アッシュは焦っていた。同時に自分自身に憤ってもいた。場所は天空のレプリカ大地、エルドラント。かつては師とも仰いでいた男を止めるため、そしてローレ ライを解放するためにここまでやってきたというのに、まさか古典的な罠、落とし穴にはまってしまうとは。己が情けなくて仕方が無かった。罠にまんまとは まってしまった自分に対してと、今時こんな罠を張りやがった敵の誰かへの怒りを、扉をガシガシと蹴る事で何とか抑え込む。
とにかくここから脱出しなければ。

扉の開閉方法を探っている時だった、頭上の落とし穴から、アッシュと同じように何かが落ちてくるのを感じた。そしてそれが誰であるか、アッシュは一瞬で分かってしまった。
分からない訳が無い、相手は、世界でただ一人しかいない、忌々しい己のレプリカなのだから。


「うわっ!いてて……あっアッシュ!どうしてここに?」
「ふん、それはこっちの台詞だ。……ファブレ家の遺伝子ってのはよほど間抜けらしいな、レプリカまで揃って同じ罠にはまるとは……」
「ルーク、大丈夫?腰を強く打ちつけたんじゃないかしら、念のためにファーストエイドをかけておくわ」
「ありがとうティア、俺もティアみたいに着地を上手く出来れば良かったんだけど……」
「ふふ、大丈夫よ、上手く出来なくても私がフォローするから。それに少し抜けている所がルークらしくて可愛いわ」
「かっ可愛いとか言うなってば、恥ずかしいだろ」
「ってちょっと待てっ!」


落ちてきた途端目の前で勝手にいちゃこらし始める二人にアッシュがとうとう突っ込んだ。そのアッシュに邪魔すんなと言いたげな表情で答えたのは、腰をさするルーク、ではなく、その隣に当然のように立っていたティアだった。


「何かしら、何か言いたい事でも?」
「あるに決まってる!確証はねえが、今ここにてめえがいてはいけない気がするんだよ屑がっ!」
「アッシュったら、何を言っているのかしら」


ルークに優しくファーストエイドをかけてやりながら、ティアはその大きな胸を誇らしげに張った。


「ルークがいる所に、私がいない訳ないじゃない」
「威張るな!レプリカ、てめえも疑問に思え!落とし穴という罠に対してもためらいも無くついてくるこの女は明らかにおかしいだろ!」
「え、そうかなあ。ティアはいつもついてきてくれるけど」
「駄目だこいつ!」


疑問に思いさえしない様子のルークにアッシュが頭を抱えた。ずっとティアと一緒にいるせいでそれがもう自然となっているようだ。
アッシュが頭を抱えている間に、ファーストエイドをかけ終わったティアが部屋をぐるりと見回した。そうして、アッシュが先ほど蹴りを入れていた大きな扉で視線を止める。


「あの扉が出口のようね」
「あ?ああ……しかしあれを開ける仕掛けがあるようだ」
「えっ押すだけじゃ開かないのか?」


首をかしげるルークのために、実際に見せてやる事にする。部屋の中央にあるいかにもな譜陣に手を当て力を送り込めば、音を立ててゆっくりと扉が開いた。手を離し力を送り込むのをやめれば、扉はすぐに閉まってしまう。


「こういう事だ」
「そうか……つまり、扉を開けるにはここに誰かが残らないといけないのか……」


突 きつけられた事実にルークが表情を曇らせる。全員でここから出て、ヴァンを止めたいと思っているのだ。誰か一人でも欠けてはならないのに、目の前の扉がそ れを邪魔する。アッシュとてなるべく全員でこの部屋を出る方が良いに決まっているので、ルークの様子に何も言わずに眉を寄せた。
そんな風に赤毛二人が揃って黙りこくっている間に、扉に近づいたティアは注意深く手で触れ、しばし考え込み、よしっと大きくうなづいて杖を構えていた。


「ルークと、ついでにアッシュ、危ないから離れていて」
「えっ?」
「ついでにとは何だ……というか、何をするつもりだっ」


ティアに言われて条件反射にしゃがみ込むルークと、うっかりつっこんでしまうアッシュ。ティアは扉に向かって、思いっきり杖を振り上げた。


「私とルークの明るい未来の前に立ちはだかる扉、覚悟なさい!全弾命中コチコチハンマー!」
ドドドドドドドドドドッ!!


