「ユーリ!エステルとの間に隠し子がいて、間男のフレンとどちらが本当の父親か争っているっていう噂は本当なの?!」
「まだその噂進化してやがるのか」


顔を合わせたそうそうカロルが飛びついてきたので、俺は思わず明後日の方向へ顔を背けていた。色々とやばそうで途方も無い噂だな、それは。とりあえずその噂を信じていいのかいけないのか迷っているらしいカロルの肩に手を置いて、落ち着かせてやる。


「お前はその噂を本当だと思うか?」
「いや、無いとは思うけど、万が一そうだったら大変だと思って……」
「万が一なんて絶対に無いから安心しろ」
「そ、そうだよね、いやあ分かってたんだけどさ、ユーリの事信じてるし!」


軽く汗をかきながら笑うカロル。少し疑っていたらしい。まああっさり誤解はとけたんで追求しないでおくか。落ち着きを取り戻したカロルは、すぐに俺の隣にひっついているルークの存在に気づいたようだ。


「あれ、その子誰?もしかして噂の子どもって、その子……?」
「おそらくな。本当はまあ、簡単に言えばただの迷子だ。俺が今面倒見ているんだよ」
「そ、そうなんだ。そんなに大きな子なのにそんな変な噂立っちゃったんだ……」


まったくだ、噂というものは恐ろしい。俺がいくつの時の子だってんだよ。ルークは自分がそんな噂の張本人になっているなんて思いもせずにポカンと突っ立っている。ん?一体ルークは何を見ているんだ。ルークの視線を追ってみると、そこにいたのはカロルの後ろに立っていたジュディだった。
口を開けたまま呆けていたルークは、そのまま呟くように一言。


「め……メロン以上……」


おい、今どこを見ていった、どこを。そんな何かに驚くルークの視線を一身に受けている当本人のジュディはといえば、同じようにルークを興味深げに眺めていた。……その視線に良い予感はしねえな。
俺が見ている事に気づいたんだろう、顔を上げたジュディが、俺を見て言った。


「大体15歳ぐらいの時の子かしら?」
「いやいや計算すんなよ、俺の話聞いてただろう」
「ええっそんなに若くても子ども作れるの?!」
「カロルも真に受けんなって、ったく。ほら、さっさと行くぞ」


このままここにいたら噂をさらにレベルアップさせてしまう。俺はカロルの頭を軽く叩いてから、ルークを引っ張って歩きだした。今日は久しぶりにギルドとして活動する日だった。ルークを一人にしておく訳にはいかないから連れてきたが、まあカロルにでも任せておけばいいか。


「ねえねえ君何て名前?僕はカロル」
「おっおれ、ルーク」
「ルークか、よろしく!こんなに綺麗な真っ赤な髪ってこの辺じゃ珍しいね」


よしよしさっそく話してるな。少し引き気味だがルークも歳が近いからすぐに慣れるだろう。いざとなればラピードもいるしな。
一人ホッとしている俺の横に並んできたジュディが、隣もちびっ子たちに聞こえないようにこっそりと話しかけてくる。


「ところで最近夜に眠れていないのかしら」
「……何の事だ?」
「目の下、少しくまが出来て端正な顔が台無しよ。あの子も、ね」


ちょいと指を差されてしまえば、俺は肩を竦めるしかなかった。そんなに分かりやすかったかねえ、ルークはともかく俺はまだマシな顔をしているつもりだったんだが。


「なあに、どうってことねえよ。俺はただの付き合いで夜更かししてるだけだからな」
「あの子そんなに夜更かしするようには見えないけれど」
「あー、そうだな、寝るのは早いんだがな」


あの小さい体で一日中俺やラピードの後をついてくるもんだから、ルークは夜眠るのは早い。だが、その後が長いんだ。


「あいつ、夢見が悪いんだ。最悪にな」


拾ってきた当初は平和そうに寝ていたんだ。それが毎晩のようにうなされる様になったのは、この生活にも慣れてきた最近の事だ。俺の言葉に、ジュディは軽く目を見開いて驚く。


「あんなに小さいのに、一体どんな夢を見ているのかしら?」
「それが分かれば苦労しないんだけどな」
「そう……あの子も色んな体験をしてきたのかもしれないわね」


ルークが迷子で、素性が分からないという事情を知っているジュディがその目に憐みを乗せてルークを見る。ルークはカロルと何事かを話しながら、時折笑顔を見せていた。昼間は何でもない顔してるんだけどな。夜、どれだけうなされようとも。
ふと、ジュディが俺の横を通り過ぎてカロルとルークの元へと歩いて行った。


「ずるいわカロル、新入りさんを一人占めするなんて」
「べっ別に一人占めしてた訳じゃないよ!って、新入り?」
「だって今日は一緒にお仕事するんだから、そうでしょう?」


ジュディに微笑みかけられたルークは、頬を赤らめてアタフタしている。同等に扱われた事が嬉しかったのか、綺麗なおねーさんに微笑まれて照れたのか。……両方か。


「ゆ、ユーリぃ」
「あら、私たちじゃだめ?やっぱりユーリがいいのね」
「何だかんだ言ってユーリは頼りになるもんね」
「はははー随分な言い草じゃねえかカロル先生。ま、こいつら害だけはないから大丈夫だからな、ルーク」


対応に困って俺を振り返ってくるその顔に安心させるように笑い返してやれば、ルークもどこか肩の力を抜くような笑みを見せた。頼りになる、ねえ。これは、俺が頼りにされている証拠って思っても良いのかね。
悪夢にうなされる子ども一人、救ってやれねえ無力な男だっていうのに。




