連日悪い天気が続く雨の日。
コンビニ帰りに頭上に空色の傘を差して鼻歌交じりに歩いていたら、視界の隅に普段は道端では見かけない色に出会った。
優しい夕焼け色をした毛が比較的長めの猫であった。
……多分猫だろう。猫の耳もついているし、猫の尻尾だってちゃんとついている。
まあ、体は人間だけど。
思わず立ち止まって眺めれば、道の隅に蹲っていた猫(多分)は、綺麗な翡翠の瞳でこちらを睨みつけてきた。
見るんじゃねえ、とっとと立ち去れ。
そんな声なき声が聞こえてきそうな、はっきりとした態度だった。
しかし今天気は雨。もちろん目の前の猫(多分)は頭からずぶ濡れ状態である。
いつからここにいて、こうやって蹲っているのか。
何だか放って置けなくて、思わず猫(多分)に手を差し伸べていた。
「行く所無いんなら、俺んちに来いよ」
差し伸ばされた手に、小さく震える同じ大きさの手が触れるのは、数秒後の事であった。
猫と双子が出会った日
立ち上がってみたら猫(多分)が自分と同じ大きさなので少しへこんだ。
しかし握った手がひやりと冷たかったので、すぐにぎゅうっと握り締める。
その事に驚いた様子の猫(多分)を引っ張って、急いで帰路についた。
「ただいまー……」
そっと家の扉を開けたら返事が帰ってこなかったのでほっと息をつく。
よかった。双子の兄はまだ帰ってきていないらしい。
もし帰ってきてこれを見たら、すぐさま「元の場所へ戻して来い!」と怒鳴り散らすだろう。
まず、このアパートがペット禁止だし。
いやこの猫(多分)をペットと呼んでいいものなのかどうかは分からないが。
とりあえず猫(多分)を部屋に入れ、タオルを取り出してきて頭からガシガシと拭いてやる。
猫(多分)はじっと大人しく座ったままだった。
「……きれーな髪だなー」
思わず呟く。髪というより毛並みと言ったほうがいいのか。
腰?まで伸ばされた猫っ毛は、先にいくにつれて金色に染まり優しい色を帯びていた。
兄の真っ直ぐな真紅の髪も綺麗だと思うが、こちらもこちらで十分綺麗だった。
俺も伸ばそうかな、と自分の短い赤毛を見て、そこで思い出した。
「ああ、とりあえずお前の事は何て呼ぼうかな」
そう、この知り合ったばかりの猫(多分)の名前を知らない。
しかし猫(多分)は先ほどからうなだれた姿勢のまま、ぼそりと呟く。
「名前なんて、ねえよ」
それを聞いて一瞬慌てたが、それなら自分がつけてやればいいと開き直る。
しばらく垂れた後頭部を見つめていたら、零れるように言葉が口から滑り落ちた。
「……ルーク」
それが自分の名とまったく同じである事に気付くのは、さらにもうしばらくした後であった。
「……で?一体なんでこうなった?」
額に青筋立ててこちらを見下ろす双子の兄に、ルークは「やっぱりこうなった」と半ば諦めた表情で正座していた。
背後にはこちらに背を向けて、足を組んだ猫ルーク(命名ルーク)が座っている。
それをちらりと見てから、兄アッシュが再び口を開く。
「どうしてペット禁止なはずのこのアパートの部屋に、猫がいるんだ」
「……えっと」
言い淀む事無く猫と言い切って見せたアッシュに少し戸惑いながらも、ルークは言葉を濁す。
「……大方、濡れている所を忍びなく思って連れて帰ってきてしまったんだろうが」
呆れ果てた様に言うアッシュに、しかしルークは図星そのままなので何も言い返すことは出来ない。
分かっているならこうやって問い詰めるような事はやめて欲しい。心臓に悪い。
「なあ頼むよアッシュ。どこにも行く所がないみたいなんだ。ちょっとだけ、な?」
「ほう、大家にこれが見つかってここを追い出される覚悟がある、という事だな」
「う……。あ、ある!あるから!」
「俺にはない」
「アッシュー!」
お願い!と目の前の腰に抱きつくルーク。抱きつかれたアッシュのその顔が面倒くさそうに、しかしどことなく嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
何故かイライラした様子で眺めている猫ルークの目の前で、とうとうアッシュが折れた。
