ふぁーすとこんたくと。



絶好の昼寝日和とは今日の事を言うのだろう、と大あくびをしながらクロウはのんびり考えていた。暑すぎない暖かな日差しを降り注がせる少しだけ傾いた太陽、気持ちよく晴れた空、わずかに頬を撫でる優しい風、昼飯を食べたばかりで満たされた腹、午後一の授業中のため静かな学院内。時と場所全てが心地よい昼寝のために誂えてあるような気さえした。時間は、クロウ自身が選んだ結果だが。
とにもかくにもここはグラウンド隅にひっそりと存在する木陰、クロウのお気に入り昼寝場所の一つである。仰向けにごろりと横たわり、どこまでも透き通る青空を眺めながらうとうと微睡んでいた所だ。何せ諸事情により夜の睡眠時間を削らざるを得ないのだ、こういう時にきちんと休んでおかねばならない。本当は教室で普通に居眠りをしてもよかったのだが、今の時間は政治経済で、あの何かとうるさい教頭が担当している授業だったので急遽逃げ出してきた所なのだった。
さて、自分の目が自然と覚めるか、お節介な悪友が休み時間に探しに来て起こされるか、いずれかの必ず待っている未来まで寝ておこう。そうやってクロウが目を瞑りかけた、その時だった。
空に、きらりと光る何かが見えたのは。

「……ん?」

本日の天気予報は導力ラジオによると、降水確率0%。そもそも雨等を降らしそうな雲なんて頭上には一つもない。まさかそんなうららかな天気の日に頭の上から何かが降って来るなんて、さすがのクロウでも考えていなかった。ましてや通り雨なんて可愛らしいものではなく、小さな人影、なんて。

「うわーっ!」
ドサッ
「ぐふっ?!」

身構える暇も無くそれはクロウの上に落ちてきた。両手は頭の後ろに添えていたので受け止める事も出来ずに、ちょうど胸の上に真っ直ぐ落ちてきたそれのせいで一瞬呼吸が止まる。げほごほと咳を吐き出してから、慌てて顔を上げてそれを見た。人影だった、と一瞬で認識した自分の頭が間違っていなかった事をすぐに知った。
若干くせのついた黒髪の人間の頭がまず見えた。子供ほどのサイズで、どうやら体も小さい。しかしそれがただの子供ではないと直感したのは、空から降ってきた事だけではなく、身に着けている服のせいもあった。うつ伏せでクロウの胸の上にくっついているせいで背中しか見えないが、その特徴的な造形はなかなか他で見かける事が出来ない。真紅のそれはどう見ても、トールズ士官学院特科クラスZ組の制服で間違いなかった。ただしミニチュア版だ。
学院の、それも今年から発足された特別なクラスの制服が市販されているなど聞いたことが無い。クロウだって今はZ組の一員で同じ制服を身に着けているが、これだって特注してわざわざ作られたものだ。だからと言って紛い物とは思えないほどそっくりそのまま小さなZ組の制服に、不覚にも少しだけ呆ける。その間に、ピクリとも動かなかった頭はガバリと顔を上げた。
途端に正面から出会った薄紫の瞳に、クロウの思考は完全に止まる。いや、Z組の制服に、このくせっ毛黒髪頭といえば、確かに該当者は一人しか思い浮かばなかったけれども。いやいや、顔だけそっくりさんでまさか本人な訳がない。そうだ、こんなちまっこい姿のリィン・シュバルツァーがこの世に存在している訳が、ないだろう?!

「俺はいつでも本気全開!落下とあらば全力で胸に顔を埋める男、リィン・シュバルツァー!」

あっリィン・シュバルツァーだった。
頭の中が真っ白になったクロウの否定をあざ笑うかのようにしゅたっと手を上げて元気よく自己紹介してくれたそれは、どうやら本人曰くリィンらしい。ただしやっぱり小さい。子供、というか二頭身だ。ぬいぐるみかなとか一瞬現実逃避して考えてもみたが、今目の前で声を上げて機敏に動かれたし、そもそも乗っかったままの体からちゃんと人間の体温が伝わってくる。少なくとも生物である事は間違いないわけだ。
……どうしよう、これ。
展開についていけてないクロウの胸の上で顔を上げた小さなリィンは、腹ばいになったまままるで確かめるようにばしばしと手元を叩いた。そして、良い笑顔を向けてくる。

