松野家六男、末っ子おそ松！






キーン　コーン　カーン　コーン
本日の授業全てが終わった鐘が高らかに鳴る。今日最後の起立、礼を済ませ、教師が出ていくのを確認したトド松は、自分の席に座り直すと同時に携帯を取り出していた。画面に映るのは、仲の良い女友達とのやり取り。放課後空いてる？新しく出来たスイーツ屋さんに行こうよ、という絵文字付きのメッセージに、行く行く、と笑顔で返信。そこに横から声を掛けられた。

「トッティー、今から皆で遊びに行くけど、一緒にどお？」
「あ、そうなんだ、ごめん！今日はもう先約入っちゃった」

同じクラスの女生徒だった。愛称を呼んで気さくに声を掛けてくれたその子に申し訳なさそうに謝ると、明るく笑っていいよと言ってくれる。

「あ、もしかして家族と約束あった？トッティ兄弟多いもんねー」
「あはは、まさか！もし兄弟とだったら即遊びについていってた所だよ」
「えーほんとー？」

楽しげにそれから二言三言会話してから、それじゃあまた明日ねと手を振って別れる。タイミングが悪かったなあ、仕方ない、今度ちゃんと埋め合わせをしよう、とか考えながら視線は携帯に戻る。器用に指を動かしてメッセージを打ち込むトド松に、ボソボソとした声が掛けられたのはその時だ。

「っへ、相変わらず忙しそうだねトッティ」
「弟が気安くトッティとか呼ばないでくれない？」
「おお、コワ」

視界の端で肩を竦めた前の席の制服がヒヒッと笑う。何回も席替えをしたのに何の運命か、毎回上下並んだ席になってしまう相手の顔をトド松はうんざりしながら見つめた。ぼさぼさの髪型に胡乱な目つき。学ランの中に特例で着込んだ紫色のパーカー。そして浮かぶ表情の違いを抜けばそこには、トド松とそっくりそのまま同じ顔がこちらに振り返っていた。

「それで。そんなに女子と交流して一体いつ童貞捨てるの、トド松お兄様？」
「うるさいよ一松。そんなんじゃないから。普通に仲が良いだけだし。あわよくばとか考えてないから、本当」

にやにや笑う弟一松に、トド松はムッとして吐き捨てた。そう、ただ女の子たちと気が合うからよく一緒に遊んでるだけ。今年こそ彼女作って色々卒業してやるとか、そんな事考えてないし。どう聞いても言い訳めいたそれを、一松は欠伸して聞き流している。この弟、いつもながらムカつく。
トド松と一松、顔がそっくりな二人は一卵性の兄弟である。ただし双子では無い。この学校には同じ顔があと四つ、同じ学年に揃っていた。世にも珍しい六つ子の松野兄弟、その長男がトド松だ。一人飛ばして三男が一松。性格や微妙な差はあれど、他人には六人揃った同じ顔の人間などパッと見分けられるはずもなく、学校側から許可というかお願いされて、それぞれ色違いのパーカーを着込んでいる。トド松がピンクで、一松が紫だ。
数時間差で生まれてきた歳も誕生日も同じ彼らには、それでも一応兄と弟という上下関係が存在している。桃色がトレードマークで、おしゃれをして、甘いものも好きで、下手な女子より愛嬌がある、と自負しているトド松も、男ばかりの六人兄弟の頂点に君臨せざるを得ないのが現状だった。まことに不本意ながら。

「それより一松も、怠い怠い言いながら最後まで授業受けたんだね。明日は絶対サボるって昨日帰り際に言ってなかったっけ」

他校の仲が良い女子と携帯で今後の予定をやり取りしながら、片手間に声を掛ける。一松は眠そうな目で振り返った後、とても嫌そうに顔をしかめてみせた。トド松が浮かべる笑顔に嫌な予感を覚えたのだろう。

「……それが何」
「何でもなーい。ただ、さすがのダウナー系三男でも末っ子には甘いんだなーって思って」
「意味わかんないんだけど」
「今日一緒に帰る約束してるんでしょ？だからいつもはさっさと帰るくせに、こうやって大人しく待ってるんでしょ。ホーント弟想いの優しいお兄ちゃんだねー」
「は？ちょ、それ誰から、」
「末っ子本人が今朝楽しそうにべらべら喋ってたけど」
「……くそっあいつ……」

忌々しそうに舌打ちしたその頬は、羞恥によって若干赤い。うちの兄弟は悉く末っ子に弱いし甘いなあとトド松は生温い笑顔で見守った。その笑顔止めてムカつく、とすぐに不機嫌そうに阻止されてしまったけれど。
そうやってトド松が携帯を触りながら素直じゃない弟と交流していると、教室のドアが勢いよく開かれた。ドアを破壊しかねないほどの騒音を響かせるような人物を、トド松も一松もこの学校では一人しか思い当たらない。視線を向ければ思っていたように、二人と同じ顔が眩しいほどの色を纏って大口開けて笑っていた。

