ごした時間は短かったかもしれないが、それでも確かに二人は、親友だった。
少なくともアッシュは、そう思っていた。



あの晴れ渡った青空のように輝く笑顔を、長い事見ていないとアッシュは考えていた。毎年の夏休み、アッシュの住む町へかならずやってきていた友、ルークは、去年の夏は来なかったのだ。理由は……受験勉強だった。去年中学三年生だった二人は、高校受験を控えた立派な受験生だったのだ。どうやら結構難しい所を受ける予定だったようで、勉強漬けで休みが取れないからとこちらに来なかったのだ。ルークが、勉強が嫌いで宿題も一人では絶対にやらないあのルークが、勉強漬け。電話で話を聞いたアッシュがしばらく絶句した事を、誰も責められないだろう。
勉強をする事は大事だ。ランクの高い高校を受けるのは個人の自由だし、そのための努力を惜しまないのであれば褒め称えられるべき事だろう。しかしアッシュは不満があった。ルークが一体どの高校を受けるのか、結局教えてくれなかったのだ。自分はアッシュにどこを受けるのかメールであっさり聞いてきたくせに、アッシュが返信した後は音沙汰無しである。その後はいくらメールや電話で詰め寄っても口を割ろうとはしなかった。何度直接家に乗り込もうかと考えた事か。
だからルークがどの高校を受けたのか、そして受かったのか受からなかったのか、アッシュはまだ知る事が出来ていないのだった。


「……ちっ」


その事を思い出してアッシュは思わず舌を打っていた。そういう訳で、ルークとは一年以上会っていない事になる。アッシュだってそこまで切羽詰ったものでは無かったとはいえルークと同じ受験生だったのだ、それなりに勉強をしなければならなかった。その事に必死で今まで考えずに、いや、考えないようにしていたが、今は何もアッシュの思考を縛るものは無い。そのおかげで余計に腹立たしさが沸き起こってくる。

アッシュは、見事志望校に合格していた。今まで住んでいた町から少し離れた学校だった。その理由をアッシュは誰にも話していない。話せるわけがなかった。親にも友人にも幼馴染にも、理由となった張本人にも。
ずっとずっと胸のうちに秘めていたこの想いを、今更誰かに打ち明けられるわけが、ない。

思わず空を見上げる。憎らしいほど晴れ渡った青空が目に飛び込んできた。今日は絶好の始業式日和という訳だ。その事にさえも何だかムカついて、アッシュは思いっきり空を睨みつけた。完全な八つ当たりだ。


「くそ……何のために俺は……」


これから通う事となる比較的綺麗な校舎を見つめながら呟く。両親が不自然に思わないようなギリギリ遠いこの学校。少しでも、あいつの住む町に近づけたと思ったのに。

肝心のあいつは、今どこにいるのか。どの学校の前に立っているのか。


会いたい。


「……ルーク」



「アッシュ!」


呼ばれた己の名に、アッシュはとっさに振り返った。頭が、その声がどこかで聞いた事のあるものだと認識したのはその後だった。初めて聞いた時よりも成長し低くなった、それでも本人の明るさを損なわない、快活そうな耳に馴染む声。とっさにその声の持ち主の名前が浮かんだのに言葉に出せなかったのは、信じられない思いで頭の中が一杯だったからだ。
ついさっき呟いた名前が、本人がいきなり目の前に、現れるなんて。

声はそのまま振り返ったアッシュに遠慮なくぶつかってきた。周りの視線をものともせずにアッシュを力いっぱい抱き締める。その一瞬の時間を、アッシュは永遠に感じた。それぐらい強烈な抱擁だった。ついでに限りなく苦しかった。


「くっ苦しっ……!てめ、力の加減をしやがれ!離れろ!」
「あいてっ!何だよーせっかく久しぶりに会えたってのにー」


襟首を掴まれ離された焔色の頭は不満そうに唇を尖らせる。そのムカつく表情に怒鳴りつける余裕が、しかしアッシュにはなかった。目の前にしてもまだ信じられなかった。アッシュの前に立っているのが、今し方考えていた、遠い場所にいるはずの友だという事を。


「……ルーク、なのか」
「えーっ一年ちょっとでもう俺の顔忘れたのか?!俺はアッシュの事、ひと目見ただけで分かったのに!」


だから遠慮なく飛びついたのだと胸を張って答えてみせる、ルーク。


「もちろん、俺はルークだ!アッシュの親友兼悪友兼好敵手兼……後何があったっけ?とにかく正真正銘ルークだぜ!」
「……背に関しては俺のほうが勝っているようだがな、好敵手」
「な、何だとー?!まっまだ俺だって成長期だ、挽回のチャンスはまだまだあるんだからな!」


うっかり久しぶりに会った時の癖でまず身長を確認した後、アッシュは必死に背伸びをしてみせるルークの肩を力を込めて掴んだ。思わずルークも怯んでアッシュを見つめる。


「それで、何故お前がここにいるんだ、ルーク」
「へ?何故って……決まってんじゃん。俺の格好見て分かんない?」


ほらと両手を広げるルークが身に着けているものは、制服だった。どこか見覚えるのある制服は、己が身に着けているものとまったく同じものなのだから当たり前だ。
……同じもの?


