「……待てよ、アッシュ!」


「?何だ……っうおっ?!」


振り返りきる前に、アッシュは情けない声を上げてそのまま地面に倒れ込んでいた。突然突撃してきて、背中にぎゅっとしがみついてきたルークのせいだ。アッシュの真っ直ぐな真紅の髪が顔にかかるが、ルークは気にする事無くぎゅうぎゅうとしがみつく。何とか顔だけ起こしたアッシュが、振り返ってぎろりと睨み付けてきた。鼻を押さえている所を見ると、地面にぶつけてしまったらしい。


「……っこの屑レプリカ!いきなり何なんだ!くそ恥ずかしい約束をしてあれだけすっぱり綺麗に別れの挨拶までしたのにこれは……」
「嫌だっ!」
「はあ?!」


怒鳴るアッシュに負けじとルークも大きな声を上げた。しがみついたままキッと顔を上げれば、怒り顔のアッシュと目が合う。


「さっきまでは、アッシュの意志も尊重してそのまま行かせようと、ここで別れようと思ったけど……やっぱりやだ!」
「な、んだと?!てめえ、ワガママ言うな!」
「ワガママでいいだろ、俺七歳児だし!」
「おま、とうとう開き直りやがって……!」


アッシュは何とかうつ伏せの体勢を仰向けに転がした。それでもその体を離そうとしないルークはアッシュの服を掴んで逃がさないようにして、正面から睨み付けるようにじっと見つめる。その強い視線に、さすがのアッシュも気圧されているようだ。多分ルークがこれほどまでにアッシュに強い態度をとったのは、これが初めてだった。


「俺、後悔したんだ。師匠倒して、ローレライ解放して、動かないアッシュを両手に抱えた時……もっと、もっとアッシュと話をしておけばよかったって。俺がもっとアッシュに近づいて、もっとよく話をしていれば、こんな結末は訪れなかったかもしれないって。本当はずっともっとアッシュと一緒にいたかったのに、レプリカだからとか理由付けていつも一歩引いてた。もう俺、あんな思いをしたくない……!沢山間違いを犯してきてしまったけど、あんな後悔はもうしたくないんだ……!」
「……ルーク」


それはルークの心からの叫びだった。後悔した事は沢山ある。その中でもアッシュのあの結末は、自らの身を切られたような喪失感と絶望を味わった。ルークにとって、何よりも耐え難い苦痛だった。俯いてカタカタ震える肩を、アッシュがやや呆然と見つめる。
あの時の絶望を思い出し、荒れ狂う心情を何とか落ち着け、顔を上げたルークの瞳は少しだけ潤んでいた。その翡翠の瞳には、もう二度と失いたくない半身が映る。


「……だから俺は、ワガママになる。良い子でいて、卑屈になって、それで大事なものを失うのなら、俺は誰よりもワガママになってやるんだ。……アッシュ!だから俺のワガママを聞け!」
「な、何だ!」


どんなワガママが飛び出してくるのか、僅かに身構えるアッシュに、ルークが顔を寄せる。それは一瞬だった。しかし確実に、ルークの唇は相手の同じ器官に触れ合い、そして離れた。見開かれた同じ色の瞳に、真っ赤になったルークが言った。


「俺、アッシュが好きだ!誰よりも何よりも、世界一好きなんだ!」
「……っ?!」
「ずっと一緒にいたい、一緒に生きたい!消えたはずの俺がここに生きているのは、きっとアッシュにもう一度会うためだったんだって、胸張って言えるくらい……!それぐらい、好きなんだ!目を覚ましてから、アッシュと一緒に生きている今が、怖いぐらい幸せで、嬉しかったんだ……!」


ぎゅっと目を瞑ったルークの目じりから、一粒の雫がぼろりと零れる。溢れて止まらない想いと共に、ぼろぼろと零れていく。それを黙って見つめていたアッシュは、上半身を起こしてルークへと手を伸ばした。しゃくり上げて俯くその頭を、くしゃりと撫でてくれる。


「どんなワガママが飛び出してくるかと思えば……そうくるとはな」
「おっ俺的には最大限のワガママだっ!だって、どっか行こうとするアッシュを、こうやって引き留めてるしっ……!」
「まあ、そうだな。まさかいきなり好きだのなんだの告白されるとは思っていなかったが」
「それは……い、言っただろ、ワガママだって!全部俺の正直な気持ちなんだから、仕方ないだろ!」


