俺の兄貴が人類史上最高可愛い







今までのあらすじ:ある日、ふとしたきっかけでおそ松の頭を撫でる事になったカラ松は、その時の反応を見て「おそ松は可愛い」に突如目覚める。その日からあらゆる可愛いおそ松を見るために奮闘するカラ松だったが、色々あって自分が実の兄に恋をしてしまっている事に気付いた。一度はその恋を諦めようとしたカラ松は、しかしひょんな事から自分たちが両想いであったことに気付き、黙って身を引こうとするおそ松を追いかけ、捕まえ、無事に気持ちを伝えあって見事その恋を実らせることに成功したのであった。

というのを長いので一言でまとめると。



「おそ松が可愛い」


カラ松は天を仰いだ。場所は自宅の廊下のど真ん中だったので見えるのは味気ない天井ばかりであったが、脳内には眩い光の差す晴れ渡った天空が広がっていた。まるで天国のような光景だった。当たり前なのかもしれない、カラ松の目の前では、彼曰く「天使」がぽやっとした笑顔を向けてくれていたのだから。

「おーカラ松おはよぉ。今日も朝から絶好調だねお前は」
「フッ、グッモーニンマイラヴァーおそ松。お前こそ今日も溢れんばかりの可愛さに満ちているぜ」

もはや恒例行事とばかりに手を伸ばし、カラ松は未だ寝癖がぴんぴん立ったままのおそ松の頭を柔らかく撫でた。きっとこれが2人のくっつく前だったならおそ松はハイハイと適当にやり過ごしたり、何すんだと怒ったり、手や足が飛んできたりと素直でない反応ばかりが返ってくる所だっただろう。しかし今、カラ松とおそ松は数か月前から好き同士であることを告白しあった、いわゆる恋人同士であるのだ。兄弟とか男同士とかそういった壁を全部ぶっ壊してくっついた後の恋人の反応は、そりゃもう違った。
カラ松の行動を予期していたおそ松は、ぱちと瞬きをした後、それでも照れは拭いきれないのか頬や耳元を淡く染めながら、触れられる嬉しさを隠そうともしない表情で、ふうわりと笑う。

「ばぁか。可愛くなんてねーから」

弧を描く口から出てくる憎まれ口は、しかしそうとは思えないほどに甘く、優しく、カラ松の耳の中へと溶けていった。表情から、声から、嬉しさと愛しさをこれでもかと伝えてくる兄の姿に、カラ松はしばらくわなわなと震え、そして。
正面からがばっとおそ松に抱き着き、湧き上がる衝動のままありったけの想いで叫んだ。

「ああっ!可愛い!!俺のおそ松が今日も朝からこんなに可愛いっ!サンキューゴッド!おそ松好きだああああ!!」
「うるっせえよクソ松廊下で叫ぶな死ね!」
「ほんと、毎朝毎朝同じ事叫んで飽きないのかなあいつ……」
「バカップルうざーい」
「あははは!兄さんたち今日も幸せそーだね!」

弟たちから生温い視線を受けながらも、腕の中にいるおそ松が馬鹿だなあと笑ってくれるだけで、カラ松はこの世の天国を見る事が出来るのだ。

ああ本当に、俺の兄貴がこんなに可愛い。




「それで?あれから何ヶ月か経つけど兄さんたちはどこまで進んでるの?」
「んんー?」

そうやってスマホを眺めていたトド松から暇つぶしのように尋ねられた質問に、カラ松が首を傾げたのはお昼を少し過ぎた頃の松野家の二階の自室での事だった。彼が今日も朝から可愛い可愛いと愛でたおそ松は今、久しぶりに十四松の野球に付き合ってやるかーと一松も伴って出かけており、この部屋で平日昼間からダラダラしていたのはカラ松とトド松、そしてチョロ松の三人だけだ。
いつものように求人誌を眺めていたチョロ松が、心底呆れかえった声を上げる。

「トド松、お前暇だからってよくそんな恐ろしい質問出来るな」
「えー?確かに兄弟のアレやソレとか具体的には聞きたくないけど、ぶっちゃけちょっと気にならない?くっつくまであれだけ振り回された事だしさー」
「お前のは大分自業自得感あるけどな」

呆れた様子のチョロ松は、しかしそれ以上トド松を咎める様子は無かった。何だかんだ言って気になっているのは確かなのだろう。しかし尋ねられた本人であるカラ松は、見つめていた愛読する雑誌から顔を上げてきょとんとトド松を見返す事しか出来なかった。

「兄さんたち、とは?」
「んもー、カラ松兄さんとおそ松兄さんの事に決まってるじゃん。あ、具体的な説明はいいから。どこまで進んでるのかだけ教えて」
「どこまで……?」
「えー何でピンとこないかなあ。おそ松兄さんと付き合ってるでしょ?まさかすでに別れてるとかないよね?」

信じられない問いに、カラ松は慌てて首を横に振る。これだけの幸せ絶頂期に、どうしておそ松と別れたなんて話が出るのか。むしろ別れ話を切り出される様な事になれば恥も外見もかなぐり捨てて泣き喚きながら捨てないでくれと縋り付く自信がある。家の中でも外でも、どこでもだ。そうなれば当然弟たちの目に触れることになるだろうから、今この質問してきたトド松がそんなカラ松の姿を見たことがないという事は、つまりそういう事だ。自慢げにそう説明してやれば、いや自慢になんないから、とつっこまれた。

「まあ別れてないのは分かった。それで話が戻るけど、どこまで進んだの、って」
「……どこまで……?」
「だから何で分かんないのさ。つまりセックスしたのかしてないのかって事だよ」
「とっとってぃいいいいい?!?!?!」

あけすけな物言いに反応したのはカラ松でなくチョロ松だった。セックス、という単語一つでリンゴのように顔を赤くしてあたふたと慌てふためいている。お前は童貞か。いや童貞だった。

「おま、お前、せせせせせっ……なんて、実の兄に何聞いて、」
「だって恋人でしょ、あれから結構経ってるし、しててもおかしくないじゃん。あ、プラトニックな関係に落ち着いてるんなら別にいいんだけど」

ぺらぺらと躊躇う事無くデリケートな部分の質問を繰り返すトド松だったが、カラ松からの反応は乏しかった。心当たりありませんといったとぼけ顔で首をひねるばかりなので、思わずと言った様子で身を乗り出してくる。

「いやいや、なにとぼけてんの!そんな無垢な顔したって、本当は平気で下ネタ連発するようなクズの仲間だって知ってるからね?!なに、まだキスの一つも出来てないヘタレなの?!」
「え……kiss……?」
「だから何でそんな生まれて初めて聞いたような顔して……いや、待てよ」

無駄に良い発音してんじゃねえ、とツッコむ前に、トド松がハッと口を噤んだ。幼少期からこのアホな兄に付き合ってきたためか、今カラ松が何にピンときていないのか、正確に察してしまったのだった。

「っあー、これはまさか……いや、そうだよね、自分が恋してた事にも気づかなかった馬鹿だもんね、可能性はあるかあ……」
「い、いきなりどうしたのトド松。お前今ものすごい顔してるけど気付いてる?」

一人ついていけてないチョロ松がおそるおそる話しかけてきたので、トド松もなんとか気持ちを抑えて声を潜めて答えた。

「あのさあチョロ松兄さん、この人ポンコツだから多分気付いてないと思うよ」
「え、何が」
「恋人になったおそ松兄さんと、そういう事出来るんだって」

そういう事。そういう事。頭の中でリフレインしたチョロ松は、ようやく合点がいってまたしても首元まで赤く染まる。
あえて長男の頭に「恋人」とつけたという事は、そういう事が指すものはつまり恋人同士が行うべきアレソレの事である。ぼかさなくても先ほどトド松が散々言ってた、キスだのセックスだのの事だ。頭の中で何を想像したのか、条件反射のように赤面したチョロ松は慌てて咳払いをして気を取り直した。

