「……行ってこい、ルーク」
「え……?」
ルークが振り返ると、アッシュはまるで微笑んでいるかのような穏やかな表情でこちらを見つめていた。まるで今、別れを告げられたかのようだった。いいやまさに告げられたのだろう。譜歌に惹かれる心を抑えて、ルークはアッシュに向き直った。
「アッシュ……?」
「あれはお前の仲間の譜歌だろ。お前を呼んでいるんだ。早く行ってやれ」
「そうだけど……何で、行って来いなんだよ。アッシュも一緒に……」
「俺は行かねえよ」
「っ!何で!」
ルークが一歩詰め寄れば、アッシュは一歩後ろに下がった。まるで二人の間に超えられない壁があると主張されているようだ。さっきまであんなに近くで語り合っていたのに。ルークは何とかアッシュを共に連れて行きたくて、どう説得するべきか懸命に考える。
「どうしてだよ……もしかして自分は帰るべきじゃないって、そう思っているのか?そんな訳ないだろ!本当なら……ここに帰ってきたのはアッシュだったはずだ!それに元々、俺の場所には、本当ならアッシュが……!」
「ルーク」
「っ!」
静かに呼ばれて、ひゅっとルークは息を飲む。同時にようやく気が付いた。アッシュがルークの事を、「ルーク」と呼んでいる。今まで変なアッシュになる時に何度か呼ばれていたような気はするが、今のは真剣みが違った。ごく自然に、初めて会って自己紹介をした時からそうであるかのように、ルークの目を見て「ルーク」と呼んでいた。
「ルークは、お前だ」
「あ……」
「俺がそう認めたんだ。それをお前は、否定する気か?」
問いかけられ、慌てて首を横に振る。どんどんと胸の奥から溢れてくる暖かいもので体の中はいっぱいで、ルークは言葉を詰まらせた。嬉しい。嬉しくて、何も考えられない。
アッシュが自分を認めてくれたのが、こんなにも嬉しい。
「……俺は、ルークだ」
「そうだ。俺はお前じゃねえし、お前は俺じゃねえ。ルークはお前だ。この歌はルークを呼んでいる。だからお前は帰るべきだ、分かるな」
「うん、分かる、分かるよ……でも、アッシュ……」
「……俺はまだ、帰れない。まだ俺自身の気持ちが定まっていない……覚悟が出来ていない。情けねえ事だが……」
一度だけ目を逸らして、すぐにルークを見つめ直すアッシュ。その手がふいにこちらへ伸び、頭の上で軽く何かを摘まんだ。その手に摘ままれていたのは、白いセレニアの可憐な花びらだった。ルークを呼びにきた花びらを、アッシュが風に乗せて空に放つ。
「別に、今生の別れって訳じゃねえ。俺も死ぬつもりはないしな……生きていれば、会う機会もある」
「……そう、だな。俺もアッシュも生きているんだから、永遠の別れって訳じゃない。かならず会える。……でもさ、約束しろよ」
ルークはアッシュの心を変えられない事を悟っていた。これはアッシュ自身が決めた事なのだから、誰も曲げたりは出来ない覚悟なのだ。だからもう引き止める事はせずに、精一杯の笑顔で右手を差し伸べる。
「アッシュの気持ちの整理がついて、心が決まったら……必ず、帰ってこいよ。俺、待ってるから。ずっと」
アッシュはしばらく差し伸べられた手を見つめる。握ってくれないかもな、と思ったすぐ後に暖かな同じ大きさの手が触れて、ルークはくしゃりと笑った。
「絶対だからな、約束だぞ!」
「……ああ、約束しよう。いつか必ず、帰ってきてやる。うるさいのがいるから仕方なくな」
「悪かったな、うるさくて!」
握られた手はすぐに離されたが、手にしたぬくもりはきっとずっと消えないだろう。アッシュはルークと視線を合わせてから、歌の聞こえる方向とは逆へ歩き出した。ルークはその背中をただ見送る。大丈夫だと、心の中で己に言い聞かせながら。
大丈夫。きっといつか共に生きる事が出来る。約束したのだから。
大丈夫……。
………。
「……待てよ、アッシュ」