兄上は、俺だ!いいや俺だ!
「なールークぅーあっちいよー」
「はいはい」
ぐったりとテーブルに伏せるルークを、俺は向かいから扇であおいでやる。確かに今日はなかなかの暑さだ。昔の貧乏暮らしな俺だったら真っ先に川に行って水浴びして涼んでいる所だ。お城で使用人暮らししている今はさすがにそんな事出来ないけど。
ルークは今、その暑苦しい長い髪を俺の手で一つに結びあげているけど、それでも暑そうだ。やっぱ髪の色が見た目的にもめちゃくちゃ暑いんだよな……暑いっていうより、熱い?髪の先に行くにしたがって赤から金に移り変わるその色のせいで、ルークの頭は炎に燃えているように見える。俺も伸ばしたら同じような色になるのかな。
「うーっあちい……ルーク、もっと」
「無茶言うな」
「んだよー俺がこんなに暑がってんだからもっと力入れてあおげよー!」
「俺だって暑いの!これ以上ワガママ言うならあおがねーぞ!」
叱りながら、心もち手元に力が入って強くあおいでしまう。ルークは不満そうな顔を一変させて満足そうに笑う。うーん、ルークは本当に甘え上手だよな。いや、ワガママ上手か?どんなワガママを言われても、何となく許してあげたり叶えてあげたくなってしまう天性の持ち主というか。お城の人たちの様子を見るにこれが俺だけでないのは明らかだ。お得な奴だと思う。さすが末っ子王子。
そもそも俺たち今、勉強中だったはずなんだけどな……まあ休憩って事で、いいか。
「なんだルーク、またヒヨにワガママ言ってるのか?」
「うるせーぞガイー」
たまたま傍を通りかかったガイが声を掛けてきた。涼しげな顔で仕事してるけどガイも暑いんだろう、額の汗をぬぐいながら俺にも話しかけてくる。
「今更だが、ヒヨも毎日大変だろう。こいつのワガママ癖は筋金入りだからなあ」
「人聞きの悪い事ゆーなよ!」
「はは、まあ確かに今更かな、もう慣れちまったし。それに……」
ちら、とルークを見る。ガイの言い草に唇をとがらせているその姿は、実年齢よりも大分幼い。甘やかされて育ったせいか、ルークは基本的に子供っぽいんだよな。そこがまた愛される一因になっているのかもしれないけど。俺だってまあ、そんなルークを仕方ねえなって思いながらも構ってしまうし。
この無性に湧き上がってくる感情。使用人が主人に抱く気持ちというより、これは。
「何かルークって、ものすごく弟ーって感じなんだよな、だから俺も兄みたいに世話焼いちゃう所があるし」
俺の言葉に、ガイが「分かる分かる」と笑いながら同意する。ガイほど歳が離れていれば尚更だろうな。使用人としてちょっといけないとは思うんだけど、そうやって感じちゃうものは仕方ない。
俺とガイが意気投合している間に、脇から不穏な声が上がってきた。
「……弟?兄?」
ルークだった。伏せていた顔を持ち上げて、俺を見てくる。その顔は不満でいっぱいだった。な、何だ何だ?ルークの機嫌が一気に急降下したみたいだぞ、何でだ?
「納得いかねえ……」
「ルーク?」
「何で俺が弟なんだよ!ルークが弟で、俺が兄だろ!」
「「ええっ?!」」
まさかそう来るとは思わなかった。思わず俺とガイは声をそろえて驚いていた。……あ、ガイも驚いたんだ。だよなあ、ルークが兄で俺が弟より、ルークの方が弟って言う方がしっくりくるよなあ?
ルークだけはどうやらそう思っていないようで、テーブルをバシバシ叩きながら抗議してくる。
「何でそんな意外そうな声を出すんだよ!この城じゃ俺の方が先にずっと住んでるんだから、ルークより俺の方が上だろ!」
「あー、まあそういう観点から見ればそうなるけど……」
「でもなあルーク、お前ヒヨに兄らしい事何一つしてないじゃないか」
「兄らしい事だとお?!」
ガイが諭すように言い聞かせる。ルークはむっとなって一度考え込むと、すぐさま俺の方へ顔を向けてきた。
「おいくずルーク!俺の事を兄と敬うんだくずが!」
「……ルーク、いくら兄でもアッシュを真似るのは止めるんだ」
「何で?!」
ああ、ルークの身近な兄がアッシュ様しかいないせいでひどい兄像が出来上がっている……。ルークの言う兄が弟を屑屑いじめるものだと思っているのなら、尚更俺はルークの弟になんてなれねえ!