「ぃよいしょー！トド松兄さーん！一緒に帰ろー！」
「んーごめんね十四松、今日は女の子と約束しててさ」
「えーっ！そっすかー残念ー」

とほほ、と肩を下げたのはトド松の弟であり一松の兄である、松野家次男十四松だ。他の兄弟より袖口が伸びたパーカーは黄色。野球部である彼は部活が休みの日にはこうして誘いに来てくれる。ただ、トド松が女の子との約束を入れている事は珍しくないので、すぐに立ち直って今度は一松を見つめてきた。

「あれ、一松だ！おそ松と一緒に帰るんじゃなかったの？！」
「何で十四松兄さんまでその話知ってるの……」
「あのねー、今日は一松と一緒に猫見に行くっておそ松が話してくれたから！」
「あいつどこまで言いふらしてんの……」

うんざりとした顔で机に突っ伏す一松の姿に、トド松と十四松は顔を見合わせて笑った。弟たちが仲良くしている様子は大変微笑ましいものである。ただ一松は、末っ子に向けるそのデレを少しでも五男に分けた方が良いと思う。

「ねーねー一松、オレも一緒に帰っていーい？オレも猫撫で撫でしたい！」
「ああまあ、十四松兄さんなら……ていうか末っ子、あいつ遅くね」
「ここに来る時おそ松の教室覗いたけど、見当たらなかったよ？どこいったんだろーねー」
「マジか。あいつまさか忘れてるんじゃねえだろうな」

舌打ちする一松と心配そうな十四松の会話を聞きながら、トド松はひたすら携帯の画面を見つめていた。待ち合わせ場所の返信も来て、さあ後は下校するだけだという場面。バタバタバタと、今度は廊下をものすごい勢いで駆けてくる音が響いてきた。ああこの走り方は、と音だけ聞いて目を細めたトド松の目の前に、またしても見慣れすぎた顔が緑の風となって飛び込んでくる。

「トド松兄さんっ！おそ松、ここに来なかったっ？！」
「今日はまだ来てないよー。どうしたの、チョロ松」

勢いよく教室に飛び込んで来たのは、トド松の予想通り緑色パーカーの四男チョロ松だった。荒い息をつきながらもあちこち視線を彷徨わせるその目は、とにかく必死だった。上の兄三人はそれぞれ視線を交わし首を傾げて、チョロ松の息が整うまで待った。

「そうか、来てないか……くっそ、やっぱりあいつ、兄さんたちに何も言わずに行きやがったな……！」
「行くってどこへ。おそ松とは俺が今日この教室で待ち合わせてたんだけど」
「それが聞いてくれよ兄さんたち！おそ松の奴三年の不良に呼び出されたみたいで、カラ松引っ張ってついてっちゃったみたいなんだ！」
「「はあ？」」

ガラの悪い声を上げたのはトド松と一松だった。十四松は目を丸く見開いて、ぴょんとチョロ松に向き直った。

「ほんと？！どうして！」
「知らないよ、また無駄に喧嘩売ったりしたんじゃない？今月はもう喧嘩禁止って言っておいたのに！」

チョロ松が頭を掻きむしる。いつも末っ子の事でカッカしているこの四男は、いつか心労で禿げるんじゃないかとトド松は密かに楽しみ……いや、心配している。笑いそうになる口元を誤魔化して、大きなため息を吐いた。

「もーあの末っ子は。この間あれだけ言ったのもう忘れたのかな」
「一緒にいたくせにストッパーにもならねえとか、クソ松マジ使えねえ」
「いやカラ松はもう仕方ないだろ……だってあいつアホだし弟にゲロ甘だし」

一松とチョロ松もつられるように溜息を吐き出す中、わたわたと慌てるように伸びたパーカーに隠れる両手を振ってみせたのは十四松だった。ついでに足もバタバタと踏み鳴らしているのが、気が急いている証拠だ。

「大変大変！早く助けに行かなきゃ！チョロ松、場所、どこ？！」
「！そう、そうだった！こっちだよ十四松兄さん！」
「おっしゃー任せろー！お兄ちゃんパワーマーックス！」