「良い胸板ですね!」
「……お、おお、ありがとよ」

基準が何なのかは分からないが、褒められたのでとりあえず受け取っておく。どうやらクロウをお気に召したらしい小さなリィンがしばらく胸板の感触を頬とか手の平でぎゅっぎゅと堪能している間、訳が分からな過ぎて頭も体も動きを止めてしまっていた。突然こんな新種の生き物にまとわりつかれて平然といられる人間がいたら見てみたいものだ。
眠気も吹っ飛んだクロウの止まった時間を再び動かしたのは、止める原因となった小さなリィンであった。

「……あれ?もしかしてあなたはクロウ先輩ですか?」
「は?」

今更気付いたようにぱちぱちと瞬きをする小さなリィン。こっちはこんな縮んだ姿に初めてお目にかかるが、向こうはこちらを知っているらしい。しかも「先輩」として。最近ようやく敬語が取れて親しくため口で話せるようになった後輩の見慣れた方の姿を思い出し、まだまだ敬語時代の方が長かったくせに懐かしさを覚えてしまう。頭が逃げに入っているのだろう。

「先輩!少し見ない間に成長したんですか、大きいですね!」
「いや、多分だけどお前が小さくなってんだと思うぞ」
「何食べたらそんなに大きくなれるんですか!お腹すきました!」
「知らねえよ!人の話を聞け!」

じたばたと暴れ始めた小さなリィンの首根っこを掴んで持ち上げる。あのままじゃさすがに苦しかった。昼寝はもう潔く諦めて身を起こせば、ぶら下がったままの小さなリィンの大きな瞳がじっと向けられる。いつでも本気、と本人が言っていた通り、手加減や遠慮なしの強い視線に少々たじろぐ。

「な、何だよ」
「今改めて気づいたんですが、先輩の声どこかで聞いた事がありませんか?」
「俺の声ぇ?自分で自分の声をどこかで聞く訳ないだろうが」

脈絡のない話題に呆れるが、小さなリィンは真剣な表情でうんうん考え出した。他愛のない事でも全力で考え込むらしい。ついでにクロウも一緒に考える事にした。もちろん、こいつどうしようかなという答えの見えない考えだったが。
しばらくグラウンドの片隅に無言の時が流れる。こいつが落ちてきた時、いっそのこと起きないで寝たふりでもしておけばよかったと後悔ばかりし始める堂々巡りの思考に、突然元気な声が飛び込んできた。

「そうか、分かったぞ!」

ぽん、と小さな手を打ち合わせた輝く笑顔が、クロウを指差した。

「≪C≫とクロウ先輩の声はとてもよく似てますね!」
「なっ?!」

突如飛び出してきた名前とその発言内容に、今日一番の衝撃がクロウの体を走る。いや、今年一番かもしれない。何故こいつが≪C≫の事を知っているのか。というか≪C≫の時は声を変えているはずなのにどうして似ているなんて分かるんだ。あの全身黒づくめの恰好で声だけは変えていないなんて、頭隠して声隠さずという大変情けない状況に陥る訳が万が一にもあるはずないのに。
クロウの驚愕などどこ吹く風で、小さなリィンは辿り着いた答えに大はしゃぎしていた。

「先輩が≪C≫を演じれば完璧ですね!クロウ先輩、≪C≫ごっこしましょう!≪C≫役は悔しいですが先輩に譲ります!」
「待て何だその≪C≫ごっこって!他に何の配役があんだよ!俺に譲らなければお前が≪C≫になるつもりだったのか!」
「もちろんです!ただ問題は、あのかっこいい鍋……いや、仮面が今この場に無い事ですね。あれがなければ≪C≫に完璧に変装することができない、くっ……!」
「鍋って!今鍋って言ったなおいコラ!あの仮面のどこが鍋に見えんだよ!」

地味にショックを受けたクロウが短い胴体を掴んでがくがく揺さぶる。≪C≫ごっこがすでに始まっているとでも思ったのか小さなリィンは「助けてーファルコムマーン」と楽しそうに意味不明な事を叫んでいる。大変シュールな状況が作り上げられてしまったが、そこに勇敢にも割って入ってくる者がいた。正確に言えば、こんなややこしい事態になっているなんて思いもせずにのこのこと現れてしまっただけだった。

