普段はめったに何かを拾ってくるなんて事の無いラピードが、珍しいものを拾ってきた。ただ口にくわえて持ってこれるような小さなものでは無く、わざわざその首にしがみつかせて俺の元へと持ってきた。……いや、ただラピードがその首にしがみついているものに捕まっただけかもしれないんだけどな。しかし俺を見るその目は別に助けを求めている感じではなく、拾ってきてやったぞ的な視線に思えたので、おそらく自主的に持ってきたのだろう。何てったってラピードだ、素性の知れぬ涙目の子どもが落ちていれば、親切に拾ってやるぐらいの事はするだろう。
そう、子どもだ。ラピードが拾ってきた落し物は、7歳ぐらいの子どもだった。もう二度と捨てられまいと言わんばかりに必死な様子でラピードの首の所にしがみついている。あれはちょっと、苦しそうだ。ラピードが少し気の毒になった。


「ぶたざる!」


しかもその子どもはラピードの事をそんな言葉で呼んでいる。「ぶたざる」は無いだろう、お前。仮にもラピードは犬だぞ。100歩譲ってポチやハチならまだしも、「ぶたざる」とは。ブタとサルが融合したような動物が存在するのだとしたら、お目にかかりたいものだ。うちのカロル先生に負けず劣らずのネーミングセンスだな。
それよりさすがに力いっぱいしがみつかれているラピードがいい加減苦しそうだ。とりあえずその手を離してもらわなきゃな。


「ぶたざるー!」
「あーはいはいぶたざるなのは分かったから、そいつをそろそろ放してやってくれないか。そのまま締め付け続けたらさすがに死んじまう」
「……っ!」


俺が手を伸ばすと、子どもは怯えた目で精一杯遠ざかろうとする。もちろんラピードは放さないままだ。参ったな。確かに俺は初対面で子どもに好かれそうな温和そうな面はしていないからな(何故か綺麗だなんて身の毛のよだつようなことは言われるが)。しかしそれにしても、この怯えようは過剰のように思える。おそらく迷子だとは思うが……。
そこで俺は、この子どもに見覚えがまったく無い事に気がついた。少なくとも下町の子どもでは無いな。だとすれば市民街から迷い込んだか。それとも結構身なりが良いから貴族の子どもかもしれない。
いや、どちらにしてもこんなに鮮やかな真っ赤な髪、今まで見た事が無いぞ。何なんだこの子どもは。


「なあ、それじゃあせめて力緩めてやってくれ。そんでお前の名前だけでも聞かせてくれないか」
「………」
「俺はユーリ。そっちはラピード。間違ってもぶたざるなんて珍妙な名前じゃないんで、よろしく」
「ユーリ……ラピード……?」


しゃがみこんで視線を合わせた俺の発した名を噛み締めるように呟いた後、子どもはラピードのどこか迷惑そうな顔を見つめた。しばらく全身を眺め回して、落胆のため息をこぼす。


「ぶたざるじゃ、ない……」


ようやく分かってくれたか。落胆ついでにようやく力も緩んだようで、ラピードがあからさまにホッとした表情になった。しかしそういう事はつまり、ぶたざるという生き物は他に実在するという事か。どんな姿形なのか少し興味があるな……いやいや、今はそんな事考えている場合じゃない。


「お前の名前は?」
「な、まえ?」
「そう、お前の名前」


俺の問いに子どもは戸惑いの表情を見せた。どこか躊躇っている様子だ。名前を簡単に口に出来ない理由でもあるのか。


「何もしないから言ってみろって。な?」
「……る……」
「ん?」
「るーく」


ようやく子どもが名前を教えてくれた。それにしても7歳ならもうちょっと呂律が回ってそうなものだが。ま、今そんな事を考えても仕方がないか。


「そうか、ルークか。よろしくな」
「………」


俺の言葉にルークがこくりと頷く。お、一歩前進か?そのままの勢いでせめてラピードを放してくれないもんかね。ふさふさで抱き心地が良いのは分かるが。
そういえばルークは何故涙目になっていたのだろうか。やっぱり迷子で、心細い思いで町の中をさまよっていて、そこに現れた救世主ラピードを手放す事が出来ない、と。そういった所か。さて、どうしたもんかね。