「ま、まあ仕方ないんじゃない?恋人以前にあいつら兄弟なんだし」
「それもそうか。現状に二人が満足してるなら別にいいけどー、僕には関係ない事だしー」
「おま、自分から言い出したくせにその投げっぷり、マジでドライモンスターめ……」

ブツブツとチョロ松と二人だけで話し合って結論を出して、ごめんねもういいよーとあっさり話題を終わらせたトド松だった。末っ子の傍若無人っぷりに呆れ返ったチョロ松も話を蒸し返すようなことはせず、求人誌へと注目を戻した。
かくして取り残されたのは、んー?と未だ質問の意図を無い頭を絞って地道に考えるカラ松だけなのだった。

「トド松は何故、俺とおそ松を指してあんな事を尋ねてきたのだろう……」

カラ松は現状に大変満足していた。おそ松と恋人になれた事、と言うより、自分がおそ松を好きでおそ松も自分を好きで、それを自覚しながら可愛いおそ松をたっぷりと愛でる事が出来る今が幸福で仕方が無かった。今までの関係の中で現在の「恋人」が一番大好きなおそ松を堪能出来るので、それが堪らなく嬉しい。認識としてはそれぐらいだ。おそ松可愛い可愛いが出来れば何でもよかったのである。
そんな頭で、恋人としての「先」を想像する事など出来るはずも無かった。

「フッ……なるほど、確かに俺達は恋人……ラヴァーズ……愛し合う俺たちの熱にあてられて麗しいこの関係に興味が出てきた、そうだろうブラザー?」

ぱちんと指を鳴らしてみるが、すでに誰一人カラ松に注視している者はいなかった。反応は何もなく、トド松が「あっラインの返事きたー」と独り言を呟いているぐらいだ。しかしそんな総スルーの空気も慣れっこなカラ松は、自分も読み込んでいた雑誌の続きに何事も無く視線を移した。
しかしそこに、運命とも呼べるようなタイミングでとあるページが視界に飛び込んでくる。

「……ん、恋人?」

それは、読者からのお悩み相談コーナーだった。カラ松の趣味に合致する雑誌の読者層なので主に男性からのファッションに関する質問が多く並んでいたが、一つだけ、この雑誌を購読している彼氏の事で悩み相談をしている女子のものがあった。
曰く、「ハードボイルドな恋人が恥ずかしがってなかなかキスをしてくれません!」というもの。彼をその気にさせるためのテクニックだか何だか書かれていた回答にはほぼほぼ興味が無く、カラ松の頭の中ではしきりに「恋人」と「キス」という単語が躍り回っていた。そこに、トド松の先ほどの言葉が蘇る。

『まだキスの一つも出来てないヘタレなの?!』

その瞬間、カラ松の頭上から天啓が降り注ぐ。

「そうか!」

思わず立ち上がった。目の前がいきなり開けたような心地だった。周りで突然の動きにびくついている弟たちの事には目もくれず、カラ松はただひたすら、今しがた辿り着いた答えに夢中だった。
どうして今まで思い至らなかったのだろう。いくら童貞だろうがすぐに思いついてもおかしくなかった。こうして雑誌からだけでなく、テレビやラジオ、はたまた街行く恋人たちから幾度となくヒントを貰っていたはずなのに。己が情けなくなったが、とりあえず今は気付けた自分を褒めてやりたい。
そう、カラ松は今、ようやく気付いたのだ。

「俺はおそ松と、キスをしていいんだ!」

え、今そこ?という脇の声が聞こえたような気がしたが、カラ松は気にしなかった。今重要なのは、おそ松と、キス、それだけだ。
気付いてしまった途端、カラ松の頭の中にはぶわっと薔薇色のロマンが広がった。おそ松と世間一般の恋人と同じようにキスが出来る。それは一体どんな感触になるだろう。何せ今まで撫でまくっていた手の平からの刺激などではない。マウス・トゥー・マウスだ。唇同士の触れ合いだ。接吻なのだ。経験が無いため想像すらつかない。
そしておそ松は、キスをどうやって受け止めるのだろう。頭を撫でるだけであれだけ照れる人だ、それはもうものすごく照れまくるのではないだろうか。ハグなんかも最初はカチコチに体を固めてしまって、最近ようやくおずおずと抱き締め返してくれるようになったばかりだ。そこにさらなる刺激を与えたら、恥ずかしさで爆発してしまえるのではないか。それともいっそ開き直って意外と積極的に求めてくれる、とか。何で今まで言い出さなかったんだよと頬を膨らませて拗ねるとか。頬を染めて喜んでくれるとか。
様々なおそ松の反応を頭の中でシミュレートした結果、カラ松は一つの結論を導き出す。

「……か、可愛いっ!!」

間違いなかった。どんな反応でも、おそ松は可愛い。それだけは永久的に不変な世界の摂理だった。部屋の隅に寄った弟たちが「また始まったよ……」と諦めの境地に至った目を向けている事にも気づかず、カラ松は拳を握りしめた。こうしてはいられない。
と、その時、六つ子の神秘か運命の悪戯か、ものすごく良いタイミングで玄関の扉が開き、ただいまぁと間延びした声が階下から聞こえた。今思い描いていたその愛しい人の声を聞き逃すはずがない。おそ松兄さん逃げて、という悲鳴を背中に聞きながら、カラ松は部屋を飛び出し勢いよく階段を駆け下りた。

「おそ松!」
「うわ、びっくりした……どしたのカラ松」

玄関にすっ飛んで行けば、ちょうど靴を脱いで上がってきたおそ松が目の前にいた。その後ろには一松と十四松もやいのやいのと戻ってきていたが、カラ松の視界にはただ一人しか入らなかった。鼻息も荒くおそ松に迫り、ガッシと両手で肩を掴む。
ああ、訳が分からない様子で目をぱちくり瞬きさせる様子がすでに可愛い。

「か、カラ松?」
「おそ松、すまなかった!俺が今のお前の可愛さに満たされ、さらなる可愛いの探求を疎かにしていたばかりに愛する恋人をこんなにも待たせてしまうとは……!くっ、相変わらず罪深い可愛さだ、俺のマイラヴァー」
「主語が重複してんよぉ。ていうかなに?つまり何が言いたいの?」
「そうだ!もう安心していいからなおそ松!俺は気付いた、さらなるお前の可愛さの可能性に!」

くわっと目を見開いたカラ松は、少々引き気味のおそ松にさらに顔を近づけて、言った。

「おそ松!俺とキスをしよう!」

その一瞬、時が止まった。面と向かって言われたおそ松も、その後ろで事の成り行きを見守っていた十四松も、バズーカ用意していた一松も、慌てて階段を下りてきたチョロ松とトド松も、居間にいたらしく騒がしさに顔を覗かせてきた松代と松造も、ついでに返事待ちのカラ松も、その場に揃った全ての人間が一斉に黙り込んだ。松野家に希少な静寂が少しの間だけ訪れる。
空気を凍らせた無音が切り裂かれたのは、カラ松の目の前で見開かれた大きな瞳が、ゆるやかにぱち、と瞬きし、その一瞬後にぶわっと彼の着ていたパーカーと同じ色に顔面が染まった直後の事だった。
バチィン、という小気味よい張り手の音と、動揺でひっくり返りそうな大声が家中に響く。

「時と!場所を!考えろボケエエェェェェ!!!」

ビンタを食らって倒れる前に鳩尾に膝を叩き込まれ宙を飛んだカラ松は忘れていたのだった。自分の恋人が、恥ずかしさが限界突破した時は兄弟の誰よりも強い手と足が遠慮なく飛んでくる事を。

