そこは一面の野原だった。どこまでものどかに続く緑色の絨毯は途切れる事無く限りなく平和に広がっている。その中に、ぽつんと1つ家が建っていた。大きくも無く小さくも無い、形は「地上」でよく見るものだが何で出来ているのか一見判断のつかない変わった家だ。その家から、1人誰かが出てきた。半端に伸びた優しい夕焼け色の髪を後頭部で軽く縛った青年だった。彼は一回気持ち良さそうに伸びをすると、柔らかい光を降り注がせる空を見上げた。


「っあー、今日もいい天気だなー」


レムさんは今日も機嫌がいいみたいだなー。そうやって1人呟きながら野原へ足を踏み降ろす青年の名をルークといった。赤い髪と緑の目を持った、オールドラントでは「聖なる焔の光」と称される人間、のレプリカだった。かつては。ルークは今自分がどういった存在なのか具体的に知らないままだったが、特に気にしてはいなかった。
出てきた家の裏に回ったルークは、そこに広がる景色に満足そうに目を細めた。野原の一角に、美しい花畑が広がっていた。


「さーて、水やり水やりーっと」


家の傍らに1本ぽんと立っていた蛇口に近づいたルークはそこにあったホースを手に取る。花畑はルークが丹精こめて作り上げたものだった。以前庭師のペールに植物の育て方を教わっていてよかったと思う。この花を育てる事が自分の性に合っている事を自覚したルークは、庭師になるのもいいかもなあと漠然と考えていた。
蛇口を捻ればホースから水が出てきた。第四音素ウンディーネさんとこから引いている綺麗な水だ。ルークはご機嫌に鼻歌を歌いながら花畑に水を撒く。この地面は第二音素ノームさんに頼んで作ってもらったもので、時折吹く心地よい風は第三音素シルフさんが気まぐれに吹かしてくれるものだ。家で暖を取ったり料理したり出来るのは第五音素イフリートさんとこから火を貰っているおかげだったし、空に浮かびルークを照らしてくれているお日様も第六音素レムさんが時間が分かるようにと好意で貸してくれたもので、(オールドラントの時間で)夜になれば第一音素シャドウさんが眠りに誘うように優しく闇で包んでくれる。ご近所が親切な方々ばかりなので、ルークはいつもありがたく思っていた。


「それに比べてうちのは……」


ルークは思わずため息をつきながら蛇口をしめた。明日もまた使いやすいように、ホースを丁寧に丸く畳んでまきつけておく。雫に濡れながらも太陽の光に照らされ光り輝く美しい花畑の姿にルークはしばらく立ち尽くしていた。とても綺麗だ。これを自分が作ったのだと思うと、余計に嬉しくなる。
そんな穏やかな時間に、突然耳を劈くような怒鳴り声が割り込んできた。


「貴様はっいい加減にしやがれーっ!!」
「またやってるよ……」


その自分よりも少し低めの聞き覚えのある声にルークは再びため息をついて、家の中に戻るために踵を返した。その後を、まるで慰めるように風が優しく吹いてきたので、ルークは思わず「ありがとな」と呟いていた。




「一体いつまでこの状態を続けるつもりだ!」
「無論、いつまでも」
「ふざけるな!貴様の茶番に付き合うほど俺は暇じゃねえんだよ!」


家の中にはテーブルを囲んで2人の青年が言い争っている姿があった。それを横目で見ながらルークが部屋を横切る。花への水遣りで若干濡れてしまったので、タオルをとりに行くのだ。


「茶番などではない。私はお前達の事を心底大切に思っているからこそ今の状態を保っているのだ」
「それこそ余計なお世話だ、つべこべ言わずにさっさと戻しやがれ!」
「それは出来ない」
「っだーっ!」


