それは、今は空の上で同位体同士で仲良く暮らすルークとアッシュが、オールドラントを救いローレライによって音譜帯に連れてこられてまもなくの頃であった。ようやく念願の音譜帯にのぼってこれたのと自らの赤毛の同位体を二人も手に入れられたのとではしゃぎまくっていたローレライは。
只今音譜帯の上に立てたばっかりの新築の我が家で、正座の真っ最中だった。


「正座とは……何故こうも足がむずむずとするものなのだろうか」


普段ははっきりとした実体の無いローレライも、音譜帯に上がってきてからはルークとアッシュに合わせて人の姿となっていた。もちろん髪はお揃いの赤毛。ちょっぴり優越感を味わいたいから背は高めで。そんな人型ローレライ、人生初の正座であった。足が痺れるという大変奇妙な感触は今すぐ空中分解して逃げ出したくなるぐらいのもので、しかしローレライはこの場から立ち上がることが出来ない。何故なら、立ち上がるなという命令を受けているからだ。彼(と言っても意識集合体には明確な性別は無いのだが)の可愛い可愛い同位体である二人に。


「おーいローレライ、頑張ってるかー?」


何も敷かれていない硬い廊下の隅っこで正座をし続けるローレライの元へ、その片割れが呑気にとことことやってきた。ローレライはこれ幸いとばかりに救いの眼差しを送ってみる。


「ルーク……!」
「あのな、ローレライが頑張ってるか見て来いって、アッシュが」
「もちろん頑張っているとも、この通り。足痺れさせながら」


必死で指し示すローレライにふーんと呟いてみせたルークは、おもむろにローレライの隣に移動してきた。かと思えば、まさに痺れて感覚が無くなってきた足に自らの足でチョンチョンと触れてきたのだ。ローレライは一瞬のうちにこの世の地獄を味わうこととなった。一瞬意識が遠のく。


「な、ななななっ何だこれはっ!」
「おー本当だ、痺れてら」
「一体何の譜術を使ったんだルーク、この痺れた感じは……第三音素か」
「違う違う、足が痺れてるだけだろそれ」


思わず足を崩してオタオタするローレライに比較的普通につっこんだルークは、すぐに踵を返して廊下の向こうへと駆けていってしまった。何事かと驚いたローレライの耳に、ルークの無慈悲な声が聞こえてくる。


「アッシュー!ローレライが正座崩したー!」
「る、ルーク!それはあんまりだ!」


自分で崩させておいて即刻通報だなんてひどすぎる。しかし別にいじわるでやっているのではなくて、おそらくアッシュに「正座をしていなかったら知らせろ」とか言われていたからこその素直な反応だったのだろう。そう理解しているから、ローレライはルークに怒れなかった。例えどんなひどい事をされても、己のたった二人の同位体にベタ惚れなローレライは怒れないだろうが。
それよりも大変なことになってしまった。慌てて正座するがもう遅い。顔を上げられずに俯きながらぶるぶる震えていれば、ズン、ズンと恐怖の足音が近づいてきた。そうして目の端に恐怖の主の足と、流れるような赤い長髪がさらりと見える。やっぱりルークも長い髪のままでも良かったのになあと今は短い朱色の髪を無意識に思い出していれば、目の前に足が振り下ろされた。


「俺が目の前にいるのに呑気に別の事考えてる余裕があるようだなあ、ああ?」


口調が地上にいる裏の世界で活躍するちょっぴりワルな人のそれであった。本人の目つきの悪さも相俟ってかなり怖い。そっと顔を上げてローレライはすぐに後悔した。圧倒的な威圧感を持って見下ろしてくるアッシュの後ろでは、そっとルークがこちらの様子を伺っているようだった。彼も怒るアッシュが怖いのかもしれない。