「クロウ!やっぱりここでサボってたのか。せめて授業にはちゃんと出ろよ、何のためにZ組に編入したんだ!」
「げっ?!」

とっさに声を上げて振り返る。思った通りの怒り顔が仁王立ちで立っていた。やばい見つかった、と焦る気持ちもあったが、心を占める大部分がその顔を見た瞬間安堵していた。だって今までリィンであってリィンでない奇妙な奴に振り回されていた所に、これぞリィンだと言える見慣れた姿が目の前に現れたのだ。思わず立ち上がり、腰に手を当てて怒った様子を見せるその体を抱きしめてしまったとしても仕方の無い事だろう。

「リィン!お前こそ俺のリィンだ!」
「え……ええっ?!だだだ誰がお前のリィンだっ?!」

手に掴んでいた小さい体を放り投げて大きい方の体を抱きしめてきたクロウに、怒っていたことも忘れて普通の大きさのリィンが慌てる。ああ、この慌てっぷりも実にリィンらしい。突然抱き締められてギクシャク固まる体も、振りほどこうとしてでも本気の力で押しのけようとはしない優しい腕も、驚きながらも心から嫌がってはいない甘めな表情も、その何もかもに癒される。そうそう、これこそがクロウの知っているリィンだった。
全身で実感して安心するクロウであったが、巻き込まれたリィンはたまったものではない。授業が始まっても教室にやってこない年上のクラスメイトに呆れ、休み時間になった瞬間心当たりのある場所を探すために飛び出してきたのだ。Z組の他の皆はそんなリィンの姿をどこに向かうのか完全に心得た顔で見送ってくれた。すでにZ組公認のクロウ世話係となっているのだった。その事に不満は無い。むしろどこか楽しくもある。リィンにとってクロウはそれぐらい手にかけても惜しくないような間柄だった。……だからといって、こう突然抱きつかれるのはさすがにびっくりしてしまう。
リィンはあわあわと困惑し、とっさに無手で反撃しようとしたが、クロウが何故か憔悴しきっているように見えたのでそれを止め。しばらく腕の中で様子を窺い、まあクロウが何だか疲れていて、こうして抱きしめる事で少しでも回復してもらえるならばと最終的に全ての身をゆだねた。素直すぎである。リィンが抵抗しないのを良い事にクロウも思う存分いつものリィンを堪能、しようとした。
出来る訳がなかったのだ。放り出された存在が、そのまま消えていなくなる訳がないのだから。

「君はクロウ先輩のリィン・シュバルツァーなのか?」
「うわっ?!」

いつの間によじ登ってきたのか、ひょいとクロウの肩越しに顔を覗かせた小さなリィンにリィンが驚く。いや、急に声を掛けられて軽く驚いた後、みるみるうちに目を見開いて固まってしまった。あまりの驚きに声も出ないようだ。気持ちはよく分かる、と思わずクロウはうんうん頷いた。リィンが停止していた時間はクロウよりも短く、すぐに震える声を絞り出してくる。

「……え?え、っと、これは、一体……?」

これ、ともの扱いだがその気持ちも痛いほどよく分かるのでクロウはつっこめない。代わりに小さなリィンがやはりしゅばっと元気よく片手を挙げた。

「俺はいつでも本気全開!察しの良い男リィン・シュバルツァー!よろしくな、クロウ先輩のリィン!」
「ま、待ってくれ、たくさん言いたいことはあるんだが、その察し方だけはおかしい!違うから!」

真っ赤な顔になったリィンが必死に否定するが、はっはっはと呑気に笑っている小さなリィンは分かっているのかいないのか。耐えかねたように体を震わせた後、リィンは八つ当たりをするかのようにギッとクロウを睨み付けてきた。

「クロウ!こ、この子?は一体なんなんだよ!」
「俺の方が聞きてえし!さっきいきなり空から降ってきたんだよ、どう見てもお前なんだが心当たりねえのかよ!」
「ある訳ないだろ!確かに俺、に似てるし、俺の名前も名乗っているけど、このサイズは何なんだ!」
「だから俺の方が聞きてえんだって!」

