シロ雪姫 後編






小人たちの家で家事を手伝いながら一緒に暮らすことになったシロ雪姫。とても前衛的な料理を振舞いながら、小人たちと楽しく暮らしておりました。
しかしその幸せも長くは続きませんでした。すっかりシロ雪姫が死んだものと思っていたヴァンが、再び魔法の鏡にこう問いかけたのです。


「この世で一番美しく可憐でキュートな人間は、一体誰だ?」


ヴァンは今度こそ、自慢の髭と眉毛を持っている自分こそが選ばれるものと思っていました。しかししばらく沈黙した鏡は、またもやヴァンの予想を裏切る言葉を出したのでした。


『それは、シロ雪姫です』
「な、何だと……?!シロ雪姫は死んだはずではなかったのか!」


これにはヴァンも動揺を隠し切れません。死んだと思っていたシロ雪姫の名前が出てきたのですから。ここでヴァンはようやくシロ雪姫がまだ生きていることに気がついたのです。


「あの狩人め、騙しおって……こうなったら私が直接手を下すしかないか」


シロ雪姫を己の手で亡き者にしようと決意したヴァンは、さっそくシロ雪姫が暮らしているという森の中へ入っていきました。しかしそのままの姿ではいくら普段危機感のまったく無いシロ雪姫でも、自分を殺そうとしているヴァンだとすぐに気がついて警戒されてしまうでしょう。そこでヴァンは、不思議な謎の譜術を使ってどこにでもいるような物売りのおじいさんに変身していくことにしました。

自らの身に危険が迫っているなんて考えもしないシロ雪姫は、今日もきこりの仕事へと家を出る小人たちのお見送りでした。最初は家事が何にも出来ないシロ雪姫に小人たちもハラハラしておりましたが、最近はようやく物を壊すことがなくなったので安心して出かけられます。それでも炊事洗濯掃除すべて毎日失敗続きなのですが、なんとなくシロ雪姫だと許せてしまうのでした。不思議な魔力です。
いつものように斧を持ったアッシュとルークは、戸口に立ってにこやかに手を振るシロ雪姫を見上げました。


「俺たちは仕事にいってくるからな、大人しく留守番してるんだぞ」
「分かってるって!」
「最近変な髭のおっさんが出るらしいから、知らない奴が来たらドア開けちゃだめなんだぞ!」
「あのなあ、俺を何歳だと思ってるんだ。大丈夫だから安心して仕事行って来いって」


自分よりも小さな者にこんなに心配されていることに、シロ雪姫は少々照れくさくなってしまいました。しかし限りない前科のある身ですので文句は言えません。少々不満そうに頬を膨らませましたが、愚痴もたれずに何とかシロ雪姫は小人たちを見送りました。
家の中に戻って、一仕事する前にベッドでシロ雪姫がごろごろしていると、ふいにドアがノックされました。こんな森の中でお客様はとても珍しい事でした。さきほど二人の小人たちに言われたことを再度思い出して、ルークはドア越しにそっと話しかけました。


「どちらさんですか?」
「私はただのしがない物売りだ。とてもとても美味しいものがあるのだが、少し見てみないかね」
「美味しいもの?」


好奇心旺盛なシロ雪姫はついついドアを開けてしまいました。そこに立っていたのは色々入ってそうな籠を持ったどこかで見たようなおじいさんでした。具体的に言えば髭と眉毛にとても見覚えがありましたが、美味しいものとやらにすっかり夢中になったシロ雪姫は気がつきません。


「で、一体美味しいものって何なんだ?」
「ほうら、このりんごだ」


籠からおじいさんが取り出したものは、瑞々しいよく熟れた真っ赤なりんごでした。確かにとても美味しそうです。しかしシロ雪姫はりんごを目にしたとたん、一歩後ずさってしまいました。


「む?どうしたというのだ」
「い、いや、昔の古傷がちょっとじくじく痛んで……ああ俺は馬鹿だった……」


どうやらシロ雪姫はりんごにトラウマがあるようです。しかしそんなトラウマも跳ね除けてしまいそうになるぐらい、そのりんごは美味しそうに輝いているのでした。ちょっと腰が引けながらも、シロ雪姫はりんごをおじいさんから受け取りました。