ものすごい音とともに数え切れない数のコチコチハンマーが扉に激突していく。本来ならFOF技だろとかそもそも真上から落ちてくるだけのはずだろとか数がおかしいだろとかつっこまなければいけない部分は沢山あったのだが、全てコチコチハンマーの音でかき消されていく。
やがて勢いに耐えきれなくなった扉は、ものすごい音を立ててぶっ壊れた。それを確認してティアが杖を下ろせば、ようやくハンマーの洪水も姿を消す。そしてその場に残されたのは、無残にも破壊された大きな扉だった残骸だけであった。


「さあ、これで先に進めるわ。当然アッシュも一緒に来るわよね?」
「そうだっアッシュも一緒に行こうぜ!一緒に師匠を止めるんだ!」


アッ シュが目の前の出来事に固まっている間に、慣れているのかすぐに我に返ったルークがにっこり笑いかけてくる。その笑顔に一瞬絆されそうになったアッシュは すぐに冗談じゃないと怒鳴り返そうとするが、ハッと気付いた。ルークの後ろから見つめるティアの目が、力強く語りかけてきている事に。
即ち。ルークを悲しませるような返答すればタダじゃおかねえ、と。


「……し、仕方がねえ、誰かさんが死ぬほど頼りないから行ってやる」
「やったー!って、誰かさんって誰の事だよ!」


ぷんすか怒るルークの背後で、ティアが仕方ないという感じでOKを出す。完全に手玉に取られている事実に釈然としないアッシュだったが、今はただ従うしかなかった。



「最後まで邪魔よ兄さん、フォーチュン・アーク!」
「ぐはあっ!だ、第二秘奥義をいとも簡単に繰り出してみせるとは……さすがだ、メシュティアリカ……」
「問題ないわ、二週目だもの」


容赦ない攻撃によってあっけなくぶち倒された兄の姿に満足そうに頷いたティアは、ルークとアッシュを振り返った。二人とも倒れ伏したヴァンを見ないようにした。


「さあ、ローレライを解放しましょう。私が大譜歌を歌ってローレライを揺さぶり起こすから、その間にあなた達が力を合わせてローレライの鍵で……」
「待て。お前らの他の仲間たちはどうした」
「それなら邪魔にな……危険だから地上へ残してきたわ。元々ローレライの解放は私たちだけで出来るもの」
「今邪魔になるからって言おうとしただろうが貴様!」


アッシュのつっこみをティアは視線を外してスルーしてみせる。その間にローレライの鍵を取り出したルークが、ぐいぐいとアッシュを引っ張ってくる。


「ほらアッシュ、やるぞ!早く解放してやらないとローレライが待ちくたびれてるぞ」
「くっ……仕方がねえ、さっさと終わらせるか」


ティアが目を閉じ、(久しぶりに)美しい大譜歌を歌いだし始めたのを確認して、ルークとアッシュは二人で仲良くローレライの鍵を持ち、それを掲げる。タイミングを合わせて振り下ろせば、辺り一面一瞬にして光に満ちあふれた。
周りの景色が、全て真っ白に塗りつぶされ、気づけばそこに立っていたのはルークとアッシュ、そしてティアだけになっていた。転がっていたヴァンはきっとそのまま海にでも落ちて生き延びただろう、多分。


『世界は消えなかったのか……』


その時、光の中から一際焔色に輝く塊が三人の目の前に集結し、語りかけてきた。実際に声だけは聞いた事のあるルークとアッシュが顔を見合わせて驚く。これが、初めてその目に映すローレライの姿だった。