混乱の中激しく言い合うが、混乱している故さっきからクロウがリィンを抱き締めたままなので近距離での口喧嘩という非常に滑稽な姿が傍から見られただろう。幸い今このグラウンドにやってくる他の生徒はいない。部活動などでたくさんの人が集まってくる放課後であればアウトだった。
つまり今は、非常に短い休み時間。言い合いを続ける中で聞こえてきた無慈悲にも鳴り響く授業の開始を知らせる鐘の音に、リィンがすぐにハッと我に返った。

「あ、も、もうこんな時間に……?!クロウ、早く教室に、」
「それはいいけど、こいつどうするんだよ」
「うっ……」

己の肩にぶら下がったままの小さなリィンをクロウが顎で示せば、途端に口ごもってしまう。多分内心では見なかった事にしたいとか思っているのだろうが、生真面目なリィンがこの異常事態を放っておけるはずがない。そもそも自分そっくりの得体の知れない奴を放置しておける訳が無かった。リィンが口を開け閉めして言葉を出しあぐねている間に、鐘の音は鳴り止んでしまった。授業はすでに始まっているだろう。
クロウの腕の中で、リィンが絶望にがっくりとうなだれる。

「授業を……抜けてしまった……」
「そんな日もあるさ!こうなったら全力でサボろう!」
「間違った方向に全力は出したくない……」

額をクロウの肩にあててぶつぶつと暗く呟いているリィンの頭を、励ますように小さなリィンがぺしぺしはたいている。ちょっとだけ和む光景だった。ただ和んでいる事がリィンにばれるとヘソを曲げられそうだったので、クロウは抱き込む背中をぽんぽんと慰めに叩くだけに収める。

「ま、サボっちまったもんは仕方ねえから時間を有効に使おうぜ。ひとまず、こいつに詳しい話を聞いてみるか。一応言葉は通じるからな」
「……そう、だな。確か、急に空から降ってきたんだったな……」

クロウが提案すれば、よろよろと顔を上げるリィン。二人で揃って肩越しに小さなリィンを見つめれば、小さなリィンもクロウとリィンをきょろきょろと交互に見ていた。その瞳は興味津々といった様子で輝いていた。何故だか、嫌な予感がする。

「ど、どうしたんだ?」
「さすがはクロウ先輩のリィンだな!二人が話す時はいつもこうやってくっついているのか?」
「「えっ?」」

他意のない、純粋な好奇心からの質問。小さなリィンの問いかけに今、ようやくさっきからクロウは抱き締めたまま、リィンは抱き締められたまま会話していたことに気付いた。揃って声を上げてから、正面から見つめあったまま数秒。二人は同時にばっと、音を立てて離れていた。

「そっそそそういえば!いつまで抱きついているんだよ、まったく……!」
「わ、悪い悪い。ちょうど腕の中への収まりが良くてつい、だな……」
「……それは、俺の身長が低いと言いたいのか?別に俺が小さいんじゃなくて、クロウが……!」
「あー違うって。何つーの、妙に落ち着くっつーか、お前の体の抱き心地が良……あ、いや、何言ってんだ俺は……」
「「………」」

何故か妙な空気が流れる。どちらもまともに目を合わせる事が出来ないまま、ぎこちない沈黙が場を支配した。どうしてこんな事に、とほぼ同時に似たような事を考えていた二人の生暖かいむず痒い雰囲気をぶっ壊したのは、やっぱりこの沈黙の原因になったはずの小さな元気あふれる生き物だった。
未だクロウの肩にしがみついていた小さなリィンが、ちょうど傍にあった頬をぐいぐいと押してきたのだ。

「クロウ先輩、お腹がすきました!この間先輩にブレードで全力で負けた分何か奢ってください!」
「………。いや、俺はそんな勝負した覚えはねえし、よく考えたらそれ勝った俺が奢られる側じゃね?」
「先輩が強すぎて接待プレイしてくれないからいけないんです!俺がいくら全力勝負で最初から7を出し続けても、すぐに負けてしまうんです!先輩大人げないです!」
「アホだ!こいつアホの子だぞリィン!」
「……確かにそうだけど、俺がアホの子みたいに言われているように思えるからやめてくれ」