(まあそんなところも、可愛いのだけれど)




しばらくして、所かわってここは二階子供部屋。顔からまだ紅が抜けない怒り心頭のおそ松と、腫れた頬を押さえながらもケロっとしているカラ松が二人きりで対峙していた。時と場所を考えた結果、なるほど兄弟はまだしもさすがに両親が見ている前じゃ気まずいな、と納得したカラ松がどうにかこうにか、おそ松を引っ張って二人きりになる事に成功した所だ。部屋の外に様子を窺う何者かの気配が複数存在している気がするが、気付いているはずのおそ松もとりあえずは見逃す事にしたようだ。
部屋の中には正真正銘二人だけしか存在しない事を確かめて、カラ松はよしと頷き両手を広げた。

「これでいいぞ、おそ松!カモン!」
「いやカモンじゃねえよ!お前いきなり何なの?!き、キスって……今までそんなそぶり欠片も見せてこなかったくせに突然!しかもみんなの目の前でっ!」
「ああ、それはすまない、思い立ったら自分を抑えきれなくなってな……大丈夫、父さんも母さんも俺たちを見守るゴッドのように微笑んでくれていたぜ」
「それ諦め半分の呆れ果てた生温い笑みだから!」
「そもそも、今まで俺がキスに考えが至らなかったのは、さっきも言ったが普段から可愛すぎるおそ松も悪いんだからな。俺だけに非がある訳ではない」
「何で俺が責められてんの?!」

うわー駄目だースイッチ入ったこいつとは余計に会話にならねえー!と頭を抱えるおそ松。カラ松は再び両手を広げ、そんなおそ松に近づいた。

「さあ、周りにギャラリーはいない。今なら問題ないだろうおそ松。ギブミーキス!」
「ちょ、ちょっと待って!なあ、ほんとにほんと?本気でき……キス、しようとしてる?」
「当たり前だろう、なんてったって俺達は、恋人同士じゃないか!」
「こいびと……」

おそ松の頬がぽっと赤く灯る。恋人になって数ヶ月経つが、未だにおそ松はその単語ひとつでこうして照れてしまう。本人曰く片想い歴が長すぎた弊害だという事だったが、視線を彷徨わせて恥ずかしがるその姿はいつまでも眺めていたいほど可愛い。カラ松はほっこりした。内心割と満足していたが、せっかくここまで来たのだからキスもしてみたい。
手を広げたまま一歩も引かない様子のカラ松に、おそ松は困り果てた顔を向けた。

「な、なあ……それって、今じゃなきゃだめ?」
「何故だ?」
「あぅ、その……あの、……こ、」
「こ?」
「こころの、準備が……まだ……」

そう言っておそ松はきゅっと口を閉じてしまう。緊張しているのか、乾き気味の唇を噛み締めて、乞うようにじっと見つめられる。この表情は、むしろ誘われているんじゃないだろうか。カラ松は真顔で思った。

「……おそ松」
「だ、だって!今までお前ほんと、そんなそぶり見せなかったしさあ!しなくていいのかなあって油断してたっつーか!いや、そりゃ俺だって何もしてこないし言っても来ないお前に色々考えたりしたけども!それとこれとは話は別で!よっしゃいきなりキスーっていうノリでもないっていうか!」
「つまり、びっくりしているが嫌では無いと?」

念を押すようにカラ松が問いかければ、おそ松はぴたっと良く回っていた口を閉じた。あわあわと視線をうろつかせた後、肩を竦めて俯きがちになり、ぎゅっと両手を握りしめたまま、耳まで赤く染めながら消え入るような声で小さく頷く。

「…………、うん」

うわっ可愛い。カラ松は思わず震えた。計算も何もされていない兄の素の可愛さに、いっそ恐ろしさまで感じた。いきなり己の腕を抱いて震えだしたカラ松に、おそ松が戸惑いの声を上げる。

「か、カラ松?今度はどした?」
「おそ松が怖い」
「いきなりなに!?」
「際限なく生み出される無限の可愛さが恐ろしい。お前は俺を可愛さで溺死させる気か……」
「意味分かんねえけど、お前がとてつもなく馬鹿な事を言っている事だけは分かるぞ」

白けた目を向けてくるおそ松に、カラ松の心もやっと落ち着いてくる。余裕が出来た事で、キスに対しての欲求にも落ち着きが出てきた。可愛いを大量に摂取出来たからかもしれない。体の震えも無事に治めて、じっとしとした視線を向ける肩を優しくたたく。

「いきなりすまなかったな。お前の心の準備とやらが出来るまで、愛のたっぷりこもった情熱的なキスはお預けといこう」
「俺の心のハードル上げる様な事言うの止めて」
「ホワッツ?!」
「……ごめん」

申し訳なさそうに俯く頭。とても照れ屋で、実は臆病で、それでも精一杯答えようとしてくれている愛しい兄の姿に、カラ松は感極まりながら頷いて見せたのだった。

「大丈夫だ、おそ松。俺はいつまでも待てる男だからな!」


そうして豪語した男が、根を上げたのはそれからたった一週間後の事であった。

「おそ松が……おそ松があれから何も言ってくれない……もしかしたら俺は嫌われてしまったのでは?!うわあー一体どうしたらいいんだこの俺はーっ!」
「うるっさ」

二階のソファに突っ伏してわあわあ喚くカラ松の横で、無感動なトド松が手元から顔も上げずに呟く。床に十四松と向かい合って座る彼の目の前には将棋盤があり、すぐに王手したがる兄に辛抱強くルールを教え込んでいる最中のようだ。嘆き悲しむカラ松に対しての関心があまりにもなさすぎる。

「カラ松兄さんうるせーね!」
「気にしない方がいいよ十四松兄さん。どうせまたおそ松兄さんが可愛いだの何だのクソくだらない話聞かされるだけなんだから」
「おそ松は可愛い!可愛いが今回はそういう単純な話じゃないんだっ!聞いてくれるかトッティィィィ!」
「聞かないって言ってんの!ちょ、近づいてくんな!ああっ十四松兄さんそれじゃ王手にならないんだってば!」

二人の兄に挟まれてトド松があたふたしていると、三人だけだった部屋の襖ががらりと開いた。ひょっこりと顔を覗かせてきたのは一松で、揉め合う三人の姿を見つけた途端思いっきり嫌そうな顔をして踵を返してしまった。その後ろからはチョロ松の声もする。

「あれ、どうしたの一松」
「今この部屋に入んない方が良い……猫特集は下で見よう」
「こらああ四男三男!逃げるな!こっち来て!うっとおしいのに絡まれている僕を助けろ!」

トド松が必死で呼びかければ、何だ何だとチョロ松が部屋に入ってきて、一人だけ逃げるわけにはいかないとしぶしぶ一松も戻ってきてくれた。どうやら二人で買った猫の雑誌か何かを一緒に読もうとしていたようだ。共同で一冊だけ買った本の読み回しはニートである六つ子の必須とも言うべき共通の習慣である。
トド松はこれ幸いと脇にひっついてきていたカラ松を剥がし、床に容赦なく転がした。ジム通いの末弟は意外と力持ちだった。

「ほらっカラ松兄さん、おそ松兄さん専門家が来たよ!惚気ならあっちにして!」
「だれが専門家だ」

指を差されて心外だとばかりにチョロ松が顔をゆがめる。嫌な予感を察してそのまま逃げる前に、カラ松が素早くしがみついてきた。必死だった。

「チョロ松!ヘルプミー!」
「うわっ何だよ?!言っとくけど今やおそ松兄さんに一番詳しいの確実にお前だからな?!お前ほど毎日あの馬鹿の尻ばっかり追いかけてる奴この世にいないから!」
「どうせ、この間のキスだの何だのの話でしょ。くだらね……」

