それは、束の間の休憩のために立ち寄ったある街での事だった。
自由行動中、何気なく通りかかったお店のショーウインドウに釘付けになっていたティアは、ふいに己の名を呼ばれたことに気付いてはっと我に返った。
「ティアー。何見てるんだ?」
「え?!いえ、こっこれはその、た、たまたま目に入っただけよ!見とれてた訳じゃないの!」
可愛い可愛いぬいぐるみたちをガラス越しに指差して赤い顔で何事かを否定するティアに、声をかけたルークはふーんととりあえず納得しておく事にした。ティアが可愛いもの好きなのは(本人は必死に否定しているが)仲間内では結構周知の事実だったりする。もちろんルークも知っていた。だからこれに決めたし、大事にしてくれそうだと思ったのである。
「ま、ちょうどいいや。これ受け取ってくれよ」
「え?」
突然袋を手渡されたティアは一瞬きょとんとして受け取った。そういう無防備な表情はとても少女らしくて、ティアは16歳なんだなと思わせた。普段は軍人ぶっててとても遠い大人の女性に見えるのだ(そしてそんな彼女の事は嫌いではなかったし尊敬もしている)が、こういう幼い表情の方が何だかティアらしくてルークは好きだった。しかしそれは口に出さないでおいて、ティアが袋の中身を確かめるのをただじっと待った。
戸惑いながらも袋の中に入っているものを見たティアの顔が、みるみるうちに紅潮する。それは怒りのためでも恥のためでもなかった。感激に顔が赤くなったのだ。
「こ、これっ……!」
「可愛いだろ?ひばいひんって奴なんだぜー」
ティアの手の中にあるものは、手のひらサイズで丸っこくてふわふわしていてつぶらな瞳を持っている、ブウサギ人形であった。これまで数々のブウサギ人形を見てきたティアだったが、こんなに愛らしく作られたブウサギ人形は初めてだった。普通のブウサギよりも若干赤色に近いそのブウサギ人形を思わず抱きしめたティアは驚愕の表情で目の前に立つ赤毛の青年を見る。
「非売品、って、どうやって手に入れたの?それに、どうして私に……」
「ピオニー陛下が特別にブウサギ人形作らせてた所に頼み込んだんだ。ほら、ティアには沢山世話になったし……」
ルークはどこか照れくさそうに頭をかきながらあちこちに視線を彷徨わせる。その姿がとても温かくて微笑ましくて、ティアは自然と笑顔になっていた。そのままブウサギ人形を見つめていると、ふとどこかで見たような気がした。非売品のものだから、店先で見たことがあるとは考えにくい。
「これってもしかして……」
「あー、気付いたか?陛下んとこのブウサギがモデルなんだそれ」
頼むときに勝手に陛下がそうしたんだ、とルークが言う。どうりで余計に愛着がわいてくるのかとティアは納得した。ルークは言わなかったが、ティアには分かっていた。このブウサギ人形がマルクト皇帝のペットブウサギの中の、「ルーク」がモデルだという事を。
「それにしても、沢山世話になったって、まるでこれが最後だと言わんばかりね」
「う……。だって」
「だってじゃないわ。私たちは必ず……兄さん達を止めて、帰ってくるの。だから最後みたいに言わないで」
ティアはなるべく軽く言ったつもりだったが、自分の中で自分の言葉が重く響いてしまったので慌ててルークを見た。ルークは罰の悪そうな顔で、それでも微笑んでいる。
「……ああ、そうだな」
ルークが否定しなかったことにティアは安堵した。例えその響きが諦めを含んでいたとしても。否定されてしまえば、一欠けらの希望さえ持っていることができないから。
ティアは近い未来に潜む恐ろしく暗いものに被りを振って、ただ今の気持ち……喜びを精一杯表に出して、ルークへと言った。
「ありがとう、ルーク」
大事にするわ、と伝えると、ルークはくしゃりと笑みを浮かべて、とても幸せそうに頷いた。渡された方じゃなく渡した本人が何でこんなに嬉しがるのかしらとティアも笑った。それだけで今この時が愛しいと思えたのだった。
後で合流した時に聞けば、他の仲間達もそれぞれルークからプレゼントを受け取っていたのだという。(それにちょこっとティアががっかりしたのは秘密だ)
