痛いほど寒い日が続く冬のある日、毎年この時期はファブレの屋敷が赤と緑に染まる。クリスマスだった。メイドたちがあまり外に出られない奥方様とその一人息子のためにせめて気分だけでもと飾り立ててくれるのだ。昔はそんな心遣いに気づくことなんてなかったが、今ならよく分かる。屋敷の者たちは俺を愛してくれていたのだ。昔は言えなかった感謝の言葉を、心の中で呟いておく。
そして俺は、この世界で初めて出会ったクリスマスで、衝撃の事実を知ることになる。
「今年のルーク様のサンタクロース係、一体誰になるんでしょうね」
「……えっ?!」
ルークのサンタクロース係って……サンタっていないの?!
どうやらファブレ家ではルーク坊ちゃんの夢を壊さぬように、サンタクロース係を毎年決めてプレゼントを送り届けているらしい。そして俺はその思惑通りずっと信じ込んでいたという訳だ。絶対、絶対ガイのせいだ……屋敷を出てからも「旅をしているとサンタは場所が分からないからプレゼントを届けられない」って教えられてからそれをずっと信じていたのに。
「どうしたんだいシロ、そんなに落ち込んで」
「いや、何でもないんだ……ちょっと自分の純粋さを反省していた所なだけ」
「純粋なのはいい事じゃないか」
中庭の隅っこでショックを受けていた俺にガイが話しかけてきた。いいやガイ、純粋すぎるのは時として罪になることもあるんだぜ……。
「……そういや、ルークのサンタクロース係って、毎年誰がやってたんだ?」
「ああその話か。白光騎士が交代でやったり、ラムダスさんがやったりしているらしい。去年は俺がやったな」
「ふーん……目立ちそうな金髪なのに気づかれないんだな」
きっとガイは気配を消すのが上手いんだ、俺を何年にも渡ってだまし続けてくれやがったしな。しかしそうと分かれば黙っちゃいられない。俺は立ち上がってガイに詰め寄った。
「それじゃあ今年のサンタは、俺がやる!」
「シロが?まあ、ルーク様の使用人て事だから適任と言えば適任だけど……」
しかしガイは何故か躊躇いを見せる。一体俺の何が駄目なんだ。俺が不満そうにしていると、意を決したようにガイが顔を上げ、俺を見た。
「シロ、お前……サンタになる覚悟は、きちんと出来ているんだな?」
「……え?」
ガイの目は真剣だった。……そうだ、ルークのサンタ役ということは、ルークのサンタの夢を壊さないように全力を注がなければならない。それはひとつのミスですら許されない重要な役割だ。ただでさえルークは他の同じ歳の子どもよりもませているから、隙を見せればすぐに分かってしまうだろう、偽者のサンタの事を。一度知られてしまったら、やり直すことは出来ない。綺麗さっぱり忘れるなんて、それこそ記憶喪失でもならなきゃ絶対にありえないんだから。
俺はものすごく軽い気持ちでサンタ役を考えていたことを知った。こんなのじゃだめだ。せっかくルークの専属使用人だというのに、俺がこんな覚悟でどうするんだ。
ルークのサンタに俺はなる。己の中で決意してうなずいてみせれば、ガイも笑顔になった。
「……よし、それじゃあシロの覚悟とやら、見せてもらおうか」
「で、覚悟の結果がこれかよ!」
俺は思わず一人でつっこんでいた。ガイから手渡されたのはたったひとつの衣装だった。そう、真っ赤な衣装。雪の中でも寒くないように(生憎本日のバチカルには雪は降っていないが)もこもこしたあったかいこの白と赤の衣装は、誰がどこからどう見ても、サンタクロースの服だった。
確かに……これを来て屋敷の中をただ一人うろつくのはちょっと勇気がいるが、まさか覚悟とやらがサンタの服を着る事だとは思いもしなかった。俺が必死こいて誓った覚悟を返せ!
