預言に記された未来は、すでに変わりつつあった。
居場所を奪われた本物の焔の光は自分の代わりを心底恨んでいるはずだった。しかし「どこか」の「見知らぬ」使用人が、彼が誘拐されダアト入りし神託の盾騎士団に入団しても何故かいつまでもついてきて(そして何故か誰もそれをとがめないままで)彼の支えになってきたので、レプリカを憎むはずのオリジナルは憎むどころか大切な半身だと考えを改めていた。
そして代わりとして生まれた焔の光は、何も知らないまま知らされないまま我侭で師匠を盲目的に信じる人形に育つはずだった。しかし「どこか」の「見知らぬ」使用人兼家庭教師が世の中の理を教え強く優しく導き続けたので、根の優しさが表に表れた素直な子に育った。(そして師の代わりに家庭教師にひどく懐いている)
世界は辿るはずだった軌道から確実に逸れている。しかし今この世界でそれを知っているのは、「どこか」の「見知らぬ」2人だけであった。
そしてここはマルクトの軍艦「タルタロス」の上。屋敷に侵入してきた見知らぬ女(名はティアという)との間で起こった擬似超振動のせいで初めて外へと飛び出したキムラスカの公爵家の1人息子(のレプリカ)ルークは、その体を震わせていた。目の前にはこのタルタロスを責めてきた信託の盾騎士団の兵士が倒れている。兵士は絶命していた。止めを刺したのはルークだった。
背後にある扉の中には一緒に飛ばされてきた女(どうやら神託の盾騎士団に所属しているらしい)ティアと、マルクトの軍人であるジェイド・カーティス大佐が侵入している。ルークは見張りを命じられていた。その時、気絶していたはずの兵士が起き上がり、戦闘になったのだ。ルークは初めて人を殺めたのだ。
幼い頃からずっと傍にいた使用人であり家庭教師でありある意味父とも呼べる人の言葉が蘇る。戦いの末人を殺める事は決していけないことではない。相手は覚悟をして、そして己も覚悟をしているのだから、そこに情を持ってくればそれは相手への侮辱でしかないのだと。だからもし戦ってその結果相手が死んでしまっても、全てを抱え後悔しなくてもいいのだ、と、何度も何度も言われたのだ。それでもルークは恐ろしかった。命を奪うという行為は、こんなにも恐ろしいものだったのか。
ルークが動けないでいると、ドアが開いて慌てた様子のティアとジェイドが現れた。
「な、何が起きたの!?」
「まずい……今の騒ぎで譜歌の効果が切れ始めました」
しかしルークに二人の声は聞こえない。ひたすら人を殺めてしまった自分の手のひらを見つめるだけだった。その時、頭上から魔法で作られた氷の刃が降り注いできた。それは確実にルークたちを狙っている。避ける暇も無い、と思ったその時、
「危ねえ!」
紅い閃光がルークと魔法の間に立ちふさがった。氷の刃は一瞬のうちに消えうせる。素早く抜き去られた剣によって空中に散らされたのだ。ルークは自分の目の前に立ちふさがる長くて紅い髪に気付き、思わず声を上げた。
「あっ……!」
「無事か、ルーク」
それは自分の使用人兼家庭教師の男だった。ルークと若干違う色の瞳を優しげに細め、座り込むルークと目線を合わせる。
「すまない、迎えに来るのが遅れた。もう少し早ければお前は……」
「……ううん、いいんだ。俺、覚悟決めて、戦ったから」
ルークは力強い瞳で男を見つめる。男はルークの生きた光を見つめて、満足そうに頷いた。そして労うようにその朱色の頭を撫でてやると、ルークはくすぐったそうに笑う。一瞬その場にほんわかとした空気が流れたが、それは頭上から降ってきた声にかき消された。
「人を殺すのが怖いなら剣なんて棄てちまいな」
スタッと飛び降りてきた人影に何故か男の体が強張った。ルークはその人影を凝視する。翡翠色の瞳が見開かれた。その顔は、表情は違うものの……自分と同じ顔だったのだ。傍らに立っていたジェイドが呟いた。
「神託の盾騎士団六神将の1人、鮮血のアッシュ、ですか」
アッシュ。ルークは口の中で呟いて男を見て、そしてまた人影、アッシュを見た。アッシュはその手に持っていた剣をこちらにつきつけ、はき捨てるように口を開く。男はやめろ、と思わず声を出そうとして出せなかった。
「この……」
「こらアッシュー!」
「だっ?!」
アッシュを遮ったのはその場にいた誰でもなかった。新たに頭上から飛び降りてきた第三者だった。勢いよく飛び降りてきたそいつはすぐアッシュに駆け寄ると、その頭をぼかりと一発殴る。アッシュは頭を抑えながら涙目で振り返った。
「なっにしやがるシロ!」
「それはこっちの台詞だ!照れくさいからってごまかしに罵るのはやめろって何度も言っただろ!」
「てっ照れてねえ!」
アッシュは顔を赤くしながらルークの方を見て、目が合うとすぐに顔を逸らした。心なしかさらに顔が赤くなったような。全員がポカンとしている中、アッシュとシロと呼ばれたやつはなおも言い争う。
「何だよ、あんなに毎日会いたがってたのにいきなり攻撃しかけるなんてツンデレにもほどがあるだろ」
