最近ソフィはよく手を繋ぎたがる。
とても不安そうな表情で傍に寄ってきて、手を取りぎゅっと握って、そして何かを確かめるようにじっと眼を瞑る。そうしてしばらくしたら、安心したように笑顔を見せる。そういった事が何度も続くので、アスベルはとうとう聞いてみる事にした。


「ソフィ、どうして最近俺の手を握りたがるんだ?」


場所は、あの思い出深いラント裏山の花畑だった。何かと忙しい領主の仕事の合間を縫って、息抜きのためにここを訪れる事は少なくない。色とりどりの花々と、大切な誓いを刻んだ大木のあるこの場所は、アスベルにとってもソフィにとっても未だに特別な場所だった。きっとこれからもずっと、この場所は特別であり続けるのだろう。
花達を眺めていたソフィは、尋ねられてアスベルを振り返った。その瞳が迷うように揺れている。話すことをためらっているようだった。


「言いたくないのなら別にいいけど、何か溜め込んでいるんじゃないか?悩んでいる事があったら、辛くなる前に言うんだぞ」
「ううん、違うの、そういうのじゃないの」


アスベルが顔を覗きこめば、ソフィは首を横に振って見せた。その目は嘘をついているような感じではない。ホッと息をついたアスベルは、それではどうして手を繋ぎたがるのか、理由を考えてみた。
しかしいくら考えても何も思い当らない。ただの癖ならば、それでいいのだけど。


「……あのね、確かめてるの」


しばしの沈黙の後、ソフィはそっとアスベルの手を取った。


「確かめる?」
「うん」


頷いて、ソフィは左手にアスベルの腕を取ったまま、右手を伸ばしてきた。ソフィの右手がそのまま触れてきたのは、アスベルの左目だった。
本来の色とは違う、その中に他者が眠っている事の証のように、深い紫に染まる瞳。その瞼に微かに触れる。


「このラムダがリチャードの中にいた時、私はじめは気付かなくて、どうしてリチャードを倒さなければならないような気持ちになるのか、分からなかったの」
「そう、だったのか……」
「その時私、とても悲しかった……リチャードは友達なのに、どうして、って」


ソフィの瞳が悲しみに揺れる。当時どれほどソフィが悩み、悲しみ、葛藤したのか、それだけで良く分かった。触れる手から感情が流れ込んでくるかのように、アスベルの胸の中にも、ソフィの思いが伝わってくる。
ソフィは、恐れていた。


「もう、あんな思いは、したくない……だから、確かめるの」


アスベルの腕を持ち上げたソフィは、そのままその手を頬に押し当てた。腕から伝って、アスベルの奥で眠っているはずのラムダを感じるかのように目を閉じる。
幾度となく手を握りたがるのは、そういう事だったのか。アスベルはソフィを安心させるように笑った。


「言っただろ、もしラムダが目を覚まして、俺の身体を乗っ取ろうとしたって、俺は負けないって」
「うん、聞いてた。でもそれでも……こうやって、確かめたくなるの」


アスベルの手を握るソフィの手に若干力が籠る。ソフィだって分かっている。今のラムダは、そう簡単にアスベルの身体を乗っ取ったりはしないだろうと。アスベルの手に触れて確かめる度に、それを実感している。
しかしそれでも、どれだけ分かっていても。ソフィは確かめずにはいられないのだ。


「私は、アスベルとは戦いたくない、戦いたくないよ……」


思い出しているのだろう、リチャードと戦う事になってしまったあの時の事を。どれだけ嫌だと思っても、心が戦えと叫ぶのだ。ラムダを滅ぼすため、そのためだけに己は生まれてきたのだから。その責務を全うするために全てを捧げろと、抗えない衝動が心の奥底から襲いかかってくる、あの感覚。
押し黙ってしまったソフィの頭を、アスベルが片手で軽くぽんと触れた。


「馬鹿だな。そういう事なら、早く言えば良かったのに」


ソフィが顔を上げれば、優しく微笑むアスベルの瞳があった。澄んだ青色の瞳も、吸い込まれそうな紫色の瞳も、等しくソフィを温かな視線で包み込んでいた。


「それならいつでもこうやって手を繋げばいい。俺に遠慮なんてしなくたっていいよ、ソフィが安心できるまで、俺も手を握っておくから」
「いいの?」
「ああ。……本当なら、こうやって確かめなくともソフィが安心出来るようになれるのが、一番良いんだろうけど。それにはまだまだ、俺は弱いからな」


繋いだままの手を引っ張って、今度はアスベルがソフィの手を両手で包み込んだ。その温度がとても心地よくて、ソフィは思わず目を細めていた。


「いつか、ソフィが俺の姿を見ただけで安心出来るように、強くなるから。それまでは、手を繋ぐ事で我慢しててくれな」


帰ったら溜まっている書類を片づけて少しでも稽古しないとな、と笑うアスベルを、ソフィはじっと見つめた。微笑みかけてくるその顔と、繋いだままの手を何度か見比べる。不可思議な動作を繰り返すソフィに、アスベルは首をかしげた。


「ソフィ?」
「アスベル。アスベルが強くなったら、手握っちゃ駄目なの?」
「え?いや、駄目って訳じゃないけど」


慌てて首を振れば、そっかとソフィがホッとするように笑うので、ますます訳が分からなくなる。さっきの台詞はソフィを安心させるために言ったのだが、もしかして知らないうちにますます不安にさせるような事を言ってしまったのだろうか。
アスベルが考え込んでいる間に、ソフィがあっと声を上げた。


「そっか」
「へ?」
「分かった」
「何が?」
「私、ラムダの存在を確かめるためにアスベルと手を繋ぎたいと思っていたの。でも、それだけじゃなかったみたい」


ソフィは、その名の通り、花がほころぶように笑った。


「安心するの。アスベルと手を繋ぐと、それだけで安心できるの。アスベルの温度や感触が感じられて、とても安心出来るの。だから今、アスベルが強くなったら手繋いじゃ駄目なのかなって考えた時、悲しくなったんだね」


ね、と言われても、そうだねと返せるような余裕がアスベルには無い。にこにこととても嬉しそうに笑うソフィを直視できなくて、アスベルは思わず顔を逸らしていた。
ソフィはいつの間にこんな口説き文句を覚えてきたのだろう。また教官か誰かに何か吹き込まれたに違いない、そうに違いない!必死で頭の中で取り繕うアスベルに、今度はソフィが首をかしげた。


「どうしたのアスベル、顔が真っ赤だよ」
「ソフィ……今のような台詞、誰彼構わず言ったりするんじゃないぞ、絶対に」
「?アスベルにしか言わないよ?」
「そ、そうか……」


忠告するつもりが逆に墓穴を掘ってしまったような感覚に陥ったアスベルの頬の温度がまた一度上昇したような気がする。何だか様子がおかしいアスベルを不思議に思いながらも、ソフィはまた笑った。顔を赤く染めて顔を逸らすアスベルがそれでも、その手を握ったままだったからだ。
くすくす笑う手の中の温度を感じながら、アスベルは途方に暮れた。周りに広がる花畑と、目の前で笑う可愛らしい花、どれだけ顔を逸らしても、逃げられそうになかった。





花と温度


10/11/19