張り切って走り出した十四松と、慌てて駆け出したチョロ松があっという間に視界から消える。「ちょっと待て十四松兄さんー！そっちじゃねえー！」というチョロ松の叫びがどんどん遠ざかっていく。あんなに急いで向かおうとするなんて、相変わらず過保護だなあとトド松は呆れ半分でそれを見送った。
十四松はああ見えて心配性だ。昔から喧嘩ぶつかり合い当たり前で鍛え上げられている六つ子たちは皆、基本的に一般学生より腕っぷしは強い。あそこまで大慌てで駆けつけなくても弟たちは弟たちで上手くやるんじゃないかな、とトド松は思っている。松野家長男は放任主義なのだ。それがたまに四男あたりにドライモンスターと称されたりする所以であった。
騒がしい足音が聞こえなくなった頃に、のそりと一松が立ち上がる。机に肘をついて携帯を睨み付けていたトド松が視線を向けると、少しだけやる気を出したように見える瞳と出会った。

「一松も行くの？」
「……まあ、約束もしてるし。そっちこそ行かないの」
「十四松が飛んで行って、一松も行くなら僕いらないでしょ？十分だよ。そんな兄弟でぞろぞろ向かうなんて、いくらおそ松相手でも過保護過ぎ」

投げやりに言えば、一松からはふーんと気の無い返事。鞄を肩にかけてポケットに手を突っ込んだままぶらぶら歩き出した一松は、教室を出る直前で振り返り、にやりと質の悪い笑顔で軽く手を振ってみせた。

「それじゃよろしく、トド松兄さん」

何がよろしくなのか。そのまま歩いて出ていってしまった一松の言葉の真意を、おそらく他人だったらまったく分からないだろう。しかし残念ながら、トド松は他人では無かった。目に見えない繋がりを持つ六つ子の一人だった。立ち去った三男の引き摺るような足音を見送ってから、盛大な舌打ちを打つ。

「……チッ！」

それは普段柔らかな物腰できゃっきゃと女子たちと戯れている姿とは似ても似つかない物騒な表情で。ピロリと音を立てた携帯の画面には、チョロ松が飛び込んできてからこっそり高速で打ち込んだ友達へのメッセージとその返事が映し出されていた。

『ごめんね○○ちゃん、ちょっと急用が出来ちゃった！また今度一緒にスイーツ食べにいこー＞＜』
『うん、わかった。何、また弟君？（笑）』

「ああそうだよ、またその弟君のせいだよ！っとにもー！」

ガタンと勢いよく席を立ち、携帯を放り込んだ鞄を肩にかけ、そのまま大股で荒々しく教室を出ていく所行は大変男らしい。残っていたクラスメイトがあっけに取られる中、弟たちの居場所に検討をつけ駆け出す彼もまた、結局過保護な兄の一人なのである。





「……ブラザー、さっきお前は言ったな。『恥ずかしがり屋なフェアリーに今から可愛らしい告白をされそうで困っている、緊張でか弱いハートが今にも息絶えそうだからついて来てくれないか』と」
「あーまあそこまで痛く伝えた覚えはねえけど、似たような事は言ったよ」
「で、その恥ずかしがり屋なフェアリーがこれか？」

青色パーカーがこれ、と指差したのは、ぞろぞろと揃っていかつい顔を並べたガラの悪い先輩たちの群れ。数は五、六人程度で、それぞれ学校内でタチの悪い不良と恐れられている顔ぶれである。左右の片側は分厚い体育館の壁、もう片側は己の身長より高い塀が伸びている、典型的なお呼び出し場所だった。松野家五男カラ松は、口にニヒルな笑みを浮かべながら、足をがっくがっく震わせて隣を見た。冷や汗を掻きまくるその顔を見返した同じ顔は、鼻を人差し指で擦りながら照れたように明るく笑った。

「そう！いやー、俺ってばモテモテで困っちゃうねーこんなにセンパイたちから熱烈に愛されちゃうんだから！」
「モテモテでも熱烈でもあるけど意味が百八十度違ーうっ！」

涙目のカラ松にがくがく揺さぶられる彼こそ松野家六男、赤色パーカーが良く似合う末っ子おそ松その人だった。一つ上の兄を騙し込んで恐い先輩たちに呼び出された体育館裏に連れてきておきながら、その顔に罪悪感とか後ろめたさみたいなものは一切無い。巻き込むのは当然といったような笑顔で揺さぶられるがまま歯を見せている。

「何でだ！彼らは一体何故あんなに怒っているんだ！一体何をしたんだおそ松ぅぅ！」
「もーカラ松うるさい。俺だって知らねえよ、心当たりはしょーじき、死ぬほどあるし？」
「ううっすまないマミー、俺は唯一の弟の育て方を間違えちまったようだ……」
「いや育てられた覚えもねえし」