「ツンデレ言うな!それにあっ会いたがってなんて!」
「分かった分かったから。ほら、言いたいことがあったんだろ?」
「うっ……」
シロに背を押されてアッシュがずかずかとルークの元へとやってきた。男はアッシュを警戒しながらも、そっと脇に退く。腰の剣には手をかけて、アッシュが妙なことをすればいつでも切りかかれるような体勢だ。それを横目に眺めてから、アッシュは改めてルークの前に立った。ただならぬ様子に思わずルークも姿勢を正して立ち上がる。
「……おい」
「な……何だよ」
アッシュは少々どもった後、唐突にルークの両手を掴んだ。ルークはぎょっとして飛び上がったが、まるでパズルのピースをかちりとはめたような妙な感じがして、握られた手が生まれた時から繋がっていたようにぴたりと合わさっているのでこれ以上動く事ができなくなった。おずおずとルークが顔を上げると、そこには真剣な顔をしてこちらを見つめるアッシュの顔があった。
「お前は、俺の、その、レプリカで……いや、同位体で、つまり、俺の半身なわけで、だから」
「……だから?」
「かっ……体は大事にしろ!」
怒鳴りつけるように言われたアッシュの言葉に、ルークは驚きの真実に驚愕するより間抜けた言葉に笑うより何より、嬉しさに微笑んでいた。何で自分がこんなに嬉しいのか分からない。それでも「体を大事にしろ」と言われて、嬉しかったのだ。おかしい、初対面なのに、全然そんな感じがしない。レプリカという言葉もすんなりと頭の中に入ってくる。そうだ、きっと2人で1人だったからだ。
アッシュは微笑んだルークの顔を見て何かを叫びそうになって、しかしそれをぐっとこらえたようだ。恥ずかしさに顔を赤くし、それでも繋いだ手を離せないまま立ち尽くす。
オリジナルとレプリカのご対面は、無事に完了したようだった。見守っていた誰もがほっと息をつく。
それぞれ暖かい目で2人を見守っていた男とシロの視線が、その時音を立ててばちりと合った。今まで合わなかったのが不思議なぐらいだった。互いにしばらく呆けた後、見る見るうちに驚愕に目を見開き、口を開いて、ビシッと指を突きつけていた。
「「あああ―――!!」」
その大声に隅っこに追いやられていたティアもジェイドも立ち尽くしていたアッシュもルークも何事かと2人を見やる。しかし周りに気付かずに男もシロも指を突きつけたまま微動だにしない。硬直した空気の中、声を出したのはほとんど同時だった。
「きっ貴様まさか屑か?!どうしてここにいる?!」
「あああアッシュ?!何で?!どうしてアッシュがここにいるんだよ!」
叫んでいるのは大体同じ意味の言葉だった。困惑する周りそっちのけで、1番混乱しているらしい2人はなんでどうしてと叫び続ける。ローレライか、ローレライの仕業かと男が空に叫んでいると、シロはハッと何かを思い出したように慌てて男の元へ駆け寄った。そして無遠慮にべたべたと男を触りまくる。
「おっおい!何のマネだ!」
「触れる脈もある息もしてる……アッシュお前生きてるのか?!」
「当たり前だろうが!」
男は怒鳴った途端、びくりと体を引きつらせた。目の前の顔がいきなりボロボロと泣き出したからだ。
「な……な?!」
「あっアッシュが生きて、生きて……うああああ」
「わ、分かった、分かったから泣くな、屑」
とうとう大声を上げて泣き出したシロを慌てて男が抱きしめる。男の様子は先ほどから戸惑っているように見えてその実しっかりがっしりとシロを抱きしめている。そのまるでもう二度と離さないかのような男の腕に、ルークは目を丸くした。男のこんな姿、初めて見たのだ。ルークの前に立ってその様子を呆然と眺めていたアッシュは顔を歪めてチッと舌打ちした。
「あいつか……」
アッシュは、屋敷で使用人に雇ってからずっと一緒にいたシロが大声で泣く所を一度も見たことが無かった。それ故に分かってしまった。シロが胸の奥底にしまい、それでもずっと追い求めていた人物はあの男なのだと。
ぐいぐいと歯を食いしばるアッシュをルークは不思議そうな目で見て、泣きながら抱き合う二人に目を戻した。自分が屋敷に戻ってから(つまり生まれてから)ずっと傍にいてくれた大切な男は心底困った顔をしながら、心底幸せそうに見えた。シロ、と呼ばれていたあの人は泣いていて、それでもやっぱり幸せそうだった。だからいいやとルークは思った。幸せに泣く事は悪い事ではないと教えてくれたのは、あの男だったのだから。
「も、もう会えないと、思ってた、んだ。だから、だから……ううー」
「……俺も、そう思っていた。それでも俺は生きていて、お前も生きていて、ここにいる」
「っアッシュぅー」
「………ルーク」
初めて出会った焔の光の半身たち。そして再び出会うことが出来たもう1つの焔の光。
空は今を祝福するように、青く晴れ渡っていた。
「そして私達は蚊帳の外、ですか」
「……いつまで待てばいいのかしら」
世紀の対面に立ち会った2人はため息をつきながら、それでも邪魔はせぬよう静かに立っていたという。
06/08/15