途端に騒ぎ始めた小さなリィンとクロウの姿に、リィンも深々と溜息を吐いてわずかに調子を取り戻す。胸が詰まりそうな空気は一瞬にして霧散した。有難かったが、恩人と元凶が同じ人物なために素直に喜べない。目を合わせたクロウとリィンは、同時に苦笑した。

「話を聞くのはこいつに何か食わせてから、だな。ついでに俺達も何か飲み食いしようぜ、妙に疲れた」
「ああ……授業をサボって飲食するのは後ろめたいけど……」
「先輩、あれは食べられますかっ」
「あれはただの猫だ食えねえよ!落ち着け、何か奢ってやるから!リィンが!」
「俺が?!」

こちらをじっと見つめる通りすがりの黒猫に、お腹を鳴らしながら標準を定めそうになる小さな腹ペコリィンを何とか宥めて、二人は誰にも見つからないようにそそくさと移動した。後程、「クロウとリィンが二人で授業をサボってこそこそしていた」という事実だけど色々と誤解されそうな噂を流される事など考えもつかないまま。





「……という事で、話を聞き終わったが……」
「こりゃ……余計に混乱するだけだったな」

並んでベンチに座りながら、リィンとクロウは深々と溜息をついた。場所はあまり人の寄りつかない旧校舎前。うっかり放課後になり校舎から生徒が飛び出してきてもほぼ近寄らない場所である上、入り口は目の前の一か所のみ。誰かがやってくればこの、サンドイッチを貪り食っている小さなリィンを見つからないように隠せばいい。食べ物にすぐに夢中になる小さなリィンから話を聞き出すのは至難の業だったが、結局話を聞き終わった今も事態は一切好転していなかった。目の前に小さなリィンがいなければ作り話だろうと一蹴するしかない内容であった。

「整理すると、だ。学院に入学した日落とし穴に落とされたら異世界に飛んでいて?その異世界でしばらく暮らしてた所さっきうっかり釣りしてる途中で池に落ちて?それで空から落ちてきたってか?」
「整理しても訳が分からないな……異世界って……」
「たしか、ざ……ざ……ドーナツみたいな名前の世界だったと思うぞ!」
「お前今「ざ」って言ってたくせに何で結局ドーナツになってんだよ」

学食で買ってきたトマトサンドから顔を上げた小さなリィンの頭をクロウが小突く。小さなリィンは今リィンの膝の上に座ってひたすら腹を満たしている所だった。この体のサイズに普通のサンドイッチは大きいのではないかと思ったが、最初の一枚をぺろりと食べてしまって今はリィンの分を貰って二枚目だ。体の大きさと食欲は関係ないらしい。

「向こうの世界にも学校があって、今俺は全力で学力テストを受けた結果「やればできる」組に入ってるんだ。これが俺の力だ!」
(多分ろくな結果じゃなかったんだろうな……)
(名前的に下層に位置してんだろうな、そのクラス……)

言葉には出さなかったが、リィンもクロウも思い浮かべた感想はほぼ同じようなものだった。しかし考えるべき問題はそこではない。クロウは自分の分のトマトサンドを食べ終わった指を軽く舐めてから、横目でリィンと小さなリィンを交互に眺めた。

「しかし、今の話を頭から信じるとすると……そいつは学院入学したての頃の過去のお前って事になるのかねえ」
「え、あ……そうか、落とし穴って多分、入学式の日に行われたオリエンテーリングの事だもんな。ちょうど、この旧校舎で」

静かに聳え立つ古めかしい壁。薄暗い木々の中でそれでも異様な存在感を放つ旧校舎を、思わず二人揃って無言で見上げる。確かに今、旧校舎内の地下には謎のダンジョンが広がっているが、異世界に飛ばされるなんて現象は聞いた事が無いし、行方不明者が出たという話も一切無い。そもそも今ここにいるリィン自身も異世界に行った事なんて無い。小さなリィンが異世界に飛ばされて、リィンは飛ばされなかった理由なんてあるのだろうか。リィンは何となく膝の上の頭を撫でながら難しい顔で考え込む。

