かつて世界は、英雄によって救われた。
人々は帰らない英雄に悲しみ涙し、その栄光を称えた。
数年後、人々は一人帰ってきた英雄に喜び、その生命を称えた。
その英雄の名は、聖なる焔の光、「ルーク」といった。
そうして世界はもう一度、破滅の危機を迎えている。
世界を救ったはずの、赤毛の英雄の手によって。
「やめて!それを動かしたら世界がどうなるか……分かっているでしょう!」
少女の悲痛な声が、地下深くに広がるこの空間に響き渡る。かつては人々の繁栄のために動き、現在は人々を生き永らえさせるために止められた、大昔の叡智の結晶、プラネットストーム。ここはその大きな流れが始まっていた場所、ラジエイトゲートだった。最早プラネットストームを動かす事の無くなった世界、この地に人間が立ち寄る事など無かった、はずだった。
その中心に今一人、揺るがない足で立つ人物がいる。その手に握られた、世界に一つしかない特別な剣は、今や血に濡れている。ここまで来るのにどれほどの妨害があったのかはもう分からない。覚えてもいなかった。男にとってその数字は最早重要なものではなかった。
大事なのはただ一つだけ。今ここにはいない、大切なあの存在だけ。
「プラネットストームを再び動かしたら、また地核が振動してしまう……!今度はもう逃げ場なんてない、全ての命が液状化した大地と共に沈むしかなくなってしまうのよ!」
背後から必死に訴える少女の声に、男が振り返る。
「……それも、致し方無い。プラネットストームを動かす代償ならば」
翡翠色の瞳は、どこまでも本気だった。目の前に広がるパッセージリングの操作盤は、あと少し彼が操作すればたちまち動き出すだろう。全ての準備は整っていた。彼が持ち帰ったローレライの鍵によって、全てが。
「こうするしか方法はねえんだ。音譜帯はこの星を取り囲んで降りてくる事は無い。一番外側に広がった第七音素をこの地に降ろすには、もう一度プラネットストームを動かすしかねえんだよ。その代償にこの星が沈むっていうのなら、」
男は一度目を瞑った。まるで何かを、誰かを思い出すように。
「……それもいい。どのみち、このままのこの世界に価値なんかねえよ……あいつのいない世界なんて」
ぎゅっと握りしめられた拳は震えていた。耐えがたい苦痛と戦っているかのようだった。
「あいつは第七音素に溶けた。ならばきっと、音譜帯にいるに違いない。許さねえ……引きずりおろして、この手にもう一度取り戻すまで、俺は何でもやってやる。どうしてもそれを許さねえってのなら、そんな世界はいらねえ。滅びてしまえばいい!あいつの存在を許さない世界なぞ!」
「……駄目よ、そんな事、「ルーク」……」
「その名で、俺を呼ぶんじゃねえ!」
泣きながら首を振る少女に、世界から「ルーク」と呼ばれた男は一喝する。その時、少女の傍らにただじっと黙って立っていた眼鏡の男が一歩前に出て、男を見据えた。
「……音譜帯にあの子はいない。あなたは分かっているはずです。あの子は……あなたの元に還ったのですから。そうでしょう、「アッシュ」」
「アッシュ」と呼ばれた男は、一瞬呆けた。そうして次第に肩を震わせ、しまいには大声で笑い声を上げる。馬鹿馬鹿しくて仕方がないといった声だった。
「……足りねえよ」
やがてぴたりと笑うのを止めた男は、低い声で呟く。
「あいつの身体と記憶は、確かにここにある。だが、それじゃ足りねえよ……全部だ。あいつの全てを手に入れるんだ……魂、感情、あいつという存在全て俺のものなんだ。一つとして逃さねえ……誰にも渡さねえよ……!誰にも、世界にも、ローレライにも渡さねえ!あいつは、俺のものだ!」
その瞳は最早何も見ていなかった。両手を振り上げた男は、誰が止める暇もない速さで、操作盤を開放する。
大地が震動する。悲鳴が起こる。光が溢れる。
終わり始めた世界の中心で、光に包まれた男は、剣を取り落した。
「……ああ」
宙に差し出された両手の先を、音素の粒子が掠めていく。
「これで、ようやく……お前に会える」
光を見つめながら、男はその人生で一番、幸せそうに微笑んだ。
「……ルーク」
メリーバッドエンド
14/05/19
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