「どうやら反省が足りないみてえだな、ローレライ」
「そ、そんな事無い、きちんと反省しているとも」
「ほう?」


必死に言い募るローレライに目を細めたアッシュは、何か思いついたらしい。また痺れ始めた足をもてあますローレライに「立て」と言った。


「た、立っていいのか?」
「ああ、立て。そしてこれを持て」


ずいと差し出されたのは、バケツだった。いつの間に用意したのか、水が並々と注がれた実に重そうなバケツだ。思わず受け取ったそれはやっぱり重い。長く正座をしていたせいでふらふらの足元で必死に立ち上がるローレライに、アッシュはそれを二つ差し出してきた。かなり重い。


「うっ……!」
「どうした?万能な完全同位体にはこんなもの、朝飯前だろう」
「い、今はこの姿だから並の人間程度の力しか無くて」
「口答えすんじゃねえ!」
「あ、アッシュー、もうその辺にしてやったらどうだ?」


バケツを両手に持ってよたよたしているローレライに一喝するアッシュ。そのちょっと離れた後ろの方からようやくルークが待ったの声をかけた。しかしアッシュにキッと睨み返されてビクついてしまう。アッシュが自分に怒っている訳ではないと分かっていても反射的に肩をすくめてしまうらしい。今まで怒鳴られまくられていた者の悲しいサガだ。その反応に若干罰が悪くなったのか、アッシュも視線を逸らしてくれた。しかしよろめくローレライの足をさり気なく自分の足で小突くのはやめない。


「いいや、まだ気がすまねえ」
「でもローレライが可哀想じゃんか。やっと音譜帯に上がれたのに廊下の隅っこにしかいられないなんて」


ルークのあまりの優しい言葉に感動するローレライは、最早足の甲をぐりぐりされても気になっていないようだった。その様子に舌打ちしたアッシュは一旦ローレライの傍を離れて、ルークの元へ向かう。驚くルークを見つめるその眼は、恐ろしいほど真剣だった。


「何が可哀想だ、こいつは今まで地核から頼むだの解放してくれだの押し付けてくるだけで何も役立たなかった屑だぞ。まだまだ足りないぐらいだ」
「いや、でもそれは地核に閉じ込められてたからで……」
「てめえを操ったり鍵を送ったりしたんだ、じっと待つ他にやりようはあったはずだろうが」
「う……」


ルークはまだ髪が長かった頃、船の上でローレライに無理矢理操られた事があったのを思い出した。そういえばそんな事もあった。あの時は初めての超振動をぶっ放させられてひどく混乱したのだった。その後ヴァンに沈めてもらって、その時に確か暗示をかけられて……。
あまり良い思い出ではない。なのでアッシュに何も言い返せなかった。


「挙句の果てには髭に取り込まれて養分になりやがるし邪魔以外の何者でもなかった。こいつはもっと反省すべきだ」
「で、でも、俺たちを二人揃って音譜帯に連れてきてくれたのはローレライだろ?」


それでもアッシュに睨まれて汗を流すローレライが(バケツを両手に持ってふらふらしている情けない姿だったからか)何だか不憫で、ルークは必死にフォローの言葉を探した。大爆発が起こり一人になるはずだった二人を二人として音譜帯に連れてきたのは、確かにローレライだった。アッシュもルークもあのままの状態では生きることすら出来ない所だったのだから、そこは素直にありがたく思わなければならないだろう。アッシュは口をつぐんだ。


「……そうだな。確かにお前との大爆発を回避出来た事には、感謝しなければならねえな」
「アッシュ……」


素直に頷いたアッシュにルークは胸が一杯になった。ここで目を覚ました後、アッシュには大爆発の真実は告げてある。つまりレプリカであるルークがオリジナルであるアッシュに吸収され、消えてしまうという事実だ。これを知りながら大爆発が無くなってよかったと、言ってくれているのだ。屑レプリカなんぞと一緒になってたまるかと本人に問えば答えたかもしれないが、ただ自分を生かす選択をしてくれているアッシュが、ルークは嬉しかったのだ。
二人が向き合って何だか穏やかな空気が漂っているのを、ローレライもホッとしながら見守っていた。正直地上にいる頃のルークとアッシュの仲はとても良いと言えたものではなかったから、こうして当たり前のように隣にいる姿を見ると、本当によかったと思えるのだった。後、もちろんアッシュの怒りが収まってくれた事にも心の底から安堵している。
しかし胸をなでおろすローレライに再び向けられたアッシュの瞳からは、怒りの炎が消えてはいなかった。あれ、と思う間もなく焔色のオーラを纏わせたアッシュはツカツカと歩み寄っていき、