「いいか、俺は絶対に面倒など見ないからな!飼い主が見つかるまでてめえが自分で全部見るんだぞ!」
「分かってるよ!アッシュありがとな!」
よかったなー!とルークが頭を撫でると、猫ルークは気持ちよさそうに目を細める。
それを面白く無さそうな目で眺めていたアッシュは、ふと猫ルークを見て尋ねる。
「ところでお前、名はなんだ」
猫ルークはキョトンとアッシュを見上げると、先ほどのルークと同じように、ルークの腰に抱きついて言った。
「ルークだ」
こいつから貰った。
アッシュの額に再び青筋が浮かぶのを見て、ああもう一悶着あるな、とどこか遠い目をしたルークであった。
腹が減った様子の猫ルークに、とりあえず余っていたパンを与えると美味そうに食べ始めた。
ちなみに名前の件は、さんざんアッシュが別の名前を考えたのだが当の猫ルークが頑として受け入れなかった。
どうやら「ルーク」という名前が大層気に入ったようで。
何故こんな名前をつけたとルークも問い詰められたのだが、自然に転がり落ちた言葉なのだ、自分でもよく分からない。
ただこの猫(多分)を見ていたら、何故か「ルーク」だと思ったのだ。
ルーク本人もそんなに気にしていなかったので、仕方なく猫ルークは「ルーク」となった。
「なあアッシュ」
「何だ」
パタパタと動く長い尻尾を眺めるルークに、テレビを見ていたアッシュが答える。
「こいつ、やっぱり猫なのかな」
猫耳と猫しっぽは確かに本物だった。今もぴくぴくと動いている。でも、いくら見ても体は人間そのものだ。
思えば言葉も普通に話す。
猫と断言してもいいものか、と悩むルークの言葉だったのだが、その後には少しの沈黙が続いた。
怪訝に思ったルークが振り返ってみれば、そこには何を当たり前のことを、といった顔をしたアッシュがいた。
「どこをどう見ても猫だろうが」
「……ん?そう、かな……え?」
「猫の耳に、猫の尻尾、猫以外の何だってんだ」
いやそれだけじゃねえか。出かかったルークの言葉はアッシュの自信に満ち溢れた表情の前に消える。
忘れてた。こいつ隠れ天然ボケだった。
言い切られたルークも、それなら猫でいいか、と納得しておく事にした。
猫の耳に、猫の尻尾だしな。
猫ルークは眠っていた。食後の睡眠といった所だろう。その現場に出くわしたアッシュは内心ひどく動揺していた。
その猫とは思えぬ大の字の格好が、双子の弟とぴったり重なったのだ。
よく見れば(いやよく見なくとも)この猫ルークはルークとそっくりだった。ルークの方に自覚は無いようだが。
昔髪を伸ばしていたルークを知っているアッシュには、猫ルークがどうしてもルークにしか見えない。
目の前で猫耳がぴくりと動き、んむむと何事かを呟きながら猫ルークが寝返りを打つ。
「……屑がっ」
意味も無く何かに罵り、アッシュはイライラと前髪を掻き上げた。(最初から上がっているのだが)
呑気に寝こける体の隣にどかりと腰を下ろし、新聞を広げる。
こいつがここに寝てるからいけないんだ俺の座る場所はここだと心の中で誰かに言い訳をしながら、ちらりと隣を見下ろす。
猫ルークはよく寝ている。
「………」
そっと手を伸ばす。指先がかすかに震えている事は見て見ぬ振りだ。
アッシュの手が、猫ルークの頭に届く。くしゃりと、柔らかい毛を硬い手が撫でた。
「……くっ」
アッシュはうめきながら、しかしその手を離す事が出来なかった。わしわしと撫で続ける。猫ルークは眠り続ける。
その喉が気持ちよさそうにゴロゴロと鳴り始めてから、ようやくアッシュはばっと手をどかした。
どかした衝撃で目が覚めた猫ルークと一瞬、目が合う。
「……んだよ」
「くっ……!屑があああ!」
「はあ?」
ぽかんとする猫ルークからアッシュは脱兎の如く逃げ出した。そのまま何もはかずに外に飛び出してしまう。
「……何なんだよ」
呆然と猫ルークが呟く。自分の頭に手をやり、気持ちよかったのに、と至極残念そうにため息をつく。
「動物好きなくせに、何で撫でるのだけであんなに照れるんだうちのアニキは……」
一方、兄とペットの一部始終をこっそり目撃してしまったルークも、部屋の外でため息をついていた。
→
□