最早ヤケクソ気味にルークがアッシュを涙目で睨み付ける。が、すぐにその瞳は申し訳なさそうに歪んだ。


「……ごめん」


ワガママを言うと豪語したと思ったら突然謝るルーク。アッシュは心から呆れた顔をした。


「本っ当に突拍子もない奴だなてめえは……それは何の謝罪だ」
「ワガママ言うとは決めたけど……それをアッシュが受け入れてくれるかどうかは、アッシュ次第だから。だから、ごめん。いきなりこんな事言って」
「……お前はそこまで言っておいて、俺に言う事を聞かせようとか、そういう行動には出ねえ訳か」


アッシュの言葉に、ルークは躊躇うように俯く。そこまでの自信は無かった。心意気は確かにあったが、自分の言葉や行動でアッシュを動かせるとは思っていなかったのだ。ルークの中でアッシュはそれほどまでに絶対的な存在だった。だからせめて自分の想いだけは全て伝えておこうという、決意だった。
アッシュは自分の頭を押さえて、重い溜息を吐く。ルークの肩がびくりと震える。


「ここまでしておいて後は俺に判断を委ねるとか、とんだ迷惑野郎だな……」
「……ごめん」
「いちいち謝るな、うっとおしい」


うっと怯むルークの頬へ、アッシュが触れる。そのまま軽く持ち上げられたので、素直にルークは顔を上げた。すると、目の前にアッシュの瞳が大きく映った。


「へ……?」


呆けた声を漏らした唇がふさがれる。自分からした時より少し長くキスの時間は続いて、ゆっくりと離された。ぱちぱちと瞬きをするルークに、呆れた顔のままアッシュがふっと笑う。


「……俺にここまでさせたんだから、いい加減少しは自信をつけたらどうだ、卑屈野郎」
「は……。……えっ?!」


ようやく今何が起こったのか理解した七歳児の頭が、ボンと音を立てて沸騰する。一瞬でゆでだこになったルークから視線を逸らして、アッシュは空を見上げた。


「そうだな……それもいいかもしれん」
「な、なな何が?!どういう事?!」
「お前のワガママに付き合ってみるのもいいかもしれないと言ったんだ。……これからの己の身の振りをどうするべきか、未だ分からないままだが……俺も、俺の望みのまま動いてみて、いいのかもしれんな」


目の前に座り込むルークの身体を、アッシュが引き寄せる。そして一度だけぎゅっと、想いのまま抱き締めた。


「俺とて、これを失うのはもう、ごめんだからな……」
「……アッシュ」


これ、が誰を指しているのか、いくら鈍いルークでも分かる。すぐに身体を離したアッシュはその場から立ち上がり、ルークを引っ張り上げた。おっとっととたたらを踏むルークへ、尊大な態度で尋ねてくる。


「それで?ワガママ大王は俺をこれからどうしたいんだ」
「えっ?」
「さっき言っただろうが、お前のワガママに付き合ってみてもいいと。おら、俺の気が変わらない内にさっさと言え。お前は俺と、どうしたいんだ。ルーク」


ぽかんと口を開けたルークは、みるみるうちに瞳を輝かせ、満面の笑みになった。あれだけ願っていた、でも叶う事はないのだろうと半ば諦めていた、希望の未来が今、手の届くところで待っている。ルークのワガママという名の切実な願いを叶えるために、それが出来る唯一の存在が、笑ってこちらを見てくれている。大好きで、大切な、己の半身がここにいる。生きている。共にここで、生きている。
ルークは溢れる愛しさそのままに、アッシュへと手を差し伸べた。


「アッシュ、帰ろう。俺と一緒に、俺たちの場所に帰ろう!」


目の前に広がるルークの掌へ、アッシュの同じ掌が重ねられる。


「……ああ。帰ろう、ルーク。俺たち二人の、陽だまりに」


今度はもう、そこから離される事は無かった。




   二人の選択   ベストED!




「どうして、ここに?」


溢れる喜びの涙そのままに問いかけてくる少女へ、赤毛の青年は答えた。


「ここからなら、ホドを見渡せる」
「それに、」

「「約束、したからな」」


声を重ねて答えた後、二人は笑った。
その手は固く、繋がれたままだった。


14/04/01







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