絡まれないようにと早々に部屋の隅へと移動する一松の言葉通りで、カラ松はハッと顔を上げる。十四松も何かを思い出したかのようにポン、と袖の中の手を叩き合わせる。

「カラ松兄さんがめっちゃちゅーしたくて、おそ松兄さんが心の準備がーって逃げたやつだね!」
「じゅ、じゅうしまああぁぁつ?!まるで見ていたような説明じゃないかあ?!」

まだ誰にも話していない内容を、一松もそれそれと頷いている。あの時部屋の外で聞き耳を立てていた犯人たちの正体が今判明した。
十四松の説明を聞いた瞬間、トド松がウワッと面倒くさそうな顔に、チョロ松がゲッと嫌そうな顔にそれぞれ瞬時に変わった。

「ほらー、惚気じゃん、ただの惚気じゃん。僕やだよ、実兄と実兄の痴情の縺れに巻き込まれるのは」
「いやトド松、お前が元々の原因だろこれ!ったく……それで?それからおそ松兄さんの反応が無いって?まだ一週間しか経ってないだろ……どう思います?一松先生」

チョロ松が振り返れば、視線を受けた一松が体育座りをしたままカラ松にも見える様にスッと右手を上げ、勢いよく親指を下に向けた。

「待てを覚えろ早漏」
「はい、以上!ありがとうございまーすおつかれっしたー」
「待て待て待て!俺は早漏ではないしそれだけじゃないんだー!」

聞き捨てならない部分はきっちり訂正しつつ、カラ松は意地でもチョロ松から離れなかった。なりふり構わない兄を必死に引きはがそうとするチョロ松だったが、涙目の馬鹿力は簡単に離れてくれそうにない。ちなみにトド松は十四松の方へ顔を戻して将棋教室に戻ってしまっているし、一松は部屋の隅から移動する気もなさそうだった。兄弟は五人の敵。舌打ちするチョロ松の頭にそんな言葉が浮かんだ。

「あーっもう!何だよ!言ってみろ!」
「!ありがとう!実は最近、おそ松に微妙に避けられているんだ!これはもう、嫌われたに違いないだろう?!」

気が変わらない内にとさっさと本題を話すカラ松に、チョロ松は怒りも忘れてきょとんと瞬いていた。思わず一松に視線を移すと、怪訝な顔をしていやいやと首を振っている。

「……避けられてる?おそ松兄さんに?嘘だろ」
「お前昨日もおそ松兄さんの頭撫でてただろ……避けられてないじゃん」

二人に口々に言われても、今度はカラ松が首を横に振る。その顔は消沈していて、とても冗談で言っているようには思えなかった。

「俺には分かるんだ……目を合わせたらいつも嬉しそうに微笑んでくれていたおそ松の笑顔の口角の上がり方が今までより控えめだし、頭を撫でた時の頬の赤みが普段よりも薄い。隣に並んだ時に肩を押し付けてくる力がごく僅かに弱いのも、おそ松、と呼びかけた時の反応速度がまるで躊躇うように0.1秒ほど遅いのも、きっと俺を避けているからだ……」
「うん、気持ち悪い」

見ている部分が細かすぎる。普通の表情で語るカラ松に、チョロ松はそっと己の腕を抱いた。視界の端の一松も恐れるように顔色を青くして震えている。こいつ普段は深い事を考えないポンコツのくせに、一度執着すると凝り具合がこんなにヤバい。背を向けてはいたがきっちりと話は聞いていたらしいトド松も、次十四松兄さんの番だよ、と出した声が思いっ切り震えていた。恐怖に戦く兄弟たちの中から、唯一そんなそぶりも見せずに立ち上がったのは十四松だった。

「カラ松兄さん!それなら聞いて来ようよ!」
「えっ……何を?」
「おそ松兄さんに直接聞けばいいんだよ!」

十四松は何の憂いも無い満面の笑みで、事も無げに言うのだった。

「カラ松兄さんとちゅーするのが嫌なの?って!」
「むっ……!ムリムリムリ、無理だそんなの……!肯定されたらと思うと死んでしまう!」

途端にものすごい勢いで首を振るカラ松。具体的に場面を思い浮かべたのか、さっそく膝が笑っているこの上なく情けない姿だった。先ほどの狂気が垣間見える台詞とのギャップがすごい。逃げるように後ずさるカラ松だったが、しかしこれ以上スルー出来ないと察したトド松が深い溜息を吐きながら立ち上がり、十四松の隣に並ぶ。

「もう埒が明かないから、十四松兄さんの意見に賛成。これ以上纏わりつかれるのもうっとおしいし、さっさと決着つけちゃってよ」
「言い草ぁ……」
「だよね!じゃあ僕おそ松兄さんに聞いてくる!」
「それはちょっと待って十四松兄さん」

瞬時に駆け出そうとした黄色いパーカーのフードをとっさにトド松が掴んだ。人間離れした瞬発力に絞められた首がぐえ、と呻き、縮こまっていた弟想いの一松が思わずぎょっとして立ち上がる。そんな兄たちの様子など構う事の無いトド松は、存外真剣な顔をしていた。

「よく考えて。おそ松兄さんは馬鹿だけど、自分の本音隠すのは上手い人じゃん。そんな人にただ単純に聞いたって、答えてくれるわけないでしょ」
「そ……そうかもしれない」
「だからここは、専門家に一任した方がいいと思うんだ」

専門家?さっきもその単語を聞いたぞ?と、全員がトド松が指差した方向へ視線を向ける。四人分の視線に晒されたのは、案の定、昔は長男と一番共に行動していた自称常識人であった。

「……いや、だから僕はおそ松兄さん専門家じゃねえって言ってんだろ!」




「とか言いながら結局引き受けちゃうのほんとチョロチョロチョロ松兄さんだよね」
「頼りになるブラザーだぜ、チョロ松……」

カラ松がトド松、一松、十四松と共に台所側の襖の隙間からこっそり覗いているのは居間である。そこには一人チョロ松が緊張した面持ちでちゃぶ台の前に座っており、そろそろ帰ってくるであろう人物を今か今かと待ち受けている所であった。
突然トド松からおそ松を問い質す役を無茶振りされたチョロ松は、あーだこーだと文句みたいなものを一通り垂れ流した後、「ま、僕しか適任がいないのなら仕方ないな」と最終的にはどこか得意げに受け入れたのだった。ずっと一緒にいたおそ松の理解者として名指しされたことが実は嬉しいくせに、素直じゃない男である。

「……ところでカラ松兄さん、おそ松兄さんは本当にもうすぐ帰ってくるの?」

おもむろにそろりとトド松が真剣な面持ちで居間を見つめる兄を振り返る。一人外出して帰宅の時間も告げていなかったおそ松を、こうして完全にスタンバイ状態で待ち構えているのはカラ松が「おそ松ならきっともうすぐ帰ってくる頃合だ」と断言したからだった。おかげでいつ帰ってきてもいいような姿勢をこうしてすぐに取る事になったが、実際に帰ってくるのかは未だ半信半疑だ。
一松と十四松にも無言で見つめられて、カラ松はふふんと胸を張る。

「もちろんだ。あいつの今日の手持ちは自分の手持ちの千円と俺の財布からくすねた三千円……周期的に今日は競馬ではなくパチンコだろうから、今までの勝率から見てそろそろ負けて帰ってくる頃だ。べそかいて帰ってきた所を誰よりも早く慰めて頭を撫でる機会をずっと窺ってきた俺の今までの分析による予想だから、間違いなく当たるぜ!」
「こっわ……」
「こういう所で消えたはずの参謀設定惜しみなく使ってくるのやめてよ!」