「なあルーク。お前は一体どこから来たんだ?何なら俺とラピードが家まで送っていってやるけど」
「……いえ……」


ルークの俺を見る緑の瞳から少しずつ警戒心が取れていた所だったのに、一気にその顔色が絶望に染まっていって内心焦った。何だ、俺は今禁句を言ったのか?ラピードが何泣かしてんだと言いたげに責める様な目で俺を睨む。そう思うなら代わってくれ。
俺が何と言ってフォローしようか考えあぐねているうちに、一瞬のうちに暗い表情となったルークがぽつりと小さな言葉を零した。その俯いた顔がまるで7歳児とは思えない表情に見えた。


「いえは、ない」
「無い?」
「おれのいえは……ない。どこにも」


再びラピードを抱きしめる手にわずかに力が篭ったようだったが、今度はラピードも迷惑そうな様子を見せずに静かに受け止めていた。家は無い、ね……どうやら訳有りのようだな。しかし子供らしからぬ表情だ。一体今までどんな目に合えば子供のうちからそんな絶望に染まった表情を出せるんだよ。親は一体どこだ。子供のうちは誰だって、大口開けて笑っているべきだろ。
……そういえば、ルークの笑った顔を、まだ見ていないな。

そう考え出したらもう駄目だった。俺の手は知らず知らず、触れるだけで温かそうな真っ赤な頭に伸びていた。


「!!」
「おっと逃げるなよ。ただお前の頭を撫でるだけだ、撫でるだけ」


言い聞かせるように顔を覗き込みながら、恐怖を与えないようになるだけ優しく撫でてやる。最初は目を見開いて逃れようとしたルークだったが、意外と心地よかったのか、それともあまりの恐怖のせいなのか、じっと動かなくなった。お、意外と撫で心地が良いな。
そのまま思う存分撫でまくった後、ラピードにしがみつく腕の力が大分弱まっている事を確認しつつ、ルークを見た。頭に俺の手を乗せたまま、ルークは俯いている。そのせいで表情は見えなかったが、俺はゆっくりと語りかけた。


「なあルーク。お前ずっとラピードにしがみついてるけど、疲れないか?」
「………」
「何なら、俺の家で一休みしないか?ま、家と言っても間借りしている宿屋の狭い一室だけどな」
「え……?!」


ルークが信じられないものを見るような目で俺を見てきた。仕方がないだろ。俺もどこぞのお姫様と同じ重度のほっとけない病なんだ。こんなちっこい体なら、あの狭い部屋にも収まるだろう。いずれはこいつの居場所にちゃんと帰してやるか、見つけてやらなきゃならないだろうが。今のところは、な。
立ち上がって左手を差し出してやれば、とっさに左手を出そうとして、やっぱり躊躇う視線を寄越す。あっ、あのとっさの動き、もしかしてこいつも左利きか?奇遇だな。


「いいの、か?」
「誘っているのは俺だぞ」
「……!」
「さあ、どうする?ああどっかにしがみついてなきゃ嫌って言うなら、俺の腰にでもしがみついとけ。さすがにラピードも疲れて……ぐっ」


俺の言葉は突然腹に襲ってきた衝撃で途切れてしまった。腰の辺りをぎゅうぎゅう締め付けてくる、二本の腕。ああ、この強さで締め付けられていたのなら、ラピードはもうすっかりお疲れだろう。これからは俺がしばらく耐えなければならない息苦しさだがな。
そんな苦しさは、些細なものだ。この必死にしがみついてくる、かすかに震える小さな子どもの前では。ラピードがやれやれといった様子で歩き出したのを見て、その頭にそっと手を添えながら俺も足を踏み出した。


「行くぞ、ルーク」
「……んっ」


こくりと頷く頭を見下ろして、家へと向かう。こんな子どもにこんな表情をさせた奴をどう料理してやろうか、少々物騒な事を考えながら。





   深淵に光る明星

08/10/20