「ユーリ!ユーリに実は隠し子がいて間男のフレンとこっそり隠れ育てているという噂は本当なのですか!」
「これまたとんでもない噂が飛び出てきたもんだな」


よくもまあそんな突拍子も無い噂が出来上がったもんだ。しかもそれを信じてこうやって人んちに乗り込んでくる天然お姫様も実在したとは。……いや、それは元から知ってたか。慣れているせいで呑気に構える俺とラピードだったが、初めて体験するルークはキョトンと出入り口に立つお姫様、エステルを見つめている。自分が隠し子扱いになっているなんて気付いていないようだ。


「町で偶然そういう話を聞いたのです、フレンに聞いても話をはぐらかすばかりで」
「あいつ、わざとだな……。隠し子がいるなんて、んな訳無いだろ」
「まあ、この子が噂の隠し子ですか?!」
「話を聞けって」


ルークの存在に気付いたエステルが恐る恐る近づく。何でそんなにおっかなびっくりなんだ。驚きに固まるルークをじっと見つめながら、エステルは首をかしげた。


「ユーリとはあまり似ていませんね」
「まあ血が繋がってないから、当たり前だな」
「と言う事は、実は間男はユーリでフレンの隠し子ですか!?あっでもフレンともあまり似ていないですね……」
「俺もフレンも隠し子なんていないし、間男でも無いんだよ。少し落ち着け」


頭を軽くはたいてやれば、エステルが混乱した様子で俺とルークの顔を交互に見つめてくる。訳も分からず見知らぬ女の人に見つめられたルークもまだ固まったままだ。まあそりゃ驚くよな。


「ルーク、こいつはエステル。別に害はないから安心しろ」
「まあ私ったら挨拶もせずに……!すみませんでした、よろしくお願いしますね」
「えす、てる?」
「はい、本当はエステリーゼと言うのですが、エステルと呼んでください。あなたのお名前は?」


ぎゅっと握手をしてくるエステルに戸惑う様子のルークだったが、逃げようとはしなかった。大分人馴れしてきたかな。エステル自体が人懐っこい方だし、これなら安心だな。しばらくあっちこっちに視線を彷徨わせていたルークも、にこにこ笑顔のエステルに見つめられてようやく決心をしたらしい、もごもごと口を開いた。


「るーく」
「ルークですね。よろしくお願いします、ルーク」


握手する手をエステルが軽く振ってみせれば、ルークはこくりと頷く。フレンもエステルも手懐ける術に長けているな、羨ましい限りだ。ひとまず挨拶を済ませたエステルは、改めて俺に向き直ってきた。


「それで、一体この子は誰の隠し子なんですか?!」
「だから隠し子じゃねえって。ただの迷子だよ」
「そ、そうなんです?ごめんなさい、私てっきり……って、迷子でも大変じゃないですか!」


キョトンとしたりお辞儀したり慌てだしたり、忙しい事で。俺はこれ以上エステルを混乱させないように肩を叩き、とりあえずそこにあった椅子に座らせることにした。


「まあまあ。迷子の件はフレンにも任せているから安心しろって。とにかく落ち着け」
「フレン……そうですか、それなら大丈夫ですね」


フレンの名前が出たからか、腰を下ろしたからか、やっとエステルは落ち着いたようだ。やれやれ。ルークは隣に座るエステルにまだ驚きの表情を向けているが、まあしばらくすれば慣れるだろう。この場が静まった事を確認して、俺はさっそく先ほどから続けていた作業に戻ることにした。


「……ユーリは今何をしていた所です?」
「見て分からねえか」
「料理、ですね」


髪をひとつに束ね、左手に包丁、右手に卵、体にエプロンをつけた俺の姿を見て、エステルは納得した。ちなみにこのエプロンは女将さん手作りのラピード型ワッペンがついたものだ。さすがにこれを着て出歩けはしないが、家の中で使うには重宝している。その時タイミング良くエステルの隣から、ぐうという腹の音が鳴り響いた。腹を押さえたルークの顔が赤くなる。


「そこにいる真っ赤っかの奴が、腹減ったようなんでね」
「そうだったんですか。大丈夫ですよルーク、ユーリの料理はとても美味しいですから」
「ついでにお前も食べていくか?」
「いいんですか?ユーリの手料理を食べるのは久しぶりです!」


エステルの嬉しそうな顔、お前普段から良いもん食ってるだろうに、そんなに下町味付けな俺の料理が舌に馴染むのかね。楽しそうなエステルを戸惑うルークに任せて(普通は逆か?)ラピードに見守りを頼んで俺は料理を再開させた。せっかくなんだ、ルークには美味いもん作ってやって、たらふく食わせてやりたい。

程なくして、料理は出来上がった。お子様に大人気ともっぱら評判のオムライスだ。カロル先生ほど上手くは無いが、ケチャップで名前も書いてやる。食べてくれるかと少し心配だったが、オムライスを目の前にしたルークの瞳は確実に輝いていた。大丈夫みたいだ。エステルはルーク以上に嬉しそうだが。


