大好きな師匠と稽古する前にふと感じた何かの違和感。その直後、深い眠りへと誘うかのような歌が聞こえた。抗い難い不可思議な力にルークは必死に抵抗する。傍らではよろめきながらも「まさか」と呟くヴァンがいた。師匠は何かを知っているのかとルークが口に出そうとしたその時、
「ようやく見つけたわ……」
見知らぬ女の声が中庭に響いた。驚愕にルークが顔を上げれば、そこには長い髪の少女が杖を持って静かに立っていた。さっきの歌はこの少女が歌っていたのだ。侵入者か、と内心ルークは慌てた。ここにはヴァン師匠もいるしガイもいる。だが動きの鈍くなっている今、少女が何を仕掛けてくるか分からない。ルークが緊張に体をこわばらせていると、とうとう少女が動いた。ヴァンとルークの方へ真っ直ぐダッシュしてきたのだ。
「覚悟!」
「やはりお前か……ティア!」
殺気を放つ少女にヴァンが迎え撃つ姿勢をとりながら叫んだ。ティア、と呼ばれた少女は、勢いを殺さないまま立ちふさがるヴァンへと肉薄し、杖を振り上げた。
「グランドクロス!」
ドカーン!
「ぐはあっ!」
「えええええええー」
一切容赦のないその攻撃に思わずガイが声を上げた。初めて会う少女だが、ここでは普通杖で殴りつける場面じゃないだろうか。ヴァンの方もいきなり譜歌で攻撃されるとは思ってなかったようでまともに食らってしまったようだ。心の中だけで「歌ってないのに!」とつっこむが、そこはティアの気合だという事にしておこう。
派手にぶっ飛んだヴァンをすでにティアは見ていなかった。その後ろにいたルークの前に立つ。ルークは尊敬する師匠がいきなり空中を舞ったショックで動けないでいるようだった。
「邪魔なのよ、髭」
自分が侵入者だという事を棚に上げてティアが吐き捨てる。あれ、君達仲のいい兄妹だったよね、とつっこめる人物はここにはいなかった。ひどく冷たかったティアの目は、ルークを見ると一瞬のうちに優しい色を帯びた。それどころか感動に潤んでいたりする。初対面の女に穴が開くほど見つめられて、ルークは戸惑っていた。その間にティアが駆け出す。
「ルーク!」
両手を広げたティアは、そのままルークを抱きしめていた。ぎょっとしたのはルークだけでなくそれを見ていたガイもペールも同じだった。ちなみにヴァンは中庭の片隅に落ちたまま、まだ立ち直れていない。1人感激に涙を浮かべたティアは、もう一生離さないとでも言わんばかりにぎゅうぎゅうルークを抱きしめた。後ろに回した手がちゃっかりその長くて赤い髪を撫でている。
「ああルーク……あの時の私は馬鹿だったのよ。確かに傲慢で我侭でどうしようもない奴だったけど、子どもっぽいルークはこんなに可愛かったのに……」
なにやら後悔しているようだった。ひどい言われように、自分にメロンが押し付けられていることを感じながらもルークは必死に叫んだ。
「なっ何なんだよてめーは!師匠をぶっ飛ばしやがって!離せ!」
「ルーク駄目よ、あれは師匠なんじゃないわ、ただの髭よ」
さっきから髭髭言われている可哀想なヴァン師匠は今ようやく起き上がったところだった。しかしいきなり奇行に走っている実の妹に何も口出しできないようだ。それを横目に眺めてから、ティアは少し上にあるルークの頬を慈しむように両手で包み込み、慈愛を込めた瞳で覗き込んだ。
「大丈夫よルーク、私が守ってあげる」
「は……?」
「もう誰にもあなたを傷つけさせやしない。あなたが私を、世界を守ってくれたように、今度は私があなたを世界から守ってあげるわ」
ティアの脳裏に、悲しすぎる背中が蘇る。生きたいと笑いながら、世界に殺された愛しい人。最後一度も振り返らなかった短い赤い髪の背中は、これから一生ティアの中から消えることはないだろう。何故自分が過去に戻ってきているのかは分からないが、きっとこのために戻ってきたのだろうとティアは思っている。目の前に戸惑いのまま立ち尽くす少年を守るために、私は戻ってきたのだ。もう二度とルークを離すものか。
「ルーク、その木刀を持って、構えておいて。それだけでいいから」
「へ?あ……え?」
意味が分からないままとりあえずルークは言われた通りにする。さっきのティアの表情にすっかり絆されたようだった。いい子ね、とルークの頭を幸せそうに撫でた後、ティアはルークから少し距離をとって慎重に杖を振り下ろした。
ガキィン!
「な?!」
途端に木刀と杖の間から発せられた波紋のようなものにルークが驚愕の声を上げる。ティアのほうは慣れたものね、という顔をしながら、ゆっくりと振り返った。そこには呆けるガイや、ヴァンがいる。ティアは笑った。
「ルークは私が大事に(私好みに)育てるから心配しないで。さようなら」
「まっ待てティア!今聞き捨てならない心の声が」
ヴァンが叫ぶも遅かった。光に包まれた二人は、一瞬のうちに空へと駆け上っていってしまった。訳の分からないうちにご主人様を誘拐されてしまったガイはぽかんと空を見上げる。あれは事故とかそんなものではなく、明らかに意図的な誘拐だろう。答えを求めてヴァンの方を見るも、彼もひどく動揺しているらしく色々ぶつぶつ呟きながら髭を撫でていた。「そんなに髭がいけないのか」とかそんな呟きも聞こえたような気がしたが無視だ。
「ルーク……」
思わず声に出したガイは、次の瞬間決意をたたえた目で立ち上がった。誰かは分からないが、見ず知らずの女にあんな勝ち誇った顔をされて黙っていられるか。(俺の)ルークを絶対に見つけ出してやる!
この時、誰にも聞こえないゴングが世界中に鳴り響いたという。
栗色の守護神
06/08/19
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