「これはエンゲーブでもめったに取れないと言われているほどの出来の良さだ、試食サービスもついているぞ」
「えっこれ食べていいのか?」
「もちろんだ」


髭と眉毛のおじいさんに言われたら、何だかこのりんごを食べなければならないような気になってきます。お金もいらないようなので、シロ雪姫は思い切ってりんごを食べてみることにしました。心の中のもう一人の自分が必死に引き止めているような気がしましたが、美味しそうなりんごを前にもう止まれません。カリリと良い音を立てて、シロ雪姫はりんごをかじりました。


「ん、確かにこれは美味い……うっ!」


りんごを頬張ったシロ雪姫は次の瞬間、その場にばったりと倒れてしまいました。それを見下ろしたおじいさんは、高らかに笑います。


「ははは!今度こそシロ雪姫の最期だ!」


おじいさん、に変身していたヴァンの持っていたりんごは、何と毒りんごだったのです。一口かじっただけでもこの通り一撃で相手を仕留める事が出来る強力な毒りんごです。目的を果たすことが出来たヴァンはそれはもうご満悦で、機嫌よさそうにその場を立ち去りました。残されたのは一口かじられたりんごと、倒れたままのシロ雪姫だけです。
やがて仕事を終えて戻ってきた小人たちが、シロ雪姫を見つけました。ルークとアッシュは大変驚いて、急いでシロ雪姫の下へと駆けつけます。


「おいシロ雪姫!どうしたんだ、しっかりしろよ!」
「……息が、息が無い」
「ええ?!そんな……嘘だろ!」


どんなに揺すっても叩いても耳元で叫んでも、シロ雪姫は目覚めません。小人たちは嘆き悲しみました。ひとつだけ幸いだったのは、シロ雪姫が苦しんだ様子も無く、まるで眠っているかのような安らかな表情だった事です。おかげでいくら眺めても、シロ雪姫が死んでいるなんて信じられません。
小人たちはシロ雪姫のためにガラスの棺桶を作りました。その中にシロ雪姫を横たえて、森の中に咲いている美しい花々を敷き詰めます。透明なガラスの棺桶の中で花に埋もれるシロ雪姫は、怖いほど美しいものでした。その美しさに、小人たちは再び涙を流します。その様子に森の動物たちも集まってきて、まるで皆でシロ雪姫を惜しむかのように静かに佇んでいました。

涙の落ちる音だけが響く寂しい森の中に、その時何者かが足を踏み入れました。それは、たまたまこの森を通りかかった隣国の王子様でした。流れるような深い真紅の長髪を持つ彼の名前をクロといいました。何故王子様とあろうものが森の中をわざわざ通りかかるのか疑問ですが、そこは気にしてはいけない所です。
クロ王子は、嘆き悲しむ小人たちを不思議に思い、声をかけました。


「お前たちは一体何故そんなに泣いてるんだ」
「!い、いきなり何だ、お前は!」
「うっうっシロ雪姫がっいきなり死んじまったんだようううっ」
「ルーク!誰とも分からない怪しい王子っぽい奴に簡単にんな事話すんじゃねえ」
「シロ雪姫だと?」


べそべそ泣きながらのルークの言葉の中にあった名前に、クロ王子は聞き覚えがありました。確か諸国でとても美しいと噂されていたお姫様(男)の名前です。今は行方不明となっていたはずでした。
何事だろうとガラスの棺桶を覗き込んだクロ王子の時が、しばらく止まりました。まさに雷に打たれたような衝撃が胸の中を駆け巡ります。シロ雪姫の白い顔をずっとずっと眺めているクロ王子の背後では、アッシュとルークがひそひそ声を交わしていました。


「なあ、あの王子っぽい人あのまま動かないぞ」
「あれを俗に見惚れていると言うんだ、覚えとけ」
「へーっあれが見惚れてる人間の背中か」
「瞬きもせずに微動だにしない所がまさにそれだ」
「っ!べべ別に見惚れてた訳じゃねえ適当な事言うなこの屑小人が!」