一松が思わず震える唇で呟いて、その後ろにトド松が隠れる。十四松は恐れる前に、ひくひくと鼻を動かして玄関の方へ顔を向けていた。

「おそ松兄さんの匂いがする!帰ってきたよ!」
「マジで帰ってきたし……」
「もーこの人怖いよーっ!怖すぎて匂いで帰ってきたのが分かる十四松兄さんが普通に思えるよーっ!」

弟たちがひーひー言っている間に、玄関ががらりとあけられた音が聞こえる。続いていつもの「お兄ちゃんのお帰りだぞー」という気が抜けそうな声も。愛しい人に一番におかえりを言いたいカラ松が必死に自分を抑えている間に、おそ松は予想通りまず居間を覗きこんできた。帰ってきたら何よりも早く兄弟を探す寂しがり屋の行動は完全に読めていた。

「ただいまーっと、お兄ちゃん今日も負けちゃったよー……あれ、チョロ松だけ?他の皆は?」
「おかえり。他の皆は二階にでもいるんじゃない?」
「へー、そっか」

その場に立ったまま少し考えた様子だったおそ松は、作戦通りチョロ松が傍らに呼ぶ、前に自ら居間へと足を踏み入れ、隣へと腰を下ろしてきた。予想外の行動にチョロ松の肩があからさまにビクつく。

「な、なに?!何か用?!」
「いや、そりゃこっちのセリフなんだけど。チョロ松、俺に何か用でもあんの?」
「なななな何で?!僕まだ何も言ってないだろ!」
「だって俺が来た途端ソワソワし出したし、目に「話したい事があります」って書いてあるし」

このシコ松!と、こっそり覗き見していた兄弟全員が同時に心の中で悪態をつく。チョロ松が基本的に隠し事が出来ない性格である事を失念していた。兄弟の隠し事には人一倍敏感なおそ松に感づかれない訳がなかったのだった。
しまった、と自分でも肩を落としたチョロ松は、しかし気を取り直してすぐにおそ松へと向き直った。

「おそ松兄さん、ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「おっなになに?」
「その……カラ松兄さんとの事なんだけど」

カラ松、と聞いて、おそ松の表情が若干強張った。その変化は恋人や専門家でなくとも明らかで、弟たちはハッと息を飲む。自分の名前を聞いて反応しちゃうおそ松可愛いけどどんな発言が飛び出してくるか怖い、とカラ松も息を詰める。

「……カラ松がどうしたの?あいつ、何か言ってた?」
「いや、非常にうっとおしい事を言ってたは言ってたけど……そうでなくても、僕個人として気にはなってたんだ」

チョロ松はどうやら、正攻法で行くことに決めたようだ。変に隠す事はせず、挑むような目つきでおそ松と対峙する。真面目な雰囲気におそ松も戸惑っているようだ。

「な、何だよ」
「おそ松兄さん……ぶっちゃけ、カラ松の事本当はどう思ってるの?マジで好きなの?あれが?」
「……は、はあっ?!」

あまりにもド直球な質問だった。背をのけぞらせたおそ松が驚きに目を見開き、一気にその顔色を紅へと変える。うわあ今の顔をチョロ松の位置から見たかったなあ、と呟いたカラ松の足が誰かに踏まれた。チョロ松に静かにディスられていた事など彼の頭の中には無い。

「い、いきなりなに?!何でお前がそんな事気にしてんだよ!」
「いや気になるでしょ普通。兄弟だよ?みんなで四六時中一緒にいた仲だよ?その中から何でよりによってカラ松、って思うよね普通」

チョロ松の主張に、弟たちがうんうんと声無く同意している。あれ、もしかして俺は馬鹿にされているのでは、とこの辺でようやく気付いたカラ松だった。未だに足をぐりぐり踏みつけられているので声には出さなかった。このしつこさは多分一松だ。

「おそ松兄さんは、カラ松の事がずっと昔から好きだったって、前に言ってたよね」
「う……う、うん、まあ……」
「兄さんはさ、今までそういうの、カラ松が暴走するまで誰にも気取られずに隠してただろ?隠し事が異様に上手いのは知ってるけどさ……こう見えて兄弟に特別甘いのも、僕は知ってる。だからもしかして、あの一辺倒のカラ松に絆されてあえて自分も好きだった風に言っているんじゃないかって、ちょっと心配になったんだよ」

チョロ松の言葉に嘘は無かった。当人たちが幸せならばと何も追求せずにいたが、もしあれがおそ松の妥協や諦めの結果だったら、と考えて不安になる事も少なくなかった。カラ松が押せ押せな分、おそ松が基本的に受け身である事で余計にその疑念は膨れていた。相手がカラ松だという事もまあ、多少不安材料ではある。
それもこれも、二人が大事な兄弟だからだ。二人とも等しく幸せになって欲しいからこそ、本当にそれは真の愛なのかと疑ってしまう。告白しあうまで兄弟全員が否応無しに巻き込まれたのもあってなおさらだった。盲目的な次男は疑う余地も無いとして、では長男は。
世間的な障害が多い恋だからこそ、兄は。松野おそ松は、松野カラ松と共にいて、幸せなのか。
そこの所をはっきりしてもらわないと、かつてのおそ松の相棒とも言うべきチョロ松としては安心してカラ松に任せられないのである。口には決して出さないが。

「ほ、絆されたって……そんな訳ないだろ!いくらカリスマレジェンドのお兄ちゃんでも絆されただけで兄弟とこっ恋人とか、あるわけ無い!絶対無い!」

真っ赤な顔をしながらも、おそ松は大慌てで否定してきた。とりあえずホッと安心するカラ松。チョロ松の発言を聞いて、そうかそういう可能性もあるのか、と嫌な予感に血の気を失っていた所だった。しかしチョロ松はまだまったく安心していない。

「ふーん?それじゃあ、いつからカラ松の事が好きだって?ずっと前ってどれぐらい?」
「なっ何でそんな事言わなきゃいけないんだよお!」
「うるさい、嘘じゃないなら早く言えよ」

チョロ松から睨まれ、おそ松はしばらくあーだのうーだの呻いていたが、表情を見られないようにぎゅっと俯きながら、そろそろと人差し指を立てる。

「や、約、これくらい前……」
「一?一年前ってこと?まあカラ松よりは前だけど、言うほど昔ってほどじゃ……」
「や、違くて、」
「は?」

怪訝に眉をひそめるチョロ松の前に、おそ松のもう一つの腕が掲げられる。一本だけ立てられた指の横に添えられたのは、親指と人差し指の先をくっつけて作られた丸。1と0。左右の手を交互に見つめたチョロ松は、数秒後正確に理解してしまった。冷静にと務めていた心が一気に泡立ち、くわっと目を見開く。口から出たのは悲鳴にも似た声だった。

「じゅっ?!」
「約!約だから!実際にはもっと短い……はず!はずなんだよ!もう分かんねえ!俺だって明確にいつこうなったかなんて分っかんねえんだよ!」

おそ松はとうとうちゃぶ台に突っ伏してしまった。己の内に秘めていた事実を口に出してしまった事がよほど恥ずかしいのか、その赤い背中が小刻みに震えている。襖の隙間から覗く光景からでも、垣間見える耳元がびっくりするぐらい赤くなっている事が分かった。隣に座るチョロ松がうろたえるぐらい、おそ松が羞恥に身悶えている。こっそり覗き見ていた弟たちは力合わせて、とっさに手をワキワキさせながら飛び出していきそうなカラ松を抑えなければならなかった。

「カラ松兄さん落ち着いて!気持ちは分かるから!分かりたくも無いけど分かるから落ち着いて!」
「離してくれ!何だあの可愛さは!何故あのおそ松が俺の目の前にいない!撫でなければ!思いっきり撫でて宥めて甘やかしてトロトロにして俺の懐に入れなければ!そして約十年についてじっくりと問い質さなければぁ!」
「うるせえ!今出ていったら全部台無しだろうがクソ松!十四松、この頭沸いてるクソに卍固め」
「あいあいさー!」
「ぐわああああおそ松ぅぅぅぅ!」