俺とルークを交互に見て、これは止めなければと思ったらしい。ガイはルークに歩み寄り、その肩を叩いて落ち着かせようとしてくれていた。ありがとうガイ。
「なあルーク、兄ってのはな、威厳と優しさを兼ね揃えているものなんだ。弟に情けない所を見せず、ちょっとしたワガママも笑って許してやる……そういう余裕を持っているものなんだぞ」
「優しさ……じゃあ兄上は兄失格って事か?」
「……アッシュは、あの余りある威厳で優しさの部分を補っているからいいんだ」
ルークの素朴な質問に、苦しい答えを返すガイ。この場にアッシュ様がいなくてつくづくよかったと思う。もし今の会話を聞いていたら、ルークと、ガイと、そして何故か俺も巻き込まれてものすごいお仕置きを受ける羽目になっていただろうからだ。
それにしても、アッシュ様が兄とか……俺なら無理、絶対途中で心折れる!その部分だけは17年間あの人の弟をしているルークを尊敬してもいいかもしれない。
「とにかく!お前がヒヨにワガママ放題している間は兄になんてなれっこないって事さ」
あ、無理矢理ガイが結論出した。ルークは悔しそうに黙り込む。少しは自覚があるらしい。これでルークがちょっとでも大人しくなれば万々歳だ。ナイス、ガイ!
俺とガイが陰でグッと親指を立てている間、ルークは何か考え込むように沈黙していた。どうしてだろう、今説得がとても上手くいったはずなのに、嫌な予感めいたものが込み上げてくる。一体何を考えているんだ、ルーク……。
「……よし、分かった」
やがて声を上げたルークは、その瞳に並々ならぬ決意を灯し、高らかに言い放った。
「ルーク、俺にワガママを言え!」
「……はあ?!」
「俺だってな、ルークのワガママぐらい何でも聞いてやれるようなかいしょー持ってるって事、見せてやる!今日一日お前は俺にワガママを言いまくる事!分かったな、ルーク!」
こちらを指差し偉そうに命令してくるルーク。言葉の出ない俺に代わって、同じように呆けていたガイが小さく呟く。
「……それもまた、ある種のワガママになるんじゃないか?ルーク」
……ガイ、もうちょっと大きな声で言ってやってくれ。
かくして俺はいきなり、今日一日ワガママを言う事を強要される事となったのだった。……一体どんな状況だ、これ。
「おいルーク、ワガママ!ワガママ言えって!」
「いきなり言われても思いつかねえの!」
俺がそそくさと勉強道具を片付けて席を立っても、ルークは諦めずに後をついてきた。俺は言われていた宿題を全部片づけたから席を立てたんだけど、ルークはほとんど進んでなかったような……?
ちなみにガイは用事を思い出したとか何とか言ってこれ以上巻き込まれないように逃げていった。ちくしょう薄情者。
「なあルーク、お前宿題がまだ終わってなかったんじゃ……?」
「ああ?んなのどーでもいいって!それより今はワガママだろ!」
そっと思い出させようとしたけどあっけなく却下される。まあ、いいけどさ、怒られるのはルークだし。
しかしこのしつこさ、何か適当に言わなきゃ絶対引かないな……うーん、ワガママ、ワガママねえ。一体どんなものをワガママと言うんだろうか……。
「なあワガママ先輩、どんな事をワガママって言うんだ?」
「ワガママ先輩言うな!そんなの教えてもらうような事でもねーだろ、自分の今やりたい事とか希望とか言えばいいんじゃね?」
「あーそっか、それなら……」
ぐう。そのタイミングで俺の腹が鳴った。
「……腹減った」
「仕方ねえな!おっし!待ってろ!」
「あっルーク?!」
え、今ので?今のがワガママでいいのか?!ただ俺腹減ったって言っただけなんだけど……。俺が止める間もなく、ルークはばたばたと廊下を走り去ってしまった。俺は、ここで待っていた方がいいんだろうな……。
待つのは別にいいんだけど、ルークは何をしに走って行ってしまったんだろう。腹減ったって事なら、やっぱり食べ物を持ってくるつもりだろうか。お城の中で食べ物を調達できる場所といったら、一つしか思い浮かばない。厨房だ。……大丈夫かな。あそこに忍び込むのは、確かにルークの得意技だけど。
俺がそのまましばらく廊下の隅に立って待っていると、ルークはわりとすぐに戻ってきた。幸い、その後ろからコック長とかが追いかけてきている状況ではないみたいだ。ほっ。
「よう、待たせたな!」
「待ったよ、いきなり走って行っちまうからびっくりしたんだからな!」
「へへっ善は急げっていうだろ?おかげでいいもん手に入れたぜ」
「な……!ルークが、ルークがちょっと賢い事言った……!」
「へ、変な所で感動すんなよ!ほら、これ!」
俺が思わず感動していると、頬を赤らめたルークが何かを差し出してくる。だってさあ、あの勉強嫌いなルークを俺が一生懸命一緒に勉強させようと頑張ってきた功績かなって思うと苦労が報われるというか……って、ん?俺は感動するのもすぐに忘れて、差し出されたものを凝視した。
だって、てっきりお菓子や果物なんかを調達してくるのかなって思ってたんだ。そこに料理をまとめて運ぶ用の手押し台を持ってこられては……あっけに取られるだろ、普通。しかも銀色のふたが乗せられた皿が敷き詰められている。この蓋、昔は高級料理に使われているイメージがあって憧れてたなあ……。
少しだけ現実逃避し始めた俺の目の前で、ルークは得意げに蓋を次々と開けた。温かそうな湯気と美味しそうな匂いがいっぱいに広がる俺の目の前に現れたのは……!
