とにかくアッシュは微動だにしなかった。己に体を動かす事を禁じていたのだ。特に上半身は時が止まっているかの如き静寂さだった。その様子を、頬杖をついたローレライは1人面白そうに眺めていた。まったく動かないアッシュと、その後ろで楽しげにアッシュの髪をいじってるルークを。
言いだしっぺはルークだった。朝起きたアッシュがいつも通り自分でその長い髪を整えていると、突然ルークがその髪を結ばせてくれと言い出したのだ。器用とは程遠いルークにアッシュは全力で抵抗したのだが、面白がったローレライに押さえつけられて今に至る。アッシュは抵抗して髪をぐしゃぐしゃにされるより、少しでも被害を食い止めるために動かない事に決めたらしい。そんないつに無く大人しいアッシュの髪をご機嫌なルークが愛しそうに手で梳いている。


「アッシュの髪ってすっげー真っ直ぐでさらさらだよなあ。羨ましいなー」
「確かにアッシュの髪も美しいが、私はルークの髪も好きだ」


指の間を滑り落ちる真紅の髪にルークがため息をつけば、至極真面目な表情でローレライがさらりと言う。実際ローレライは本当にそう思っていた。アッシュの髪をさらさらと例えるならば、ルークの髪はふわふわだった。大人しくまとまってくれない元気でやんちゃな柔らかいくせっ毛だった。ローレライは指通りの良い上品な紅色の髪も、優しく指に絡みつく橙色の髪も、どちらも延々と撫でまくりたいほど好きだったのだ。
そんな事をつらつらと話して見せると、ルークは頬をほんのり染めてローレライを少しだけ睨みつけた。


「お世辞なんていらねえよ」
「世辞ではない、本当にそう思うのだ。なあアッシュよ」
「俺にふるんじゃぬぇーっ!」


ローレライが同意を求めると、アッシュが顔を真っ赤にして怒鳴った。さっきのローレライの言葉でさりげなくアッシュも褒め称えていたからなのか、ルークの髪が好きだという図星をつかれたからなのか。とりあえずアッシュが激しく反応した事で髪が引っ張られ、それにルークは我に返った。今すべき事は別にあるのだ。


「アッシュじっとしてろよ。結べねえじゃんか」
「一体誰のせいだと……」


ブツブツ呟きながらアッシュは再び大人しくなった。ルークは何かでたらめな鼻歌を歌いながらアッシュの髪を丁寧にとって、しかし大雑把になにやら編んでいく。たびたび髪が引っ張られるアッシュの眉間には普段よりも深い皺がくっきりと浮かんでいた。微妙に痛いのかもしれない。その表情を見ているとさすがに可哀想になってくるが、それよりも面白いのでローレライは絶対に止めない。
やがて首をかしげたルークが助けを請うようにローレライへ視線を送ってきた。


「なあローレライ、教えてくれよ」
「何をだ、ルーク」
「三つ編みってどうやるんだ?」


ルークの言葉に反応したのはローレライよりアッシュの方が早かった。ルークはどうやらアッシュの髪で三つ編みを編みたかったらしい。冗談じゃないとアッシュは思ったが、ローレライはふむ、と頷いて立ち上がってしまった。


「それでは見ておくがいい。私の華麗なる三つ編みの技を」
「お願いします師匠!」


いつの間にか三つ編み師匠になったローレライはルークの声に笑ってみせるとアッシュの背後へ立った。アッシュは内心うろたえたが髪を掴まれてしまったので動く事ができない。

え、三つ編み出来るの?この意識集合体。


「これとこれを持ってここをこうしてこれをこうだ。これを繰り返すとあっという間に三つ編みが出来上がる」
「おおおー!」


ルークの感嘆の声が上がる。ローレライは躊躇いも無くテキパキとアッシュの髪を編んでいった。そうして1分も経たぬうちにリボンで髪の先っぽをきゅっと縛る。これで完成だった。手鏡を渡されたアッシュは目の前の自分の髪形に驚いた。完璧なる三つ編みがそこにあったのだ。


「すげー!ローレライすげー!」
「馬鹿な……!何で今まで人型もとってなかった奴が三つ編みをマスターしてやがるんだ!」
「ははは」


驚く2人にローレライは軽く笑うだけだ。どこか得意げでもある。するとルークが目を輝かせてローレライに纏わりついた。


「なあローレライ、俺も!俺も三つ編みやってくれよ!」


アッシュとお揃いがいい!とルークが騒ぎ始める。もはや自分で三つ編みを編む事などどこかへ飛んでいってしまったようだ。そんな単純な思考回路に呆れるアッシュだったが「お揃いがいい」と言われて悪い気はしない。
しかしルークの髪は短髪とまではいかなくてもそんなに長くは無い。まだ伸ばしている最中だからだ。元々長かったアッシュなんかは楽に三つ編みが出来るが、ルークの髪の長さは少し厳しいのではないだろうか。
ローレライはそんなアッシュの心配をよそに事も無げに頷いてみせた。


「お安い御用」


今までアッシュの座っていた椅子にルークを座らせると、ローレライはさっきと同じようにさらりと手を動かしていった。アッシュが目を丸めて見つめる中、ルークの頭にはあっという間に小さな三つ編みが出来上がる。ゆったりと大き目のアッシュの三つ編みとは正反対の、ちょんとぶら下がる可愛らしい三つ編みだった。鏡でそれを見たルークはうわあと声を上げて喜んだ。


「すっげーこんな小さい三つ編みも出来るんだ!ありがとなローレライ!」
「なんの。三つ編みの師ともなればこれぐらいは容易い事だ」
「三つ編み師匠すげー!」


きゃっきゃとはしゃぐ己の同位体2人にアッシュはもうどうでもよくなった。とりあえず髪がまとまっていれば色んな作業の邪魔にならないので少なくとも便利だ。だからまあ三つ編みでもいいかと思うことにしよう。
さて、と動き出したアッシュの背中に、しかし笑顔満面のルークが飛び掛ってきた。


「ぐは?!」
「アッシュー!俺たちお揃いだな!何か楽しいな!」
「っこの屑がっ!いきなり飛び掛るなと何度も言ったはずだ!危ねえだろうが!」
「あー俺も早くアッシュみたいな大きい三つ編みしたいなー。早く伸びないかなー」
「聞けー!」


お揃いの三つ編みでご機嫌のルークと怒鳴っておきながら内心まんざらでもないアッシュがドタバタとじゃれ合っていると、傍から恨めしそうな視線を感じて2人で振り返った。そこにはさっきの得意そうな様子とは一転してじと目でこちらを見つめるローレライの姿が。


「ど、どうしたんだ?ローレライ」
「2人だけでお揃いなんて……ずるいとは思わないのか。これでは私だけ仲間はずれじゃないか、ずるいずるい」


羨ましいずるいと連発してくるローレライにとうとうアッシュの血管がぷち切れた。
大体三つ編みを編んだのは自分だろうが!


「知るかーこの屑第七音素がーっ!」



その日からしばらく第七音譜帯の上には、3つの赤い三つ編みが揃って揺れていたという。





   ひとり分の陽だまりに 三つ編みの日

07/01/30