衝撃の事実を耳にして半ば錯乱状態のカラ松は、こうして何とか取り押さえられた。かなり声や音を出していたはずだが、向こうは向こうで心境修羅場状態だったようで盗み聞きはバレていないようだ。

「……兄さん、嘘でしょ……?だって十年って、中学……下手したら小学生も……」
「だからぁ、俺だって分かんないんだってば……きっかけとかも全然……いつの間にかあいつが、カラ松の事がキラキラして見えてたんだもん」
「キラキラ」

おそ松はちゃぶ台に突っ伏したまま、ぽつぽつと語り出す。

「俺ら、昔は誰が誰でもおんなじだったのに、今は割と違うじゃん?成長してって、徐々に違う人間になってったじゃん?それが俺はさ、すっごい寂しかったんだよね。お前も離れてっちゃうし……色々荒れたりもしたよ。けどさ、気付いたら隣にあいつがいて、昔と変わらずおそ松って呼んで、昔と同じような頭からっぽの呑気な顔で笑うんだよ。どんなに痛くなっても、かっこつけでも、こいつはずっと変わらず俺の傍にいてくれるんだなって思ったらめちゃくちゃ安心してさ……いつの間にかそれが、ドキドキするようになって」
「ドキドキ」
「そーゆー年頃になると、カラ松見るだけでムラムラしてた時期もあったし」
「ムラムラ」
「この気持ちは何かの間違いだって何年も足掻いてたけど、成人する頃にようやく認められるようになってきて……んでも一般的には間違っている事には変わりないから、これは墓場まで持っていくしかないなって覚悟も決めて……んで、そういうお兄ちゃんの覚悟を、数か月前にカラ松本人にぶっ壊されたって訳。……なあ、もういいでしょ?これで分かっただろ?俺の方が最近ぴーぴーうるさいカラちゅんとは比べものにならないぐらい年季入ってんの」

これでおしまい、とおそ松が口を閉じれば、居間には少しの沈黙が落ちた。チョロ松はとっさに言葉を紡げなかった。外で盗み見ていた四人も同様だった。六人全員で育ってきた学生時代から、かなりの年月を押し殺して生きてきたのだろう長男の気持ちの吐露に、全員が少なからず動揺していた。
顔を伏せてからじっと動かなくなってしまったおそ松に、やっとの事でチョロ松が声を絞り出す。

「……じゃあ、もうそんな我慢しなくていいじゃない。なのに何で兄さんはカラ松を拒んでるんだよ」
「拒んでるって……」
「あれから何のアクションも無くてカラ松が気にしてるの、おそ松兄さんだって分かってるんだろ?ほら、あれだよ……き、キキキキキッき、キス、の事だよっ」

ここでどもるか童貞。しかし誰もツッコめずに、おそ松がああ、と溜息に似た声を上げた。

「その事か……そんなの、決まってんだろ」

おそ松がとうとう動く。ふら、と顔を上げたと思ったら、そのままゆっくりと後ろへ身体を倒し、仰向けで転がった。天井からぶら下がる照明の金魚を眺めながら、両掌を顔の前に持って行ったおそ松は。

「っ恥ずかしいからに、決まってんだろぉがあああ!!!」

そのまま、畳の上をゴロゴロと転がり出した。ものすごい勢いだった。

「おっおそ松兄さん?!」
「キスとか!キスとか!!今日は隣にいっぱい座れたとか、他の松より会話できたとか、そういう些細な事だけで満足していた俺に!こ、恋人になれて、撫でて貰ったり手繋いだり抱き締め合うだけで心臓爆発して死にそうになっている俺に!キスとかそんなの、ハードル高すぎんだよ!!片想い歴約十年の童貞舐めんじゃねーぞ!!」
「兄さん落ち着いて!」
「お前らは知らないからそんな軽々しく言えるんだ!俺がカラ松の事どう見えてんのか知らないから!あのなあ、俺にはあのイタ革ジャンとクソタンクトップ着たカラ松でさえ、最高にかっこいいし可愛く見えてんだからな!誰もが白い目で見てんのに一人ドヤ顔してるバカな顔が可愛いって!意外とスタイルよくてかっこいいじゃんって!!」
「え、うわ、マジで?」
「ほらあ引いてるじゃん!どうだ参ったかよ!俺のカラ松マジ可愛い!めちゃくちゃ幸せそうに嬉しそうに俺の頭撫でやがってくれやがるから俺もそれだけで幸せなんだよ!ちくしょう!それなのに、それなのにッ!!」

チョロ松も手の付けられない暴れっぷりを見せた後、ごろりとうつ伏せになったおそ松は肩で息をしながらもようやく止まる。はあ、と重い息を吐き出して、聞こえるか聞こえないかのギリギリな小声がぽつんと転げ落ちた。

「キス、なんて、そんなんしたら、おれ……幸せすぎて、死んじゃうよぉ」

興奮で潤む瞳を伏せ、羞恥で紅潮した頬をすり、と畳に押し付けながら、乱れた息の合間にそうしておそ松が呟いた、その時だった。
傍らの襖が大きな音を立てて中へと倒れ込んできたと同時に、人影が弾丸のような勢いで飛び出してきたのだ。

「おそまぁぁぁぁつっ!!」
「は?!え……か、からまつ?」

あっけにとられるおそ松を目にも止まらぬ速さで抱き起こしたのは、もちろんカラ松だった。目の前にいきなり現れた恋人の姿に気を取られていて、おそ松にはその背後で吹っ飛ばされた弟たちの残骸を認識する事は出来なかった。自分とほぼ同じ体型の男を抱き上げているなど微塵も感じさせない動作で、カラ松は真っ直ぐおそ松を見つめたまま言った。

「おそ松……とりあえず、二階へ行くぞ!!」
「あ、え?な、なんで……ってちょっと待てええぇぇぇ!」

おそ松の静止の声は聞き届けられる事無く、あっという間に居間から遠ざかり階段を駆け上っていく。チョロ松はその場から身動きする事無く兄たちの背中を見送った。リアクションを取る暇もなかったとも言う。なりふり構わない足音が二階の襖を閉める音と共に消えたのを確認してから、ようやく辺りに散らばる弟たちへ目を向ける事が出来た。

「……お前たち、大丈夫?」
「大丈夫、じゃないよもう!何あのゴリラ松!十四松兄さんの全力を振り切ったんだよ?!人間業じゃないよ!どんだけアドレナリン出てたの!」
「うへぇめんぼくない」

ひっくり返ったまま黄色い袖で敬礼してみせた十四松は、弟にさりげなく人間扱いされていない事など気にしていないようだった。起き上がってぷりぷり怒っているトド松の隣で未だ床に這いつくばったままの一松が、ゆっくりと天井を仰ぐ。視線はそこで止まるが、意識はその向こうでやっと互いに心の内をさらけ出した状態となった兄たちへ向けられていた。

「……ま、これにて一件落着って事でいいんじゃない。クソ松はあとで殴るけど」

釣られて皆で見上げた天井の向こう側で現在何が行われているかなんて、弟としてはあんまり知りたくないけれど。

「そうだね……当人たちにとってはこれからが本番だろうけどな」
「もー、つまり僕たちの心配はまったくの杞憂だったってことじゃん。ほんっと迷惑でクソな上二人なんだから」
「あははは、兄さんたち二人とも、真っ赤だったねー!」

全員で一斉にこれ見よがしに吐いたため息は、一番聞かせてやりたい本人たちには届かなかったけれども、まあ今日ぐらいはいいかと珍しく穏やかな顔を突き合わせて笑う弟たちであった。

