そして、ここが、







ルークは闇の中にいた。先ほどまでの光の渦を反転させたような、どこまでも続く深い闇だった。しかし不思議と恐怖は感じない。むしろ温かさまで覚える。それはきっとこの闇の中が一体何なのか、どこになるのか、それを知っているからだろうとルークは思った。
ここは、己の中。ルークの内側の世界だった。音素となって消えたはずの自分に未だ内側というものが存在している理由なんかは、さすがに分からなかったが。


「……にしても俺、本当に大事な事忘れまくってたんだな」


本当にどうしようもない奴、と自分で自分を笑う。今まで微睡んでいた世界が砕け散った後、ルークは全てを思い出していた。自分は何者なのか、どういう人生を辿ってきたのか、そして、その最期まで。
世界を旅し、師と決着をつけ、ローレライを解放したあの日、ルークは消えたはずだった。先ほど、偽りの世界で別れを告げたイオンのように。光の粒子と化して、世界へ溶けて消えたはずだった。こうしてその時の事を思い出せる今があるのが不思議で仕方がない。身体は消えて無くなってしまっても、意識だけが音素の海でぼんやりと漂っているのだろうか。自らの中で今目覚めたばかりの身では分からない。
それとももしかして、死んでしまったのに意識だけあるという事は、いわゆる幽霊という奴になってしまったのか。


「おかしいな、俺ってそんなに未練あったのかな」


全てを覚悟して決戦に臨んだはずなのに、と頭を掻いたルークは、しかしすぐに首を振る。


「いや、実は俺未練たらたらだったんだろうな……。だからあんな世界に自分で、閉じこもってたんだ」


目を閉じる。一体どんな力が働いたのか分からないが、ルークは自分で自分の中に作り出した小さな世界に引きこもっていたらしい。苦しい事も何もかも忘れて、今まで通りの何も起こらない平穏な毎日。そのくせ、仲間たちと旅した思い出は捨てきれずに自分の世界に呼び込んでいたなんて、自分勝手にもほどがあるだろう。ルークは呆れを通り越して笑うしかなかった。そのせいで記憶の矛盾が起こっていたのに、それにさえ気にも留めなかったのだから。
きっと、「あの日」が無ければ今も仮初の無色な毎日を送っていたのだろう。目覚めた今ならよく分かる。確かに平和すぎるあの毎日は、その代わりに何も色が無かった。目を瞑り耳を塞いでただ生きているというだけだった。自分がすでに死んでいるという事実にさえ背を向けて。今思い出してみれば、そんな味気のない日々は皮肉にも、死んでいるのと同じような時間であった。記憶に徐々に色が付き、鮮明に思い出せるようになったのは、そんな世界に疑問を覚え始めた「あの日」からだ。
「あの日」。ルークがずっと見ないふりをしていた自室の一角。聞こえないふりをしていた声。それらにようやく向き合った「あの日」。自分の隠した醜い闇から「彼」を逃がした、あの時から。


「……そう、だな。「お前」を残してさっぱり成仏なんて、出来っこなかったんだよな」


瞑っていた瞳を開けて、ルークは目の前を見た。そこには同じ顔が立っている。ルークの目の前に「ルーク」がいる。違うのは、その髪の長さと表情ぐらい。ルークは髪が短く、「ルーク」は髪が長い。ルークは緩く笑っていて、「ルーク」はこちらを睨み付けている。その鼻の頭は赤い。ルークも、「ルーク」も。


「……ごめん」


ルークは「ルーク」に頭を下げた。きっと「ルーク」は、さっきルークが泣いた何倍もの時間泣きじゃくっていたのだろう。ルークを呼んでいたのだろう。今ならわかる。前はその声の存在すら認められなかったが。
取り返しのつかない事をしたあの時。全てを否定された自分を変えるために、今まで伸ばした髪と共にルークは「ルーク」を切り捨てた。血塗られた罪しか残らないぐらぐらの足場から一歩踏み出すために、ルークはその方法しか思いつかなかった。切り捨て、誰にも見られないように隠して、自分でさえも忘れるような深い暗い奥底に埋めた。そうやって前に進むしかなかった。そうでもしなければきっと、前に進む事が出来なかった。
しかし、全てが終わった今こそ。様々な経験をして多少なりとも成長した今だからこそ、こうして向き合う事が出来る。今まで直視することが出来なかった事柄を、目を逸らさずに見つめ続ける事が出来る。


「「お前」の事、捨ててごめん。忘れてて、ごめん。俺はお前に自分の嫌な所全部押し付けて、見ないふりをしてた。そんな事しても「お前」はいなかったことになんてならないって、分かってたはずなのに」


何も知らなかった自分、ひどい事をしてしまった自分、それらを後悔し自分を変えようと背伸びし続けるうちに、いつしか忘れてしまっていたらしい。あの時切り捨てた過去もまた、「ルーク」なのだと。他の人に比べれば密度の薄い僅かな年月であっても、その日々にどんな懺悔してもし足りない罪を背負っていても、それらの過去が無ければ今の自分は存在しないのだ。全て合わせて、「ルーク」なのだ、と。
ルークは左腕を持ち上げ「ルーク」の目の前に手の平をかざした。「ルーク」は黙ってルークを見つめ続ける。