「だがなあ……」
「え?え?」
「俺は音譜帯に連れてこいと頼んだ覚えはねえんだよこの屑集合体!」
「ぐはあっ!」


思いっきり胴体に蹴りを放たれたローレライはたまらず廊下に転がる事となった。ルークが目を丸くしながら見守る中、無残にもバケツが水をぶちまけるのも気にせずにアッシュはローレライをげしげしと蹴りまくる。蹴られるローレライは何とも情けない表情をしていたが、どことなく構って貰える嬉しさが見えるのはずっと一人で地核に閉じこもっていたからだろうか。最後に一蹴りぶちかましてローレライをさらに転がらせたアッシュは、肩で息をしながら踵を返した。そのままずんずん進んでドアから外へと出て行ってしまう。


「何が三人で仲良く音譜帯ライフをエンジョイしようだ!付き合ってられるか!俺たちは絶対に地上へ帰ってみせるからな!」


バタンとすごい音を立てて閉まるドアを見つめるローレライは、しくしく泣き出してしまった。だがおそらく嘘泣きだ。近頃の意識集合体は泣き真似まで覚えているのかと若干ずれた方向に関心したルークは、その肩をぽんと軽く叩いてやる。


「ローレライ、アッシュだって感謝はしてると思うぜ?ただそれ以上に混乱して今は怒る事しか出来ないんだよ」
「そうだろうか……」
「そうだって。そりゃ俺だって必要ない場面で操ってきたり分かりにくい方法で鍵飛ばしてきたりうぜえ頭痛い電波飛ばしてくるだけで何も役に立つ事なかった癖にしゃべり方だけは無駄に偉そうなローレライにむかついた事はあったけどさ」
「うっ」


無邪気な分ルークの言葉は胸に突き刺さった。しょげるローレライに、それでもルークは笑いかける。


「俺がここにいるのは、ローレライのおかげだもんな。それだけは、本当に感謝してる」
「ルーク」
「だって俺……本当は消えてしまうはずだったんだもんな」


目を伏せるルークに、自然とローレライは手を伸ばしていた。確か、人を慰める時はこうするのだと、誰かに教わった気がする。ユリアだっただろうか。なるだけゆっくり、やさしくルークの頭を撫でてやれば、驚いた表情だったルークも目を細めて笑ってくれた。思わずローレライも、微笑んでいた。


「じゃ、俺アッシュ連れ戻してくるから、それまでローレライはバケツ持って廊下に立っててな」
「えっ」


しかしその微笑みも、いつの間にか再び水が並々と注がれたバケツを手ににっこりと笑うルークに凍り付いてしまった。


「ま、まだそれを持たねばならないのか」
「アッシュやめるなとはまだ言ってねーし。ま、すぐ戻ってくると思うから、待っててくれよ」


じゃあいってきまーすと元気良く外に出て行ったルークを、ローレライは見送るしかなかった。立っていろ、と言われたのだから移動は出来ない。重いため息をつくローレライは、しかしその口元に笑みを浮かべていた。


「大丈夫。まだ時間は、たくさんある」


これから二人との仲を縮めていけば良い。だってたった三人きりの、完全同位体なのだ。仲良くしなければ、もったいないではないか。
ただその溝は、まだちょっとしばらくの間は開いたままとなりそうだったが。
ルークがアッシュを連れて早く帰ってきてくれる事を望みながら。三人で仲良く暮らす音譜帯での生活を思い描くローレライだった。


そうして二人がずいぶんと時間をかけて帰還すれば、力尽きたローレライが水溜りの中へと沈んでいた。
お仕置きは、まだまだ始まったばかりだ。。





   ひとり分の陽だまりに お仕置きの日





08/04/24