小人たちに腕を振り上げて抗議したクロ王子は、気を取り直してこう言いました。


「という訳で、こいつは貰うぞ」
「何がという訳なんだ!まったく気を取り直してないじゃねえか!」
「か、勝手に持ってっちゃ駄目だぞ!大体シロ雪姫はもう……」


言葉を詰まらせたルークが再び瞳に涙を湛えます。その頭を沈痛な面持ちでアッシュが慰めるように優しく撫でてやりました。そうです、どれだけ美しくても、シロ雪姫はもう目を覚まさないのです。再び空気が悲しみに彩られる中、クロ王子は静かにガラスの棺桶に手をかけ、蓋を開けました。色とりどりの花びらに彩られた鮮やかな焔色の髪が美しく輝いて見えました。柔らかに閉じられた瞼は、どう見ても死んでいるように思えません。それは生きていて欲しいと自分が願っているからそう見えるのかもしれませんが、それでも溢れる愛しさは止まりませんでした。
思わず顔を近づけたクロ王子は、そのまま……。
そのまま……。


「………」


固まったかと思うと、ものすごい勢いで手に持っていた蓋をぶん投げていました。


「っできるか!関係ないギャラリーがこんなにいる中出来るかっ!」
「えー!ここで王子様がちゅーしなきゃシロ雪姫の目が覚めないだろー!」
「わがまま言ってんじゃねえぞ!これじゃいつまで経っても終わらないだろうが!」
「うるせえ!大体俺が王子役なんて柄でもねえ、出来る訳がないだろ屑が!」


小人がブーブー文句を言いますが、クロ王子は若干赤らんだ顔を背けてしまいました。とんだシャイボーイです。さっきまで泣いていたルークが今度はじれったいように足踏みしてみせます。


「何だよ!二人っきりならためらいもなくいちゃつくくせに!」
「なっ!?お前、どこでそれを」
「何でも良いからさっさとしろってば!」


強引にルークが背中をぐいぐい押してきます。その若干後ろでは責めるようにアッシュが睨みつけています。窮地に立たされたクロ王子は、しばらく混乱したようにカチコチに固まったかと思うと、おもむろにシロ雪姫を棺桶ごと持ち上げてしまいました。


「ええい、やればいいんだろうが、やれば!」
「「おお?!」」
「そもそも人前でこんなスカート履いてどたばた走り回りやがって屑がーっ!」


棺桶を抱えたクロ王子は、そのままどこかへと遁走を図りました。あっと思っている間に、ものすごい早足で立ち去っていきます。その様子を、小人たちはぽかんと見送りました。やがて、アッシュがひとつこっくりと頷きました。


「ふん、なるほど」
「何だ?王子は一体何のために棺桶持って逃げ出したんだ?」


まだ混乱しているらしいルークに、アッシュは簡単に説明をしてあげました。


「つまり、自分だけの姫を他の誰にも見せたくなかったという訳だ」



森の外れまで全力疾走で駆けたクロ王子は肩で息をしながらガラスの棺桶をその場に丁寧に下ろしました。ここには興味津々に覗いてくる野次馬もいらないギャラリーも誰も存在しません。額の汗をぬぐうクロ王子と、じっと目を閉じたシロ雪姫の二人だけです。傷ひとつ無いその様子に一瞬だけ安堵のため息を吐いたクロ王子は、行儀悪くちっと舌打ちをして見せました。


「呑気に寝やがって、誰のせいでこんな事態になっていると思ってやがる。大体、」


優しく触れた真っ白な頬はまるで人形のようでした。冷たい感触に眉を寄せると、クロ王子はゆっくりと身をかがめて。


「俺に黙って死ぬなんざ、絶対に許さねえからな」


シロ雪姫のりんごのような唇に、そっとキスを落としました。
すると人形のようだった生気のない頬にぱっと赤みが差して、生きる宝石のような緑の瞳がまっすぐクロ王子を見つめました。少しだけ拗ねた様な視線を向けてきます。


「おっせえ」
「悪かったな」
「……でも、ありがと、な」


一応命の恩人だし、と笑うシロ雪姫を、クロ王子は微笑みながら抱き起こしてあげました。シロ雪姫はクロ王子の愛のキスで、生き返ることが出来たのです。

こうして元気になったシロ雪姫はそのままクロ王子の国にお持ち帰りされて、末永く幸せにくらしましたとさ。
めでたしめでたし。


ちなみにシロ雪姫を暗殺しようとした罪に問われ、ヴァンは一生王子と姫の下僕として扱われたと言うことです。
自業自得というお話でした。



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08/05/15