「ふ、フルコース?!」
「おう!誰のか知らねーけど、ちょうど用意してあったからこっそり持ってきてやったぜ!多分父上あたりのじゃねえかな?これで腹いっぱい食えよ、ルーク!」
「む、むむ無理!絶対無理!王様の分の料理を横取りして食えるわけねえだろー!」
実の息子のルークは甘やかされてるから食べても許されるのかもしれないけど、使用人の俺は絶対無理!処刑されるっ!ルークがせっかく持ってきたのにって不満顔だけど、そういう問題じゃねーから!
廊下の真ん中で俺とルークが食え無理の押し問答を繰り広げていると、背後から厳格そうな声が聞こえてきた。……はっ、この声は……。
「公務が長引いて腹が減ったな、用意させていた昼食を早く食べなければ……おおルーク、ヒヨ君。一体何をしているのだ」
「あ、父上」
「お、おおおお王様っ?!」
うわあ何てタイミングだ!しかもすげえお腹ぺこぺこそう!王様の目は匂いに誘われるように、俺達からすぐに料理へと移動する。この明らかに豪華なフルコース具合……駄目だ、もう料理をごまかす事は出来ない。な、何と言い訳をすれば……。
俺が言葉に窮していると、ルークが胸を張って自信満々に答えた。
「今ルークが腹減ったってワガママ言いやがったから、父上の分の飯を盗んで食わせる所だ!」
「ぎゃああああ間違ってないけどルークゥゥゥゥゥッ!!」
俺、処刑決定!全てに観念して恐る恐る王様を見る。仕事に忙しくてお腹を空かせている所で使用人如きに飯を盗まれるなんて……許されるわけが、ない。
目を丸くしてルークの堂々とした告白を聞いた王様は、ごほんと一つ咳払いをして。
「そうか、ヒヨ君が腹を空かせていたか。それならば仕方ないな」
「はいすいませんでした、せめてこの罪は死んでつぐな……えっ?」
「私の分はまた作らせよう。それはお前たちで食べると良い。ルーク、あまりヒヨ君を働かせ過ぎぬようにな」
「へいへい」
「あ……え……?」
ルークだけに釘を差すように言うと、王様はすたすたと俺たちの横を歩いて通り過ぎてしまった。……え、いいの?俺許されたの?マジでこの料理全部くれるの?