おそ松とカラ松が揉めている間も、殺気を漂わせた不良たちがじりじりと迫ってくる。口々に「あの時の恨み晴らしてやる」だの「二度と生意気な口をきけなくしてやる」だの「今のうちだ」だの「くたばれ」だのおっかない言葉を叩きつけてくる。本当に一体何をしたんだ。カラ松は後ずさりながら、必死に傍らの弟の腕をつかんだ。

「おそ松、逃げるぞ」
「え、何で？俺負けないよ？」
「そっちの心配はあまりしてない！この間兄さんたちに言われただろ、しばらく喧嘩するの禁止だって！またキッツいお仕置きされるぞ、一松兄さんとか一松兄さんとかに！」
「いやー、でも一松兄さんのお仕置き受けるの大体カラ松じゃん？」
「そうだよ何でかいつも俺なんだよ！だから頼む逃げてくれおそ松、俺の命のためにぃぃぃ！」

何故か特に三男からの当たりがきついカラ松が必死に訴えるが、おそ松はどこ吹く風である。まったく乗り気じゃないその肩を逆に掴み返して、おそ松はカラ松へと詰め寄った。

「頼むよー！俺最近体動かしてなくて鬱憤が溜まってんだよ！このままじゃ死んじゃう！喧嘩しなさすぎ死する！」
「な、何だその死因……？！」
「なー一緒にあいつら返り討ちにしてストレス発散しようぜー？大丈夫だって負けないし。多分！」
「だからそういう問題じゃ、」
「お願い兄さんっ！こんなこと頼めるのは、カラ松兄さんだけなんだって！」
「っ！！」

カラ松の目がカッと見開かれる。カラ松兄さん。五男であり六つ子の下から二番目であるカラ松をそうやって呼ぶのは、目の前の末っ子であるおそ松しかいない。たった一人の弟が、兄の助けを必要としている。カラ松の中のやる気ゲージが信じられないぐらい一気に上がった。

「……フッ、仕方ない。松野家の五男に生まれしこのカラ松、守るべきリトルブラザーに頼られれば本気を出さずにはいられないぜ……！」
「自分でけしかけといて何だけど、お前マジでちょろいよね。弟として兄の将来が心配になるわ」

おそ松でさえ若干引くぐらいの変わり身の早さで、カラ松は弟を庇うように前へ出た。不良たちが邪魔をするなと殺気立つ。自分から喧嘩を売るような真似はほとんどしない温厚なカラ松だが、悲しいかな、こういう場面は弟に付き合わされて何度も渡って来ているので簡単に怖気づくことは無い。恐いものは恐いけど。主に兄が。
ここは兄らしく弟には指一本触れさせないぜ。そうやってかっこつけて不良たちに向かって両手を構えたカラ松だったが、そのすぐ横を後ろから赤い弾丸がするりと駆け抜けていってしまう。止める間もなかった。

「先手必勝ーっ！いっくぞー！」
「おっおそ松ーっ？！ままま待てーっ！」

一番先頭に立っていた男の横っ面を殴り倒したおそ松に、カラ松は悲鳴を上げて慌てて後に続いた。突然の事にどよめく不良たちへ間髪入れずに襲い掛かり、目線より高い胸倉を掴んで引き摺り倒しているその姿に肝が冷える。
正直に言えば、おそ松は強い。多分放っておいてもあの程度の相手なら一人でも勝ってしまえるのではないかと思う。しかしその勝利は十中八九、全身の怪我と引き換えになるのだ。それがカラ松には恐ろしい。兄たちに「弟守れないでどうする」と因縁つけられるというのもあるが、何より兄として自分が許せないのだった。
後先考えずに突っ込み、己の目の前に立ちふさがる邪魔者だけに拳を振い、横や背後からの攻撃には頓着しない。それがおそ松の喧嘩の仕方だ。だから放っておけばすぐにやり返されて生傷が絶えなくなる。そうやって育ってしまった理由を、カラ松含めた兄弟たちはよく理解していた。
ほら、今も。掴みかかってきた一人の鳩尾に蹴りを入れているおそ松はそちらに夢中で、横から殴りかかってくる拳をまったく見ていない。カラ松はその間に無理矢理滑り込んで、殴られる前に殴り返した。

「お！カラ松兄さんナーイス！助かったぜ！」
「！ふ……フッ！お前のサポートはこの兄貴に任せなっ！」

ちゃんと周りを見ろ、と注意するはずが、素直に感謝されて全部吹っ飛んでしまった。これ。これがいけない。おそ松は知ってしまっているのだ。自分がどれだけ無茶な戦い方をしても、こうやって誰かしら、兄たちが手助けしてくれる事を。とんだ甘ったれな末っ子である。であるのだが……事実なのだから、仕方がない。
倒れ込んだ一人を楽しそうに踏みつけるおそ松の背後にカラ松がつく。死角から掴みかかろうとしていた不良がそれでたたらを踏んだ。数はすでに後二、三人残るのみ。これならすぐに終わるかな、と内心ほっと考えていたカラ松の耳に、野太い声が鋭く届いた。

