ある日ルークが奇妙なものを拾ってきた。一体どこから拾ってきたのだろうか、予想もつかないが普段から予想もつかない行動をする子どもなので気にしない事にした。それよりも得意げに笑いながら差し出してくる両手の上に乗っている物体について考えねばならない。この、手の平サイズの白くて楕円型の煮たり焼いたりしたら美味そうな物体だ。そう、卵だ。


「あっしゅー!これからひよこがうまれるって、ほんとう?!」


尋ねてくるルークの目はキラキラと輝いている。そうか、実際に卵を見るのは初めてか。厨房からくすねてきたのかと思ったが、そっと触れてみると温かい。ちゃんとまだ中身も生きているようだ。本当にどこで拾ってきたのか。


「そうだ、卵の中で十分に育ってからひよこが生まれるんだ」
「あたためたら、ひよこうまれる?」
「生まれるまで肌身離さず温めたらな」


ルークは俺の言葉に頷きながら瞳の輝きを止める事は無かった。嫌な予感がする。随分と前から感じてはいたが、きっとこの予感は的中するだろう。一度興味を持てばとことん突っ走るのがルークだ。案の定、大事そうに両手で卵を包み込みながらルークは満面の笑みで俺を見上げて言った。


「あっしゅ!おれ、このこそだてる!」
「……育てるとは、生まれるまでその卵を温める気か」
「うん!」


元気よく頷いたルークはにへらにへらと笑いながら卵へ愛しそうに頬ずりする。その歳でもう母性……いや、父性にでも目覚めたのだろうか。それとも屋敷内に年下がいないものだから兄性でも出たのかもしれない。どちらにしてもその姿は可愛……はっ、いや、何でもない!
まあ止めろといっても聞かないだろうし、無理矢理取り上げようものなら一晩中駄々をこねてぐずりまくるのは目に見えている。小さな生き物とはいえ命の大切さを学ぶいい経験にもなるかもしれない。俺は期待一杯の顔で見つめてくるルークに、仕方無さそうに頷いてやった。


「分かった、くれぐれも潰さないようにな」
「うわーい!ありがとあっしゅー!」
「ただし、最後まで責任持って育てきるんだ、分かったな」
「はーい!」


都合のいいおりこうさんの返事をしてルークは嬉しそうに駆けていった。卵の寝床でも枕元に作ってやるのだろう。はあ……これがいつまで続くだろうか。





正直、俺はすぐに飽きたり挫折したりして卵を放り出すかと思っていたのだが、予想以上にルークは頑張って卵の面倒を見続けた。時々中から音がかすかに聞こえてくる以外大した変化はないのだが、大事に大事に卵を懐に入れて毎日温め続けている。意外だ。勝手に飽きっぽい性格だと思っていた俺の考えを正さねばなるまい。
しかし意外だと思ったのは俺だけではなかったようで、卵が潰れてしまうという口実にちゃっかりヴァンとの剣の稽古をサボったルークにガイが話しかけているのを見かけた。ちなみにヴァンの奴は寂しそうに椅子に座っている。見なかった事にした。


「ルーク、ちゃんと卵を温め続けているのか。偉いじゃないか」
「だって、さいごまでおれがせきにんもって、そだててやるんだ!」


俺の言葉を覚えていたらしく、ルークは胸を張って答えている。思わず感動してしまった俺は悪くない。ガイも拳を握り締めて偉いぞルーク!と叫んでいる。こっちはうるさい。
ルークは懐に入れていた卵を取り出して嬉しそうに微笑んだ。卵が可愛くて仕方が無いといった様子だった。これは予想以上に情操教育に良かったようだ。嬉しそうに笑うルークと一人で勝手に感激に打ち震えているガイに見つからぬよう俺が物陰から満足に頷いている間にも、ルークの愛しそうな声が聞こえてくる。


「ぶじにうまれろよー、おれのちきんどりあ!」


やっぱり間違ったかもしれない。





卵を見る俺の目が変わった日からしばらくしたある日、チキンドリア(命名ルーク)もそろそろ生まれそうな気配を見せてきた。ルークも卵が動くのが気になるのだろう、そわそわと落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っている。卵はテーブルの上にタオルで包まれて置かれていた。


