この星の未来を知ってしまった彼女はその日、その瞳から涙を流していた。
目の前に存在するある音素の意識集合体は、その姿を黙って見つめていた。


「ユリア、どうして泣いているんだ」


彼(といっても、音素には性別など無いのだが)は人間ではなかったので、人間の考えがいまひとつ分からない所があった。それでも、目の前で涙を流している彼女、ユリアが、未来の全てを見てしまった事によりひどくショックを受けていたことは知っていた。しかしその直後には涙も流さなかった彼女が、何故今泣いているのだろう。


「悲しいの」
「何が悲しい」
「私の見た、星の記憶の中に、1人の子どもが見えたわ」


幾多の人が生きている「星」の記憶なのだから、その中にたくさんの人がいる。ユリアはその中の1人を思って、泣いているようだった。彼はそのおぼろげな体を揺らめかせた。人間的に言うならば、「首をかしげた」感じだ。


「どうしてそれで泣いているんだ」
「その子は、この預言のために生まれて、預言のために死ぬの」


そう言われて見てみれば、彼にも見えた。彼は預言を司る「第七音素」の意識集合体なのだから、当たり前だった。
名前さえその記憶に定められている、聖なる焔の子。
ユリアがそっと顔を伏せてしまったので、彼には彼女の表情が見えなくなってしまった。


「それにその子は……あなたの半身だわ」


彼の体がまた揺らいだ。今度は動揺しているようだった。
王族に生まれる事により赤い髪を持つ事になるだろうその聖なる焔の光は、第七音素の意識集合体である彼、ローレライの力を受け継いでいるというのだ。どうして、どうやって生まれるのかローレライにさえ分からない事であるが、ユリアは顔を上げじっと見つめてきた。


「あなたは例え人に生まれたとしても、1人なのね」


その手がゆっくりとローレライに伸ばされる。音素の集合体でしかない彼には、触れる事はできないけれど。


「それが、とても悲しいの」
「ユリア……」
「あなたが可哀想だわ」


私は、一緒にいてあげることが出来ないから。
再びうつむいてしまう彼女に、彼は伸ばす腕を持ってはいない。ただ立ち尽くすユリアに、ローレライは寄り添うようにそっとその体に触れた。人である彼女は、音素である彼を置いていってしまう。それは2人とも分かっている事だった。


「私は人間ではない。だから感情を持っていないのだ。だから泣くな、ユリア」
「……嘘つき」


ユリアは涙で濡れた瞳を和らげ、ふわりと笑って見せた。


「感情を持っていない人は、泣くな、なんて言わないわ」


あなたは感情を持っている。だからあなたが可哀想。
泣きながら、笑いながらそうやって言うユリアにローレライはどうしていいか分からずに途方にくれた。
感情を知らない彼は、彼女にどうして泣いてほしくないのか、その理由が分からない。
ただ自分を思って泣いてくれているその涙が、美しいとだけ。
そう思っていた。




彼女のあの顔を思い浮かべながら、ローレライは目の前の赤い髪を見つめた。
預言通りに生まれ落ちた聖なる焔の光。しかしそれから10年後、光はもう一度生まれた。預言を覆すために、光は2人となったのだった。ローレライはそれを地核からずっと見ていた。2人が生き、そして死へと向かうその人生を、ずっと見ていた。
ローレライは解放された。彼はもう1人ではない。他の音素たちの待つ音符帯へとようやく飛び立てるときが来たのだった。
その前にここに留まるローレライの目の前で、赤い髪を持つ彼がこちらを見た。人に造られた命。それでもローレライと同じ存在。これから消え逝くその魂。その腕に彼のオリジナルを抱きながら、聖なる焔の光の名を持つ彼は笑った。何かを諦めたような、しかし限りなく優しい笑みだった。ローレライの中にあの時泣きながら笑った彼女の顔が思い浮かぶ。


よかったな。


声にならない声が彼の口から紡がれた。彼は消えかけている。その体を構成する音素が乖離しているのだった。彼の音素は今はまだ硬く目を閉じているもう1人の聖なる焔の光に取り込まれ、そして記憶だけを残して消える。
ローレライには、それは耐え難く悲しいものだと思った。可哀想だと言って泣いたユリアよ。確かに彼は、彼らは可哀想だった。預言に翻弄され、奪われ、失って、それでも世界を救って、そして今1つになろうとしている。2人になった彼らが1人になろうとしている。確かに彼らは2人であったのに。あんなに2人である事を探し、求め、そして認め合ったというのに。

1人は悲しいとユリアは泣いた。
ああそうだ、1人は悲しい。そうだろう、"ルーク"よ。


ローレライは、2人の体を慈しむ様に包み込んだ。音素の流れが途切れる。そうだこれでいい。1人が2人になったのだから、2人で生きるべきなのだ。

私の半身たちよ。どうか幸せに。


2つの光が再び世界に還るのを見送った時、ローレライはその胸に溢れる感情が「喜び」であることにようやく気がついた。

彼はもう、1人ではなかった。





   記憶の中の彼女が笑った

06/07/21