「名前入りです!良かったですねルーク、ありがとうございますユーリ!」
「そんなに喜ばれる事した覚えは無いんだけどな。まあ食えよ」
「はい!いただきます」
「……いただきます」


エステルに習ってルークも手を合わせてから、スプーンを手に取った。崩すのがもったいないですと言いながらそっとオムライスを掬い取って、まずはエステルが一口。


「美味しい!やっぱりユーリの料理はとても美味しいです」
「そりゃどうも」


笑顔のエステルにほっとしてから、ルークを見る。ルークはまだオムライスを口に入れてはいなかった。名前を消すのがもったいないとかそういうエステル的な理由ではなく、スプーンが上手く握れずにオムライスを掬うことが出来ないらしい。必死な顔で頑張ってはいるが、手が上手く動いていないな。何だ何だ、スプーンを持つのは初めてなんて言うんじゃないだろうな。


「ルーク、どうした」
「な、なんでもな……くうーっ!」
「仕方がねえな」


癇癪を起こす寸前な様子のルークにため息をついて、その手からスプーンを奪い取った。首をかしげるルークの目の前からオムライスも拾い上げ、こっちに来いと手招きする。ルークはしぶしぶと俺の目の前に座った。


「自分で食えないならさっさと言えよな。ほら、あーん」
「うえっ?!」
「何だその顔は」


オムライスを掬ったスプーンを目の前に持ってきてやれば、ルークは驚愕の表情で俺を見た。何も変な事はしていない自覚はあるんだが、この反応は何だ。自分で食えないなら、他の奴に食べさせてもらうしかないだろうに。この期に及んで恥ずかしいなどと言う気かこいつは。


「固まってないでさっさと口を開ける」
「で、でも……」
「腹減ってんだろ?」
「……あう」


俺の一言にルークはがっくりとうなだれた。つまらない意地も張れないぐらい腹が減っているらしい。ガキのくせに素直じゃないのな、ルークは。しかし空腹には勝てないようで、おとなしく口を開けてきた。その中にオムライスを乗せたスプーンを放り込んでやる。


「どうだ」
「……!ん、うまい」
「そうか」


深く頷いたルークの表情が綻んで見えたので、おそらく嘘ではないだろう。本当に美味いと思ってくれているようだ。よかったよかった。空きまくった腹は一口では到底満足しないだろうから、俺はすぐにオムライス二口目を用意する。すると思ったとおりルークが躊躇いながらもおずおずと口を開けてきたので、再びスプーンを差し出す。ぱくりとかぶりつく時のルークの表情がこの上ない喜びに満ちているように見えて、何故だか楽しくなってきた。餌付けするってのは、こういう事を言うのかねえ。俺は自分で思っていたより子供好きなのかもしれない。

次々と口を開けるルークへオムライスを食わせれば、やがて皿の上からオムライスが消えた。完食出来たようだ。


「はいおしまい」
「ごちそうさまでした!」
「おそまつさまでしたっと」


ルークの声が心なしか元気になったように聞こえる。それに満足しながら、皿を片付けようと立ち上がった俺の目の前に飛び込んできたのは、どこか悦に入ったような笑みを浮かべながらこちらを見つめるエステルの姿だった。やばい、今の今までエステルの存在を忘れていた。しかし怒っている訳でもなく、怪しい笑顔を浮かべているのは何故だ。


「え、エステル?一体、どうした」
「素晴らしいです……今の光景!愛満ち溢れる美しい姿でした!まるで親鳥と雛鳥の親愛なる餌付けのようなっ!」
「えづけ?!」


他者の目にもやはりあれは餌付けに見えたのか。一人ルークが抗議の声を上げるが、エステルには聞こえていないようだ。俺には見えないどこか遠いところを見つめている。


「ああっ私、インスピレーションがぐんぐん沸いてきました!ありがとうございますユーリ、ルーク!私ちょっと行ってきます!」
「どこへー?!」


颯爽と去っていくエステルの背中にルークが手を伸ばす。届かない届かない。エステルは今、新皇帝の隣で政治に携わりながらも、自らの夢である絵本作家になるべく頑張っている所だ。おそらくその絵本になりそうなネタが思い浮かんだ、のだと思う。具体的にどんなネタだったのか聞けず仕舞だが。しかしあの様子じゃ、ここに来た当初の目的なんぞすっかり忘れ去っているな。


「きれいだけど……かわった人だな」


椅子の上に座り込みながら、いささか呆然としつつルークが感想を述べた。的を得た感想だと思った。


後日、一匹の黒い鳥が美しい緋色の小鳥を拾い育てるという血は繋がっていないながらも愛溢れる子育ての様子を描いた絵本が売り出され、爆発的なヒットを生み出すことを、俺たちはまだ知る由も無い。





   深淵に光る明星3

08/11/16