「おい！大丈夫か！」
「たった二人に何負けてやがんだ！」
「っ？！ぞ、増援？！」

バタバタと向こうから駆けつけてきたのは何と追加の不良の群れであった。今度は十人ほど。顔を知らない、制服もバラバラな所を見ると他校からわざわざ集まってきたらしい。怒り漲るその手には鉄パイプや角材といった武器まで持ち出してきている。奴ら、本気で潰しに来ている。カラ松は顔色を青くさせた。対照的におそ松は楽しそうに口笛を吹いた。

「やりぃ、おかわり追加だ！」
「おそ松、おそ松っ！喜んでないで逃げよう今度こそ！もう十分暴れただろ！」
「えー？！これで十分とか嘘だろ！俺まだやれるし！カラ松だけ逃げれば？」
「出来る訳ないだろうそんな事！」

自分で連れてきておいてあっさりそんな事を言うおそ松に、カラ松は激しく首を横に振る。その間に増援は到着してしまった。雄たけびをあげながら走る不良の先頭が容赦なく鉄パイプを振りかぶるので、二人は慌ててその場から飛び退いた。地面に突き刺さる鉄パイプには隠し切れない殺意が感じられる。

「凶器持ち出すとかずっりい！頭かち割る気かよ！男なら素手で勝負しろー！」
「そ、そうだな……正々堂々、男と男の勝負には余計なもんは不要さ、分かったらお願いですから武器を捨て……っ！おそ松！」
「へ？あ、うわ！」

追加でやってきた不良たちばかりに目を向けて、まだ倒れていない残りがいる事を忘れていた。目の端に見えた拳にカラ松はおそ松を背に庇う事で精一杯で、頬を思いきり殴られてしまう。おそ松がここに来て初めて笑顔を崩した。

「カラ松兄さん！ってめえら、よくも！」
「いっつ……ま、まあ待て慌てるなブラザー、これぐらいの事、俺にとってはかすり傷さ。そう、俺はタフネス・ガイ……」

ここで頭に血をのぼらせると余計に大変な事になると慌てて気取るカラ松だったが、不良たちを睨み付けるおそ松にはあまり聞こえていないようだ。誰か助けてーと汗を流しながら心の中で叫んだ声が聞こえたのかどうか。おそ松が駆け出す前に、救いの嵐がやってきた。

「ぬおおおおおおおおホームラーン！！」

カッキーン、と気持ちの良い効果音が聞こえてきそうな素晴らしいスイングで人間が吹っ飛ぶ。何の変哲もないバットが次々と不良たちに襲い掛かり、脳天に振り下ろされるわ鳩尾に叩き込まれるわ顎にクリティカルヒットするわであっという間に二人に群がっていた不良が蹴散らされた。ブン、と威嚇するように大きくバットを振った後、満面の笑みを浮かべた黄色い嵐が振り返る。教室から大急ぎで駆けつけてくれた十四松だった。

「遅くなってごめんねえ！二人とも大丈夫ー？！」
「っ十四松兄さーーーん！」
「おそ松ーーーっ！」

おそ松が両手を広げて飛び出し、十四松が両手を広げてそれを迎え、二人はひっしと抱き合った。感動的な場面に見えるが、この二人のテンションは大体常にこんな感じだった。何故かいつもびろびろに伸びている黄色い袖が、ガシガシとおそ松の頭を撫でる。

「よーしよしよし！もう大丈夫だかんねー！」
「十四松兄さん、マジ神タイミングー！助かったよ、カラ松が俺庇って殴られちってさー」
「そうなの？！カラ松良い子！強い子良い子ー！」
「弟を守るのは兄の務め、当然のことをしたまで……っぶふ！ちょ、十四松兄さん、痛い、痛いから……！」

おそ松から離れた十四松は、今度はカラ松を抱きしめて思いきり頭を撫でる。突然始まった兄弟愛の現場に不良たちが困惑していると、必死に道案内してきたチョロ松がようやく追いついた。

「はあ、はあ……！や、やっと着いた、十四松兄さんがすぐ横道に逸れるから誘導に時間掛かった……！」
「あ、チョロ松兄さんも来てくれたの？あんがとー」
「あんがとー、じゃねえーっ！おそ松お前、あれだけもう喧嘩すんなって言っただろうが！」