「あ、ねーねー!二階にシコ松看板立てる?!セクロス看板に改造する?!」
「「やめて!」」





そうして階下から弟たちに生温かい、よりは少し温度のある視線を向けられている事など知りもしない上二人クソな兄たちは、二階の子供部屋にて一週間前とほぼ同じ二人きりの対面を果たしていた。あの時と少し違うのは、見合わせるそっくりな顔がさらに生き写しなぐらい真っ赤に染まり上がっている点だろうか。突然連れてこられて二の句が継げずにいるおそ松に、辛抱堪らないと言った様子のカラ松が詰め寄った。

「おそ松っ!キス、させてくれ!!」
「は、はあ?!またそれ?!つーかお前、今の、きっ聞いて……?!」
「すまん聞いてた!後でどんな詫びでも入れる!だが今はそんな事よりキスがしたい!」
「ひえっ?!ちょ、ちょちょっ!とにかく落ち着けっての!」

ぐいぐい顔を近づけてくるカラ松を、おそ松は悲鳴を上げて押しのける。その態度が気に入らないカラ松の目が、ムッと細められた。

「何故だ?何故我慢する必要がある?俺はおそ松の事がこんなにも好きで、……おそ松も、俺の事をあんなにも愛してくれていたというのに」
「あっ……?!っそ、それは、おっ俺のさっきの話聞いてたんなら分かんだろぉ?!」

おそ松が心をひとまず落ち着くために必死に距離を取ろうとしても、カラ松が少しも離れる事無くどこまでも追いかけていく。幼い頃から使う狭い我らが部屋、行き止まりはすぐにやってきて、背中に壁が当たったおそ松はもうどこにも逃げられない。何とか横へと避けようとしても、ドンと音を立てて顔の両側に袖をまくった腕が打ちつけられてしまい、視線すらも逃れられなくなる。途方に暮れて顔を前に戻したおそ松は、そこでようやく相手も自分と同じように顔面を紅く染めあげている事に気付いた。
普段あれだけ躊躇なく自分の頭を撫でたり笑いかけてきたりする男が、これほどまで顕著に反応を示している。それほどの事を自分は今さっき暴露したし、それを聞かれたのだ、と意識すると、おそ松の羞恥心はますます大きくなった。
駄目だ、やっぱり耐えられそうにない!

「おれ、俺……お前とキスなんてしたら……しっ死んじまうんだってば!」

だからもう少し待って、ともごもご言い訳を連ねようとした口を、がっと下から掴まれる。驚いて見張った目の先に、死んでしまうと必死な自分と同じぐらい切羽詰まった顔をしたカラ松がいた。

「ならば一度、死んでくれ」

傍から見ればあまりにもひどい言葉だが、何故だかおそ松には、それを言わせた自分が一番ひどい奴だととっさに思った。それほどまでに、思いつめたような声だった。

「なあ、おそ松頼む……一回でいいから、まずは一回……キスがしたい……」
「ふ、ふぇ……だって、マジでおれ、死んじゃう……恥ずか死する……」
「大丈夫だ、お前が死んだら俺が必ず生き返らせるから……人工呼吸するから……!」
「それ、もいっかいちゅーするって言ってるようなもんじゃん……俺また死んじゃうからぁ」

必死に頼み込んでくるカラ松は、しかし顎を掴んで固定して逃がしてはくれないくせに、決してそのまま無理矢理唇を奪う事はしてこなかった。あくまでもおそ松の意思を尊重しようと頑張って、少し背中を押されれば触れ合ってしまいそうなギリギリの距離で我慢をしている。待ってくれている。

――じゃあ、もうそんな我慢しなくていいじゃない。

頭の中に、先ほどのチョロ松の言葉が蘇る。おそ松の誰にも告げられない長い長い片想いはとっくの昔に終わっていて、もうその愛を隠す事無く伝えて同じぐらい想ってくれている弟が今、目の前でこんなにもおそ松を求めてくれている。恥ずかしい思いはどうしても胸の内で暴れ回っているが、それでもおそ松の心は、幾分か素直になれた。
……そうか、死んじゃってもいいのか。
もう、我慢をしなくてもいいのか。
そうか。

「……カラ松、目瞑れ」
「えっ?」
「目瞑れって言ってんだよ!」
「は、はいっ?!」

今まで何を言っても力無く拒否するばかりだった兄が突然真っ赤な顔のまま命令してきて、カラ松は直ちに言われた通り目を瞑っていた。どんなに切羽詰まっていても、この長男に強く出られてしまえばカラ松に勝ち目はないのである。
真っ暗な視界の中で、おそ松の顔を掴んでいた手がゆっくりと外されるのを感じた。慌てたが、おそ松が腕の中から逃げる気配はない。……むしろ、同じ身長の熱がもっと、もっとこちら側に近づいたような気さえした。

「いいか、絶っ対に目開けんじゃねーぞ」
「おそ松……?」

何をしようとしているのだろう。疑問に思いながらも大人しく目を瞑り続けるカラ松にその時、何かが触れた。場所は、唇だ。視覚を閉ざしているために今は普段よりも敏感になっている触感を刺激してきたのは、何とも柔らかなものだった。
少し、かさついているだろうか。ふに、と押し付けられたそれは、唇からではあったが一肌程度のぬくもりを感じた。いきなりの未知の接触に、カラ松は驚いて身動きも取れない。必死に感触の正体を知ろうと唇の先に集中していると、それは己と同じ形をしているのではないかと思い当たった。
同じ形、つまりは、押し付けられている自分の唇と、同じ形を。
おや、と考えたと同時に口先を微かに動かしてしまって、柔らかな何かはあっという間に離れていってしまった。ハッと目を見開くと、思っていたより近い位置にある恋人の顔。その顔色は、限界だと思っていた赤をさらに鮮明に色付かせ、もはや全身が真っ赤なんじゃないかと思わずにいられないほど茹っていた。視界でぼやけるほど近くにいたおそ松が口を開く。何故か、その口元へ視線が集中する。

「……ほ、ほら、これで気ぃ済んだか?」

気ぃ済んだか?その言葉の意味を、少しだけ考えた。目の前には恥ずかしそうなおそ松。柔らかくて温かかった感触。同じ唇の形。キスを求めていたカラ松に、これで気は済んだかという台詞。良く考えなくても瞬時に答えが導けそうな簡単な問題。今の大混乱状態にあるカラ松でも、無事に正解へ辿り着けた。
そうか、今のはおそ松からのキスだ。

おそ松からの、キス?

「………っっっ?!!」

気付いた途端、ブワッと、鳥肌のような興奮が全身に広がる。体内を熱が駆け巡る。今のはキスだ。おそ松からのキスだ。じゃああの唇のような感触は、おそ松の唇だ!ああ、あれがおそ松の唇!二十数年も共に生きてきて、今、初めて唇と唇で感じる事が出来た、俺だけのおそ松だ!
さっきまであんなに嫌がっていたのに、おそ松からキスをしてくれたのだ!
自分からしてくれたくせに、うろうろと視線を彷徨わせてこんなにも照れている。さっきまで触れ合わせていた唇を、感触を思い出しているのか、無意識にぺろと舐めている。いつまで経っても反応を返さないこちらにだんだん不安になって、ちら、と頼りなさげな視線を寄越してくる。その様が。
ああ。ああ!