まあ今更文句を言っても仕方が無い。俺はサンタの服を纏ってルークの部屋の前に立っていた。手には律儀に用意されていた真っ白な袋を持って。もちろんこの中にはルークへのクリスマスプレゼントが入っている。ちなみに中身は公爵が選んだものらしい。何だかんだ言ってやっぱり公爵も子どもを気にかけていたんだな、プレゼントを用意するんだったら自分で渡せばいいのにとは思うけど。
俺は袋を担ぎなおして、ルークの部屋のドアに手をかけた。そして全神経を集中させて、音を立てないようにドアを開く。ルークは敏感だから、少しでも物音を立てたらすぐに起き出してしまうだろうからだ。
部屋の中はひとつの明かりも無くて真っ暗闇だったが、窓からこぼれる星の明かりでかろうじて見渡すことが出来た。ルークのベッドもちゃんと見える。いつもなら俺が寝ているはずの大きなソファも。今日は使用人としての仕事が残ってたからと半ば強引に部屋から抜け出してきたんだけど、まさかルークのやつ、俺を待って起きていないだろうな……。
おそるおそる近づいて、ルークを覗き込んだ俺はホッと息を吐いた。ルークはきちんと眠っていた。少しは俺を待っていてくれたのかもしれない、身体が若干ドアのほうを向いているが、ルークは健やかな寝息を立てて眠っていた。
ああよかった。今のこの俺の姿を見られなかった事もだけど、ルークがこんな夜更けまで俺のことを待って起きていたらどうしようかと思った。
俺はその枕元に袋から取り出した公爵からのプレゼントを置こうとして、そこに紙が一枚おいてあるのに気づいた。それはどうやら、手紙らしかった。
「……まさか、ルークからサンタクロースへの、手紙?」
声に出さないように呟いた俺はプレゼントを置いてから紙を拾い上げ、窓辺に移動した。そうすれば外からの明かりで何とか文字を追うことが出来た。思ったとおり、ルークがサンタ宛てに書いた手紙らしい。そういや今日のお昼に、何か熱心に書いていたな。俺にも見せてくれなかったけど、これを書いていたのか。
ルークが一生懸命に書いたサンタへの手紙、俺が読んでもいいのか一瞬迷ったが、今日ルークのサンタは俺だ。俺が読むしかない。俺は意を決して手紙の中身を読んだ。
『しんあいなるサンタクロースへ
まいとしお仕事ごくろうさまです。いつもプレゼントをとどけてくださってありがとうございます。
おやしきのこのけいびの中おれの元へたどりつくのはさぞかし大変だとは思いますが、まいかい本当にかんしゃしています。』
それは10歳未満の子どもが書いたとは思えないほど丁寧な手紙だった。ちなみに字も綺麗だった、下手すりゃ今の俺よりも。何でこいつこんなに畏まっているんだサンタに。そういや今日という日をルークにしてはやけに落ち着かない様子で待ち望んでいたし、ルークは本当にサンタが大好きで、尊敬しているのかもしれない。
前日から手紙の書き方について尋ねてきたり本で調べたりしていたのは、このためだったのか。
ああ、それなら「あいつ」も毎年こんな手紙を書いていたのかもしれない。そう考えるとなんだかおかしくなって、俺は声を上げないようにこっそり笑った。
一息ついた俺は、手紙にまだ続きがあることに気がついた。ああそういえば、手紙にほしいものを書いておけばそれをサンタが持ってきてくれるという話もあったな。俺は面倒くさくっていつもガイに欲しいもの言ってただけだけど。どうやら手紙の最後に、ルークも欲しいものを書いたようだった。
やばい、どうしよう。そんな話聞いてないぞ。今までも色んな人がサンタ役をやってるはずなのに。まさかルークが手紙を書くのはこれが初めてだったのか?俺は内心冷や汗を流しながら手紙を読み進めた。
公爵のプレゼントは公爵が用意したものだから仕方が無い。しかしもしルークが願っていたものが特別にあったのなら俺は……どうすればいいのか。
手紙の最後には、相変わらず綺麗な文字でこう書かれていた。
『プレゼントは何でもいいです』