「でもこの子が仮に過去の俺として、どうしてこんなに縮んでしまっているんだ……異世界の力なのか……?」
「お前が一番気になる所はそこか?」
「だ、だって、明らかに異常じゃないか!このサイズだぞ!」

がしっと小さなリィンを掴んで突き付けてくるリィンの表情は真剣そのものだった。先ほど妙な空気になった時の事と言い、地味に身長を気にしているらしい。本人が言っていた通りリィン自身は平均的な大きさなのだからそこまで気にする必要はないと思うのだが。そこでクロウはハッと、未だぶら下がりながらも頬を膨らませてむしゃむしゃサンドイッチを食べる小さなリィンを見ながら気付いてしまった。

「待て、そういやお前、俺の事知ってたな。入学式では会ってないはずなのに。もしかしてその異世界とやらに俺もいるのか?」
「ああ、もちろん!クロウ先輩だけでなく、他のZ組の皆も一緒です!」
「そ、そうなのか?!そんなに大量の人間が異世界に飛ばされているなんて……」

気が遠くなるリィンの隣では、「つまり向こうの俺がヘマをして地声出したって事かちくしょう」とか何とかブツブツ呟きながら何故かクロウが気落ちしている。その小声の内容を考える暇がリィンには無かった。こうなったらどうしても気になる疑問がリィンの中に生まれてきたのだ。

「……なあ、小さい俺」
「なんだ、クロウ先輩のリィン」
「そ、それはもういいから……その、異世界にいるクロウも、お前みたいなサイズなのか?」

クロウに突き付けていた小さなリィンを自分の膝の上に戻し、恐る恐る尋ねてみれば。ぱちぱちと瞬きをした小さなリィンはトマトサンドの最後の一欠片をごくんと飲み込んでから、少しだけ悩んでみせた。

「うーん、俺みたいなサイズの意味は分からないけど、皆普通の大きさだぞ?もちろんクロウ先輩も!」
「お前にとっての普通のサイズという事は……やっぱりクロウも小さくなっている可能性がっ?!」
「おいリィン、お前一体何考えてやがる」

瞳を輝かせるリィンに慌ててクロウが口をはさむ。振り返ったリィンは、右手をわきわきさせながら目だけを不自然に逸らした。

「別に……純粋に気になって聞いてみただけだ」
「嘘つけ嘘を!お前のその手が物語ってんだよ!どうせ日頃の恨みで撫でまくって弄り倒してみたいとか思ってるんだろ、この撫で大魔神!」
「し、しまった無意識に手が動いて……!って、人聞きの悪い事を言うなよ!確かにその、少しはそういう欲求もあるけど別にそれは恨みとかじゃないから!」

わきわきさせていた手を誤魔化すように小さなリィンの頭に持っていってわしゃわしゃ撫でたリィンは。言いにくそうにもごもごと口を動かした後ちらと、クロウを上目遣いに見つめてきた。その頬は照れくさいのか、少々紅に染まっている。

「むしろ、逆かな……。いつもクロウには何だかんだと世話になってしまっているし、甘えてしまっているような気もするし。……だからその、このサイズのクロウだったら、俺でも逆にクロウを世話してやったり、甘えさせてやる事も出来るんじゃないか、って……そう思っただけなんだ」

思わぬ言葉たちに、クロウの真紅の目が見開かれる。単純に、撫でてみたいからとかそれこそ恨みを晴らすためだとか、そうやって誤魔化されるかと思っていた。まさかここまで真っ直ぐに、好意をぶつけられるとは。リィンの視線は逸らされない。クロウも逸らせない。風だけが渡る昼下がりの旧校舎前に落ちる沈黙。今度はそこまで気まずいものではない。ただひたすら、胸を焦がす得体のしれない感情をどうやって声に乗せればいいか、考えていた。

「……そんなもの、俺が小さくなくたって出来るだろ」

ようやく絞り出したクロウの言葉に、今度はリィンが目を丸くする。手元の黒髪を撫でつけながら、えっと声を漏らした。

「いいのか?」
「いいのかっていうか、むしろ優等生に世話してもらってんのは俺の方だと思ってたがね。今日みたいに、お迎えにきて頂いたり?」
「自覚しているなら改善する努力を見せろよ……」