ルークってばたまには気が利くじゃーんと嬉しそうに笑うアニスは髪を結ぶリボンを貰った。控えめな色合いだったがとても丈夫に出来ていて使い勝手はよさそうだと言う。機能性重視のこの選択はとても長く使えそうだと節約家のアニスを喜ばせた。どうせ貰うならもっと高価なものがよかったけどねというアニスらしい一言ももちろん添えられた。
お姫様なナタリアにはブレスレットが贈られた。といっても街に着くごとに割り振られるお小遣いをちまちま溜めてルークが買ったものだったので高価なものでは決してなく、それでもお店の人が丁寧に編んだ手作りのものだった。幼馴染からの初めてのプレゼントにナタリアはそれはもう嬉しそうにさっそく腕につけていた。指の方は別の奴から貰えよ、との余計な言葉には照れ隠しの拳骨が贈られた。
親馬鹿全開のにやにや笑顔を振りまくガイの腕には工具セットみたいなものが抱えられていた。何でも店でどれが欲しいかといきなりルークに尋ねられ指差したものを買ってもらったらしい。音機関いじりの大好きなこのルーク馬鹿はおそらく工具がボロボロになるまで使い続けるだろう。使わずに飾っておくとまで言い始めたので、それは皆で止めておいた。
何か足元でしきりにぴょんぴょんはねていると思ったら、喜びを全身で表しているミュウだった。木の実やきのこを入れておけるような小さな可愛いミュウサイズの袋を貰ったようだ。ご主人様から初めてプレゼントを貰ったですのーと言ってはまたはねる。それはとても微笑ましい光景だったが、我慢の出来なかったルークにぽこんと蹴られる。それでもミュウは笑っていた。
ジェイドは何も持っていなかった。何故かとルークに尋ねたら、何もいらないと突っぱねられたという。もったいないなあと仲間達に言われても涼しい顔をしていた。あなたの考えは全てお見通しですよと言ったジェイドの目はルークに向いていて、その赤い瞳はごまかされませんよと語っていた。その表情がどこか歪んで見えたのだが、次の瞬間すでにいつもの笑顔に戻っていた。
「しかしどうしていきなりプレゼントなんだルーク」
嬉しさににやにやしながらもガイが尋ねた。アニスもナタリアもルークを見る。一回理由を尋ねたがティアもルークを見た。ジェイドだけが何も言わずに立っている。ルークは少し迷った後、ぼそぼそと呟いた。
「形、残したかったんだ」
聞いてもよく分からない理由だ。しかしルークはそれ以上口を開こうとはしなかった。仕方が無いと皆でため息をつく。いきなりプレゼントなんてしてくる理由は分からなくとも、仲間達はルークへと向き直り、声を揃えてこう言った。
「ありがとう、ルーク」
ルークはどういたしましてと笑ってみせた。それは以前のいじっぱりのにやり笑いでも、卑屈を押し込めた暗い笑顔でもなく、ここ数日見せる晴れ渡った青空のような綺麗な笑い顔だった。
「お前ら揃って何してやがるんだ」
そこにちょうどいつものしかめっ面でもう1人の赤毛が通りすがりにやってきたので、仲間達はしめしめと思った。仲間全員にプレゼントを贈ったルークは当然アッシュの分も用意してあるのだと思ったのだ。思ったとおり、ちょうどよかったと言わんばかりにアッシュを見たルークは、しかし皆の予想を裏切ってアッシュへと舌を出して見せたのだ。
「お前には、最後にやるんだからな!」
状況をまったく理解できないアッシュはもちろん、その予想もしなかった言葉にティアもガイもアニスもナタリアもあっけに取られた。1人何かを悟ったような感じの死霊使いが表情を隠すようにゆっくりと眼鏡を押し上げた。それだけだった。
突然のプレゼントの理由も、アッシュへの言葉も、その時は分からずじまいだった。
仲間達が全てを理解したのは、栄光の大地へ突入してから約2年後、跡形もなく音素の光の中へと溶けて消えてしまったルークの心以外全てを譲り受けた半身がセレニアの花の中で、そっと微笑んだ時だった。
ここにいるよ
06/11/20
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