「……ぃ」


町の全てが寝静っているはずのこの時間、暗闇の向こうから微かに呟くような小さな声が耳に届いてきた。ああ、やっぱり駄目か。今日ギルドの活動に連れていったのは、気分転換で少しでも夢に見る事を忘れられれば良いという思いもこもっていたんだが、失敗に終わったようだ。
静かに身を起こし、闇に慣れた目で隣を見れば、僅かな月明かりに照らされた子どもの横顔が見えた。そこには安らかな寝顔とは程遠い、悲愴な表情が浮かんでいる。
二人で眠る狭いベッドの上で(やっぱり早く女将に許可貰ってベッドを買い替えよう)ぎゅうぎゅうに身を縮こまらせて、ルークはうなされていた。


「……さい」


掌を握り締めて何かをしきりに呟くルークの目じりには、薄く涙が浮かんでいる。こんなに酷いうなされ方を俺は他に見た事が無い。一体どれほどの夢を見ているというのか。今目の前にものすごく胡散臭い生き物が現れて、人の夢を覗き見れる能力をくれると言われれば、俺は怪しむ間もなくくれと言ってしまうかもしれない。
ルークは一体、夢の中で何をみているのだろうか。


「ごめ……さい」


どんなに激しくうなされようとも、次の日は何もなかったような顔でおはようと言ってくるルーク。その態度がこれ以上踏み込むなと言ってきているようで、俺は今まであえて触れてこなかった。まさかこんなに毎日続くとは思ってなかったしな。
だがそれは最早言い訳だ。俺がもっと早く踏み込んでやっていれば、救い上げてやる事も出来たかもしれない。……今からでも、遅くは無いはずだ。
とにかく起こしてやろうと伸ばされた俺の手は、途中で動きを止めていた。ルークの呟きを、はっきりと聞き取ったからだ。聞き取ってしまったからだった。


「ごめんなさい……」


ごめんなさい。ルークは確かにそう言っている。小さな身体を震わせ、涙を零しながらひたすらそればかりを繰り返している。一体、何なんだ。一体ルークは誰に、何に謝っているんだ。何故謝らなければならないんだ。こんな、毎晩うなされながら謝らなければならないような何かを、こんな子どもが犯したっていうのかよ。
ぐっと一度拳を握り耐えた後、俺は今度こそルークの肩に触れた。何故だか酷く冷たく感じた。


「……ルーク」
「ごめ、なさ……」
「ルーク」


少し強めに肩を揺さぶれば、涙を湛えた新緑の瞳が静かに開かれる。しばらく宙をさまよっていた視線はやがて覆いかぶさる様に覗く俺へと向けられた。


「ゆーり?」
「……酷い汗だ、寒くねえか?」


額に張り付く髪を払ってやれば、ゆっくりと状況を把握したルークがどこか怯える様に俺を見た。自分がどれだけうなされていたのか多少自覚はあるらしい。それを俺に知られる事を恐れているのか。俺が気付いている事何て、とっくの昔に知っているはずなのに。
この場から逃げたそうに身じろぎするルークを、そのまま見逃すような優しい俺ではない。抵抗する間も与えない勢いで容赦なく一回り以上小さい身体を掬い上げ、両手でがっちりと抱きしめてやった。おお、固まってる固まってる。


「なあルーク」
「?!……?!」
「あったかい思いをしていると、嫌な夢なんて見なくなるかもしれないぞ?」


夢、という単語にルークがびくりと反応する。何にそんなに怯えているのか俺には分からない。それでも、暗がりで怯える子どもを少しでも慰める事ぐらいは出来るはずだ。俺はなるべくやさしく、その背中を擦ってやった。この身体の中から暗い冷たい夢がどこかへ飛んでいってしまうように。


「別に、夢を見ることは恥ずかしい事じゃない。その夢にうなされているのを見れば、良い夢を見られるように助けたいと思う。別におかしい事じゃないだろ」
「……でも、おれ……」
「いいんだ。さあ、とっとと寝ろ。こうしててやるから」


しばらくそうしていると、強張っていたルークの身体から少しずつ力が抜けていった。……よかった、この調子なら、今夜は穏やかに眠れるかもしれない。
うとうとし始めたルークが、完全に眠ってしまう前に俺を見上げてきた。赤く染まった目元がどこか痛々しい。それでもルークは、微かに笑ってみせた。


「ユーリ」
「ん?」
「ありがとう」


そう言った途端、かくんと俯いてしまったルークは、そのまま健やかな寝息を立て始めた。眠気も限界だったか、まあ最近まともに眠れていなかったから当たり前か。
とんとんと一定のリズムでその背中を叩いてやりながら、赤い頭を見つめる。俺にはきっと、ルークを悪夢から完全に救ってやる事は出来ない。俺はルークの事を何も知らないからだ。手助けしてやる事は出来ても、それ以上の事はきっと出来ないだろう。

それでも。それでもルークがここへ、おそらく途方も無く遠い世界から俺の元へ辿り着いた事。ルークが今ここで、縋りつくように俺にしがみついている事。その表情が悪夢にうなされる事無く穏やかに眠っている事。その全てに、意味があればと思う。
ルークが俺を選び、俺がルークの手を取り、共にこうして傍にいる事が、ルークにとって意味のある事であればいい。この小さな赤毛の子どもと共に暮らす毎日が存外気に入っている俺のように。どこかでルークの救いになってくれていれば。

少し明るくなってきた窓の外を眺めながら、漠然とそんな事を考えていた。腕の中の温かなぬくもりに、俺自身もどこかで救われている事を自覚しながら。





   深淵に光る明星 5


10/06/19