呑気に手を上げる末っ子の姿に、チョロ松が簡単にブチ切れた。つかつか詰め寄って胸倉掴んでがくがく揺らせば、おそ松も少しは悪いと思っているのか大人しく揺らされるがままだった。

「なんだよー一緒に喧嘩したかったんならそう言えよチョロちゃーん。俺だって誘おうと思ったんだけどさあ、カラ松しか見当たらなかったんだって」
「ち・が・うっ！この馬鹿！どんな脳みそしてたらそんな考えに行きつくんだくそ馬鹿末弟！」

前言撤回。やっぱり少しも悪いと思っていなかった。たはーと笑うおそ松の笑顔に、毒気を抜かれたようにチョロ松が手を止めて重い溜息を吐く。ふいに訪れた沈黙の時間は、十四松がこの場に到着してから初めてのもので、不良たちが口を挟むチャンスであった。

「お、おい！てめえら！呑気に話し込んでんじゃねえ！人数はまだこっちが有利なんだからな！」
「……あ？」

ぐり、とチョロ松の物騒な視線が不良たちに向けられる。学校は違えどほぼ全員上級生なはずの不良たちを、そんなこと気にした様子も無くおどろおどろしい声で啖呵を切る。

「大体あんたたちがうちの末弟呼び出したのがいけないんだろ、なあ。こいつアホだから呼べばすぐにホイホイついてくんだよ、禁止されてんのにだよ。どうしてくれんだよ、おい。こんなアホでも万が一怪我とかさせたりしたらどうしてくれるのかって言ってんだよ。五男とか代わりに殴られてんじゃん、これ、誰が責任とってくれんの、ぇえ？」
「アホアホ言うなー俺アホじゃねーし！」
「黙ってろ愚弟！」

完全にお怒りモードである。先に倒れていた不良の体を腹いせに蹴り上げるチョロ松の足技は見るからに鋭い。目を回し始めたカラ松を未だよしよし継続中の十四松の腕力も言わずもがなだ。不良たちがひそひそと小声で会話する。

「おい、どうするよ、出ちまったじゃねえか、『松野の増殖』が！」
「もう四人にまで増えたぞ！」
「やべえ……やべえよ……だから最初の松野をさっさと倒さなきゃいけなかったんだ……！」

松野の増殖。それはこの辺の不良の間でまことしやかに囁かれる噂、あるいは警告のようなものである。松野という奴に喧嘩を売る時は気をつけろ、一人を相手にしていても次第に二人、三人、四人と増えて手に負えなくなるぞ、と。特に最初が「赤」の場合、絶対最後まで揃う事になるぞ、と。恐怖と共に密かに広まっている話だった。
それでは増殖する松野の上限は？それも皆知っている事だ。松野家のお騒がせ六つ子の噂は、それ以上にこの辺では有名な話なのだから。六つの中の、四つがここに揃ってしまった。不良たちは緊張に固まっていた。それもそのはず、松野の増殖の話には、続きがあるのだ。
曰く、六つ全てが揃った時、全てが終わる、と。

「んだよー何だかんだ言ってチョロ松兄さんだってやる気じゃーん」
「うっせえよ。ここで潰しとかないとまた喧嘩売られるでしょ、お前が！んで、買うでしょ！お前がっ！！」
「そーだね！大事な弟たちに、おにーちゃんの許可なく喧嘩売られたらちょー困るからね！よーーーく言い聞かせてあげなきゃね！！」
「喧嘩の傷は男の勲章さ……だが、大切なリトルブラザーを狙った罪だけは、ここで償ってもらうぜ」

よしよしタイムが終わったらしい十四松とカラ松もチョロ松に並ぶ。一人後ろに下がった状態だったおそ松も仲間外れが嫌なので、ムッとして横に並んだ。綺麗に並んだ同じ顔が四つ、少し気圧された不良たちが心を奮い立たせ、何事かを言おうとしたそこで頭上から声が降ってきた。

「その喧嘩、まーぜーてー」

言葉とは裏腹なやる気のない声だった。ハッと何かに感づいたカラ松が慌ててその場から飛び退いた、直後。どうやら塀の上に腰掛けていたらしい影が、間髪入れずに一瞬前までカラ松のいた場所へ飛び降りていた。もしそのまま突っ立っていれば、容赦なく踏み潰されていただろう。静まり返る中で平然と立ち上がったのは、背中を丸めた一松だった。

「……クソ松邪魔だ、どけ」
「降りた後に言わないでくれるか一松兄さんっ？！」

カラ松が涙目で訴える。不憫な光景だが、松野家では日常的なものだったので誰も口出ししなかった。剣道部かどこかから調達したのか、使い古された竹刀を肩に担いで視線を巡らせた一松が、チョロ松の陰からこちらを覗いているおそ松を見つけた。