「本当はまだちょっと怖くて、ほら、いま俺、情けなく震えてるんだけどさ……もう、逃げないよ。大丈夫。怖いものじゃないんだって、皆が教えてくれたから」


「ルーク」が焔色の猫として、偽りの世界に出現していた間。無意識にそれを感じ取って避けていたルークの目の前で、「ルーク」に触れてくれたたくさんの手。許された気がした。本当はあの仲間たちも自分の作り出した幻想な訳だが、それでも。
もしかしたらあれは、自分で自分を受け入れる準備をしていたのかもしれないと思う。この世で一番「ルーク」を許せていなかったのはおそらく、ルーク自身だっただろうから。


「ほんとに、ごめんな」


かざした手を伸ばしたルークの指先が、優しくそっと「ルーク」の頬に触れる。そのまま下へ辿って行き、肩、腕、手の甲まで下りて、最後に柔らかく「ルーク」の右手を包み込む。「ルーク」は拳を握りしめ、固く震えていた。最初からきつく睨み付けていた瞳が揺れている。


「……今更、」


ルークと同じ音を紡ぐ「ルーク」の声は、涙で濡れていた。


「今更、なんなんだよ。全部終わってから、なんて、卑怯だろ」
「うん……そうだな、俺って卑怯者で、臆病者だよな。死んでからしか、「お前」を受け入れる事が出来なかったんだから。ごめん」


素直に謝れば、鏡合わせの顔がくしゃりと歪んだ。同じ色の瞳にたまった涙がとうとう溢れて、ルークの心に落ちる。
「ルーク」は泣きながら、ルークの手を握り返してきた。


「……寂しかったんだ」
「うん」
「いくら呼んでも叫んでも、気付いてくれねえし……暗くて狭いとこにずっと一人だったしっ……!」
「うん」
「俺だってルークなんだ、無視すんな、こっち見ろって、ずっとずっと呼んでたんだぞ……!」
「うん、ごめん。ごめんな」


左手を握りしめながら、ルークは右手で「ルーク」を抱き寄せた。長い髪を梳いてぽんぽんと叩いてやれば「ルーク」は肩に顔を押し付けてくる。温かかった。ここは自分の中で、抱き締めている「ルーク」も自分のはずなのに、どうしてこんなに温かく感じるのだろう。
しばらくそうして「ルーク」をあやしていれば、腕の中のぬくもりがさらに熱を持ち始めた事に気付く。いつの間にかこの闇の空間に、光が存在していた。静かに漂う黒を染めゆく白の光。徐々に強くなっていくそれは、「ルーク」から発せられている。ルークが身体を放せば、「ルーク」も顔を上げた。
ルークは「ルーク」の笑顔を初めて見たような気がした。


「……ありがとう。俺の事、思い出してくれて」


貰った感謝の言葉に首を振る。礼を言われるような事ではない。ルークと「ルーク」は一人なのだから、こうして全てを迎え入れるのは当たり前の事だ。ルークは両手を広げて、「ルーク」に微笑み返した。


「おかえり、「ルーク」」


自らが光となりながら、「ルーク」も笑った。


「ただいま、ルーク」





光が満ちる。
優しくたゆたう黒の世界は、温かく柔らかな白の世界に変わっていた。その中心でルークは、胎児の様に体を丸めて微睡んでいる。
とても穏やかだった。無理矢理忘れていた欠けた自分を取り戻したルークの心は、これほどまでに清らかだった。恐れも不安も何もない。世界の事も、自分の事も、全てに決着をつけたルークを待っていたのは、ただ優しく包み込むような眠りだった。


(ここはいったい、どこなんだろう)


うとうとしながらルークは考える。しかしすぐに、どこでもいいかと思い直す。解放されたローレライのいる音譜帯に一緒に連れてきてもらったのかもしれないし、世界のどこかを音素と化して漂っている最中なのかもしれない。それとも、完全同位体のレプリカとしてオリジナルに還ったのだろうか。ならばこの優しい白の世界も頷ける。自然と口元には笑みが浮かんでいた。
幸福だった。幾多の命を殺めてしまった短い人生の後にこんな気持ちでいられるなんて、分不相応ではないかとも思ったが。怒涛の日々を駆け抜け戦い続け、この命を持って世界を救い終えた自分を今は休ませてやりたい。そう、思えた。昔の自分の全てを切り捨て変わろうと足掻く事でしか前に進めなかったルークが、己の全てを受け入れることが出来た今、ようやくそう思えたのだった。


(みんな、げんきかな)


夢うつつのまま思い出すのは、共に世界を救った仲間たちの顔。例えあの狭い世界で出会った皆が自分の作り上げた幻の存在だったとしても。ああやって語り合って、笑い合えた事は素直に嬉しかった。
預言に頼らない新しい世界でも、皆がああやって笑っていてくれたらいい。……約束は、守れそうにないけど。


(……ねむい)


白の世界の中、ルークは目を閉じる。満たされる心のまま、微笑んで。
この瞼を開ける事はおそらくもう二度とないだろうと、予感しながらも。

ルークは幸せだった。



あたたかな光の満ちる空間。

微笑み微睡むルークの眠りを邪魔するものは、もう何もない。


全てを救った幼子が見る夢はきっと、永遠に続く幸せな世界。



そう、永遠に、幸せな……。








































「おい」

「おい、起きろ」

「………」

「ちっ」

「幸せそうな顔しやがって」

「まさかこれで全部終わった、なんて思ってるんじゃないだろうな」

「んな事、俺が許さねえよ……」

「聞いてんのか」

「おい、こら」


「起きろと言っているんだ、ルーク!」