一度じとりと睨み付けたリィンは、しかしすぐに表情を崩す。照れくさそうな頬はそのままに、愛しいものを見るように瞳を細めて、静かにはにかんだ。

「俺はクロウに世話になっているよ。目に見える形だけでなく、もっともっと、深い所で」
「は……」
「だから俺ももっと、クロウの支えなんかになれればいいと思ってたから……クロウが小さければって考えてつい、な。そういうのは今俺の目の前にいるクロウに返してやらなきゃいけないのにな」

そう言って笑うリィンに、クロウは二の句が継げられない。湧き上がってきた想いを、しかし伝えることが出来ない己の背景に、気付かれないように歯を食いしばる。ただせめて、と。ベンチの背もたれに預けていた手を浮かせて、こちらを見つめる薄紫へと伸ばした。一切逃げない柔らかな頬に辿り着いて、指先で微かに撫でる。恐ろしいほどの優しい力。リィンの瞳も驚きに揺れる。言葉で伝えられない気持ちを、ひたすら指先に込めたクロウは。
返してもらう必要はない、もう全て受け取り済だと、これだけを伝えようと口を開きかけた所で。

「撫で撫でですか!俺も先輩を全力で撫で撫でします!」
「うをっ?!」

今まで大人しくリィンに撫でられまくっていた小さなリィンが、いきなり飛び上がってクロウの頭にひっついた。絶妙なタイミングで割って入ってきた小さな手は、しがみつきながらも全身を使ってクロウの頭を撫でにかかる。すごい技術だ。一瞬感心しかけたリィンが慌てて腕を伸ばした。

「こ、こら、小さい俺!やめるんだ!」
「何でだ、クロウ先輩のリィン!はっ……そうか、クロウ先輩を撫でていいのはクロウ先輩のリィンだけだったのか!納得だ!」
「ちちち違うからっ!」
「ぶっ……ははは!」

三度も同一人物によって壊されてしまった空気に、とうとうクロウが吹き出した。頭の上で暴れる小さなリィンをひょいと掴み、心配顔でこちらを見つめるリィンの前で笑いかけてやる。

「そうそう、俺の頭はこいつ専用なの、悪いな」
「クロウ?!」
「やっぱりそうなんですか!」
「おうよ。だからお前も、お前んちのクロウ先輩を思いっきり撫でてやりな。多分喜ぶだろうからな」
「はい!そうします!本気全開で撫で撫でしたいと思います!」

真っ直ぐ手を挙げて返事をした良い子によしと頷いて、クロウはリィンに片目を瞑った。あっけにとられていたリィンの顔にも、じわじわと笑みが広がっていく。最終的にくすくすと肩を震わせて笑い始めたリィンの姿に、小さなリィンは驚いてきょろきょろと首を巡らせた。

「何故!何故笑っているんだクロウ先輩のリィン!」
「わ、分かんない、分かんないけど何か、笑えてきて……っはは!」
「何だかなー、こいつ見てると人間の子供というより小動物見てるようで笑えてくるんだよなー」
「ああ、分かる、ちょっと複雑だけどすごくよく分かる……!」
「動物!動物どこですか!食べられますか!」
「お前の事だっての!」

じたばた、ちょこまかと元気に動く小さなリィンの姿に、リィンもクロウも笑い声を上げながら和やかに過ぎていく午後。騒いでいた最中にいつの間にか気持ちの良い天気の下で揃って昼寝していて、さらにいつの間にかすぴすぴ寝息を立てていたはずの小さなリィンもどこかへ消えていて。授業をさぼった挙句仲良く肩に頭を預け合いながら眠りこける二人の姿を目撃してしまった某部活動の女部長が鼻血拭いて倒れ込むという事件が勃発する事になるのだが。

突然やってきた奇妙な小さい生き物のおかげで生まれた温かな空間は、確かに今、リィンとクロウ二人の間に存在していた。




「あの小さな俺は一体何だったんだろう。夢だった、と思いたいけど……何故だろうか、また近いうちにひょっこり同じ顔を見る事になりそうな予感が……」
「リィン、それ以上はよせ。フラグが立つぞ」








15/03/13

→けついひょうめい。
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