「見ーつけた。おいコラ末っ子、約束すっぽかしたな」
「や、違うって！マジで！さっさとこいつら片づけてから一松兄さんとこ行こうと思ってたんだって！」
「あ、そ。そんじゃ、さっさと殺るか」
「一松兄さん、物騒な単語使わないでよ。前科者なんて兄弟に持ちたくないからな」

ブツブツ言いながらチョロ松がつま先で地面をトントン叩く。一松が竹刀を揺らしてにやりと笑う。十四松がびゅんびゅんおかしな音を鳴らしながら素振りをする。カラ松が頬に一発貰った事などおかまいなしに拳と手の平を打ち付ける。
やる気満々な兄たちのそんな姿を順番に見つめて、おそ松が楽しそうに、誇らしそうに笑った。

「っへへ！お前ら、俺の兄さんたちマジつええからな、覚悟しろよ！」

ビシッと指を突きつけられて、怯む不良たち。鼻の下を擦った後、誰の合図も待たずに不意打ちで飛び出したのは、やっぱり自由な末っ子だった。

「ま、一番強いのは俺だけどねっ！」
「「おそ松待てぇ！」」

四人の兄たちもすぐに後を追う。不良たちの苦痛と恐怖に塗れた叫び声は、しばらく体育館裏に木霊して消えることは無かった。





「おい……おいっやべえよ！噂以上じゃねえか松野の奴ら！」
「なあこれ、赤いの最初に呼んだんだろ？もし噂通りだったら……一番やばいって事だろお！」

恐怖に支配された不良二人が乱闘、いや一方的な戦いからこそこそと逃げ出す。顔色は真っ青だった。脳裏には聞いた事のある六つ子の噂話が黒々と渦巻いていた。
松野は六人揃うとヤバい。特に末っ子の赤を狙うと必ず六人まで揃う。五人目まではバラバラに集まるけど、最後に加わる六人目は必ず六つ子の何番目か固定されている。最後は一番ヤバい。めったに現れないけど、そいつは本気でヤバい。

「なあ早く逃げようぜ、今はまだ五人だ、五人……！」
「あ、ああ……！最後の松野が来る前に、早く……！」

必ず一番最後に現れるそいつは。六つ子の。


「ねえ」


今まで聞いてきた六つ子たちの声の中で、一番高い声。一見か弱くも聞こえるそれが耳に届いた瞬間、駆け出そうとしていた二人の不良の片方の顔面に、拳がめり込んでいた。

「ガハァッ！」
「ヒッ？！な、何、……ッゴフゥ？！」

鼻がひしゃげ、一瞬で白目を剥いて意識を飛ばした片割れに、残った方が引きつった声を上げる。彼が出来たのはそこまでだった。後はもう、前髪を鷲掴みされて、前屈みになった鳩尾に膝を深く叩き込まれ、息が出来なくなった後そのまま脇の固いコンクリートの壁へ、後頭部を容赦なく叩きつけられるだけだった。人間の頭から出てはいけないような鈍い音が響いて、それで最後だ。哀れな不良たちの意識は一瞬にして奪われ、地面へ惨めに倒れ伏す。
それらを何の苦も無くやってみせた人物は、汚らしいものを見る目で不良たちを見下ろし、ドスの利いた声を落とした。

「僕の弟に喧嘩売っといて、無傷で逃がす訳ないでしょ」

パンパンと手を払い、手に持った携帯で地面に落ちた醜い顔をパシャリと一枚。顔、覚えたから、と心の中で呟いて、ぺろりと舌を出す。真っ先に逃げたこいつらが今回の末っ子お呼び出しの首謀者である事は調べがついていた。だからこそ逃がす事などせず、一片の容赦もなく、叩き潰す。

「二度目は無いからね」

聞こえていない相手にそう言い捨てて、踵を返す。向かうのは体育館裏。先ほどまで騒がしい喧嘩の音が響いていた場所だ。今は彼の五人の弟たちの声が、楽しげに響くだけである。
まったく、いつもながら呑気だなあ。大きな大きな溜息を吐いた彼、松野家六つ子最後の一人、長男トド松は弟たちに向けていつもの声を張り上げた。

「十四松、一松、チョロ松、カラ松、おそ松ー、終わったー？」
「あ、トド松兄さーん！」

真っ先に駆け寄ってきたのは、積み上がる不良たちの山を足蹴にしていたおそ松だった。軽やかに駆け寄ってきて、とびきりの笑顔で纏わりついてくる。

「遅っ！トド松兄さん来んのおっそ！もう全部終わったっつーの！」
「へーそりゃよかった。そうだと思ってここまで来たし」
「うそ、もったいねーの！楽しかったのに！十四松兄さんと一松兄さんがさあ、こうやって野球みたいにあいつら投げて打ったりしてさー」