『私の視た未来が僅かでも覆されるとは……驚嘆に値する』
「やっと姿を現したのねローレライ。ぶつぶつ言ってないで私の頼みを聞いてちょうだい」


しかしその中でもティアは一切動じることなく、ローレライへと話しかけていた。アッシュが内心でティアの度胸にビビっていると、ローレライがティアへと顔を向けたようだった。ぼんやりしているのではっきりと顔を向けた事は分からなかったが、何となくだ。


『おまえはユリアの血縁の少女か、世界を飛び越えて私を解放してくれた事は感謝している』
「分かっているなら私の頼みも聞けるわよね?」
『私に出来る事ならば考えてみよう』


頷いた(ように見えた)ローレライに、ティアは赤毛達を指して、言った。


「ルークとアッシュの大爆発を止めて。それぐらい、第七音素意識集合体なんだから出来るでしょう?」
「ティア?!」


ルークが驚きの声を上げている間に、きっと俺の方はルークのついでなんだろうなとアッシュが思う。しばし沈黙したローレライは、思案するようにもやもやの身体を震わせた。


『望みとは、それだけか』
「ええ。出来るの?」
『時間はかかるだろうが、おそらくは。今ここに二人で生きているのだから、何とかなるだろう』
「そう……それなら、良かった」


ローレライの答えを聞いたティアは、ほっと息をついた。その表情は今まで気丈に、堂々と振舞っていた彼女の姿とは思えないほどの儚い表情だった。そのらしくない姿に、心配そうにルークが近寄る。


「ティア?」
「それだけが、気がかりだったの。世界が終わらず、ルークがこのまま生きる事が出来るのなら……もう、何の未練も無いわ」
「ティア、どういう事だ?」


ティアはルークを振り返った。何か重大な秘密を明かす寸前のような、そんな決意を秘めた表情だった。


「ルーク。今までずっと、黙っていたけど……私は元々、この世界の人間ではないの。未来の世界……いいえ、もう私の元いた世界とこの世界は、結末が変わっているわね……とにかく別の世界の私だったの。その世界にはルーク、あなたもいたわ」
「ティア……」
「そ の世界が迎えた結末が、私は納得がいかなかった……だから私は、この世界に来たの。どうやったのかは分からないけど、何故かはわかるわ。ルーク、あなたを 守りたかったからよ。もう、あんな悲しい結末を迎えさせない、そう決意したわ。……そしてその結果、何とか果たす事が出来たみたい」


ティアは微笑んだ。とても満ち足りた、輝く笑顔だった。自分は何とかやりきって見せたのだと、誇らしげな笑顔だった。


「私は役目を果たした……つまり、もうこの世界に必要ないの。そうでしょう、ローレライ」


ティアの問いにローレライは無言で答える。ティアは薄々感づいていた。自分の存在がイレギュラーだという事に。このままこの世界に留まっていられないのではなかという事に。
だがしかしティアは満足していた。目の前にルークがいるからだ。消える事無くきちんとここに存在しているからだ。ティアの目的の99%は果たしたも同然であった。だからなにも未練は無かったのだ。
強いて言うならこれからルークがどのように成長してどのような愛くるしい姿を見せてくれるのか、それを見る事が出来ない事が悔しいぐらいだ。


「だから、ルーク。とても残念だけれど……私はここで」
「嫌だ!」


しかし、そんな満足そうなティアにルークが叫んだ。ティアが驚いてルークを見れば、ルークはとても怒った表情をしていた。とても強い視線を向けられて、ティアの瞳が揺らぐ。


「ティアが別の世界の人だったとか、そんなの知らねえよ!俺にとってティアはティアだ、ずっと俺の事を支えてくれて、見てくれていた優しいティアだ!それ以外の何者でもない!」
「ルーク……」
「俺はそんなティアと一緒にいたい!ティアがこの世界にいられないっていうんなら、俺もついていく!ティアが俺のためにこの世界に来てくれたって言うんなら、俺だってそうする、当たり前だろ?」


