「ルークってさあ、どうしてそんなにアッシュの事好きでいられるわけ?」


アニスが心底呆れたように言うと、ルークはきょとんと目を瞬かせてみせた。その肩越しに一瞬濃い赤が見えたが、それも人ごみの中へすぐに消えてしまった。
今日もオリジナル様は出会い頭に自分のレプリカを屑劣化と一方的に怒鳴りつけてぷりぷりと去っていった。たまたまルークと2人で買出しに出かけていたアニスは2人のやり取りに巻き込まれた形になってうんざりしている所だ。アッシュの怒鳴り声は大きくてうるさいし、向かいに立つルークは泣き出す瞬間のような顔をそれでも精一杯耐え忍びながらただ立っているしで、隣に立っているのが居た堪れなかった。まるでいじめ現場を知らぬ降りして無視しているような心地だった。そんな脳裏にお人よしな父と母の顔が蘇る。アニスちゃん、弱いものいじめは駄目よ、助けてあげなくちゃ。その言葉のせいではなかったが。


「私だったらとっくの昔にキレて怒鳴り返しちゃってるなあー。もちろん好きでいられるわけもないし」


アニスはそうやってさりげなくルークのフォローになるような言葉を吐き出していた。事実、アニスが常に疑問に思っていたことだった。
あんなに見下され蔑まれているのに、ルークはアッシュに近づこうとするのを止めようとはしなかった。何度突き飛ばされ打ちのめされても懲りる事が無い。アニス含め仲間達がどれだけヤキモキしているのかこの7歳児は分かっているのだろうか(絶対分かってない)。ガイなんて笑顔で剣を抜こうとするのだから、止めるのが大変なのだ。何がそんなに好きなのか。


「好き?俺が、アッシュを?」
「そうだよ。どこからどう見てもそうじゃん」


首をかしげるルークにアニスは指を突きつけてやった。本当にどこからどう見てもそうしか見えないのだから仕方が無い。それぐらいルークはぴーぴーアッシュの後をついて回っているのだ。とさか頭にひよこ頭でニワトリとヒヨコを想像しているのはきっとアニスだけではないだろう(その証拠に赤毛の追いかけっこをティアがいつも目を潤ませながら見つめている)。あんなに酷い目に合わされているのにヴァンにだってまだ懐いているのだから、もしかしてルークって真正?と密かに思っているのはアニスだけの秘密だ。


「好き……か……」


一方ルークはというと、呟いてからじっと考えるように黙り込んでしまった。アニスは少し心配になる。何せ、見た目とは裏腹におつむ7歳児のこの子どもは生きてきた年月もあるが軟禁生活も祟って実に世間知らずであらせられるのだ。もしかして「好き」って事をよく分かっていないんじゃないだろうか。とてもありうるので、アニスは内心で舌打ちした。何てったって、ルークを育て上げたのはあのガイなのだ。どんな教育をしていたのか分かったものではない。


「ルーク、好きって分かってる?」
「ば、馬鹿にすんなよ。それぐらい分かってるって」
「ほんとー?なーんか怪しいんだよねー」
「怪しくないって。俺アニスの事好きだし」


ああもう。アニスはとっさに目を逸らした。これだからルークという人物は困るのだ。こういう言葉を何のためらいも無くさらりと言ってしまう。いや、私も好き嫌いで言えばルークのこと好きだけどさあとアニスが篭った声でブツブツ呟けば、ルークは一瞬驚いた顔をした後にっこりと本当に嬉しそうに笑ってありがとうとか言う。ああもう。アニスはもう一度目を泳がせた。ルークの瞳も言葉も生き方も、何もかも真っ直ぐすぎる。私には眩しすぎるなあとアニスはこっそり胸の中で零した。その間にルークは指を広げて1本1本折り曲げていく。


「ティアもガイもジェイドもナタリアも好きだし、ブタザ……ミュウも一応好きだ。ノエルやギンジも好きだ。あと母上も、父上も。イオンも……好きだった。ヴァン師匠も嫌いにはなれないし……」


ルークは次々と好きな人たちをあげていく。出会った人片っ端からあげてるんじゃないかと思ってしまうようなレパートリーにアニスは頭を抱えたくなった。本当に分かってるのか?しかしルークからアニスに向けられる好意はきちんと感じるので、少しは分かってくれているのだろう。そこでふとアニスは不自然な点に気がついた。ルークの「好き」はとうとうマルクト皇帝のペットブウサギにまで及んでいるが、会話の流れ的にもいままでに絶対あげられていなければいけない人物が1人いないのだ。