「あっしゅ、もうすぐうまれそう?」
「ああ。この様子だと、時期に殻を突き破って出てくるだろう」
「ううーっどきどきするーっ」


耐え切れなくなったルークがじたばたとその場で足踏みをする。それを諌めようとした時、外からメイドが声をかけてきた。どこか申し訳なさそうな口調だ。


「すみませんルーク様、旦那様が今すぐ部屋に来るようにとの事なのですが……」


公爵からのお呼び出しだった。これが別な者だったらルークも今は忙しいからと拒否したのだろうが、よりによって公爵。いくらルークでもこの屋敷の中で一番偉いのは誰かぐらい分かっている、その表情がこの上ない面倒くさそうなものに変わった。それがどことなく某親善大使様を髣髴とさせたので、俺は思わずそっと目をそらした。やはり同一人物だな。歳がいくつでも。


「あっしゅー……」


今のルークの状況を知っているが故に困った顔のメイドと、コトコトと動き始めている今にも生まれそうな卵を見比べていたルークが俺に助けを求めるように情けない声を上げてきた。あれだけ大事に温めた卵だ、俺だってどうにかしてやりたいが、さすがに相手が公爵では俺も太刀打ちできない。どこぞの髭だったならば俺が出向いて一蹴してやった所なのだが。俺が無言で首を横に振ると、なおもルークは未練がましそうに卵をジッと見つめて、覚悟を決めたのかぱっと駆け出した。


「あっしゅ!たまごみてて!」


そう言い残し扉をバタンと閉めて外へと飛び出したルーク。見てろ、と言われてもな……本当に見ていることしか出来ないのだが。卵に目を向けた俺は思わずそのまま立ち上がっていた。卵にヒビが割れていたのだ。一体いつの間に。俺が見るのを待っていたかのように卵のヒビは広がっていく。何というタイミングで孵化しようとしやがるんだチキンドリア。おそらくルークは公爵に会ってすぐにここへと戻ってくる気なのだろう。もうすぐなのだ。しかし無情にも卵の揺れは激しくなるばかりだ。パキリという小さな音が俺の耳に届く。
おい、待ってくれ、まだルークが……!


パキッ!
「ピイ!」


俺がなすすべもなくキョロキョロしている間に卵は割れた。間に合わなかったか……。ピイピイと激しく泣き続けるひよこは呆然と立ち尽くす俺の目の前でさらに卵から這い出てくる。黒いつぶらな瞳が俺を見ていた。何故だか責められているような気分に陥った。俺のせいじゃないお前のせいだろうが。
5秒にも満たないこう着状態の中、激しい勢いでドアが開けられた。そこには息を切らせたルークが立っていて、俺とテーブルの上を見た表情が絶望に彩られていく。お、俺のせいなのか?


「ああー!もううまれちゃってるー!」
「あ、ああ……今さっき、な」
「あっしゅずるい!みててっていったじゃん!」


俺にしがみついてきたルークがぼかぼかと叩いてくる。言われた通り俺はちゃんと見ていたのだが何も言わなかった。子どもの力で叩かれても少しも痛くなかったし、何にしてもルークが気の毒だったからだ。俺も相当甘くなったものだ。俺をひとしきり叩いたルークは、テーブルへと振り返り尚もピイピイうるさく鳴いているひよこへとそっと手を伸ばした。


「おれ、おかあさんになりたかったのに……」


不貞腐れたように呟いた言葉に俺は首をかしげた。どういう意味だ。


「ひよこって、うまれて、いちばんさいしょにみたひとを、おやだっておもうんでしょ?」
「ああ……なるほどな」


「刷り込み」の事を言っているらしかった。どこで習ったのかは知らないが、ひよこに限らず他の生物にも確かにそういう性質があるらしいな。俺はさっき目が合ったつぶらな丸い瞳を思い出す。このひよこが最初に見たのは間違いなく俺だろう。親になれなかった落胆に肩を落としながら、それでも愛しそうにひよこを両手で包むルークの頭に、俺はゆっくりと手を置いた。


「しかし、こいつをここまで温めたのはお前だろう。最初の約束を忘れたのか?」
「さいごまで……せきにんもってそだてる……」
「そうだ。お前が一生懸命育てれば、誰が本当の親なのかこいつも分かるだろう」
「……ほんとう?」


不安そうなルークに俺は力強く頷いてやる。そうするとようやくルークもゆるゆると笑顔になった。何にせよ、あんなに懸命に温め続けた卵が孵ったのだ。嬉しくない訳が無い。元気よく鳴き続けるひよこに笑いかけるルークを、俺もどこか心が穏やかになっていくのを自覚しながら見守った。やはり俺はこの笑顔に弱いのだ。


「おれが、おとなになるまでがんばってそだててやるからな、ちきんどりあ!」


しかし大人になった後チキンドリアをどうするつもりなのかは、聞けなかった。





   最愛なる 小さな親子

07/06/14