昼間は作業の音や人々の声で賑わっていた帝都も、夜になれば明日への英気を養うためか、穏やかに寝静まっている。耳を澄ましてみても、かすかなざわめきと緩やかな風の音しか聞こえない。この静かな、しかし楽しげなざわめきはエアルから生まれ変わった精霊のものなのかもしれない、とユーリは思った。始祖の隷長から精霊へと生まれ変わった彼らのように、人に見えないような場所でお喋りでもしているのかもしれない。だからだろうか、まだ戦いの傷跡が深く残るザーフィアスでも、空気がこんなにイキイキとして感じるのは。


「やあ、そこにいたのかい、ユーリ」


その時、背後から声がかけられる。聞きなれた、聞きなれすぎて耳に馴染む、夜の闇にもよく通る声だった。ユーリは修復されかけた屋根の上に腰掛け町を見下ろしながら、振り返らずに口を開く。


「騎士団長様がこんな所をこんな時間にほっつき歩いてていいのか?」
「まだ正式な騎士団長には任命されていないよ」
「まだ、だろ?どうせもうほとんど決まってるようなもんなんだ、いいだろ」


隣に慣れた気配がやってくる。ユーリは何も言わずに受け入れた。何者なのかはっきりと分かっているからこそだ。そっと横目で見れば、思った通り闇夜でも輝く金色の髪が見えた。


「眠らないのかい?」
「それはこっちの台詞だ、フレン」


間髪いれずにそう返せば、ため息が聞こえる。それと同時に、隣へと同じように腰を下ろしてきた。そうして目線を合わせてきた者、フレンは、いつもと同じように真っ直ぐな瞳でこちらを見つめてくる。どうしてこの幼馴染はこんなに真っ直ぐな視線を持っているのだろうかと常々ユーリは考えている。答えが出てくる事は無い。


「下町も随分と復興が進んでいるね」
「ああ。離れていた連中もボチボチ戻ってきてる。お前は今までオルニオンか?」
「さっき戻った所さ。オルニオンももう立派な町のひとつだ」
「そうか」


エアルから精霊へと変わり、空の上から星喰みが消えた日。その運命の日から幾日か過ぎた。もちろん混乱は今もある。しかし人々は、確実に未来へと歩み始めていた。今のところ、帝国とギルドの関係も良好だ。日々の忙しさのためなのかもしれないが、それが過ぎてもきっと大丈夫だろうという確信がユーリにはあった。それは世界中を文字通り飛び回って、そこに生きる人々をこの目で見てきたからこそだと思う。一人ではなく、皆で頑張る今があるからだ。


「下町が落ち着いたら、ダングレストに行かなきゃな」
「ギルドかい?」
「ああ。カロル先生をほったらかしにしたまんまだからな。今も頑張っているとは思うが」


早く行かなきゃまた文句を言われちまう、とユーリが笑えば、フレンも小さな首領を思い出したのかかすかに微笑んだ。しかしすぐにその笑顔を引っ込める。その様子を眺めていたユーリは、次にその口から飛び出す言葉が予想できるような気がした。


「ユーリ、本当に、騎士団に戻る気はないのかい?」
「またそれか。いい加減しつこいぞ」
「今戻ってくれれば、騎士団としてもとても助かる。それに階級だって上がるだろう。何ていっても、君は世界を救った英雄なんだから」
「やめてくれ、英雄なんて俺の柄じゃねえんだよ」


手を振ってやり過ごそうとすれば、フレンがじれったそうな表情をする。また何か言い募られる前に、こちらが先に口を開いた。今まで剣を握り締めてきた掌を、見下ろしながら。


「それに俺は、まだ罰せられてない。俺の、俺一人の勝手な判断で刈り取った命の分の罰を」
「ユーリ……」


何故かフレンがとても辛そうな顔をするので、ユーリは苦笑した。罪を犯したのはユーリなのに、何故フレンが心を痛めなければならないのか。そう思ったが、口にはしなかった。何を言っても、これがこの目の前の幼馴染の性格だからだ。それが分からぬほど、共に過ごした時間は短くは無い。同じようにフレンも、何も言わなかった。言いたい事は沢山あるのだろうが、どんな言葉を口にしたって無駄だと分かっているのだ。


「本当に君は……一人で何でも背負い込んでしまうんだね」


重い塊を吐き出すようにフレンが言う。それにユーリは、首を横に振った。


「俺は一人で背負い込んでいるつもりは無いんだがね」
「……どうして」
「お前がいるだろう」


ユーリの言葉にフレンがキョトンとこちらを見てきた。その顔がどこかおかしくて、吹き出すように笑う。思いがけない言葉だったのか、フレンは困惑しているようだった。


「俺はこうやって俺自身の罪を言葉に出す事で、お前に少しずつ肩代わりしてもらってるんだ。知らなかっただろう」
「あ、ああ……」
「だからお前がんな顔する必要はねえって事だ。分かったな」


一方的に押し付けているだけだから、気に病む事は何も無い。そうやって言えば、呆けたような顔をしていたフレンはやがて笑い出した。心底おかしそうに笑うので、今度はユーリが怪訝そうにフレンを見る。


「そんなに笑える話をした覚えは無いんだが」
「いや、すまない……ユーリ、君には本当に敵わないよ」


何となく馬鹿にされているような気になって、少々ムッとする。そんな様子に気付いたのか、フレンが慌ててそうじゃないと首を振ってくる。表情は、どこか嬉しそうな笑顔のままだった。


「つまり、僕は頼られていると思っていいのかな」
「まあそんな感じだな。誇れよ、親友」
「ああ、光栄だね」


ユーリがイタズラっぽく言えば、フレンは真剣な顔で頷いてくる。


「だからいつでも、僕を頼って良いんだユーリ。君のためなら、何でも背負えるから」


その表情も声もあまりに真剣なので、ユーリも思わずその瞳を見つめ返していた。強い光が、夜の闇を斬り飛ばすように真っ直ぐ突き抜けてくる。絶えられなくなって、ユーリはとうとう顔を逸らした。


「お前……そういう台詞は誤解を招きかねないぞ。気をつけろよ」
「僕は本気なんだが」
「ああはいはい、分かった分かった」


逃げるように向けた星空は、とても美しかった。フレンも諦めたのか、視線を追うように顔を上げる。もうあの禍々しい、しかしどこか神秘的な星喰みの影は跡形も無い。これからあの恐ろしい影が再びこの世界を覆う事は、おそらくもう二度とは無いだろう。


「綺麗な夜空だ」
「ああ」
「君が、君たちが守った世界だ」
「お前もだろ」


空から目を離し、見つめあい、笑いあう。今までもこうしてきた。きっとこれからも同じように、この笑顔が隣にあり続けるだろう。
隣り合う二人の姿を、空の上から凛々の明星が未来を指し示すかのように、静かに照らしていた。





光の星と闇の星


08/09/17