王様の背中を見送ってから、後頭部に両手を回したルークはご機嫌そうに笑う。
「よかったじゃねーか、これで心置きなく満腹になれるな!」
「……うん、代わりに俺の寿命が3年ほど縮んだけどな」
「マジで?!何でだ!」
思わずその場にへなへなと腰を下ろした俺を、ルークが驚いた顔で見下ろしてくる。俺の今の九死に一生を得たような気持ちを、ルークが理解する日はきっと一生来ないんだろうな……。ま、来ない方がいいか。
その後、ルーク(と俺)の部屋に戻って、頂いた料理を有難く二人で平らげた俺たち。俺のために持ってきたはずなのにルークが半分ぐらい食べていたのはこの際気にしない事にする。相変わらず美味しい料理に舌鼓を打った俺は、これでルークの気も済むだろうと思っていた。
結論から言うと、俺が甘かった。めちゃくちゃ甘かった。今日のルークは非常にしつこかった。食べ終わった後もまだ他のワガママを言えと詰め寄られ、いくつも無理矢理ひねり出したワガママを言う羽目になった。いきなり言われても思いつかねえって何度も言ってるのになあ。
しかもルークのワガママ解決方法は俺の予想を軽々超えてくる。暑いと言えば大量の氷を持ってきて背中に落としてくるし、部屋の片づけだるいって言えば整理整頓しようとして何故かさらに部屋を散らかすし、肩凝ったって言えば骨を折られるかと思うぐらい本気の力でドカドカ叩かれたし。……薄々予感していたことだけど、やっぱり普段より数倍疲れた……。
「なあ、どうだ!お前のワガママなんか全部簡単に聞いてやれただろ!俺の勝利だ!俺が兄上だ!」
「あーはいはい、そうだな勝利だな」
日が暮れて、後は寝るだけとなった時間。俺がベッドに俯けでぐったりと倒れこむ横で、ルークがはしゃいだ声を上げている。ルーク的には今日一日完璧にこなした自信があるらしい。ある意味羨ましいほどのプラス思考だ……。
……まあ、でも。顔を動かしてルークの顔を見る。俺のワガママを全て聞きこなした(つもりの)満足そうな顔。そこに不満や疲れは一切見られない。俺のワガママばっかり聞いた一日だったのに。俺はルークに振り回されたと思った一日だったけど、ルークから見れば俺に振り回された一日だっただろう。それなのにあんなに楽しそうに笑っている。それがちょっと、不思議だな。
「……つーかさ、今更だけどよ、どんな事がワガママっていうのか分からないって、変じゃね?」
「は?」
ルークは俺の目の前で、途端に唇をとがらせてみせる。相変わらずコロコロと変わる表情だな。でもそうか、言われてみれば、そうなのかもな……。俺は寝そべったまま、肘をついてルークを見上げた。
「お城に来る前にはそういうワガママ言う相手がいなかったもんなー。だからちょっと、慣れてないんだよ」
「……ふーん」
さっきまでご機嫌顔だったルークの様子が、どうしてか不満そうな表情に変わっている。……不満、というより、もどかしさや切なさみたいな、どうしようもない気持ちを抱えてる、という顔に見えた。ルークは今、何を考えているんだろう。あんまり見せない複雑な表情だ。
俺がルークの表情を読むようにじっと見つめていると、ルークは一人で考えて一人で納得したらしい。よし、と呟いてから、どこか決意したような目で俺を見てきた。
「おいルーク!これからもワガママは言えよ!」
「へっ?」
「なんてったって俺はお前の兄上だからな!弟のワガママなんかいつだって聞いてやる!俺は兄上と違って優しいんだ!」
胸を張るルークはすっかり俺の兄貴をきどっている。そういう仕草がまた子供っぽいから兄には見れないんだけどな……。でも、ルークには言わない。だって今の俺は、つっこむどころではない嬉しさにあふれていたから。
今さっき、ルークが具体的に何を考えていたのかは分からない。でもその内容はきっと、俺の事だ。俺の事について考えて、そして俺にワガママ言えと言う。そこに含まれるルークの想いは……言葉にしなくても、温かさと優しさに満ちているのは明白だ。
ルークは俺のために俺の兄上になろうとしてくれている。それが単純に、嬉しいんだ。
俺は身を起こして、ルークに手を伸ばした。今俺が感じている喜びと感謝の気持ちを、少しでもルークに返したい。今日一日結んでいたせいでちょっとクセがついてしまっているその頭を、俺は想いを込めて撫でた。
「ありがとな、ルーク。……お言葉に甘えて、たまにはワガママ練習させてもらうよ」
「おお、いつでもいいぜ!……へへっ」
ルークは俺の手を受け入れ、目を細めてくすぐったそうに笑う。そのまま俺たちはしばらく、ベッドの上でほのぼのとした時間を過ごした。はたと我に返ったのは、ほぼ同時だった。
あれ、今のこの、俺がルークを撫でている光景。これってどちらかと言えば……兄が弟を褒めるために撫でてるみたいな、そんな感じじゃね?
「っだー!てめールーク何撫でてるんだよ!撫でるなら兄である俺の方だろ!」
ルークも同じことを考えたようで、俺の手を勢いよく振り払った。次の瞬間には俺に飛びついて、両手でわしわしと頭を撫でてくる。いやこれ撫でるっていうより、髪をめちゃくちゃ掻き混ぜてるだけだろ!
「いてっいてて!ルーク、痛いっての!」
「うるせえ!お前が兄上っぽくナチュラルに頭撫でるのが悪いんだ!このこのこのっ!」
「だ、だって、今ごく自然に撫でてたんだ!何かすげえ頭撫でやすいルークが悪い!」
「いいやルークが悪い!俺は悪くねえー!」
ベッドの上でルークの腕から逃げ回りながら、俺は思う。ルーク……お前やっぱり、どう転んでも弟属性だと思うぞ。
14/07/29
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