楽しげにさっきまでの様子を語ろうとするおそ松に、トド松はにっこりと微笑んで手を伸ばした。きょとんと瞬くその頬に手の平を添えて、優しく撫でた、と思ったら。
ぎゅっと、思いっ切り摘まんで力の限り引っ張って伸ばす。

「いっ！？いひゃひゃひゃっ！いひゃい！いひゃいよぉー！」
「この間あれほど、しばらく喧嘩は買ったり売ったりするなって言い聞かせたのに、約束やぶってこんな騒動起こしてる悪い弟は一体どこの誰かなあ？」
「ううううっおれ！おれだからぁ！ごめんなひゃいー！」

ほっぺたを引っ張ったまま上下に振れば、じたばた暴れるおそ松が痛みに涙目になる。後ろで見守る弟たちは、妥当だと頷く者とハラハラソワソワ落ち着かない者とちょうど半分に分かれている。

「こういう時は素直に謝るのに、反省した事もすーぐ忘れるよねこの鳥頭は。これで何回目だと思ってんの？ちゃんと反省してる？おそ松」
「しへる！しへるからぁー！いひゃいいぃー」
「あ、あの、トド松兄さん、おそ松を止められなかったのは俺の責任でもあるから、そんなに怒らないでやってくれないか」

ぐいぐい伸びる頬を引っ張っていると、おずおずとカラ松が辛抱しきれずに口を出してきた。その後ろでは心配そうに十四松が見守っている。ええい、こいつら揃って今日も末っ子に甘すぎる。チョロ松と一松も仕方なさそうに肩をすくめていた。トド松はうるうる潤ませたおそ松の瞳をじっと睨み付けてから、ぱしんと手を離してやった。

「はい、じゃあ今日はここまでね。今度また約束破ったりしたら一時間、両方のほっぺた引っ張るから」
「いっ？！……は、はーい」

両頬をひえっと押さえながら、おそ松は十四松へと逃げていった。すぐに撫でてあげている次男に溜息を吐いてから改めて周りを見渡せば、微かに呻く不良たちで地面が敷き詰められたなかなかの地獄絵図だ。そんな中で、六つ子は変わらず賑やかにさえずっている。

「うわーん十四松兄さん痛かったー！」
「よしよし、頑張ったねーおそ松！でも約束は破っちゃだめだよ！めっ！！」
「明日は明日の風が吹く、泣きたい時は泣けばいいさ……慰めが必要ならいつでも言ってくれおそ松、俺の胸はいつでも空けておくぜ」
「あ、間に合ってます」
「えっ」
「はあ、十四松兄さんもカラ松もおそ松に甘すぎだから。こいつこのままだとホンット調子乗るからね。たまにはガツンと叱ってやらなきゃ」
「やだーチョロちゃんこわーい。もっと優しくしてー。そんなんだから童貞のままなんだよ」
「ど、童貞は関係ねーわ！」
「……疲れた。今日はもう猫はいいか……」
「あ！ごめんマジごめん一松兄さん！明日！明日こそ一緒行こ！ね！だからそんな拗ねないでよー！」
「拗ねてねえ」

末っ子を中心にわいわい騒ぐ弟たちを眺めながら、まったくやっぱりスイーツ屋さんに行っとけばよかったよと心の中で呟くトド松のその表情は、内心の愚痴とは裏腹にとても穏やかなものだった。
仕方がない。いくら口で何と言おうと、彼らはトド松の可愛い弟たちなのだから。

「……ほら皆、こんなところで騒いでないで、先生に見つかる前にとっとと帰るよー」
「「はーい！」」

トド松の一言で、全員が動き出す。生まれ育つ我が家へ向けて、六人並んで帰路へと歩く。その途中でおそ松が、トド松の隣に並んで笑いかけてきた。

「トド松兄さん、ありがとな」
「ん、何が？」
「だってさ、どうせトド松兄さんの事だから、今日も女の子と遊ぶ約束でもしてたんだろ？」

頭の後ろで指を組んで、知ったような顔で嬉しそうにおそ松が笑う。

「それを蹴って俺たちんとこまで来てくれたんだからさ、さすが長男だなーって思って！だから、ありがとな！」

へへっと嬉しそうに鼻を擦るその姿に、トド松は一瞬だけあっけにとられて、そして、蕩けるように笑って、長男と末弟、一番遠いその頭を押さえ込むように撫でていた。

「まったく、末っ子が生意気！」