ルークは笑った。ティアが大好きな、とても元気になれる笑顔だった。ティアは胸の中が一杯になって、碌に言葉を出す事が出来なくなってしまった。それぐらい、嬉しかった。
ティアだって、ルークと離れたくないのだ。ルークと一緒にいれるなら、それを邪魔するものは何だって潰してきた。今回だって、そうしたかったのだ。しかしそれが出来ないから、諦めていたのに。一番はルークが幸せになる事、それこそが第一の目的だったから。


「駄目よ、ルーク……」
「止めるなよティア、ティアだって、逆の立場だったら俺と同じ事を、言ってくれてただろ?俺、分かってるんだからな」


得意げに胸を張るルークが愛しくて仕方がない。ティアはルークの笑顔につられるように、微笑んでいた。微笑みながら、嬉しさの涙をひとつ、零していた。


「馬鹿ね……このまま普通に帰る事だって出来るのに」
「ティアと一緒じゃないと、意味無いよ」
「ルーク……本当にいいの?」
「だからいいって言ってるだろ?俺はティアと一緒ならどこにだって行くよ」


ルークの力強い微笑みに、ティアはとうとう諦めた。元々ルークの笑顔には弱かったのだ、負けてしまうのは最早必然だったのかもしれない。微笑み合う二人に、静かに様子をうかがっていたローレライが語りかける。


『ふむ、二人の大爆発を何とかするついでに、お前もこの世界に存在する事が出来るように出来るか試してみようか』
「えっ出来るのかローレライ?!」
『これもまた時間が掛かるだろう。その間はどこか別の世界でも漂っていれば良い。すでに二つの世界を横断しているのだ、出来るだろう』
「ふふ、楽しそうね。それじゃあ大規模な旅行に繰り出してみようかしら」


ティアが杖を振り上げれば、光の世界に新たな光が生まれた。次に待つ世界はどんな所になるだろうか。二人で一緒にいられるなら、どんな世界だって良い。にっこりと頷き合ったルークとティアの二人は、同時にガシリと腕を掴んでいた。
今まではいはい勝手にラブコメやってろと呆れた様子で一人ボーっとしていた、アッシュの腕だった。


「……は?おい、待て、お前ら」
「そうね、今度はアタッチメントのある世界が良いわ。うさ耳とかねこ耳とか普通にあるらしいわ……素敵ね」
「俺はティアが喜ぶ世界ならどこでも良いよ」
「こら待て!そんな身の毛もよだつような世界旅行にはお前らだけで行けば良いだろうが!」


必死に抵抗するアッシュだったが、二人分の力で抑えられては逃げ出す事も出来ない。というかティアの力が半端ない。あの細腕のどこにこんな力が宿っているのかと思うほどの力を加えながら、ルークと一緒に余裕の表情でにこりと笑う。


「えーだってアッシュだってローレライが頑張ってくれてる間暇だろ?なら一緒に行こうぜ!」
「安心してアッシュ、あなたの雄姿はルークとお揃いでしっかりばっちりカメラに収めてあげるわ」
「冗談じゃねえ!俺まで巻き込むな屑がああああっ!」


アッシュの悲痛な叫びは、光の中にこだまして、そして消えた。
三人を見送ったローレライは、人間の事は良く分からないまま、しかしそれでも同情たっぷりの声でひとつ呟く。


『アッシュ……達者でな』


そうして壮大な世界旅行に繰り出した三人がどんな世界を見て、どんな世界を堪能して、そして帰ってくるのか。それは今の所、誰も知る由も無い。記憶を司るローレライにすら分からない事だった。
何故なら、世界の運命は、預言から大きく外れてしまったからだ。ただ一人を救うために未来からやってきた、一人の栗色の人間によって。

彼女が紡いだ希望と言う名の預言は、これから始まるのだ。






   栗色の女神

10/12/16



 
 
 



2週目ティア姉さんのこれが一応最後のお話です。
これから心おきなくルーク(とアッシュ)連れてテイルズ世界を気ままに旅して下さるでしょう。
ティア姉さんお疲れ様!