「可愛い!!!!」

その時カラ松に、かつてないほどの「可愛い」が襲いかかった。嵐のようにカラ松を激しく包み込み、それしか考えられないように頭の中を全て塗り替えてしまった。視界が一気に薔薇色に染まる。奇跡を象徴する蒼い蒼い、薔薇。その中に一輪だけ、一際鮮やかに咲き誇るのは、もちろんカラ松だけの愛しい朱い薔薇である。薔薇は、兄は、おそ松は、突然叫んだカラ松をあっけにとられた顔で見つめている。

「か、カラま、」

おそ松には四文字の名前を呼ぶ時間さえ与えられなかった。急に伸びてきた右手が後頭部に回されたと思ったら、引き寄せられて抵抗する間もなくキスをされていた。ちなみに今度はカラ松の瞼ががっつりと開いたままだ。

「んぐぅっ?!」

驚愕に跳ねた声は口の中で反響した。唇と唇がくっついているので開けない。
カラ松は二度目のおそ松の唇の柔らかさを堪能していた。視界も良好だ。見開いた幼めの瞳が、恥ずかしさのあまりきゅっと細められる様子までじっくりと見つめた。可愛い。逃れようと体を動かそうとしているが、すかさずカラ松の左手が腰を引き寄せて密着させれば、おそ松はもう身動きさえ取れない。可愛い。せめて仰け反らせようと両手をカラ松の胸につけてぐいぐい押してくるが、後頭部に回した手がそれを許さない。ああ必死な様子が可愛い。体は必死に抵抗しているのに、触れ合わせた唇は恥ずかしそうに健気に震えている様が、とてつもなく可愛い。可愛い。
溢れる可愛さのあまり、カラ松はもっと深い可愛いを知りたくなった。もっと、もっとと、衝動のまま舌を伸ばし、油断していた温かい唇をこじ開けてその中へと侵入する。

「っん?!んんぅーー!!」

抗議の悲鳴は可愛いに夢中のカラ松に届くわけがない。むしろ悲鳴さえも可愛い。舌で初めて触れた粘膜は、火傷しそうなほど熱く感じた。興奮しているのか、羞恥のためか、可愛い。この熱が可愛い。愛しい。愛しさを込めて上顎をねろりと舐めれば、持ったままの腰がびくりと跳ねた。何だこれ可愛い。宥めるように腰を撫でてやれば、唇がびくりと反応した。どこまでいっても可愛い。そうやって手や舌をせわしなく動かしている間も、カラ松の視線は目の前のおそ松にじっと注がれたままだった。翻弄されっぱなしのおそ松は悩ましげに眉を寄せて瞳を閉じてしまっていて、熱に浮かされた瞳を見る事は出来ない。それはそれで残念だったが、目を閉じたら余計にキスの感触を得てしまう事実におそ松は気付いているのだろうか。気付いていないんだろうなあ可愛いなあ。
未だ可愛いしか頭にないカラ松は、口内を探って縮こまるおそ松の舌を見つけ出した。己の舌先でつんと触れれば、ぎくりと反応する柔らかなそれ。可愛い。さらに頭を引き寄せとうとう舌を絡め取れば、くぐもった悲鳴がさらに上がる。隙間なくくっついた唇からは音も漏れず、全てカラ松の喉下へと飲み込まれていく。可愛い。美味しささえ感じる気がする。おそ松の声美味しい。おそ松の舌も美味しい。可愛い。最早逃げる元気も無いのか、びくびくと反応を示すだけでカラ松の舌に身を委ねている。可愛い。
大変だ、おそ松のどこもかしこも可愛い。知ってた。
カラ松念願の初ディープキスは長かった。カラ松自身は時間など意識してはいなかったが。おそ松と触れ合う全てに可愛さを見出していたら、時間などいくらあっても足りなかった。今は正面からこれでもかとくっついている状態なので、なおさらだった。
カラ松は可愛いを堪能しすぎていて、忘れていたのだった。おそ松の口内全てを掌握しているという事はつまり、初めての体験にまともに鼻で呼吸できていないおそ松の息さえもカラ松が飲み込んでしまっている事実を。

「……ん……んぅ……」

感じ入るように体を震わせながらすっかりおとなしくなってしまったおそ松に、可愛いなあ、と本日何度目かも分からない事をしみじみ思っていた時だった。カッと目を見開いたおそ松が、前触れもなく足を振り上げ、踵で思いきりカラ松の足を踏み抜いてきたのだった。

「アウチッ?!」
「ぶっっは……!お……お……おまっ……!マジで殺す気かっ!!」

緩んだ腕からすかさず逃げ出し、肩で息をしながらおそ松は涙目で睨み付けてきた。片足でぴょんぴょん跳ねて痛みを逃した後、カラ松も負けじと睨み返す。

「何するんだおそ松!せっかく最高に気持ち良くて可愛かったというのに!あとそんな顔で睨まれても可愛いだけだからな!」
「か、可愛い可愛いうるせえんだよ!可愛くねえよバーカ!息が出来ねえっつってんの俺は!」

おそ松に言われてようやくカラ松も気が付いた。そうか、おそ松は苦しかったのか。さすがに反省はしたが、命の危機に気付かないぐらいおそ松が可愛かったから仕方がなかった。

「……キスの途中で上手く息が出来ないおそ松可愛いな」
「ううううるせえよ?!」
「分かった、今度はちゃんと息継ぎ出来るように頑張ろう。それじゃあさっそく……」
「さっそく、じゃねえーっ!来んな!腕回してくんな!今日はもうダメーっ!」

カラ松の手を叩き落とし、おそ松がずるずると距離を取る。もう一度あの熱と柔らかさと可愛さを余す事無く味わいたいカラ松は衝撃を受けた。今日はもう、駄目だと?!

「ホワイ?!何故だおそ松!気持ち良くなかったか?!」
「そ……それは……わっ悪かったわけじゃないけどぉ!」
「回数を重ねないと上手くはなれないぞ!息継ぎの練習だおそ松!キスの練習!するぞ!」
「やだぁ!練習なんてしなくていい!」
「そんな……もっともっと気持ち良いキスをしなくていいのか?!」

何とか説得しようと試みるカラ松へ、ぶるぶると首を横に振ったおそ松が真っ赤な顔で言い放った。

「これ以上キスがきもちよくなったら、カラ松とずーっとキスしてたくなっちゃうだろぉ?!」

流石のカラ松もビタッと近づこうとしていた足を止める。上げかけていた指先が震えた。カラ松の表情を見て自分の発言した言葉を頭の中で反芻したおそ松も、内容の恥ずかしさに今更気づいたらしい。ハッと見開いた瞳が、恥ずかしさのあまりみるみるうちに潤んでいく。零れ落ちるか、と思った矢先に、恥ずかしがり屋な恋人は踵を返す。

「……カラ松のバーーーカ!!」

それはあまりにも幼稚な捨て台詞だった。ガラッバシーン!と激しい音を立てて部屋の襖を開け閉めし、乱れた足音を響かせながらおそ松は逃げて行ってしまった。奇しくもそれが、一番初めにおそ松が可愛いと大告白(?)したあの日におそ松が言い捨てて去った言葉と寸分違わず同じものだった事を、覚えているのは撃沈しているカラ松だけであっただろう。
今回去り際の兄からは何も物理的な打撃を受けなかったカラ松だったが、精神的には大ダメージを喰らっていた。主に、その可愛さで。「可愛い」は時に致命傷さえ与え得る武器であることを、カラ松はこの時学んだのだった。
畳の上に倒れ伏したカラ松は、ばっくばっく音を立てて鼓動する心臓を服越しに押さえ込みながら、おそ松を初めて撫でたあの日からすでに数えきれないほど唱えてきたあの言葉を、今までで一番実感のこもった声で呟いていた。
ああ。


「俺の兄貴がこんなに可愛い」



こうしてキスを覚えたカラ松が恋人としての次のステップに気が付くまで、後数分。
洗面所で火照った顔を必死に冷やすおそ松は果たして、おそ松可愛いお化けから逃げ切れるのか。
次回、セクロs「言わせねえよバァカ?!」






17/01/30



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