「アッシュ、この学校を受けるって前に教えてくれただろ?」


黙り込むアッシュに、ルークがそっぽを向きながら話しかける。その頬はどこか照れくさそうに赤らんでいた。その様子をまさかと思いながら呆然と眺める。


「俺馬鹿だからさ、親や先生に全力で止められたけど、すっげー頑張ったんだぜ?どうせまぐれで受かったってついていけないとか何とか。でもそんなのやってみなくちゃ分からないだろ?多分試験はギリギリセーフって感じだったと思うんだけどなー」
「……どうして」
「へっ?」


言い訳するように早口で捲くし立てるルークにアッシュが思わず呟いた。ルークが首をかしげてくる。その表情は、子どもの頃と何ら変わらないものだった。勉強嫌いで、遊ぶ事が大好きで、太陽のように笑う、出会った頃のルークと同じものだった。


「お前は勉強が死ぬほど苦手だったろうが。なのにどうして」


きっと受験勉強はかなり辛いものだっただろう。毎年彼の夏休みの宿題の面倒を見てやっていたアッシュだからこそ分かる。夏休みに遊びにもこれないぐらい勉強を頑張ってみせたルークは、しかしケロリとした表情で言った。


「アッシュが、この学校を受けるって言ったからだよ」


今までずっと、ずっと、夏休みにしか会えなかった。互いに共通する思い出は夏休みだけ。顔の見えない手紙や電話、メールのやり取りなんて、思い出なんて言えない。けれど学生が気軽に会いに行けるような距離では無くて、ルークはずっと、歯痒い思いをしていたのだと言う。
もっとアッシュと遊びたい。もっとアッシュと話したい。もっとアッシュと会いたい。

そこでルークは単純明快な答えを得る。
そうだ、一緒の学校に通えばいいのだ!


「ってな訳で俺は血の滲むような努力を重ねてここまで上り詰めてき……あれ、アッシュ?どうしたんだ?」


傍らで撃沈するアッシュにルークが疑問符を浮かべる。何とかそこから立ち直る事に成功したアッシュはガッシとルークに掴みかかった。


「何故お前はっ……この……この屑がっ!!」
「なっ何だよ!何で怒るんだよ!」
「大体っ一緒の学校に通いたいなら何故俺に言わなかった!お前が無理をしなくても俺の方が学校を変えれば」
「それはアッシュに迷惑かかるだろ、これは俺の勝手なわがままなんだし!それに!」
「それに、なんだ!」
「内緒にしてこうやって会えればびっくりさせる事が出来て、面白いじゃんか!」
「………」


アッシュは一気に脱力した。問い詰めている事が何だか馬鹿馬鹿しくなってくる。ルークはそんなアッシュの肩をぽんぽんと軽く叩いてきた。


「まあまあ、過ぎた事は気にしないでおこうぜ」
「……ああ」
「実際俺はこうして合格できて、アッシュと同じ学校に通えるんだから。結果オーライだろ!」
「まあ、な」


確かに、それは素直に驚いたし、喜ばしい事だ。ルークはあっけらかんとしているが、おそらく相当な努力を重ねたに違いない。それを表に出す事無く朗らかに笑う傍らの親友が今まで会えなかった分もあって何だか愛しくなって、アッシュは思わずその柔らかい頭を撫でていた。
思わずルークも固まる。


「?!」
「今まで辛かっただろう。よく、頑張ったな」
「な、ななな何だよ、そんな風にいきなり褒められると、無駄に照れるだろ!」


アッシュの手を払いのけたルークは、熱を飛ばすように首を強く振ってみせた。その後取り直すようにアッシュを見つめて、にっこり笑う。


「ほら!早くしねーと始業式始まっちゃうぞ、アッシュ!」
「確かにそうだな、急ぐぞ、ルーク」


視線を交わし、笑いあう。こんな簡単な事が今まで出来なかったのだ。それがこれからなら、毎日だって出来る。何故なら、同じ学校に通うからだ。

頭上から時刻を知らせる鐘の音が鳴る。それは、これからの新しい日常の始まりを指し示すように高らかに鳴り響いた。





   きみとぼくは再び出会う

08/10/13