さっきからイライラしながら怒鳴っているのは、ルークの完全同位体でありレプリカ(だった?)ルークのオリジナルでもある人物であった。名をアッシュという。本名はルークと同じ名なのだが、彼は頑なにそれを拒んでいた。その事に感謝しているルークは癇癪を起こしているアッシュを手を拭きながらそっと盗み見る。朝起きたばかりなのでいつも上げている前髪は下ろされたままだった。ルークはアッシュの自分より濃い目の美しい深紅の真っ直ぐな髪が大好きだったので、毎朝こうやってこっそり覗き見ているのだ。今の所アッシュにはばれてない。
そしてアッシュに怒鳴られ、それでも平然としている人物は一見同位体同士であるルークとアッシュと非常に良く似た人物だった。髪の色は2人の中間をとったような赤色で、声の高さも高くも無く低くも無い。だが喋り方が妙に仰々しいので、そこがどこか年上のような雰囲気をかもし出していた。まあ実際、人間の歳に直してみれば2000歳は越えているのだが。
彼の名を、ローレライといった。第七音素の意識集合体であり、この前めでたく音譜帯の仲間入りを果たした本人である。

ルークがいるのは、正真正銘第七音譜帯だった。ローレライがそう言ったのだからおそらく間違いは無い。ローレライは自分の力を惜しげもなく発揮し、音譜帯に擬似世界みたいなものを作ってしまったのだ。他の意識集合体の力まで借りちゃってこの世界は出来ている。ローレライ本人は舞台を整えただけだ。それもこれも、自分と同じ音素振動数を持つルークとアッシュと一緒に暮らす、ただそれだけのために。


「俺はもう我慢できねえ!」


ダン!とアッシュが拳をテーブルに叩きつけた。アッシュはずっと自分を、自分達を地上へ返せとローレライに訴えているのだ。毎日。しかしローレライはその願いを聞いた事が一度も無い。無いからルークもアッシュも相変わらずここにいる。アッシュは持っていたタオルを置いて様子を伺っていたルークの元へずかずかと歩み寄るとその腕を取り、そのまま出口へ歩き始めた。いきなりひっぱられてバランスが崩れたが、ルークはうおおっとか声を上げてそれでも抵抗せずにアッシュについていく。


「こら待て、どこに行くのだ」
「決まっている、俺たちは地上に戻る」
「ほほう、どうやって」
「他の意識集合体にでも頼んで戻ってみせるんだよ!」


ぷんぷん怒りながらアッシュが手を引っ張るので正直掴まれた所が痛かったが、それより何よりルークは嬉しかったので全然気にならなかった。アッシュは当たり前のようにルークを連れて行こうとしてくれる。つまり、一緒にみんなの所へ戻る事を許してくれているのだ。近頃は頭ごなしに怒鳴りつけられる事もないし(代わりにアッシュはローレライに怒鳴っている)ルークはアッシュと違ってオールドラントから遠く離れた音譜帯の上でも比較的楽しく暮らしている。アッシュも少しは楽しめばいいのにと思うが口に出せば怒られそうなので言った事は無い。

とうとう外へと続くドアに手をかけたアッシュを見て、ローレライがとうとう今まで座っていた椅子から立ち上がった。何をするのか、とルークとアッシュが見つめてみれば、ローレライは目にも留まらぬ速さで2人へ近づきがばっと抱きしめてきたのだ。2人同時に。
ローレライはルークとアッシュと似たような姿をしているくせに、背だけは自分だけ高かったので、それで簡単に身動きが取れなくなってしまうのだ。


「ぶわっ?!」
「何て寂しい事を言うんだ今まで私は1人っきりで地核に閉じ込められていたんだぞ少しは哀れんで一緒に暮らしてくれたっていいじゃないか親不孝者ぉ〜」
「誰が誰の親だ!気色悪いんだよ放せっ!」


情けない顔で縋り付いて来るローレライを顔を歪めたアッシュが必死にどけようとするのだがびくともしない。ルークはローレライがこうなったら絶対に自分が満足するまで放してくれないのを学習しているので、ぐりぐりと頬を押し付けられるままどこか遠いところを見ていた。とりあえず、暑苦しい。