「……ルーク」
俺は思わず、声に出して呟いていた。俺にはその文が、とてもとても悲しいものに思えたのだ。だってクリスマスだぞ、願えば何でも持ってきてくれる夢のようなサンタがやって来る、クリスマスイブなんだぞ。
それなのに何でだよ、何で何にも願わないんだよ、ルーク。
公爵が手紙を読まずにプレゼントを用意する理由が分かった。手紙のことを特に何も言われなかった理由も。毎年お前は、何も願わなかったのか。サンタクロースにこんな子どもっぽくない手紙を書いて、何でもいいなんてそんな、諦めたような願いを書いていたのか、ルーク。
たまらなくなった俺は、あるひとつのことを決意する。きっと俺がルークにしてやれることなんてほとんど無いのだろうけど、それでも俺が出来ることを精一杯やってやる。大丈夫、あんなに覚悟して挑んだんだ。今の俺は何でも出来るぞ、だって俺はルークのサンタだからな。
翌朝、聖なるクリスマスの日。
俺を目覚めさせたのは、ルークの叫び声だった。
「おおおおおい!な、なななな何でシロ!お前がここに寝てるんだ!」
「んあ?おーおはようルーク」
「おはよう……じゃない!何故かと聞いてるだろ!」
思いっきり動揺したルークが俺を見下ろしている。そう、ここはルークのベッドの中だった。昨日の夜のことを思い出した俺はあーっと声を上げた。ちょっとわざとらしいかも知れない。
「俺ってばいつの間にルークのベッドの中に!あっそうか分かったぞ!」
「何だ!」
「きっと俺はルークへのクリスマスプレゼントなんだ!」
「……は?」
ルークがどこか白い目で俺を見てくるが、めげない気にしない。起き上がった俺はそのままの勢いでルークを抱きしめていた。
「おっおい!」
「さあルーク、俺はお前のクリスマスプレゼントだ!何でもしてやるぞー!」
「ふざけたこと言うな、ははは離れろー!」
ルークは恥ずかしがってジタバタ暴れるが、甘い甘い。子どもの腕力に負けるわけが無い、だって俺身体だけは大人だからな。俺がぎゅうぎゅう抱きしめていれば、やがて諦めたのかルークはぐったりとうなだれた。よしよし、子どもは素直が一番だな。
「別に……何もしなくてもいい」
「えーっ何でだよ、せっかくのクリスマスプレゼントだぞ?」
「……っ」
ルークは俯いたまま、ぼそぼそと何かを呟いた。後ろにいた俺には残念ながらルークが何を言ったのかは聞こえなかった。何だ?ルークは一体何を言ったんだ?」
「どうしたルーク、今何て言った?」
「だ、だから……何もしなくても、十分だって言ったんだっ!」
そう叫んだルークは耐え切れなくなったように俺の腕から抜け出して、走って部屋を出て行ってしまった。まだパジャマなのに。
俺はというと、ルークが言い残した言葉を頭の中で反芻していた。えーとつまり、かなり好意的に考えさせてもらえば、特に何もしてもらわなくてもいいほど、俺というプレゼントが嬉しかったって。そう言いたかったと考えてもいいのかな、ルーク。
これは……本人に直接聞くしか、ない!
「ルーク待って!そんなに喜んでくれたのか、クリスマスプレゼントな俺ー!」
「来るな!叫ぶな!くそっサンタの奴、何もいらないと書いたはずなのに……どうして見透かされたかのように……」
「何だ?見透かされたって何が?」
「な、何でもないっっ!」
結局はっきりと答えてくれなかったルーク。しかし言葉にしなくたって、俺はルークがどうやって思ってくれているのか、分かっちゃったよ。普段あまり表に表情を出さない分、こういう時すぐに分かっちゃうんだよなあ。将来あんな眉間に皺寄せたむっつりになるよりは少しでも表情豊かな方が良いから、いいんだけどな。
そしてこのプレゼントを予想以上に喜んでくれたらしいルークがより一層サンタクロースを信じ、そして敬うようになってしまうのだけど、このときの俺はまだそれを知らない。
何はともあれ。
メリークリスマス、ルーク。
親愛なる サンタクロース
09/12/26