「ルーク、アッシュは?私アッシュの事聞いてるんだけど」
「それがなーアッシュはなー……」


ルークは途端に微妙な顔になった。あれ、とアニスは首をかしげた。もしかして本当にルークはアッシュのことが実は好きじゃなかったり?じゃああの刷り込みかとつっこみたくなるような思い入れはただ単にルークがレプリカでアッシュがオリジナルだからなのか?そうやってアニスが尋ねると、ルークはとんでもないとばかりに首を激しく横へ振ってみせた。


「そんなんじゃねーよ!」
「でもアッシュは「好き」じゃないんでしょ?じゃあ何なのよー!」


アニスが声を張り上げると、ルークは自分の語弊の少ない頭の中から必死に該当する単語を探すようにうんうん唸り始めた。アニスは仕方なくそれを待ってやる。くどいようだが、ルークは見た目は17歳でも実際は7歳だ。7歳の頭の中に「好き」や「嫌い」を超越するような複雑な単語が存在するとは思えない。なのにルークはアッシュが「好き」でも「嫌い」でも無いというのだから、何かしらの答えがあるのだ。アニスはそれを辛抱強く待った。待たなければいけなかった。かつて、さっさと自分達だけが前へと進み幼い子どもをどん底へと置いてきてしまった。それ故に子どもは悲しい成長を遂げてしまった。もうそんな過ちは犯したくなかった。アニスは知らず知らずに拳にぎゅっと力を入れていた。それを気付かれないようにゆっくり解いていると、ようやくルークは答えを見つけたようだった。


「うん、そうだ!アッシュは「好き」でも「嫌い」でもないんだ!」


ルークは笑った。極上の幸せを噛み締めるように、ふわりと、優しく笑った。


「『大切』なんだ」


何よりも。


「………」


アニスは何も言えなくなった。ルークはなおも穏やかな表情で笑っている。その言葉は、ルークの心の奥の方に本当に大事にしまってある宝箱の中からそっと取り出したように零れ落ちた。
アニスはその言葉を聞く資格は自分には無いと思った。こんなに純粋で綺麗で真っ白な言葉をアニスは聞いたことが無かった。きっとそれはルークが純粋で綺麗で真っ白だからなのだ。アニスは生きるために嘘を覚えて人を欺く言葉を吐き続けてきた。しかしそれはアニスが生きるために必要な事だった。世の中に生きている人々は少なからずアニスのように汚れている。そうしなければ生きていけないからだ。人間とはこうも汚い生き物なのかと、アニスはとうの昔に絶望していた。
だけど、この目の前で笑っている少年は、汚れたその時に死んでしまうのだろう。アニスは何故だか確信した。


「……私ってもしかして、あてられてる?」
「あて?何だそれ」
「なーんでもない!でもルーク、それってやっぱり「好き」と同じ事だと思うよ」
「そうかな」
「そうだよ」


「好き」にも種類があるんだけどね、とアニスは心の中で呟いた。何の疑いもなくなるほどとルークは頷いてみせる。アニスは不意に口を噤んだ。
ルークは嘘もまともに吐けない、生きるのにひどく不器用な生き物だ。人から放たれる嘘や悪意にいつの間にかその身が染まり、目の前で他愛も無い話をしている最中にもふっと消えてなくなってしまうかもしれない。アニスの頭の中に、影の無い笑みを浮かべて儚く消えてしまった大切な人(大切だった人)が思い浮かぶ。あの人も純粋で綺麗で真っ白な人だった。ルークとあの人は同じ生き物だ。アニスはすごく怖くなった。


「ルーク」
「ん?」
「ルークはいきなり消えたりしないでね」


とっさにアニスの握ったルークの指がぴくりと動いた。俯いていたアニスにはその時のルークの表情を見ることが出来なかった。やがて、アニスの頭の上に暖かくて優しい手のひらが乗せられる。


「……俺は消えないよ」


嘘つき。アニスは何かを耐えるようにぎゅっと目を瞑った。見えないが、ルークは今笑っているだろう。あの人が消える手前に浮かべたような、とても綺麗な笑顔で。


下手な嘘をついてしまったルークは、私を置いてルークの「大切」な人の所へ還ってしまうのだ。


アニスは叫びたい衝動を必死にこらえた。今これを叫んでしまえば、ルークは今すぐにでも消えてしまうと思ったのだ。だから心配そうに顔を覗き込んできたルークに、アニスは精一杯力を込めて笑ってみせる。ルークも笑い返してきた。その笑顔はやっぱりあの人と重なって、アニスは泣きたくなった。

私は、消える寸前の人が浮かべる笑顔を、知ってしまったのだ。





   どうか笑わないで

06/11/10