「別にいいではないか、あの世界は簡単にお前達を犠牲にして生き残った薄情な場所だろう。そんなところに戻って何になる」
「っ……!」
「それは違うぞ、ローレライ」


頭に血が上りすぎたのか言葉が出てこないアッシュの代わりにルークが口を開いた。とたんにこちらに振り返ってくるうっとおしい顔から僅かに視線をそらす。


「俺たちはあの世界が、あの世界に住む人たちが好きだからヴァン師匠を止めたんだしお前を解放したんだ。別に犠牲なんかじゃないだろ?」


どこまでも真っ直ぐな瞳でそうやって言い切るルークに、ローレライは微笑んだ。アッシュは体に巻きつく腕から逃れようと力を入れながら、それでも黙って話を聞いている。


「それに犠牲っつったら、……アクゼリュスの人たちや、レムの塔で消えてったレプリカたちの事だよ。俺は望んでやった事なんだから……犠牲なんかじゃない」
「そう思っているのはお前だけだろうな」


後悔の念に苛まれ俯くルークの頭をローレライが優しく撫でる。違う違うと首を振るルークに、ローレライは地上で待っている仲間達の様子を見せてやりたくなったが、見せればもっと帰りたくなるだろうから絶対に見せない。


「はっ、いつまでもそう根に持ってうじうじされてりゃその犠牲になった奴らも迷惑だろうよ」
「なっ何てこと言うんだよアッシュ!」
「死者は生者に構ってられるほど暇じゃねえだろ。反省するのは構わねえが後悔するのはただの自己満足だ。だからさっさとそのうっとおしい卑屈根性を矯正しやがれ」
「ううっ……」


アッシュに頭を小突かれルークが悔しそうに呻く。2人のその光景を見ていたローレライはなにやらたまらなくなったので、抱え込んだままだった2人を再びぎゅうと抱きしめた。これにはルークもアッシュも驚いて思わずじたばたともがく。


「何だ?!いきなり何だよローレライ!」
「てめえが今は1番うっとおしい!放しやがれ!」
「いやなに、これは仕方が無い。少し思い込みすぎだが人を思いやることが出来る優しい可愛いルークも、少し乱暴で不器用だがそんなルークを慰めようとする優しい可愛いアッシュも、私は大好きだからだ」
「「なっ?!」」


2人は同時に驚愕の声を上げて、同時に顔を赤らめた。ルークが嬉しそうにアッシュへ顔を向ければ、アッシュは全力で顔を逸らしてみせる。その耳も赤くなっていたので、ルークは幸せでローレライと一緒にくすくすと笑った。アッシュは今度こそ、力の緩まったローレライの腕から脱出する事に成功して、家の奥へと逃げ込んでしまった。玄関へと体も向けようとしなかったアッシュに、ローレライが満足そうににまりと笑う。ルークはまたしばらくはここで暮らすんだなと悟り、とりあえずローレライを見上げた。


「なあローレライ、朝ごはんは何にするんだ?」
「そうだな、目玉焼きにしよう。昼はチキンサンド、夜はえびグラタンだ」
「マジで?やった!アッシュにも言ってやろ!」


アッシュー今日は好物ばっかりだぞーと元気よく駆けていったルークの後姿を眺めながら、ローレライは笑った。生憎と鏡が無かったので自分で見ることは敵わなかったが、おそらく人間で言うところの「幸せそうな」笑顔だったのだろう。ローレライはそう考えてまた笑う。「笑う」事を教えてくれたのは、まず間違いなく今この世で一番大事な己の同位体であるあの2人であろう。
ローレライは脳裏に1人の女性を思い浮かべ、生まれて初めての友へと語りかける。

ユリア、どうやら意識集合体の私は今、一丁前に幸せらしい。





   ひとり分の陽だまりに

07/01/30